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元祖「毒親持ち」の佐野洋子さんに学ぶコメディな地球の「第5幕」

標高1200mの清里高原でも、さすがに3月と4月では違うようで、

4月4日、清里の家の庭先では、

遅まきながら色々な花が咲き始めました。

ミクロで植物を見ると、一つ一つの細胞が生きてることを実感しますが、

世界的に著名な細胞生物学者、ブルース・リプトン氏は、世界は今、第4幕の最終章にあると言っており、

『第4幕・・・人間は現在、この第4幕の終わりにさしかかっている。世界はうまく機能しなくなり、環境の危機とともに混沌とした現状を見ると、まるで避けようのない列車事故に向っているようにも思える』

もし第5幕に移行出来るのならば、第5幕には、第4幕の混乱(列車事故)をコメディとして鑑賞できるセンスが必要だと言ってます。

地球上の人間のストーリーにはまだ結末が用意されていない。というのは、第5幕があるとしても、個人や社会の信念を進んで変えていくのかどうか、実際にそれが間に合うのかどうかはわからないからだ。・・

人間は、次のレベルに上がっていくのか、それとも恐竜時代に逆行するのかは自由意志で撰べるが、皮肉にも文明のゆりかごから育った肥沃な三日月地帯のあるイラクは文明の墓場となる危機を迎え、救済を求めている。

第5幕の救世主は、人生という劇を「コメディ」にしてくれるはずだ。すぐれたコメディには、すぐれたジョークも必要だ。

そこでジョークを一つ、「私たちの姿は、自分たちがこうなりたいと祈った結果の答えなのだ」。・・

人間のプログラムを理解し、それをどう変えられるかがわかれば、自分たちの運命を書き換えることだってできる。そして、同じ芝生を奪い合って闘うより、一緒に(地球という)庭をつくり上げる自分たちの責任を受け入れれば、この地球は奇跡的に癒されていくだろう。

これまでただ批判的な意見を述べるだけだった人が進化を果たし、本当の意味で信念と意志を持って行動した時に世界は暗闇から抜け出し、過去のプログラムも現在の知識も、そして未来の可能性も見えてくるだろう。

さらには、自分や社会のプログラムを変更できれば、人類がずっと夢見ていた世界をつくり出せるのだ。

確かに・・2020年〜のコロナ騒ぎ&米大統領選など、今の世界情勢は「コメディ」としか言いようがなく、

ベテラン政治経済アナリストの藤原氏は、売電は大統領ではなく、トランプ側はエプスタイン問題の証拠を盾にして、最適な「脚本」でこの「コメディ」を進めている・・と見ているようです。

つまり、トランプさんは役者から監督に転向したわけで、そういえば全米俳優協会から印籠を渡されてましたね〜

まだ未完の「コメディ」ですから、シナリオ変更は可能ですが、
めでたく、第5幕が始まったからには、

「私たちの姿は、自分たちがこうなりたいと祈った結果の答えなのだ」

というジョークを有効活用したいものですね〜

さて、個人的にはまさにシナリオ変更で「ウチに来た」感のある、ベンガル猫のピノちゃんですが、

米国生まれの「ベンガル」ネコとリン・ウッド弁護士の「神性」

4月3日、八王子を出る際、「また行くんですね」と言いたげな顔してましたが(笑)、

2019年の時点で、2020年と2022年が気になる・・と予測していたドイツ在住の読者さんから、

「三位一体・マスターナンバー12」の2019年と気になる2020、2022年

ピノちゃんの雰囲気が「100万回生きたねこ」に似てるような・・というご指摘をいただき、

自分でも「似てるかも?」と思っていたので、うれしかったで〜す。

実は、ペルーラムさんの南部町邸を建てた方は、

「100万回生きたねこ」の作者の佐野洋子さんの親戚でして、

佐野洋子さんは冠婚葬祭で、あの家を訪れていたそうです。

ペルーの先生一家は甲府の不動産屋から購入したのですが、

佐野洋子さんは奇しくも、2010年11月5日、ペルーの先生一家が、この家に引越した時に永眠しています。

で、ミュージカルにもなって有名な「100万回生きたねこ」って、つい最近、ピノちゃんが来てから読んだのですが、

「王様のねこ」や「舟乗りのねこ」、「普通の女の子のねこ」に「サーカスのねこ」と・・何度も転生した「ねこ」は死ぬ度に、飼い主からすご〜く「泣かれた」けども、「100万回生きたねこ」自身は、自分も飼い主も好きではありませんでした。

そして100万回目、ついに、誰の猫でもないフリーの「野良ねこ」になり、

一目惚れした白ねことの野良生活で、初めて自分のことを「好き」だと感じ、

さらに、自分よりも家族のことが好きだ〜 と大きな喜びを得ます。

「100万回生きたねこ」の100万回目の死に際は、

先に死んじゃった白ねこの傍でずっーと泣き続け、命を終えるのですが、
そうしたら、もう2度と転生しなくなりました・・というお話です。

11月22日生まれ・・にピーンと来ちゃったピノちゃんを見ていると、

人間も動物も子どもの頃から「籠入り」で育つと、「自分で自分を縛ってしまうのだな〜」としみじみ実感しちゃうのですが、

よーするに「管理社会にノー」とか言いながら、実は「管理」されてる方が楽なわけで、

それでいて(意識してないにしても)、どこか「自分が嫌い」という感覚にいつも悩まされている状態を、

佐野洋子さんは、どんなに大切にされていても「飼われているねこ」と「野良ねこ」の比喩で表現したのだと思われ、

「人間が何度も何度も転生する理由」をに表現している、心打たれる作品ですが、

佐野洋子さんは「元祖・毒親持ち」の方で、

<佐野洋子>

1938年、満鉄調査部勤務の父利一、母シズの間に、長女(7人きょうだいの第二子)として北京で生まれる。幼少期を北京で過ごし、1945年(7歳)に大連に転居して小学校に入学、同地で日本の敗戦を迎える。1947年(9歳)に一家は山梨県に引き揚げ、当初は父方伯父のもとに身を寄せた。・・

