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セス情報に学ぶ2013〜33年「金の座」予測の信ぴょう性

2022年7月は「地球から最も近い満月」山羊座のスーパームーンとなり、

その日(7月14日)はフランスの革命記念日でもありますので、一段と盛り上がりそうな予感ですが、

7月最初の日曜日、7月3日の清里高原は肌寒いほどの気候で、

北杜市といっても清里は「山の天気」ですので、天気予報はあてにならず、昨日は結局「降らず」じまいでしたが、今朝はちょっとパラパラ降りました。

しかしながらピノちゃんが気にするほどの雨ではなく、お外に出たがるので、

庭先で(旦那さんが)制作中の、石積みあたりでウロウロさせてました。

この白い石は、2年前、富山県のヒスイ海岸でゲットした姫川薬石で、
石積み用の石は、神社でも使われる花崗岩で、結構なお値段で石屋さんから購入しました。

そして、流紋系ラジウム石=姫川薬石も、漢方にも使われるちょっと高価な石・・とのことですが、拾いに行けばタダですので、
海水浴がてら、またまた拾いに行きたいな〜 と思っている今日この頃です。

で、同じくヒスイ海岸で拾った「さざれ石」を、

フォッサマグナ糸魚川静岡構造線の旅に知る「さざれ石」パワー

階段登った左側にちょこんと起き、



右側には、とんがった形の花崗岩を起きました。
 

まあ何の意味もなく、タダの遊びですが、

神社の階段を上がると狛犬さんがいるのも、そんな感じなのかもしれませんね〜

旦那さんいわく、燃えちゃったパリのノートルダム寺院とか、西洋の教会は血なまぐさい感じがして好きじゃない・・とのことですが、日本の神社は面白いアイデアが一杯で、建築物として興味深いようです。

日本の神道は「半二元」とのことでしたが、

「神の使者」が伝える「無意識の思考システムの解体」が進む4つのプロセス

この世の仕組みを微細に語っている「セス情報」が伝えるところによると、

セスが語る「輪廻転生と蓋然性=多次元性」とラッキーを呼ぶ「完全に在る」直接対話

私たちのように「肉体」を持った多次元的な存在はたくさんいますし(宇宙人)、すべてのものに神が宿る・・という神道の考え方はコレクトです。

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あなたがたは、自分たちの知っている進化体系が唯一無二のものであり、それ以外の物質的進化などあり得ないと、大層な無邪気さと有り余る思い上がりをもって考えています。・・

進化の系統には断絶したものはありません。よって、もしあなたがたの体系から姿を消したものがあっても、それは別の体系に出現しています。確率的偶然性(=蓋然性)から具現化した生命あるいは意識には全盛期というものがあり、それぞれ自分たちがもっとも繁栄できる状況を創り出します。おのおのにとっての全盛期は、あなたがたの言葉で表現すればすべて「永遠」なのです。

本章においては、主としてあなたがたの惑星と太陽系についてお話ししますが、これはあなたがたの物理的宇宙の全側面についても同様のことが言えます。あなたがたは、物資的存在のなかでも特殊で微妙な均衡を保つ、しかし、他に比類なきところのみを認識しています。血肉からなる肉体像という姿をもち、特殊な時空間にうち留まる被造物は、何もあなたがただけではありません。あなたがたもまた特殊化された確率的偶然性(=蓋然性)の次元から生じた被造物であり、みずからの豊かな成長と進化に充分似つかわしい存在次元から誕生してこられたのです。・・

したがって、物資的基礎事実が優位を占める確率的偶然性(=蓋然性)の現実体系は数多く存在しますが、そうした物質的な確率的偶然性(=蓋然性)は、ひとつの小さな部分のみを表しているにすぎません。あなたがた一人ひとりが非物資的な体系にも存在しており、あなたがたのごく些細な思考や感情が、自分の存在の領域外においても、多くの異なる表出を見せているということは先に説明した通りです。

あなたがたが「現時点」で慣れ親しんでいるのが、総体的な自己自身のうちの一部にすぎないということは、すでにご理解いただけたと思います。そうしたわけで、「至高の存在」について自問する際に思い描くのが、あなたがたと同様の能力をもち、あなたがたにとって賞賛に値する資質が著しく強調された男性の人格存在(パーソナリティ)ということになるのです。よって、こうした想像の賜物である神は、「自分は一体誰なのか」という人類の移ろいゆく思い込みをそのつど反映しながら、何世紀ものあいだ変化し続けてきました。

