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コロナで浮上した潜在的「アパルトヘイト」と『The Power Of One』

「分離、隔離」政策=アパルトヘイトという言葉が使われ出したのは1948年以降で、

1969年「11人の警察官を含め、100人以上がけがをした」英ウェールズのラグビーの試合、

「スウォンジーの闘い」は、アパルトヘイトを世に示す、重要なポイントになったそうです。

<ラグビーと「アパルトヘイト」 50年前に何があった>
2019年11月15日

南アフリカの残忍なアパルトヘイト(人種隔離)政権を打倒するための闘いにおいて、1969年11月15日は「地殻変動的」に重要な日となった。

「初めは私たちの抗議活動はあまり理解されなかった。暴力沙汰でメディアが注目するようになり、後世に語られるようになった」

「まさにあの時、人々は気づき始めた。進歩的な人が黒人への連帯を示すだけでなく、南アフリカに抗議する世界的な運動になっていった」

「私たちがやったのは、とても小さいことだったが、自分たちにやれることをした。ラグビーは大事だ。だが、人権より大事なわけではない」

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-50429695

1988年のフランス留学中、南アフリカは”dangerous”だと皆さん言ってましたが、

東ドイツ国境近くに住むベラちゃん一家ですら、1988年の時点では、
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まったく予想してなかった「ベルリンの壁崩壊」が1989年に起こり、

1994年、全人種による初の総選挙で「アパルトヘイト」は撤廃されるに至りました。

『The Power Of One』は1992年制作ですから、まだ「アパルトヘイト」中だったわけですが、

この映画のおかげで、「アパルトヘイト」が出来た理由は、白人VS黒人の戦いではなく

オランダ系白人・ボーア人=アフリカーナVS英国人との「覇権争い」が元になってることを知りました。

In the 1680s, Dutch, French and Germans fled religious persecution in Europe and settled in Southern Africa. They called themselves the Afrikaners, White Africans.
For the next 250 years, the British Empire fought the Afrikaners for control of the land, the gold and 20 million Native Africans.
1680年代、宗教迫害に苦しむオランダ、フランス、ドイツの人々は南アフリカに逃れた。
彼らは自らを”アフリカーナー”と呼んだ。”白いアフリカ人”という意味である。
そして南アの領土、金脈、原住民の支配を巡り、英国は彼らと250年間戦った。

!n 1948, a conservation Afrikaner government was voted in power. A system of racial segregation first introduced by the English was declared the law of the land.
The English never gave the system a name. The Afrikaners called it Apartheid.
Our story begins 18 ears earlier, in 1930, on a small English farm in South Africa.
1948年、国民党が政権に就き、人種隔離政策が採られた。
“アパルトヘイト”である。この物語は1930年南アの英国人農場に始まる。

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2015年のギルモア(ピンク・フロイド)の南アフリカ公演の観客には、

白人っぽい肌色が多いな・・と思ったけど、人口の73%は黒人です。

●白人(1980年に470万人、人口の15%。イギリス系住民と、アフリカーナー(オランダ系を中心とするアフリカーンス語を話す住民)。比率はアフリカーナー60%、イギリス系40%である。白人間でも出自によって区別があった)
カラード(1980年に280万人、人口の9%。白人と、サン人やコイコイ人など先住民族との混血を中心にした混成グループで、オランダやイギリスの植民地であったインドネシアやマレーから奴隷として連れられてきた住民との混血も含まれる。また、混血でないコイコイ人やケープマレー人も含む。使用言語はおもにアフリカーンス語。ケープタウン周辺に集住しており、ケープ州の最大民族であった)

●アジア人(1980年に90万人、人口の3%。大部分がインド系南アフリカ人。ナタール州に集住していた)
アジアにおいて唯一の先進国である日本人は1961年以降、経済上の都合から「名誉白人」扱いとされていた。ただし、白人専用のホテル・レストランなどの使用が認められたに過ぎず、永住権や不動産取得などは認められなかった。また、日本人が白人と性交渉をおこなった場合は背徳法が適用された。日本は1980年代後半から最大の貿易相手国になる。また、国際的に孤立していた南アフリカと、反共産主義という共通点から数少ない国交を持っていた中華民国人/台湾人も、名誉白人扱いであった。中華民国人については一時期、中華料理店を白人用に指定した際、中華料理店への入店に限って白人扱いとされたが、中華民国の経済発展を受け名誉白人扱いになったとされる。また、香港からの華僑と華人も名誉白人と扱われた。

●黒人(1980年に2300万人、人口の73%。ズールー人、ソト人、コーサ人、ンデベレ人、ツワナ人など、バントゥー系民族)
最大勢力である黒人に対し、カラードやインド人といった人口規模が白人に及ばない人種は黒人に比べやや優遇され、白人・黒人間の緩衝地帯となると同時に白人による分断統治の対象となった。カラードやインド人には教育予算や医療施設も白人ほどではないが整備された。カラードの集住するケープ州においては、選挙権が剥奪される一方でカラードの優遇雇用法が施行され、とくに黒人流入の多くなった70年代後半以降にはカラードに経済的利益をもたらした。このため、民主化後初の選挙である1994年の選挙においてカラードは国民党に多く投票した。

wikipedia

で、“アパルトヘイト”したオランダ系アフリカーナ(ボーア人)達は一時期、大英帝国に征服された・・という屈辱の歴史があり、
*第二次ボーア戦争(1899年 – 1902年)に際してのイギリスの強制収容所に送られたボーア人の女性と子ども。イギリスによって建設されたこの強制収容所は、20世紀の世界各国で建設された強制収容所の先駆となった

