東京都で唯一「日本遺産」に認定された高尾山は、
驚いたことに登山客世界一とのことで、ミシュランガイドでは富士山と共に三つ星にチョイスされてます。
八王子郊外に越して来て30年近く経ちますが、
高尾山に登ったのは、最初の愛犬ゴールデンリトリバーがまだヤンチャな子犬の頃で、すれ違う度に「お座り」させ、あまりに登山客が多くて・・その後、愛犬とのハイキングコースはもっぱら陣馬高原方面となりました。
高尾山の頂上近くには「高尾山薬王院」があり、行った記憶がないのですが・・
最近知った「感じる」神仏研究家、桜井識子さんの、
こちらの本に「高尾山薬王院」の天狗の話が出ていたので、「行きたいな〜」と思いつつも、
「でも、やたらと混んでるからな〜」って二の足を踏んでましたが、
コロナで人も少なかろう・・と、昨日行ってみたら、平日とは思えない賑わいでビックリ!
しかし、通常よりはだいぶ少なめで、今は狙い目です。
今回の目的はハイキングではないので、「日本一の急勾配」ケーブルカーを使ったのですが、
並ぶほどではナイですが、座る席がない・・程度には混んでました。
ケーブルカーで6分、あっと言う間に山頂付近に到着し、15分ほどテクテク歩くと門があり、
門をくぐってスグ左手には「役行者」のお堂があり、
「高尾山薬王院」の歴史は奈良時代に遡りますが、
高尾山薬王院について
1260余年前の天平16年(744)に、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山されました。薬王院の名は創建当初、薬師如来をご本尊とした事に由来します。現在は真言宗智山派の大本山として「成田山新勝寺」「川崎大師平間寺」「高尾山薬王院」が三大本山として知られております。
偶像崇拝ではなく、(修行した)人から人への「伝授」で発展しました。
慧眼を持った行基菩薩が人材を登用して職能集団を形成していったことが、病苦に対する施薬のように、苦役に従う大衆の救いであった。
高尾山薬王院に伝えられる真言密教の教えは、師資相承と言って、瓶から瓶に水を移すように(瀉瓶)師僧から弟子へ面授、伝授相承されるという方法で今日に至っている。
これが「法流」と呼ばれるのであるが、我が高尾山薬王院の法流は、中興の祖俊源大徳(永和4年=1375=10月4日寂)にまで遡る事が出来る。
こちらの京都の高層「俊源大徳」さんが、
長野県の飯綱山から烏天狗を連れて来たことで、
高尾は「修験道」で発展していきます。
行基が開山した時代から600年の月日が流れた頃、京都の高僧、俊源大徳(しゅんげんたいとく)が入山し、荒廃していた寺院を現在のような華やかな寺院へと改修。薬王院ではこの俊源大徳を中興の祖としています。
俊源大徳は高尾山琵琶滝での修行により飯縄大権現の霊感を感得したと伝えられており、高尾山における飯縄権現信仰の始まりと言われています。これより以降、薬師信仰と共に飯縄権現信仰の霊山として高尾山は認知され、醍醐派(当山派)の修験道の場として発展していきます。
で、桜井識子さんが高尾で烏天狗さんに直接聞いたところ、
烏天狗さんはホントに僧侶の「体に乗って」飯綱から来たけど、
大天狗さんは宮崎県・延岡の出身で、
大天狗さんはスカウトされて高尾に来たそうで、
烏天狗さんが大天狗さんを呼んだ理由は、多くの参拝者が熱心に「両天狗」を拝み続けるので、
烏天狗さん、「高尾に来てくれないか・・」とスカウトし、
大天狗さんは、「よっしゃ〜、行くぜ!」となったそうで,
よ〜するに、人々の信心する心が「上」を動かしたのですネ。
ちなみに天狗ってホントに「雲」に乗ってるそうで・・高尾から九州まで、ひとっ飛びなんでしょうね〜
さて、御本殿に着いたら、ちょうど11時前で、
家を出る際は、どうしようかな〜 って迷っていた「護摩焚き」が始まるタイミングだったので、お願いしたら、すっご〜くヨカッタで〜す!
神社での「お祓い」初体験は、アレッ、もう終わり? なあっけなさでしたが(これはこれで楽しい)、
「護摩焚き」初体験は、真摯な「お経」&「演奏」コラボで大迫力の楽しさで、癖になってしまいそうです!
