「お花見」好きな日本人が多いですが、奈良時代までは桜より梅が人気で、
桜ブームの火付け役は、意外なことに「菅原道真」だったりします。
学問の神様と言われる菅原道真が遣唐使を廃止したのは、894年のことでした。遣唐使の廃止により、日本独自の文化が発展していったともいわれています。
これを契機に日本古来の文化や、美徳に人々が注目し始めたのかも知れませんね。この時を境に、花といえば「梅」ではなく「桜」を指すようになっていきました。
桜ブーム到来は、和歌にも表れています。平安初期に作成された『古今和歌集』には、梅を詠んだ歌は18首程度に対し、桜を詠んだ歌は70首となっています。平安時代に、一気に梅と桜の人気が逆転したことがうかがえますね。
菅原道真のトレードマークは「梅」で、「令和」には梅が関わっているとのことでしたが、
道真が行なった「遣唐使の廃止」で「日本独自の文化が発展」し、
菅原道真も梅も「主役の座を奪われることになった」というのは皮肉なお話です。
これは昨日、4月7日の姫路城ですが、
87歳の父親と82歳の母親が昨日、東京から姫路城まで行ったら、
この季節の姫路城は10万人からの「人出」とのことで、
入場制限で姫路城には「入れなかった」そうです。
年寄りの自由旅行に何で「日曜?」って感じですが、
やはり「花の見頃」を狙ったようで、
日本人のサクラ好きはまだまだ健在みたいですが、
サクラの名の由来は「依代」という説があります。
そもそも日本人にとって桜は古来より大切な存在でした。
それは「サクラ」という名前の由来といわれる説からもわかります。
「サ」は田の神様、「クラ」は神様の座る場所を意味しているという説です。つまり、「サクラ」は神様が山から下りてきた時に一旦留まる依代(よりしろ)とされていました。
そのため、桜が咲くことは「神様が山から下りてきた証」と考えられ、皆で集まり、お酒や食べ物をお供えしていたとされます。
桜の季節になると、飲みたくなるバッチフラワーがチェリープラムで、
チェリープラムはダイエットの定番レメディですので、
薄着になると、冬の間に溜め込んだ「贅肉」が気になり始める・・というのもあるのですが、
暖かくなってカラダが緩み始めると、ちょっとしたことで「感じやすくなり」、
春先になると「おかしい人」が増えるのは、
チェリープラムの指標である「理性を失うことへの恐怖感」を潜在的に感じる人が多くなるのかもしれません。
いずれにせよ「花」を見るだけでも、大いに感情は癒されますネ。
さて、標高1200mの「清里の家」では桜どころか、やっと凍った土が溶けてきた状態で、
4月最初の土曜日、「お初」のスイセンを発見!
ご近所さんから分けて頂いたスイセンで、
日当たりのイイ、道路沿いから咲きはじめました!
よーく見ると、庭の隅には「シラーシビリカ」も咲いてました。
昨年「私のカントリー」でポール・スミザーさんの出店で球根をGETした、
「シラーシビリカ」って、すごーく綺麗な青色の花です。
「花」にはそれぞれ個性、美しさがありますが、バッチフラワーで使われている「花」は、こういったあまり知られてない品種が多く、その色とカタチが織りなす周波数が、特定のマイナス感情をバランスさせる働きがあります。
さて、この日は同じ山梨県でも南の端、南部町のファーマー治療士、
ペルーラムさんの所に薪ストーブに使う「伐採木」を取りに行きました。
清里〜南部町の途中、南アルプス市には桃源郷が広がり、
桃の花の美しさを堪能出来るのも、山梨ライフの醍醐味です!