特に、人類が肉体的存続を賭けた戦いに明け暮れていた時代には、不可欠あるいは望ましくさえ思われていた残虐性や剛健さなどといった性質は、そのまま当時の神の姿に投影されることになりました。こうした概念の投影が神になされた理由は、人類がそうした性質をうらやみ、畏れていたからにほかなりません。つまりあなたがたは己の神の概念を、みずからの肉体像の鋳型に入れて、創り出してきたのです。

あなたがたには想像も及ばない多次元的現実においては、神についての従来の概念が相対的に無意味なものになります。「至高の存在」という呼称でさえ、あなたがたによって人間性という資質がひとりでに投影されてしまうため、それ自体が歪みを内蔵することになります。もしもわたしが、神とはひとつの概念であることを告げても、あなたがたにはその意味するところが理解できないでしょう。なぜなら、思考や概念が実在性をもつ次元や、それらが生み出して推し進めるエネルギーの存在について理解していないからです。あなたがたは、物体(もの)を信頼しているようには、思考や概念を信頼することができずにいます。・・

さて、あなた自身の肉体像は、あなたが自己を如何ように考えているかが、物質という性質の範疇で顕在化したものです。そうした考えが自己に対してなされねば、その肉体像は存在することができないのです。でもあるにかかわらず、大概そこまでが、あなたがたが認識しているすべてです。あなた自身に関する考えの始原の力とエネルギーが、あなたの肉体像を生かしています。よって、思考はあなたがたが気づいているより、はるかに重要なものなのです。もし、自分が多次元的存在であり、無限の確率的偶然性(=蓋然性)という媒体のなかに生きているという考えを受け入れようとするのであれば、あなたがたは「神」という、言葉を超えたところに存在する現実を、ほんの一瞬かいま見ることができるかもしれません。また、言葉のなかに神という概念の真実を把握することが、なぜ不可能に近いかということが理解できるかもしれません。

したがって、神はまず第一にすべてを創造した者であり、ひとつの物理的宇宙のみにとどまらず、多様性において無限である確率的偶然性(=蓋然性)の存在を創り出しました。それは、あなたがたの科学者たちがこれまでに知り得た物理的宇宙という局面を超えた、はるかに膨大な広がりを示唆するものです。そのことからもわかるように、神は、ただそこで生まれて死ぬようにと、あるひとつの惑星に自分の息子を送ってよこすようなことはしません。神自身、確率的偶然性(=蓋然性)の全体の一部です。

幾多の寓話が、この世の始まりについての物語とともに語り継がれてきましたが、すべてはできるだけ簡単な言葉で知識を伝えんとする試みにほかなりません。・・例えば、創世と終末についての寓話が存在しているのは、単にあなたがたの時間の概念が歪められているため、始まりと終わりが不可分であり、疑う余地のない存在根拠の確かな出来事に思えるからです。

しかし、そこには始まりもなければ、終わりもないのです。あなたがたが意識の焦点を物質的現実から外らすことを学び取って、別の現実が存在するという証しをわずかでも体験しだすと、意識は古い概念にしがみつこうとします。そうして古い従来の概念は、あなたがたを真実の理解から遠ざけます。しかし夢見の状態や、ある種のトランス状態において、また日常生活を営む通常意識の根底においてでさえも、あなたがたが多次元的気づきを手にすることは可能なのです。

多次元的気づきは、多次元的豊かさを伴う個人的体験をもたらします。この豊かさは、あなたがたの感覚による物質界から決して離れずに混ざり合い、その世界ともに、その世界のなかに、その世界を通して、広く遍在します。物質的な生がリアルでないという言うことは、現実(リアリティ)がすべての現象に浸透しており、すべての現象の一部であるのを否定することと同じです。同様に、神はすべての存在体系のなかにそれぞれの一部として存在するのであって、よって物質的現実から離れて存在するわけではなく、そのなかに一部として存在しているのです。・・

さて、神は、みずからの被造物である確率的偶然性(=蓋然性)の総和以上の存在でありながら、その一つひとつに例外なく遍在しています。したがって神は、性別にかかわらず一人ひとりの人間のなかに存在しているのです。また、蜘蛛のなかにも、影のなかにも、蛙のなかにも、神は存在しています。人類はこのことをなかなか認めたがらないようですが。

神はただ体験されるものであり、自覚のあるなしにかかわらず、あなたがたは自分自身の存在を通して神を体験しているのです。したがって、神は男性でも女性でもありません。性別を限定する言葉が用いられる場合は、単に便宜上そうしているにすぎません。

