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向田邦子氏のセンスに知る戦前日本の豊かさとスピリチュアルな真髄

この虹は、台湾で11月30日に出現したもので、ナント、「8時間 58分間出続けた」ことが正式に記録され、しかも、

世にも珍しい、「五重の虹になった」そうで、
5-rainbows-taiwan台湾ニュースより

「五重の虹」は、2017年11月21日英国スコットランドでにも出てますが、
srornoway-five-rainbows2017年11月21日 ルイス島のストーノーウェイ市

台湾の虹の方がスッキリとした印象で、この台湾では1981年8月22日、

巡航中の航空機が空中分解するという遠東航空103便墜落事故が起こり、

その飛行機には、昭和を代表する脚本家、作家の向田邦子さんが乗っていて、
6f579e8551歳の生涯を終えています。

最近では、清野菜名主演の「トットちゃん!」にも登場してる向田邦子さんは、
af4079d5cdd49abf984bf0b239e498db昭和4年生まれですから、生きていればもう88歳ですが、

現役時代を知らないお若い方々にもファンが多く、

そんな向田邦子さんの作風は、「神の啓示のように不意に訪れた乳がんという病が転機になって」大きく転換したようです。

<向田邦子の生涯をたどって>

絶頂期であった45歳の昭和50年10月、乳がん手術のために入院。三週間の入院生活を送るが、その時の輸血が原因で血清肝炎となり一時右手が動かなくなる。

そんな時、雑誌「銀座百点」から連載エッセイの執筆を依頼された。
「このエッセイが後年、『父の詫び状』にまとめられました。」
向田さんは連載を引き受けた時の心境を、本のあとがきに次のように書いています。

――その頃、私はあまり長く生きられないのではないかと思っていた。
考えた末に、書かせて戴くことにした。
ゆっくり書けば左手で書けないことはない。
こういう時にどんなものが書けるか、自分をためしてみたかった。
気張っていえば、誰に宛てるともつかない、
のんきな遺言状を書いて置こうかな、という気持ちもどこかにあった――
さらりと書いているようだけど、
向田さんの暗くつきつめた思いが込められています。
死の影の下で、家族や自分の半生を振り返り、
そこに揺曳(ようえい)する家族の映像をエッセイとして綴ることで自分のアイデンティティーを確かめたかったのでしょう。
これを境に向田さんは、喜劇調のほのぼのしたホームドラマ作家から、
家族解体の危機をはらんだ家族・人間をより深いところで描くシリアスドラマ作家、小説家へと脱皮していったのです。

それ以後、「冬の運動会」「阿修羅のごとく」「あ・うん」と次々にシリアスドラマの秀作を生み出した。
そして、55年「小説新潮」に連載した『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』の連作で、第83回直木賞を受け、小説家としてデビューしたのである。

その矢先の56年夏、飛行機事故に遭って亡くなった。享年51だった。

「神の啓示のように不意に訪れた乳がんという病が転機になって、向田さんの作風が大きく変わっていきます。それでも家族や父は、生涯を通しての重要なテーマに変わりませんでした」