そしてHPには出てませんが、受付で家族分の細い木札をくれまして・・自分や家族の名前とお願い事(身体健全とか)を書いて祈祷の後に置いていくと、それも炊いてくれます。
すっごくイイ体験したな〜 って上に登ると、
今度は「御本社」があり、
群馬の「榛名神社」と同じく
神仏が仲良く同居しているのって・・
日本人にはフツーでも、外人にはすご〜く興味深いことのようです。
そして、さらに「奥」に行くと、「浅間社」があり、
富士山信仰と結びついたことで、高尾山修験道は「孤高」を保つことが出来たそうです。
北条氏康によって天文年間(一五三二~一五五四)高尾山に富士浅間(せんげん)大菩薩(だいぼさつ)が勧請された・・
「北条記」の記述に戻れば、富士浅間社の高尾山勧請に伴って富士吉田の「禰宜(ねぎ)(御師)達が悉く武州八王子に移り…」とある。俊源大徳の中興以来醍醐山三寶院の当山派(とうざんは)真言修験道の法流を汲む高尾山に、修験開祖神変大菩薩と縁の深い富士浅間大菩薩が祀られる事となったのである。ここに登場の禰宜等は、高尾山修験先達集団と渾然となって、高尾山参詣と富士詣でとを広めていった事と推察される。
江戸時代になって関東の修験道勢力は、幕府の強大な力を背景に、日光男体山を主な行場とする天台本山派(ほんざんは)の二荒山(ふたらさん)修験に収斂(しゅうれん)されて行く中で、高尾山修験道が関東地方には珍しく孤高を保ち、当山派真言修験の旗幟を護って来た要因として、隣国相模の国御岳大山、雨降山大山寺不動寺の修験行者との往来と共に、この富士山修験道の勢力を無視する事が出来ない。
で、これが「浅間社」で、知らないと見逃しちゃう奥ゆかしさで、
とても清らかなお社でしたが、ほとんどの人がスルーして行く中、
ワンちゃんが「行こう!」と言ったのか、
犬連れの男性がワンちゃんと一緒に手を合わせてましたが、
地元のワンちゃんかな?
この「浅間社」でゆっくりして、頂上にタッチして下に降りたら、
午後の「御護摩祈祷=護摩炊き」が終わったところで、
法螺貝の音と共にお坊さん達がくぐった門前には、
やはり狛犬さんが居て、
そして、お坊さん達が入って行った建物の隣では「精進料理」がいただけまして・・
これも家を出る際は、どうしようかな〜 だったのですが、
お坊さん達が日々ピカピカに磨いてる・・と思われる空間で、
予約なしでいただける『そば御膳』を食してみたら、これが予想をはるかに上回る美味しさで、
天ぷらも煮物もとろろ汁もごま豆腐も全部、すご〜くイイ味付けで、
出汁が効いた蕎麦つゆ・・と言い、正直なところ、つい最近行った戸隠のナンバー1人気店より美味しいお蕎麦でビックリしました〜〜
戸隠は天台派として栄え、「飯縄大権現」を本尊とする高尾山薬王院は真言宗智山派です。
飯綱山は、戸隠山と共に我が国修験道の始祖、役(えん)の行者神変大菩薩(ぎょうじゃじんぺんだいぼさつ)によって山岳修験道場の基礎が開かれた。その後嘉祥三年(八五〇)学問行者が飯綱山から戸隠山に入り、役の行者の跡を再興して、初めて戸隠山の別当職に就き両山を治めた。やがて、戸隠山は天台派修験道の道場として栄え、鎌倉時代初期には延暦寺の末寺となり、一山八十二坊を数えた。一方、真言派の修験の寺も西光寺を中心に、道場を飯綱山方に占めて、次第に勢力を伸ばして行った。
そういえば、ペルーの先生家族が3.11の直前、都内の借家を出て行くことになり、先生が転居先を瞑想したら「八王子の風景が出てきた・・」とのことでしたが、高尾に呼ばれていたのかもしれませんね(笑)。
裏政治に詳しい藤原直哉氏によると、
八王子を拠点とする某巨大宗教団体はホントは「富士山の麓」に拠点を持ちたかったけど、各種の画策があり「八王子で手を打った・・」とのことで、天皇陵も高尾にありますし、八王子はレイラインとして重要な拠点なのかもしれません。
<富士山信仰との深い縁>
富士山道中の道筋の取り方は、江戸を中心に、埼玉、千葉、神奈川から八王子に出て高尾山に参拝、小仏峠を越えて甲斐路を辿り、大月、都留、吉田に入り北口浅間神社に詣で、登山、頂上のお鉢を巡り、須走口、御殿場口へ下り、足柄峠を越えて、最乗寺へ道了尊詣で、更に簑毛から雨降山に登り石尊権現に詣で、下って大山寺不動尊に詣で、厚木、上鶴間を経て府中、あるいは世田谷に通じる大山街道を、または、伊勢原から藤沢に道を取り東海道を登り江戸に帰るのが主だった道筋であったようだ。
この道中に於て、我が高尾山は富士山の「前立ち」、大山が「後立ち」であるとする信仰が在ったと伝えられる。
それはともかく、高尾山薬王院の「精進料理」は美味しいだけでなく、ホントに「精進」で、最初に冷やし甘酒(飲み放題)を一口飲んだら、ちょっと暑くてバテていたのがスゥ〜と抜け、甘酒ってホントに力があることを実感しました!
