「血は水よりも濃し」とか、「血は争えない」とかよく言われますが、
個人的には、これからの血縁関係は「ゆるい家族」でイイかと思ってます。
故ペルーの先生とお会いして間もなくの頃、家族の話をチョットしたら、
「あなたとは、ちょっと違うタイプなんだね・・」
と、かるーく言われ、あ〜わかってくれてるぅ・・って、ホッとしましたが、
それからしばらくして、誕生日にわざわざお電話を頂きまして、
「今日は誕生日だから運がよくなる方法を教えてあげるね。お母さんに”ありがとう”って言ってごらん・・」
と、おっしゃり、
「ええっ・・??」って感じでしたが、
まあ確かに、産んでくれなければ存在しなかったわけですから、
母に電話して感謝の意を伝えたら、自分が産まれた時の様子をいろいろ喋ってくれまして、
4月半ば生まれですが、その日の東京は雪が舞っていたそうです。
そのせいか、生涯にわたって「雪」にはご縁があり、
1990年1月31日、結婚式の際も雪が降り始め、東京は記録的大雪となりました。
なんで真冬に「結婚式」かというと、長患いで入院中だった旦那さんのお父上が10月に逝去され、「49日が明けてから・・」と延期になったからですが、今思うと、順番が逆でなくてよかったです。
2月1日、式を挙げた山の上ホテルから成田空港に向かう際、
タクシーの運転手さんから「空港は朝から閉鎖だよ」と言われましたが、
銀世界になった東京の姿を見物しながら成田に到着したら、ちょうど滑走路が再開したところで、
到着したスイスのチェルマットは晴天続きで、スキーを堪能することが出来ました!
しかしながら、新婚旅行から帰って、母からその後の顛末を聞き、笑っちゃいました。
両親は鹿児島県人で、結婚式をやったのも、親戚一同を「呼ばなきゃ・・」という両親の意向が強く、
その当時、両親は仕事の都合で青梅市に住んでいたのですが、母方の親族は青梅の家に泊まり、父方は都内のホテルに泊まらせました。
で、翌日は母方の親族一同でマイクロバスを借りきって案内する予定が大雪のためにどこにも出られず、
「皆でコタツを囲んでいた」そうで・・母方の親族からは今でも、「雪が降る度に、あの結婚式を思い出すわ〜」とか言われちゃってます。
母は次女ですが、7人兄弟の末子である父方の親族は、父親より年上のいとこがいたりで、あまり親交はない感じで育ちましたが、たとえ親睦はなくても、血縁が逝去した直後の「神社への参拝」は遠慮した方がいいようです。
喪のバリアは厚くて人間の形に合わせた細長い楕円形ですが、その背部にはパイプのような、太い紐のようなものがついています。
そのパイプ・紐状のようなものが伸びていく先に「黄泉の国」の入口があります(これは無理やり3次元に置き換えたイメージです)。
つけてる本人には何の影響もありませんが、霊的な部分を含めすべてが見え、感じてしまう神様には、そのくっついている黄泉の国までが見えて感じてしまい、影響を受けます。
”喪”をつけて境内を歩くということは、この黄泉の国を背中の後方にくっつけて神域を歩くということです。
亡くなった方と血のつながりがあれば、行き来がまったくなくて安否すらわからない叔母であろうと、生まれて一回も会ったことがない叔父だろうと、”喪”はつきます。
小さい頃に親が離婚して以来どこにいるかもわからない、完全に縁が切れているという父親がいたとして、そういう関係でもその父親が亡くなれば”喪”はつきます。血族とはそういうことです。一族というか、同じ団体というか、血のつながりがあれば同じ括りになるのです。
では、血のつながりがない、息子の嫁や娘の夫が死んだらどうなのか・・?