富士川沿いの桜を眺めながら1時過ぎに南部町に着いたら、
この日は新月直後だったせいか、朝から来客続きで、まだ何も食べてない・・とのことで、
お土産の、清里近所のパン屋さんの食パン差し出したら、
「うまい、うまい」とラムさん、何もつけずにかじってましたが、
今、清里パン屋さんが使ってるこの白い車、
元ユーザーはナント、ペルーラムさんで、
ちょうど「売りたいけど、もう値段はつかないでしょうね・・」と言ってた所に、
急遽、車が必要になったパン屋さんが直接取引で「スグ買いたい」となり、
南部町に引っ越した際、ペルーの先生が選んだ愛車が清里に来た次第です。
パン屋さんからは「大事に乗っていたんだね、全然問題ないよ」と言われましたが、
そんなご縁のパンを食べた後、昨年の台風で茶畑に倒れた木を片付けました。
結構、危険な作業だった・・とのことで、午前中一人でやるつもりだったのに、
来客続きで出来なかったのは、かえってよかったのかもしれませんネ!
男子陣が木を片付けてる間、今年は大豊作だという「夏ミカン」を、
長ーいハサミと悪戦苦闘しながら何とかGET。
完全無農薬の上に、野性味ある甘さの美味しいミカンです!
野性味といえば、お茶タイムにラムさんが淹れてくれたマコモ茶、
「酵素カフェ」読者さんが送ってくれた奄美大島産のマコモで、
そういえばパン屋さんも自分の両親も鹿児島県人なんですが、
前に飲んだ、長野県産と味が違ってビックリ!
どちらもイケるんですが、奄美産は野性味たっぷりな大自然の味で、
ナルホド「龍の郷」というのもうなずけます。
お茶タイムの後、既に用意してくれていた「栗の木」を車に積んでいたら、
「お米の師匠」さんが出て来て、
田んぼを眺めながら立ち話、
師匠いわく、ラムさんは何でも飲み込みが早い・・とのことで、
こういった機械類も、
今では、地元の人から修理を頼まれるようになってます。
ラムさんが南部町に溶け込んでいるおかけで、清里の薪がGET出来てる次第ですが、
先日、ラムさんのペルー時代の同級生(日本人だけどもペルー在住)が新婚旅行で来日し、
南部町を訪ねて来て、伴侶(日系人)のルーツが南部町だとわかってビックリしたそうです。
まったく観光地じゃない南部町ですが、南部鉄瓶の「南部」は、
実は山梨の「南部」が発祥で、南部町は由緒ある古くからの「町」です。
現地の人から慕われる、不思議なドクターだった故ペルーの先生が、
息子のために選んだ場所ですので、何かしら意味があるような気がしてましたが、
案外、南米とご縁がある「土地柄」なのかもしれませんね。
それにしてもラムさん宅、独身男性一人暮らしとは思えないキレイさで、
ペルーの先生は「彼はお坊さんだから・・」とか言ってましたが、
掃除はスルけど、料理は全然ダメ・・とのことです。
いつもラッキーなタイミングのペルーラムさんはリマの都会育ちですが、
自然な暮らし方が合っていたようで、
これはイチゴの花ですが、果物はそのまま食べられるし、癒しの周波数に満ちてますネ。
庭先には、他にも食べられる草がたくさん生えてますし、
竹の子など、食材が豊富なのも南部町の魅力です。
たくさんの「黄金の玉」を頂き、
大収穫で清里に戻りましたが、
自然を愛で、「他者のために労をいとわない」のがラッキーな秘訣かもしれませんネ!
こんにちは。
ペルーラムさんの車をパン屋さんがゲットされたお話など読ませていただいて、無理せず流れに任せることがいいのかなと感じました。
『自然を愛で、「他者のために労をいとわない」』ということも、個人的に桜の花の季節に苦手意識を持っている自分にはやや耳が痛かったです。。
いまパートタイムの仕事を探しているのですが、なかなかスムーズに行かず焦りの気持ちが出たりしていまししたが、ラムさんを見習って流れに任せてゆこう、と拝読して気持ちをちょっと立て直しました。
ありがとうございます^^
そうそう、何事もタイミングですから、
自分の経験でも、仕事でも何でも「決まらない」時はその方がヨカッタというのは間違いないですよ〜
こちらこそ、コメントありがとうございます。イイ波に乗れますよーに!