「お盆」は、各地ごとで時期が異なり、
東京は7月13〜16日で、「新盆」と呼ばれてますが、
亜空間である「霊界」に、リアルに行き来した経験が豊富な坂本氏によると、「お盆」の習慣には霊的根拠がなく、単なる「しきたり」とのことです。
14分頃から、「お墓」や「お盆」について語ってますが、魂はお墓=「骨」にはなく、
しかしながら「骨」には「鬼」の部分が残りますので、「骨」を慰めれば慰めるほど、イイことがある・・とのことで、
ペルーでは、先祖の骨(骸骨)を玄関先に飾ったりする・・とラムさんから聞きましたが、ナルホド、理にかなった風習なんですネ!
さて、7月12日日曜日の清里高原の朝は、やっと青空がのぞいてきて、
久々に富士山を拝めることが出来ました!
近所の川辺を散歩してたら、
小さな白い花がポツンと咲いてるにを見つけ、ラッキー気分です!
で、午後は久々に、お花が沢山見れる「萌木の村」に行ってみました〜
英国人園芸家のポール・スミザーさんが監修する「萌木の村」は、
人工物ですが、小さな川・水辺もあり、
派手ではないけどナチュラルな、
八ヶ岳に自生している「植物」が季節ごとに、
順序よく、次々と植えられています。
高原の爽やかな風にあたりながらの散歩は心地よく、
普段より少なめですが、けっこう賑わっていて、
まあ、皆さんマスクしてる以外は、通常モードです。
清里で一番混雑する「ロック」も、午後3時過ぎで、
行列が出来るほど・・ではないけど、かなり混んでました。
梅雨の合間の昼下がり、
蝶やミツバチたちが飛び交い、
去年も見かけた、不思議なカタチをした花々を眺めていると、
ホント、幸せな気分になれ、
清里では「切り花」いらずなんですが、
「花のオーラ」が見えるという、筑波大名誉教授の板野肯三氏は、
切り花にもチャンと、「花の精霊」がいる・・と言います。
一本の枝、一本の茎であっても、そこに命が宿ることがある。もちろん宿らぬこともある。もう少し科学的な言葉で表現すると、そこに宿る生命エネルギーが尽きれば、その枝は枯れてしまうということである。それ故に、花を長持ちさせるときは、その命を持続させるにはどうすればよいかということになるのである。
これは、ある意味、生命の不思議、生命の神秘をどう合理的に理解するかということ他ならないが、多くの人は、何となくしか、この植物というものを見てない。
高等動物の生命活動は、生命エネルギーが無くなるのを待たずして、体の機能が不全になったり、心臓が止まったりすればたちどころに命を失うが、植物の場合は、すぐに命が途絶えるわけではない。
樹木から枝を一本切り取っても、その枝がすぐに死んだり枯れたりするわけではない。それ故に、命の所在が、一見、見えにくいということはある。・・
一枝のバラの花も、もとのバラの木から切り取ってしまえば、あたり前のことではあるが、水や養分が根の方から上がってこなくなる。コップや花瓶に活けるときに、根の働きを完全に代替させることはできないが、水は、茎から入って上がっていく。しかし、この命の神秘は、茎とか枝の下の方から水が上がってくるということだけでは説明できない。
その植物、バラならバラを生かし続けようとしているエネルギーがまず存在している。花の精霊である。バラにはバラの精霊がいるが、自分自身の物質的なレベルの体として、花とか葉、茎 あるいは、根があるわけで、こういうものすべてが、彼らの表現形なのである。
一輪の花を、もとの株から切り取ったとしても、花の精霊がそこで分割されてしまうわけではない。そして、花の精霊が、自ら、この花は私自身であると思っている間は、その花からのエネルギーは簡単に消えてしまうことはないということである。
これはホントその通りで、バッチフラワーレメディーは、各花々、樹木の周波数を水に転写したエッセンスですが、
その作り方には「太陽法と煮沸法」があり、どちらも各花々、樹木のエネルギーが最高な時に「切り取って」作られています。
つまり、各々のバッチフラワーは、半永久的に、それぞれの「花の精霊」とつながっているのかもしれませんネ〜
「萌木の村」でお花を堪能して、日曜の夜、八王子宅に戻り、
月曜の朝、庭を見てみたら・・
金曜日には咲いてなかった「百合」が、見事に咲いてます!
十数年前、園芸店の鉢物を直植えしたら、それ以来、毎年「お盆」時期に咲き、
なんとも芳しい香りを部屋にもたらしてくれてます。
というわけで、「お盆」のしきたりは迷信のようですが、植物の力はリアルですので、
「お盆」を機会に、たまにはお花を飾ったりするのは、イイかと思いますよ〜
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