酵素カフェ

OSHOの「選択」と「好み」の違いと想定外に早かったワクチンの影響

地球が、今、向かっている水瓶座の時代は「透明性の時代」とも言われており、

よーするに、情報は筒抜けなんだなあ〜 と、占星術、政治経済、そして医療と、3人の専門家の「雑談」を聞いていて思いました。

印象的だったのは、外科医の土橋重隆氏のお話で、

今回のコロナ騒ぎが「おかしい」ということは、現場の医師達は(フツー)わかっているけど、あえて「言わない」「言えない」とのことで、

「医療の話ではないんですよね。今回の流れは・・」

とういうのは、大いに納得で、

これは「ウィルス感染症」が問題ではなく、治験ではないか・・と匂わせてますが、

この座談会の後、藤原直哉氏はこう発言してます。

そして、「神の手」土橋氏いわく、

こんなにスグ、重篤な副反応が沢山出るのは「想定外」だったのでは? とのことで、これまたナルホドです。

いくら農薬が・・添加物が・・と言われても、スグに反応が出ないから「まあ、いいか」になるわけで、

皇室の元・エージェント内藤晴輔氏は「1年半後から影響が出る・・」と断言してましたが、果たしてどうなるのでしょうか?

内藤晴輔氏情報と符号する米国の現状と「逆転」するコロナ問題

また、政治経済的には「11月頃に何かが起こる」との予想ですが、

いずれにせよ、2021年の9.11が無事にスルーして何よりで、

9月12日、日曜の清里高原は、1日中、雨が降らなかったので、

家の前の小道を、

電動アシスト自転車で、行ったり来たり3往復したら、

けっこうバテちゃいまして・・やはり筋力が衰えてますね〜〜

これはお隣さんのお庭に、まだ咲いていたアナベル(西洋アジサイ)で、

80歳過ぎまで、元気で庭仕事をしていたお隣さん、

4年ぶりに会ったら、ガンで胃を切除したとのことで、しかし87歳とは思えない若さですので復活をお祈りします。

実際、認知症のご主人が施設に入ったので、清里に来れるようになった・・と、草刈りを委託したようで、
9.11の日、息子さんに連れて来てもらってました。

ウチの庭の半分は斜面地で、自然のままなんですが、

もう色づき始めてまして、

高原の秋は、いつも早いですが、

今年の秋は、全般に早いのか・・日曜の夜、八王子宅に着いたらイイ香りで、

昨年は10月に咲いた玄関前の「金木犀」が、

もう咲いてました!

ピノちゃんもイイ子でお留守番してくれていて、

八王子に戻れば戻ったで、

コッチもいいな〜 とは思うのですが、

東京は、家と家の距離が近過ぎですネ。

まあ、その方が(泥棒など)怖くなくてイイわ〜 と言う人もいますので、これは「好み」の問題であり、

先日のキネシオロジーで、スクレランサスが出てましたが、

スクレランサスは、「AかBか」の選択で悩んでいる状態に使うバッチフラワーで、

ガウチェパンツに学ぶ振り子の法則とスクレランサスとセラトーの違い

大いに心当たりありますが、「選択で悩む」というのは自我のなせる技で、

OSHOさんいわく、「選択」ではなく、「好み」の方がイイそうで〜す。

禅の人に選択はない。好みだけだーー。そして、自分自身に選択と好みの違いをはっきりさせなさい。選択は言う。「私はそれに関してひじょうに深刻だ」選択は言う。「私はこのように生きたい、あんな生き方は絶対にしたくない。これが生きる道だ。あの道は無価値だ」と。

好みはただ言う。「私はこれが好きだ。だが、もしそれが起こらないなら、もうひとつのほうもいい」それに巻き込まれている深刻さがない。当然、禅マスターにも好みはある。眠るとき、彼はいばらの上では眠らない。彼はふとんの上で眠る。これは好みであって、選択ではないーー。どうしてもいばらの上で眠らねばならないとしたら、彼はそこで眠るだろう。・・

