ルドルフ・シュタイナーは、教育学の分野では自由な表現と芸術を重視する「シュタイナー教育」で有名ですが、
実はこのシュタイナーさん、かなりのサイキックであり、
シュタイナーさんが直接に感受したものを、
「言語化」すると、かなり難解になってしまいますが、
コーヒーと紅茶のエネルギー的な違いなど、
・多くの食品が独特の作用を人体に及ぼします。例えば、コーヒーです。コーヒーには、意味深い作用があります。コーヒーの作用は、アストラル体(感受体)にまで及びます。
カフェインによって、私たちの神経組織は、普段なら内的な力をとおしておのずから生じる活動を、コーヒーの作用によって行うことになります。
・紅茶は正反対の作用を生じさせます。特に濃い紅茶を飲むと、思考は飛び散り、明るくなります。紅茶の強い作用は、機知ある思考、まばゆい思考を輝かせますが、その思考の個々の部分は軽々しいものになります。
日常生活で使える、ナルホドな話も多く、
これは、シュタイナーさんが1906年の講演で書いた図ですが、
「日本が世界の頂点」だとまで言ってたシュタイナーは1924年頃から、日本についての言及を一切しなくなったとのことで、
その件に注目した、こんな記事がありました。
<ルドルフ・シュタイナーが93年前に語った「人類の消滅」と「すでに消えた日本」>
シュタイナーは、この講演のタイトルにある「人類文化の進化の歩み」の中で、特に重要で興味深い人種を挙げており、講演の最初で、以下のように明確に述べています。
「モンゴル民族、日本人、中国人。彼らは最古の地上の住人の末裔なので、非常に興味深いのです」
これは現在の ミトコンドリア DNA の追跡から判明している一般的な人種の歴史ではありません。シュタイナーなどの一種の神秘主義の立場からのものですが、その学問では、日本人と中国人、そしてモンゴル民族は、
「最古の地球上の人類の末裔」
なのです。
これはとても興味深い見識ですが、しかし、このように述べた少し後に以下の言葉を述べます。くどいようですが、これは今から 93年の 1924年の言葉です。日本が大正13年の時のことです。
1924年にシュタイナーが述べた言葉より
「日本は完全にヨーロッパ文化に支配されました。日本という名は残っていても、まったくヨーロッパ化されました。日本人はヨーロッパからすべてを受け入れ、自らの古い文化は外面にとどまっただけです」
ここで「日本」という言葉はシュタイナーの演説から消えます。その後、中国やインドが繰り返し出てくる中で、日本は一度も出てこなくなります。まあ、それでも、ここには、「自らの古い文化は外面にとどまっただけ」とあり、表面的には日本人の暮らしや衣服や食事などの「外面」は生き残っていたこともわかります。
その外面さえも完全に破壊されて、日本が完全に白人支配下に置かれたのは、第二次世界大戦後からということになりそうです。
1945年9月2日 東京湾上のミズーリ号甲板の日本の使者たち
実際、私はずいぶん以前から「もう何も残っていない」とは感じています。
ちゃんと見たことはないですが、最近のテレビなどでは、「日本万歳!」のような番組を見かけることがありますが、そういうものを含めて「今の日本では何が万歳の対象となるか」かといいますと、「白人の価値観からほめられたもの」ということになってしまいます。
・・・オリンピックのメダル、ノーベル賞、英語が話せる、アメリカの大リーグで活躍、欧州のサッカーチームで活躍、西洋的なルックス、白人の映画賞、白人の味覚基準(ミシュランなど)……。ついには、日本の遺跡や名跡でさえ白人観光客の数と評価で決まったりというのが現実です。
いつからこんなに植民地になってしまったのだろうとは若い時から感じてはいましたけれど、しかし、これらは「口に出して言うと責められるので言ってはいけないこと」になっています。今回はつい書いていますが、実際はこれらは「書いてはいけないこと」です。
ともかく、そういう「ヨーロッパ的(=白人的)価値観」で評価されたものは徹底的に賞賛され、世の中の頂上にまでまつり上げられる。どの日本人もその人たちの前ではひれ伏さなければならないし、まして批判などとんでもない。テレビでタレントか何かがノーベル賞を受賞した方や、大リーグで大活躍されている方をこき下ろしたらしたらどうなるか。その日のその人の SNS がどうなるか。
「民主主義は自由な意見が認められている」と言われることがありますが、私は自由な意見が認められるような光景を日本で見たことがないです。若い時には表現のようなものをやっていましたが、いつでも遠回しにわかりにくくしていました。「自分の意見が伝わらないように」やらないと潰されることが明白だったからです。
いずれにしましても、この 100年間くらいの日本の歴史は、そのようなかたちで「白人に褒められること」を目指してやってきたような気にさえなります。
かなり悲観的なご意見ですが、事実でもあり、
東京では、ハロウィンで大騒ぎするようになったのと反比例するかのように、
正月に、「門松を出す」家が消滅しつつあります・・・
まあ形式的なことはともかく、日本の食生活が乱れてきたのは健康問題に直結するので、
小林健氏ら、外国で活躍してきた治療士さんは「日本食を見直す」ように警告してますが、
人類のアカシックレコードが読めるゲリー・ボーネルさんによると、中国も日本も古代レムリア文明の末裔であり、
また、飛鳥氏らによると、日本民族は「真性ユダヤ人」とのことで、
事の真偽はともかく、
日本人とは、ありとあらゆる「血」が混合したハイブリッド民族であるのは確かそうで、
一般的に、ワンコもニャンコも「MIX」の方が丈夫だし、
「純血種」とは、いろいろな「血」を混合させた「結果」を、
意識的に持続させてきた「種」ですが、
この、まるで「羊の皮をかぶった柴犬」みたいなワンコは、
鳥取県固有の日本犬、「山陰柴犬」という犬種の「コウ」くんで、
冬毛が抜ける5〜6月ごろだけ「変身」する、「おとなしくやさしい、山陰気質あふれる山陰固有の地犬」とのことで、
まるで、「洋服着てても、中身は日本人」みたいな「お姿」ですネ!
日本人には、外来モノを柔軟に受け入れる多様性と、受け入れたものを「日本流」にアレンジしちゃう特技があり、
クリスマスもバレンタインデーも、もはや日本流の「行事」であり、
どんなに外国製品に囲まれていても、「日本語」が消えない限り、
右脳優勢な「日本人脳」は、決して消滅しないと思ってますが、
そして、最近の若い人達には、お金よりモノを大切にする人達が少なからず出てきているようで、これもウレシイ傾向です。
例えば、山梨県南部町と東京を往復する生活をしているペルーラムさん宅のガレージには、
来る度に、「お道具」がどんどん増えてるけど、買ったモノはほとんどナイとのことで、
先週おじゃました際も、近所のおじいさんが「これ、使ってくれ・・」と、
かねてから欲しかった小型の耕運機を持って来てくれたので、いたく喜んでました。
農機具も発電機も、キレイにレスターして再利用する、
日本の裏側、ペルーで生まれ育ったペルーラムさんは、
日本人の両親のもと、日本的な「モノを大切にする」心を叩きこまれたようで、
武家屋敷みたいなこの家に移って丸7年、両親亡き後も、
すっかり地元の人と馴染んだようで、東京の患者さんらとは違い、
ブルーウォーターがどうの・・といった話はしずらいようですが、
年配者が多い田舎だからこそ出来る、生活と風習を楽しみ、柔軟に対応しているようで、
ヤタラと「お金」を稼ぐことより、一日一日の活動そのものを楽しむ若者たちが増えてくれば、日本の良さが継続出来そうな予感です。
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