http://asanogawa.exblog.jp/17346541/

実践女子専門学校を出て、まずは出版業界で秘書として働いた向田邦子さんは、今でいうキャリア・ウーマンのはしりですが、

向田さんの作品は、戦争モノでも見やすく、かつ、大事なポイントを押さえていて、

「あさき夢みし」では、終戦直前まで特攻していた「空軍」の教官が、終戦と同時に「落とし前」をつける姿に深く感じ入りました。

政治的なスタンスもキチンと持っていた方のようですが、

遅まきながら、向田ファンになりそうな予感がしたのは、

「無類の子煩悩なのにそれを表面に出せない明治気質の父親だった」

という実父をテーマにした『父の詫び状』を見て、

思いの外、豊かだった日本の戦前の生活ぶりと、「ホ・オポノポノ」なストーリーに魅せられました。

最後の方で「父を許しました」とありますが、向田さんは乳がんになったことで、

どこか「許してなかった」自分に気づいたのかもしれず、それは戦争に対しても同じことで、

あの時代を生きた人は、陽気に振る舞っていても、アンビバレンツな葛藤を胸に秘めていることを、友人だった、作家の澤地久枝氏が語ってます。

<「孤独」と健気さ>

なんと実在感のある人だったのだろう。
いつまでも薄れないあの人の魅力とはなんだろうか。
「江戸っ子」といいたい、気っぷのいい、さっぱりした人だった。
こまやかに気を使い、気を使っていることが相手に伝わらないように、心くばりをしつづける人でもあった。
世話好きで、労を惜しまなかった。
流行の先端をいつも確実につかんでいて、その収穫を嬉しそうに友人たちにわける人だった。

青山通りや六本木通りを一人で歩いているとき、向田さんは日頃は見せない暗く孤独な雰囲気をただよわせていた。
行きずりのタクシーの中からそういう彼女の姿を見て、言葉をかけるのはためらわれた。
明るく振る舞いながら、人には見せない孤独な暗部を心にひめていたのだと思う。

初めて小説を書いた『思い出トランプ』連載中、
「どうして暗い話ばかり書くの?」と訊ねた。
「わたし、暗いのよ」
と呟いた眼も忘れられない。

http://asanogawa.exblog.jp/17346541/

さて、そんな向田さんは料理の名人でもあり、妹の和子さんと赤坂に昭和53年、「ままや」という小料理を開き、
KIMG0044

3年後に飛行機事故が起きるわけですが、「ままや」は20年間にわたり営業を続けたのことで、

この料理本には、
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幼少期を鹿児島で過ごしたという向田さんの、豊富な写真、エピソードとともに、
KIMG0043

シンプルで素材を生かした、家庭料理が満載で、
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さっそく、「えのきだけの辛煮」を作ってみたら、

<えのきだけの辛煮>

同割のしょうゆと酒、それに少々のみりんで煮つめた簡単おかず。しょうゆを多くすると常備菜になるが、きのこはカロリーがほとんどないので、薄味にしてたくさん食べたい。ダイエット中の方にもおすすめ。

材料(4人分)えのきだけ2パック 酒としょうゆみりん少々

①えのきだけは根元の茶色い部分を切り落とし、食べやすい長さに切る。

②①のえのきを素早く洗ってざるに上げ、酒1、しょうゆ1の割合の煮汁をえのきが半分つかる程度に加え、さらにみりん少々を入れる。

③②を火にかけ、沸騰したら火を中火にしてときどき混ぜながら、煮汁が少なくなるまで煮つめる。

*えのきだけから水分が出るので、煮汁は少なめにした方がいい。

見た目は今イチですが、
KIMG0052

久々に旦那さんも「美味いな〜」とマジ褒めする「お味」で、

節約素材の「えのきだけ」が、こんなに美味しくなるなんてビックリです!
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もっともシンプルだからこそ、本物調味料が味の「決め手」で、