元々、宗教迫害で南アフリカに「逃げて来た」ボーア人は「二等国民として差別され」

1652年にオランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックがこの地に到来し、喜望峰を中継基地とした。喜望峰は航海上の重要な拠点として注目されたうえ、気候も比較的ヨーロッパに似ていたためである。以後、オランダ人移民は増加し、ケープ植民地が成立した。この植民地にて形成されたボーア人の勢力拡大とともに、コイ人やサン人などの先住アフリカ人との争いも起きた。一方で先住アフリカ人とボーア人、またオランダ領東インドから奴隷として連れてきたインドネシア系諸民族とボーア人の混血も進み、のちにカラードと呼ばれることになる民族集団が生まれた。

18世紀末には金やダイヤモンドの鉱脈を狙ってイギリス人が到来した。ボーア人とイギリス人は対立し、フランス革命戦争中の1795年にイギリスのウィリアム・ベレスフォード将軍がケープタウンを占領した。・・

イギリス人の増加とともに英語を解さないボーア人は二等国民として差別され、自らをアフリカーナーと呼ぶようになった(以下ボーア人をアフリカーナーとする)。1834年12月1日にイギリスが統治するケープ植民地内で奴隷労働が廃止されると、奴隷制に頼っていたアフリカーナーの農業主はこの奴隷制度廃止措置に反発し、1830年代から1840年代にかけてイギリスの統治が及ばない北東部の奥地へ大移動を開始した(グレート・トレック)。

wikipedia

建国時の米国と同じく、黒人を奴隷にしましたが、

新大陸(米国)に渡ったユダヤ系には、肌の色が白い系と黒い系がいて、白い系はオランダあたりから来ていて、元々「奴隷だった」そうです。

つまり、白い系が黒人を奴隷にしたのは「やられたからやり返す」心理だったわけで、

ボーア人もかつて差別され、迫害された「恐怖」と「恨み」から、アパルトヘイト政策をとったと思われますが、

トラウマがあることは決して「残虐になる」正当性にならないことが、『The Power Of One』ではうまく表現されます。

主人公の少年は英国人ですが、生まれる前に父親を象に踏み潰されて亡くし、

優しい母親と乳母(黒人)に愛情深く育てられますが、母親は病死し、寄宿舎では酷いイジメを受けます。

I remember my first lesson.
最初に思い知らされた。

In 1896, the Afrikaners had tried to overthrow the government of the English, but the English army was too strong.
1896年、アフリカーナは英国政府を打倒しようとしたが、英国の軍隊は強すぎた。

The English locked up 26,000 Afrikaner women and children into what they called “concentration camps.”
英国はアフリカーナーの女や子供2万6000人を強制収容所に監禁した。

Many of them died from malaria, typhoid, blackwater fever.
多くの人々がマラリア、チフス、黒水熱で死んだ。

As the only English boy at school, I took the blame for all those deaths.
僕は学校で唯一の英国人として仕返しされた。

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トラウマ的な生育歴満載な少年が、勇気ある「青年」に成長したのは、

元々の「素質」もあるでしょうが、

黒人シャーマンから「恐怖を克服する」儀式を授かったことも大きいです。

シャーマンのおかげで「父親が象に踏み潰された」恐怖を潜在意識から追い払えた少年は、素晴らしい二人の「教師」を得ます。

一人はドイツ(ユダヤ人)の著名ピアニストでサボテン研究家のドクで、ドクはユダヤ人なので戦時中「収容所」に入れられますが特別待遇で、

ドクの助手となった少年は「収容所」で黒人ピートからボクシングを教えてもらい、文武両道の青年に成長するのです。

両親がいなくても、子ども時代にイジメにあっても、それを理由に「ダメダメ」ちゃダメだ〜 の見本のような映画でしたが、

日本人のご先祖様は元々、金髪だった・・という坂本氏情報のおかげで、
金髪の少年が、より可愛く感じました!

日本の初代天皇・神武天皇はナント、金髪慧眼のアーリア系で、

アーリアとはスサノオ星から来た「男性」ご先祖様で、スサノオ族は優れた「戦闘民族」です。

そして日本人とは、黒髪アマテラスご先祖様族と金髪スサノオ族のハイブリッドとのことで、

モーゼもイエスも神武天皇の子孫=ヤップ遺伝子入りなので、最後は日本に戻って来ました。

モーゼはまず宮崎の鵜戸神宮に上陸し、

今は長野の諏訪大社に眠っているそうです。

「令和」初詣で知った諏訪大社・秋宮にいるサザエさんのような「八坂刀売神」

ヘブライ語と日本語のカタカナが似ていることは知られてますが、

坂本氏によると、カタカナの元、カタカムナは、

コロナで警告が出た抗炎症薬「イブプロフェン」と科学だったカタカムナ

10億年前に出来た「宇宙の共通語」とのことです。

そして高等生命体宇宙人は「差別が大嫌い」とのことで、

地球人類が下等生命体まで落とされてしまったのは、

「共喰い」という宇宙規約違反を犯したから・・とのことですが、

下等になるほど、恐怖から来る「差別」意識で不自由な世界になるようですので、

アパルトヘイト撤廃は、地球人類の大きな一歩であったのは確かで、

1969年「正々堂々と戦う」スポーツの世界を舞台に、

世界中がアパルトヘイトに注目し、「欺瞞が暴露し始めた・・」という流れからすると、

2020年東京オリンピックの中止(延期?)以来のコロナ騒動は、
人類の潜在意識下にあるアパルトヘイト、

すなわち、「恐怖」と「恨み」から来る差別意識を洗い流すチャンスであり、

これからはますます、「恐怖」でがんじがらめになる人と「愛」を選択する人では、「自由度」が大きく異なりそうな予感で、

アパルトヘイトが撤廃された1994年、ピンク・フロイドのメンバーが3人集まって、

白人と黒人でコーラスしているのは象徴的ですネ!

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