梅雨時になると灰色の雲に覆われる時が多くなり、
先週の八王子では、ほとんど青空が出る時間がありませんでしたが、
5月22日朝、清里では久々の青空がお目見えで、
たった1週間で緑が急激に深くなり、庭先から八ヶ岳が見えなくなりましたが、
草原まで降りて行ったら、バッチリ見えていて、
緑と青に挟まれた八ヶ岳を拝むことが出来ました!
「同じ状態」は二度とない自然の営みは一瞬一瞬で変化しており、
先週は花盛りだったチューリップは全部枯れてまして・・
時期の長い、タンポポもそろそろ終わりです。
さて、「緊急なんチャラ」をまたまた延長するという記事の、
政府内では飲食店への迅速な命令発出など、対策内容の強化も含めた見直しを進めているが、決め手は見当たらない。
一方、政府は21日、新たに2種類の新型コロナワクチンを正式に承認。このうち米モデルナ製については、24日から始まる東京、大阪での大規模接種センターで使用する。
感染対策への不満を反映し、報道各社の内閣支持率が落ち込む中、菅義偉首相はほぼ連日、総務・厚労両省から、自治体でのワクチン接種状況に関する情報を集める。首相側近は「首相の関心はひたすらワクチンだ」と胸中を代弁する。
東京五輪開幕を2カ月後に控え、感染減少に道筋を付けられるか否かは政権運営にも直結する。閣僚の1人は「難局だが、できることは全てやるしかない」と話した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/11f888ba5c9aaeaf07f5be09ce277b2b00eb920c
こちらのコメントに対して、イイネが「 24577」バッドが「1588」付いてましたので(5月22日14時44分現在)、
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結局、この政府は、国民のために働く内閣ではなく、五輪のために国民の安全安心を危険にさらす内閣であることが、よくわかりました。
緊急事態という言葉自体が緊急性がないということもよくわかりました。
補償はほとんどなく、協力金と言われるものも、支給が数か月遅れ、かつきわめて不平等・不公平なものだということも、よくわかりました。
あとは、早く選挙していただくことを望みます。
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ネット上では、オリンピックどころじゃない・・という意見が多いのでしょうが、「東京五輪、緊急事態宣言下でも開催」とのことで、相反する見方があるワクチンのことと言い、世界全体がいったい何に向かっているのか・・
ますます「わからないな〜」とう感じの今日この頃ですが、
21歳の時に悟りに至り、『「光明を得た」存在が人々の意識変容を促す』とし、1990年1月19日、59歳、還暦前に世を去ったOSHOは、
「イエス」か「ノー」かの論理には生命力がなく、
「生は大きく広がっている灰色の世界だ」だと言います。
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無意識とは、実際は無意識ではない。無意識とは、意識がより少ないというだけのことだ。
だから、意識と無意識の違いは正反対のものではなく度合いの違いにすぎない。
無意識と意識は関わり合い、つながっている。
それらは二つの別々のものではない。
だが、我々の考え方は、あらゆる物事を正反対に分けるという、ある種の偽りを土台としている。
だが、真実は決して分けられない。
分けられるのは論理だけだ。
我々の論理とは、「イエス」か「ノー」のどちらかしかない。
我々の論理は、光か闇のどちらかしかない。
論理的に物事を見る限り、その中間は存在しない。
だが、生は白でも黒でもない。
生は大きく広がっている灰色の世界だ。
一方の極が白であり、もう一方の極が黒だ。
そして生は大きく広がっている灰色の世界であり
灰色の度合いなのだ。
だが論理的な思考から言うと、白と黒が現実で中間は存在しない。
が、生はいつも二つの極の中間にある。
実際、全ての問題が論理的な問題として捉えるのではなく、生の問題として捉えられるべきだ。
そして初めて、あなたは生に対して何かができる。
この偽りの論理に余りに引っ掛かっていると
決して何ひとつ、問題を解決できないだろう。
アリストテレスは明らかに、人間のマインドにとって
