あらゆる自然に「神が宿る」という多神教的な発想は、
別に日本だけの専売特許ではありませんが、時代が下るごとに西洋文明では「すたれて」しまい、
その結果、おかしな事になってる現状を、神仏研究家の桜井識子さんはこう語っています。
10年以上前の話です。連休に3日連続で特別な説教をするというキリスト教の教会に行きました。教会に行くのは初めての体験でした。
2日目のことです。牧師さんが説教の中で、痛烈に仏教批判をしました。
ここがおかしい、あそこが間違っている、と言うだけでなく、ちょっと小馬鹿にしたような感じのことも言い、信者たちはそれをゲラゲラ笑っていました。
大変嫌な気持ちになりました。
自分たちがしている宗教は素晴らしい、と思っているのなら、その宗教の良い部分をみんなで称えればいいわけで・・どうして他の宗教を批判する必要があるのだろう、と思いました。
集会が終わって、帰る時のことです。
牧師さんが私のところに来て握手をし、「あしたが3日目ですね、3日連続で来れば、あなたは救われますよ!2日だと救われませんからね。救われたいでしょう?明日も来て下さいね」と言いました。その瞬間に「ああ、もうここに来るのはやめよう」と思いました。
教会は牧師さんの性格・人格でカラーが全然違うらしく、落ち着いた良い教会もたくさんあるそうです。たまたま行ったところが過激な部類だったのだろうと思います。
キリスト教の教えは真理なのに、組織になると、その組織の人の考えが入ってしまうのだなと思いました。
3回来れば救われるが2回では救われない、とキリストが言うとは思えません。キリストが他の宗教をあざ笑ったりすることも、ちょっと考えられないです。・・
神の真理を知る人にとって、その宗教の信者か信者でないかということは重要なことではなく、そんなことで差別などしないのです。
その人が”神を信じてる”その心を持っていれば、そこに敬意を払います。・・
ブログにも書いてますが、私はギリシャの教会にいる高級霊の神様に急病を治してもらいました。ギリシャ正教の信者ではないし、ギリシャの国民でもない私ですが、その神様は差別することなく救ってくれたのです。
神仏を心から信じる、という強い信仰心さえあれば、どこの誰であろと、その信仰心に神様は答えてくれます。
空海さんも、「最澄の所にも行ったのか」などと心の狭いことは絶対に言いません。それどころか「最澄はいい僧をつけてくれたな」と最澄さんのしたことに感心していましたし、最澄さんも、「比叡山に来る前に高野山に何回か行っておるではないか」などと天地が引っくり返っても言いません。高野山に泊まったりして、空海さんの廟にも何回も行った私ですが、「ブログを頑張りなさい」とお弟子さんをつけてくれました。
自分以外の神仏を信仰していても、まったく気にしない、全然気を悪くしないのが、本当の神仏です。自分だけを信じろ、とは決して言いません。・・
他人や、他の神仏に、とやかく言われることはありません。なのに、その信仰をたった一つだけにしろ、というのが宗教団体・組織です。
まだまだ修行が必要な眷属クラスのお稲荷さんでも、コンスタントに参拝に来いとは言いますが、信仰はここだけにしろなどとは言いません。
どの神仏を信仰するか、いくつ信仰(神仏とのつながり)を持つか、などは人間の自由意思であり、それを縛ってはいけないことを、高級霊ならどなたも知っているからです。
まれに、外国人が行かない(外国に慣れていない)山岳系の神様の眷属に、外国の宗教を嫌うものもいます。ですが、親分の神様がこだわらないので、それを見て、その眷属もすぐに受け入れてくれます。
いくつ持っても構わない信仰ですが、自分の意思で大好きな神仏一つだけにするのもいいし、宗教組織に入ってその組織のために頑張るのもいいと思います。そこに正解も不正解もありません。自分の魂の思うままにするのが、一番なのです。
それは神仏が一番よく知っています。
宗教組織に教えられた変な宗教観に左右されず、自分の魂が感じるままに、神仏を愛し、信仰する・・それが正しい宗教ではないかと、私は思います。
「視える」とか「感じる」人は沢山いらっしゃいますが、介護の仕事をしながら修行を重ねた桜井さんは「基本」がしっかりしてる印象で、「直感」を大切にすることが、より良い人生になることを体験的に語ってくれてます。
ウチはフツーの超庶民なんですが、セカンドハウスをコツコツとセルフビルドで作り始めたのは、
八ヶ岳で2度も巨大なUHOを目撃し、
そしてヨーロッパっぽい風情もある清里の土地柄が気に入った・・という「直感」に従ったわけですが、フツーに考えたら、「老後のために貯金」するんでしょうね〜
夫婦共々、ノー天気な点だけは共通してるのが幸いですが、
職人気質な建築士の旦那さんと、
読書好きな自分とは正反対なところがあり、清里でもお互い「好き」なことを楽しんでます。
そんな中、自分がハマったのは「酵素作り」で、
標高1200m、八ケ岳の麓で野草を摘み、
1.1倍量の砂糖をまぶすだけで、
簡単に作れる「酵素作り」にハマってた時に、このブログを始めたので、
ブログの土台を作ってくれたオカベ師匠から、
「ブログ名を決めてください」とメールが来た時、何も考えずに「酵素カフェ」としたのは、
イメージとしては「カフェでの気軽な会話」的なブログにしたいと思ったからですが、
まさかホントのカフェを借りきって「酵素カフェ」をヤルとは・・驚きの展開です。
酵素カフェ #2 – https://eventon.jp/17513/
もっと驚いたのは、「リアル酵素カフェ」がスグに満席・・とのことで、
公開したタイミングが夜だったので、今回、タイミング合わなかった方にはホント申し訳ありませんが、
経験的には「タイミング」こそが「神仏のお導き」だと実感してますので、会える時はキット会えます。
さて、6月22日の清里高原は、はっきりしないながらも、
雨はほとんど降らない、まずまずのお天気で、
ジャガイモもどんどん伸びて、
「ジャガイモの花」を咲かせています。
これは南部町のペルーラムさんの所から頂いた「苺」ですが、
無事、清里の冬を越して根付いたようで、
アリさんに食べらちゃう前に、
早速いただきました〜
甘くてビックリ、来週も出てますよーに!
タイミングによっては、虫さんに食べられちゃってるのでしょうが、
自然の中にいると、それはそれで、
仕方のないことだと思えるようになります。
これは建具屋の奥さんから頂いた三輪草ですが、
毎年同じ頃に、同じ花が咲いてるのを見るだけで心が安まります。
どんどん増えてるマーガレットも、
黄色いショウブも、
もともとこの土地にあったもので、そういう植物を大切にしたいのですが、
庭とは、人間が少し手を入れることで美しくなっていく・・ものでして、
この土地は、放っておくと「笹」だらけになってしまうこともあり、
昨日は笹の新芽を摘んで、酵素を作りました〜
6月22日は夏至でしたので、夏至でスタートした2019年の「酵素作り」ですが、
夏至であることに気づいたのは今日でして・・6月23日の清里は青空が広がり、
夏至が過ぎたら「真夏」はもうスグ・・目の前ですネ!
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