母との確執とその顛末はエッセイ集『シズコさん』(2006-2007年『波』連載、2008年刊行)の主題となっている。4歳の頃に母親と手を繋ごうとしたところチッと舌打ちされて手を振り払われて以来、「母と私のきつい関係がはじまった」という。母親は長男(洋子の兄)を溺愛しており、長男の死には半狂乱になったという。母親が晩年に認知症になり、自らも余命告知を受ける中で和解がなされている。

wikipedia

7年前に読んだ『シズコさん』は、そんな洋子さんの心象を見事に書ききった作品で、

佐野さんのお母さんは、決して「ありがとう」「ごめんなさい」を言わない人でしたが、呆けてからは「ありがとう」「ごめんなさい」を言い始め、「ホ・オポノポノ」とはこういうことなんだな〜 と実感しました。

誰しも親との葛藤を抱えたまま「親」になる場合が多く、

しかしながら、だからこそ(葛藤があるから)「親」になって学ぶとも言え、

「自主独立した存在」になるために必須なのは、親との葛藤を手放すことであり、

人間とは、誰の所有物でもない「自主独立した存在」になった時、初めてホントに「自分を好き」になれることを、佐野洋子さんは体験的に知っていたのだと思います。

4月3日、清里に向かう途中の山梨県は桃源郷の世界で、


山々と桃に囲まれた、こんな美しいところにいたら、

葛藤なんて吹き飛んでしまいそうですが、
そう簡単には行かないところが、人間と生まれた「醍醐味」「面白さ」であり、

先のブルース・リプトン氏が言う「第5幕」をコメディとして味わう・・という視点は、世界情勢だけでなく、親子関係にも当てはまるのかもしれませんね〜

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COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. 多くの動物種が絶滅していった中で、ネコが繁栄?してるのはある意味、籠ネコになったからだと思われます。
    ネコには籠ネコと野良ネコがいるというよりは、ネコネコ一定数が籠になったり野良になったりと入れ替わり立ち代りして全体として生き残ってる、みたいな?

    野良といっても、常に人間のそばをウロチョロして、そのなかには通いという餌クレ猫なんかもいますネ。

    人間も同様に、絶滅しないための策(の歴史ストーリー)として、主に女性を犠牲にして色々と変なことをして生き残ってきた(というストーリーを採用した)から、当然その弊害は色々と出てくるでしょう。

    そのあたりの考察が岸田さんの性的唯幻論だったワケですが、わたしは当初、たぶん一般的な人がフロイドに対して感じる違和感というか、それによる誤解みたいなのに似た原因によって、岸田さんの性的唯幻論をよく理解できなかったんですが、先日紹介した幻想の未来によって理解できるようになりました。

    (ものぐさ精神分析はそれらとくらべると、かなり一般人向けに書かれていると思います。入門書みたいな)

    まあ要するに毒親であってもなくても、犠牲者?である女性(母親)に依存して生きていかなければならない期間が人間は格段に長いので、その影響は大きいし、そういった意味では一般的な基準でいう「良い親」よりも毒親の方がわかり易いという面があるかもしれません。

    特に日本人は西洋人とくらべて身近な家族、共同体を自我の支えにしているから尚更、その影響の経験が豊富と言えますネ。
    つまりどんなに自分が正しい?と思うことがあっても、まわりがみんなそれを「間違ってる」と言えば「あれ?間違ってるのかな…」と、自我の成り立ち性質上、当然思ってしまうので不安というか、間違う自分を嫌う感覚?みたいなのは付いて回るでしょう。(西洋では神によってこれを薄めていますが、それによってさらに大きな欠陥を呼んでいる)

    だからそれはもう当然といえば当たり前な感じで、わたしが蘭ちゃんに幻想の未来で特に注目して欲しかったのは「ミヤジマミノル」の話です。

    そんなワケであの本を読んで、ある程度の平衡化ができたら、その後、あらためて性的唯幻論を読んでみるコトをおススメします。

    • 27さん、

      <ネコネコ一定数が籠になったり野良になったりと入れ替わり立ち代りして全体として生き残ってる、みたいな?>

      そうですよね〜猫族はホントにしたたかですぅ。

      <主に女性を犠牲にして色々と変なことをして生き残ってきた(というストーリーを採用した)から、当然その弊害は色々と出てくるでしょう。>

      子ネコを搾取されてきたピノちゃんに、つい投影しちゃうとか?

      <犠牲者?である女性(母親)に依存して生きていかなければならない期間が人間は格段に長い>

      ここが、(動物と違って)「幻想」を生むところですね〜

      <間違う自分を嫌う感覚?みたいなのは付いて回るでしょう。>

      アルある〜〜です。

      「ミヤジマミノル」の話は一番印象的で、旦那さんに話したら「そいつは朝鮮人だろ」とか言われましたが、「自分がない」=スピ的な日本人だからこそ、いざとなると、そーなるのかな〜と思いまちた。

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