最大の脅威と、ブロックになっている。
なぜなら彼は、世界中を支配しているあらゆる物語を
二つの極に分けるシステムを作り出したからだ。
実際、これは奇妙な事実だ。
我々には、その二つの極の間のリアリティーを表すものがないー言葉さえない。
デ・ポノという近代の反アリストテレス派の論理家は、
「ポー」という新しい言葉を作り出した。
彼は言う。
「我々にはイエスかノーの二つの言葉しかない。その中間で、どちらでもない、という言葉は存在しない。イエスは一つの極であり、ノーはもう一つの極だ。中間の言葉がない」と。
そこで、彼は新しい言葉「ポー」を作り出した。
「ポーとは『反対でも賛成でもない』という意味だ。あなたが何かを言って、私がポーといえば、それは『私はあなたの言ってることを聞いている。私はそれに反対でも賛成でもない』という意味だ。
あるいは、ポーというのは『多分、あなたの言っていることは正しい。多分、あなたの言っていることは間違っている。その両方あり得る』ということだ。
あるいは、ポーという言葉を使うのは、『あなたの言うことは一つの見方であり、私がイエスの立場を取ったり、ノーの立場を取ったりする必要はない。それは必要ではない』ということを意味している」と。
デ・ポノはこの言葉を、仮説や可能性というような言葉から考えついた。
この「ポー」は中間的な言葉で、審判、批判、賞賛という重荷が何一つのしかかっていない。
ちょっと、「ポー」という言葉を使ってごらん。
その違いを感じるだろう。
あなたは両極のどちらの立場にも立っていない。
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アリストテレスは近代科学の祖と言われてますが、
プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる[2]。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。様々な著書を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケドニア王アレクサンドロス3世(通称アレクサンドロス大王)の家庭教師であったことでも知られる。
アリストテレスは、人間の本性が「知を愛する」ことにあると考えた。ギリシャ語ではこれをフィロソフィアと呼ぶ。フィロは「愛する」、ソフィアは「知」を意味する。この言葉がヨーロッパの各国の言語で「哲学」を意味する言葉の語源となった。
無名のデ・ポノが遺した「ポー」というお言葉、日本人にはお得意で、五輪開催についても「ポー」な日本人が多いのかもしれませんネ。
青空を見るとスカッとするのは確かですが、
そう言われてみると、昔からグレイはスグに選ぶ色で、
若い頃、水墨画をやってましたが、白〜黒の微妙な濃淡が醸し出す世界は不思議と落ち着くのです。
世界中のあらゆる「智識」を知りつくしたバグワン・シュリ・ラジニーシが、晩年、「Osho(和尚)」となったのは「禅」に傾倒していたからで、
大乗仏教の一派である禅宗の略、もしくは、サンスクリット語の ध्यान( dhyāna、ディヤーナ)の音写、禅那(ぜんな)の略である。また坐禅(座禅)の略としての意もある。
グレイゾーンでもOKな日本人は皆、「生はいつも二つの極の中間にある」ことを自然の営みで体得してきました。
例えば先週の土曜夜、清里に来たら、仏壇で花瓶代わりにしたコップが倒れていて、連休前に活けた小菊がカラカラになってましたが、
まだ生きてるから復活するかも・・という旦那さんのアドバイスで、水に挿して外に置いておいたら、
見事に復活してました〜
1週間で草ぼうぼう・・ということは、それだけ生命力がみなぎっている時期なわけで、
旦那さん、草刈りの合間に「虫さん」ポートレートを撮ってましたが、
害虫なのか否なのか・・決めるのは人間の都合であり、
ただひたすらに「生きてる」姿には、いつも癒されます。
どいうわけで、天候だけでなく、あらゆる情勢が「グレイゾーン」であるのは自然なことなのかもしれず、
個人的には、もともとオリンピックって全然興味ないのですが、灰色こそが「生」の醍醐味だと悟った「Osho(和尚)」さんには感服です!
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