そしてもっとも不可避であるところの真実とは、神はあなたがたの意味する「人格存在」ではないということです。・・その一方で、神は人間一人ひとりの一部でもあるという意味で、人間的でもあります。そして神は、みずからの広大無辺の体験のなかに、人間としての「観念形態」を保持しています。あなたがたが神と自分とを関連づけられるのはその部分なのです。実際、神はあなたがたとともに暮らすために文字通り肉体をまとうこともありました。というのも、あなたがたの肉体を形づくる神には、あなたがたの個々の多次元的自己に、生命力と存在根拠を付与するエネルギーに対して責任があるからです。なおかつこのエネルギーは、あなたがた自身に概念に忠実に、その肉体像を形づくるものでもあるのです。

個としての多次元的自己、あるいは魂は、かように永遠の存在根拠を有し、それは想像の域をはるかに超えた「すべてなるもの」の存在根拠とエネルギーによって支えられ助けられ、なおかつ維持されているのです。・・

したがって、内なる自己は、みずからが創造されたように創造していかねばなりません。

******************

セス情報には宇宙人がどうこう・・の話は一切ありませんが、今まで読んだチャネリング情報の中でピカ一です。

チャネリングではなく、実際に体験したことを伝える坂本廣志氏情報のおかげで、「特殊な時空間にうち留まる被造物」の世界をかいま見ましたが、

坂本廣志氏情報の「日本人のルーツ」と青人を滅ぼしたドラヴィダ人

「宗教は嫌いだ」だとおっしゃる坂本氏いわく、一番正しい宗教は「古神道」とのことで、

セスが言う、

「あなた自身の肉体像は、あなたが自己を如何ように考えているかが、物質という性質の範疇で顕在化したものです。そうした考えが自己に対してなされねば、その肉体像は存在することができないのです」

に、古神道の「自霊拝・あじまりかん」を思い出し、

古代「自霊拝」とセットで天皇行だった「あじまりかん」と「鏡の法則」の符号

神社の「御守り」よりリーズナブルな山陰神道『アジマリカン』効果

さらに、2013年、88歳で逝去された山陰基央氏が、

山陰基央氏が予測する2013〜33年伊勢神宮「金の座」で起こること

2013〜33年の「金の座」は、「進化」に向かっていくと予測していたことに再注目しました。

一応、世界は動乱の様相を示しながらも、世界は独裁者の暴力を排除し、”地球一家の連合”へと歩み出すはずである。

もちろん”一神教の崩壊”という、精神的な混乱を避けることはできまい。その後に多神教が持つ価値観の再評価が起こるわけだが、これからの時代は、そうした価値観のもとで全人類が協力しあうことになる。

ある意味で自助努力が求められる時代となり、克己と練磨が尊重される時代になるから、先進国の後進国への援助の仕方も変わっていくことであるだろう。

そして地球環境という大きな問題と取り組むことになり、通貨の持つ意味、ひいては国際通貨の価値観まで変化し”マネーがマネーを呼ぶ”という産業はみとめられなくなるであろう。

う〜〜ん、ノートルダムが焼けたのも、「世界は独裁者の暴力を排除」の一環だったのでしょうか?

フライング・バットレスだったノートルダム大聖堂が燃えた形而上的な理由

さざれ石は、小さな石が集まって、一つの「石=意志」になることを象徴していると思われますが、

山陰氏によると、神道の根源には「一」があり、それは始原の「一」です。

<多神と一神>

神道は多神教であり、日本人は多神教徒だと言われる。

それは、日本人がこのようにさまざまな階層、働きを持つ神霊を感じ取っていたからであるが、だからといって、種々雑多な神がばらばらにあるというわけではない。

その根源には至高にして始原の「一」があるのである。それを「アメノミナカヌシ」と申し上げ、その陰陽の展開としての動きである「タカミムスビ・カムミムスビ」とあわせて「造化三神」とするのである。

カタカムナ(坂本氏によると宇宙の共通語)にも出ている、
76B

アメノミナカヌシ
タカミムスビ
カムミムスビ

という言葉は大好きですが、

セス情報の言うところの「人類が肉体的存続を賭けた戦いに明け暮れていた時代」に成立しちゃった、「一神教(キリスト教)」システムが崩壊しつつあるのは明らかであり、

2013〜33年の「金の座」予測が、どんどん信ぴょう性を増す中、

「地球環境という大きな問題と取り組むことになり、通貨の持つ意味、ひいては国際通貨の価値観まで変化し”マネーがマネーを呼ぶ”という産業はみとめられなくなるであろう」

金本位制に移行するロシアと「再会の夏」に学ぶ「敵をもつ必要」

物資的なものと非物資的を含有する、神社の「半二元」システムってすごいな〜って、改めて思いました!

「清里レジリオンス」「バッチフラワー&キネシオロジーZoom個人セッション」等のお知らせ

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