お酒も、「醸造アルコール」でナイものを選んでます。

ここ数年来、ネットで見るから料理本はイラナイ状態だったのですが、

これはマジにGETして良かったと思える「お宝」本で、

向田邦子さんの味のセンスは、「感じる」力が並外れて強かったからであり、

よそでおいしいものを頂いて、「うむ、この味は絶対に真似して見せるぞ」という時、私は必ず決まった姿勢を取ることにしています。

全身の力を抜き、右手をこめかみに軽く当てて目を閉じます。

レストランのざわめきも音楽も、同席している有人達の会話もみな消えて、私は闇の中にひとり座って、無念無想でそのものを味わっているというつもりになるのです。

どういうわけか、この時、全神経がビー玉ほどの大きさになって、右目の奥にスウッと集まるような気がすると、「この味は覚えたぞ」ということになります。

先の澤地氏は、向田さんの料理を「思いやりの味」と語ってますが、

こんなエピソードも披露してます。

来客の多かったある日、サラダのドレッシング作りを手伝っていて、ふと気づいた。

「あれ、レタス洗わないまま?」
「いいの。きれいだって信じるのよ」

きっぱり言い、そして照れたように笑った。

また、妹の和子さんも、こんな話を暴露してます・・

姉は何事にも手早い人。洗うのもあんまり速いので、
「ほんとうに洗ったの。おなかこわすよ」
なんて言うと。

「おなかこわした人は、運が悪いのよ」
のひとことでかたづけられてしまいます。知らぬが仏、といったところでしょうか。

ある意味、すごいスピリチュアルな人だった向田さんは、

飛行機事故の後、こんな遺書が見つかったとのことで、
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「どこで命を終わるのも運です。体を無理したり、仕事を休んだりして、骨を拾いに来ることはありません」

戦前、戦後の昭和を足早に駆け抜け、51歳で台湾で逝った向田邦子さんの、遅まきファン決定です!

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COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 7 )
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  1. 向田邦子研究会に入会しています。小学校の高学年から中学生、高校生にかけて、向田ドラマに流れていたもの、が、今も私の人生の深いところに流れています。ままやを訪ねたときは、前年に閉店されていて、板さんが新橋でお店をされているとのこと、そちらで向田料理を頂きました。
    長生きして、もっと沢山の作品を見たかったな。
    自身が向田さんの年齢を越えて、感慨深いものがあります、
    この年齢であれだけの作品を残されたことが、改めて凄いと感じ入ります。
    向田さんの記事、嬉しかったです。

    • かえでさん、こちらこそ暖かいコメントありがとうございます。

      自分は若い頃、赤坂によく行っていたのに「ままや」を知らずに残念でした。

      TBSの中にあった頃のトップスでカレー食べていたら、隣に「石井ふく子」がいたりしたので、ひょっとしたら向田さんとすれ違っていたかも・・

      もっと早く知りたかった方の一人ですが、作品を通して今も生き続けていると強く感じますよ!

  2. 以前まるかんさんの商品検索をして辿りつきました。
    向田邦子さん、本当にステキですよね。
    遺書のこと初めてしりました。
    一度だけ、ままやに行けて、嬉しかったことを思い出しました。
    レメディ10年くらい前に手当たり次第試したことがあったのですが、効果感じられず、で終わってしまったのですが、また試してみたい気になりました(^ー^)取り留めなくてすみません。お邪魔しました。

    • くびさん、コメントありがとうございます。

      <以前まるかんさんの商品検索をして>

      ホワイトクリーム、今も使ってますよ!

      <レメディ10年くらい前に手当たり次第試したことがあったのですが>

      経験的には、やはり選び方が大切なんですが、効果の感じ方は人それぞれで、案外効いていたのかもしれず、いずれにせよマイルドなので依存性のナイところが気に入ってます。

      それにしても、くびさんのコメント時刻が4時14分で、自分は4月14生まれで、今日の記事ともシンクロしててチョット驚きました!

      • レメディはみればみるほど全部必要な気がしまして^_^;
        イルカさんが主催されるようなイベントがあれば参加させて頂きたいです(^ー^)

        0414
        一方的に憧れてますイルカさんにご縁を頂けたみたいで嬉しいです(^ー^)

        拙いコメントを丁寧にお汲み取り頂き
        お返事頂きましてありがとう御座いました!

  3. あら、イルカさん、わたしは4月15日生まれです。
    春生まれだからか、今の時期の暗くて寒いのがとても苦手で気分も沈みがち…
    イルカさんは、季節を楽しんでいらっしゃるようですね~

    • <4月15日生まれです>

      えっ、くびさんと言い、向田つながりのシンクロですネ!

      <春生まれだからか>

      自分が生まれた時は4月なのに、東京で雪が降ったそうで、そのせいか雪見るとテンション上がるんですよ〜 でも、寒いのは苦手でーす。

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