これは同居しているかいないかで変わってきますが、血のつながりがありませんので、血族としての”喪”はつかず”死”に対面した「一般的な喪」だけがつきます。
とても仲が良かった嫁ですごく悲しいのに一般的な喪でいいの?と思われるかもしれませんが、これは血族という括りで構成されています。
ですので、亡くなったことによって受ける心のダメージの大きさと、見えない世界で霊体につく”喪”に関連性はないのです。
母親が再婚した義理の父親、血のつながった叔母の結婚相手の叔父、など血のつながりがない場合も同じです。”喪”のつくランクが一番低いところの一般の”喪”だけになります。
しかし、同居していると家全体が「喪の状態」となりますので、同居の場合は49日は参拝を控えます。
ではその「一般的な喪」は何日なのか?というと、これは7日です。遺体に接した場合の穢れですね。
仕事で遺体に接したという場合や(介護職もたまにあります)、知人友人などのお葬式に出席した、などが一般的な「喪」にあたります。
こういう場合は、”遺体に接する”ことで薄〜くさらっとついてるので一週間もすれば消えてしまいます。
ちなみにこの49日、33日、7日という日数は、仏教の数え方とは違います。
亡くなったその日を1日目と考えるのが仏教方式です。
しかし神様の場合は、「遺体に接した翌日」を1日目として、そこから数えていきます。
一般的な喪の場合、お通夜・お葬式と出席すれば、その間ご遺体と接しているわけですので、その2日間はカウントしません。お葬式の翌日から7日間、神社に参拝するのを控える、というわけです。
『「神様アンテナ」を磨く方法』より抜粋
昨日の記事で、神様は「血が苦手・・」だと書きましたが、
喪の方がはるかに苦手だそうで、しかし、仕方のないことは気にしなくてもイイそうです。
付き合いがない叔父や叔母がいる、生き別れた親がいるという場合、その人が亡くなっても知らせは来ないかもしれません。知りようのないことは仕方がないので、こういう状況にいらっしゃる方は気にしなくてもいいと思います。
ただ、本人が知らなくても喪の期間は距離を置かれてしまいますし、その時の眷属は機嫌が悪いです。それはルール違反をしているので仕方ありません。
ですが、その期間が過ぎるとまた普通に接して下さるので、親族の不幸がわからない方は悩まなくても大丈夫だと思います。わからずに参拝している、悪気はないということも神様はご存知だからです。
生理中の参拝と喪中の参拝はしない、これは心に留めておいた方がいいルールであり、神様に対する最低限の礼儀になります。
*親、配偶者、子供は49日、それ以外の親族は33日、血のつながりがない場合は7日。この日数は、私が神様から直接教わった日数です。宗教である”神道”や”仏教”の日数とは異なっておりますのでご注意下さい。
『「神様アンテナ」を磨く方法』より抜粋
みえる人・・ならではのアドバイスで、
桜井さんは実際に、いとこの「喪中の際」と「喪明け」の参拝を両方経験してみて、
「喪中の際」は全然「神様の気」が感じられなかった飯田橋の東京大神宮に、
リベンジ「喪明け」で行ったら、伊勢神宮から勧請された男の神様とお話することが出来ました。
「恋愛専門、みたいになってきてますが、それでもよいのですか」と聞くと、それでもいいということでした。・・
この神様は、本当にとても忙しそうでした。くるくる働いているといった感じです。たまに、この神様だけでは手が回らず、伊勢から応援を頼むこともあると言ってました。
『「神様アンテナ」を磨く方法』より抜粋
伊勢と言えば、両親は令和記念に「お伊勢参り」旅行を申し込んだとのことですが、
昨日、父のすぐ上の兄が92歳で逝去したとのことで、父親は今朝、鹿児島行きの飛行機に乗りました。
「お伊勢参り」は6月20日とのことですから、血縁でない母親はOKですが、父親はNGとなりますネ。
しかしながら前もって予定していたことでもあり、
こういう場合は、「神様や眷属に不快な思いはさせない」という謙虚な気持ちが大切なようです。
でも、知って「神様や眷属に不快な思いはさせない」と、この部分をちゃんとしていれば、それは神様にもわかります。
よい心がけをした人間として認識していただけます。そして、ますます目をかけていただけるようになるのです。
『「神様アンテナ」を磨く方法』より抜粋
夫婦は血縁でないのが幸いで、「足して2で割る」という意味ではご利益は半々でしょうが、
デルタ脳波「ルン・ル」の植原紘治氏も言ってるように、
いつでも、どこでも「感謝の気持ち」で在ることが大切なんだと思います。
また「お参りのときには、住所氏名を名乗りましょう」と言う人がいるようですが、そんなことはしなくても大丈夫です。だいたい、名乗らなければどこの誰かも分らないようなのは、神様ではありません。
そこにいるのが本物の神様であれば、何も言わなくても分ってくださいます。そういうものです。
神社にいる神様や眷属は「黄泉の国」が苦手なのに対して、
植原氏が敬愛するブッダが広めた仏教は、迷える魂を成仏させるのがメインのお仕事で、
初詣には神社、葬式には仏教・・と、上手に使い分けしてきた日本人は、
何気に天然スピ系な感覚を、誰もがその血に受け継いでいるのかもしれませんね〜
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