「日本料理のだしの基本」に高尾山の精進料理のだしが取り上げられそうで、
料理長の料理帳には、精進料理でのハンバークやナンの作り方が載っており、参考になります。
秋は「もみじ膳」が頂けるとのことで、是非とも又トライしましょう!
というわけで、お腹も大満足で降りて行くと、
だいぶ人も減ってきてましたが、ワンちゃん連れが多いのもウレシしい高尾山「詣で」の〆は、
高尾山口駅に隣接した「極楽湯」で、
これも「行こうかどうしようか・・」だったのですが、トライして正解で、
都内とは思えない本物「天然温泉」でお肌ツルツル、サウナも広々清潔で、
注目したのは、シャンプー台に『ラウリル・ラウレス硫酸が含まれてませんので安心して使っていだだけます』とか書かれてまして・・「ラウリル」を知らない人にとっては「何ソレ?」でしょうが、高尾山は楽しいだけでなく「修行・啓発の場=霊山」であることを実感しました〜
腹が立つほど何度も登らされた(笑)高尾山ですが、精進料理は未体験。いつかトライしてみます。
帰りに麓で食べる饅頭が毎度のお楽しみです。
実は近々、近隣の山と縦走予定でタイムリーな記事でびっくり!
そうですよね〜登山のイメージが濃かったのでスルーしてた高尾でしたが、導かれるように行って来たら、全然違うイメージでしたよ〜八王子って結構スゴイかも?
こんにちは(^ ^)
イルカさんの記事はMさんのように、ホントにいつもタイムリーです!日々コメント入れたいな〜と思いつつ時が流れ(笑)
お話したい事は多くあれど、とりあえず毎度の昆虫ちゃん話(笑)
八ヶ岳のお宅に今季多い毛虫は識別が正しければ、クワゴマダラヒトリかな〜?と。その場合は毛に毒はありません。
多くの毛虫は実はカユカユにならない子も多く、そして成虫となった多くの蛾は、口吻を持たず、何も口にすることなく虫生を終えていきます。
なので、毛虫でいるときに一生分、ムシャムシャ植物を食べちゃうんですよねえ(´ω`)
もう今週あたりはフワフワと舞う成虫の姿も見られるかもしれませんね〜。
昆虫の話は止まらなくなるのでここで〆…
あ、高尾にも多くの昆虫達がいるんです〜。今の時期はいつも渡り蝶のアサギマダラに会える(スミマセン、どうでもよい話で(^^;;)先週、陣馬〜高尾方面に登り、頂上で多くの昆虫達を愛でながら、ペルーラムさんの新茶をいただき…時の経つのも忘れてしまいました。あ、〆たのに(笑)
高尾山の精進料理、私も3年前にいただきました!妙に落ち着いた館内と、広々した座敷、僧侶の行列…真言宗のお袈裟は華やかなので目を奪われますね〜(^ ^)
高尾はお蕎麦、美味しいとことが多いですよね!高尾山口駅から少し離れますが「杜々」というお蕎麦屋さんも蕎麦はさることながら、お惣菜が美味しい‼︎ 提供に時間がかかるので、ゆっくりできるときにぜひ〜。
シリウスさん こんばんは〜
今、清里から帰って来ましたが、今年の清里は毛虫が多いな〜って話していたところで、毒なしでヨカッたです。
高尾には沢山蝶々がいて、すごーく気になってましたが「渡り蝶」かもですネ。なんだか魂っぽいというか精霊のように谷間をヒラヒラしてました。
「杜々」機会があったら寄ってみますネ。こちらこそ、いつもナイスな情報をありがとうございます!