ところが、「無選択になりなさい」と言われると、何人かの愚かな人々は、自分たちはもはや好みを持つことができないと考えはじめるーー。彼らは、好みは選択だと考えるからだ。彼らは、自分たちはもはや好みを持てないと考えはじめる。・・

あなたはこの誤りを犯す必要はない。もし、豊かになりうる可能性があるなら、豊かであるのを好みにするがいい!貧しい方を選んではならない。だが、これは好みであって、選択ではないことを憶えておきなさい。もし、いつか豊かさが消えたらーー。というのも、すべては矢のように過ぎ去ってゆくからだ。・・それでまったくかまわない。そのときには貧しくありなさい。貧乏を選択してはならない。豊かさを選択してはならない。だが、好みは完全によく、そして正気だ。

もしあなたが健康でありうるなら、健康であることを好みにするがいい。もしそうでありえないなら、そのときはそれでかまわない。そのときには、自分の病気を受け容れなさい。だが、私は、病気を選択しなさいと言っているのではない。

この惨禍がこの国(インド)では起こった。少なくとも四、五000年にわたって、この国は、「選択してはならない」というひじょうに馬鹿げた哲学のなかで生きてきた。この国が貧しいままでいたのはそのためだ。・・

宗教は、この国ではきわめて有害になった。これはくり返されるべきではない!私は貧しさのなかで生きたことがある、私は豊かさのなかで生きたことがある。そして、率直に言うなら、豊かさのほうがいい。健康もそうだ。生の善きことがらすべてがそうだーー。だが、これはたんなる好みにすぎない。

好みとはたんに、あなたはそれに関してあまり深刻でないという意味だ。それが陽気にできるなら、善い。あなたは必死でそれに固執してはいない。

う〜〜ん、そろそろ八王子〜清里の往復生活を終了して、清里に移住しようかとも思うのですが、どちらも「好み」なんですよね〜(笑)。

こういう時は「流れ」に従うのがベストですが、

コロナの「お注射」は、全然、「好み」ではなく、免疫力アップの方が断然に「好み」です。

情報をブロックしているのは、選択に深刻になる「エゴ」なのかもしれず、

選択の違いで「争う」のも「好み」ではなく、

日本人は「和を尊ぶ」好みの方が多いので、「強制」にはならないのではないでしょうか?

とんでもない時代の過渡期ではありますが、今回の「騒ぎ」は自分の「好み」をはっきりさせる、一種の「挑戦」なのかもしれません。

もし、世間があなたをもっと意識的にさせることができなければ、ヒマラヤがあなたをそうさせることはありえない。言うまでのないーー。それはヒマラヤには不可能だ。世間は挑戦だ!が、知性は挑戦があって初めて存在する。それは挑戦によって研ぎ澄まされるーーより偉大な挑戦と共に、さらなる偉大な知性が生まれる。

はすの葉のにごりにそまぬ露の身は
たゞそのままに真如実相

小売店の店主、工場の労働者、畑の農夫ーーハチス葉の露。もしそれが葉の色に染まらなければ、そのときには何も問題はない。あなたは農夫、あるいは店主、あるいは店員、あるいはマスターになることができる。あなたは誰にでもなることができるーー。それは形にすぎない。内側深くでは、自分のまわりで何がおこっていようとも、離れたままでいる。好みはかまわないーー選択しないことだ。すると、あなたは仏陀だ。

この身体が即ち覚者(ブッダ)であり、この世が即ち楽園だ。

2018年暮れ、「月の座談会」でお目にかかったマドモアゼル愛さんは知的で謙虚な印象で、

マドモアゼル愛さんの画期的な「月の公式」と月の干渉を知っていたバッチ博士

「僕はまだ悟ってないから・・」と、おっしゃてましたが、

米大統領選、そしてコロナ、ワクチン・・と、相次ぐ世間からの「挑戦」で研ぎ澄まされた方々の中には、

「世間」に居たまま、「ブッダ」になる方が出てくるのかもしれませんネ!

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