酵素カフェ

OSHOの日本人弟子シャルタンさんが語る「丹田」と「山口小夜子」

2020年のGWは「緊急ナンチャラ」で前代未聞の閑古鳥となった清里高原でしたが、

2022年のGWはどうやら通常モードに戻ったようで、連休谷間の平日である5月2日朝、

乗車前に花崗岩で「爪とぎ」したピノちゃんを乗せて、

パン屋さんまで、ちょっと出掛けたら、

他府県ナンバーがたくさんで、

ピノちゃんもビックリするほど、

小さなパン屋さん、コンブレ堂の前には人がいっぱいで、
3人という入室制限もあり、15分ほど並んでいる間、

旦那さんと車の中で待っていたピノちゃん、おばさま軍団に「あっ、猫がいる!」と騒がれても気にしない・・とのことで、1年近くペットショップに居たので人には慣れてますネ。

真っ青な空と八ヶ岳を眺めながら、再び高原大橋を渡り、

家に戻る前に、谷口牧場に寄ったら、

桜のような・・白い花が盛りで、

厩舎から、いつものデカ猫が出て来て、

ウチの車の後方部に向かい、スリスリするのは、ご近所猫の匂いが付いてるせいでしょうか?

で、車から出て、デカ猫ちゃんと戯れていたら、

旦那さんいわく、馬のことはジッート大人しく見ていたピノちゃん、

デカ猫を見て飛び出そうとするので、あわてて窓を閉めたそうで・・同種だとライバル意識?

で、家に戻ったピノちゃん、しばらく庭先でユルユルしていて、

やっぱり、おウチが安心なのかな?

さて、2022年はペルーの先生がポックリ逝ってしまって10年目なんですが、

2022年3月17日、OSHOの弟子だったシャンタンさんが81歳で宇宙に帰還したそうです。

シャンタンさんのことは、HPにOSHOのお言葉が出ているので知った次第ですが、

あのアンディ・ウォーホールをいち早く見つけた方で、

ナント「70歳を過ぎてから」初めて筆を執り、アーティストとして活動してました。

ここにひとりの仙人がいる。

その名はシャンタン。本名は宮井陸郎。

瞑想家として知る人ぞ知る存在だが、謎の多い人物でもある。

若い頃は新進気鋭の映像作家だった。
実は東京で初めてディスコを作ったのは彼だった。
それまでになかった発想であたらしいものを創るのが大好きで、日本で初めてプロジェクション・マッピングを行ったとしてWikipediaに載っていたりする。

30代である程度成功した彼の人生を大きく転換させたのが、世界的に有名なアーティストであるアンディ・ウォーホールとの出逢いだった。

当時、まだ日本では無名だったウォーホール。
ただ仲間内で「やばい奴がいる」という噂を聞きつけ、ウォーホールに会うため渡米する。

対面して、手を握った瞬間。
あまりに「空っぽ」であることに衝撃を受ける。

そして「こんな風に空っぽになるには、僕は、瞑想くらいしなくちゃいけないな」と感じ、それまでのキャリアや人間関係等の全てを捨てて、インドに渡るのである。

そこで神秘思想家のOshoと出逢い、弟子となる。
かくして始まった、瞑想家シャンタンとしての人生。

https://ameblo.jp/johnny17102/entry-12738300178.html

で、そんなシャンタンさんの、亡くなる直前のお言葉がとても響きました・・

*****************

<Where am I ?>
2022年03月13日(日) 00時49分33秒

みずからのいのちのみなもと、
丹田にやすらぐこと以上の
喜びはありません。

ただ、ひたすらくつろぐ。

それは自分自身の中に
深く入っていくことであり、
みずからのいのちのみなもと、
丹田にやすらぐことです。

それは静かな至福そのものであり、
これ以上の喜びはありません。

ゆるゆる瞑想は、
ぼくの身体を通して思い出した方法です。
古代、
まだ人びとが素朴で純粋な時代、
共同体の中で
病気なおしや、健康のために集まって、
お互いのエネルギーをまわし合って
ひとりでは取り切れない疲れや、
からだの毒を流し取っていきました。

ただ、ゆるやかに丹田をまわす、
誰にでもできるからだの運動を通して行います。

日本人には丹田は
とてもなじみのあるところ。

武道・茶道・書道・・・能、すべて丹田の文化です。

日本の文化は丹田から始まって丹田で終わります。

古い丹田のあり方は パワーの固まりにしていた、
戦いの時代の丹田でした。

武道で丹田を鍛えて
固めていました。

いま、新しい丹田のあり方

丹田はゆるめると

あったかくなり

ゆるんでいって

拡がって

光に変わり、

スペースになっていきます。

今朝、座禅をくんでいると、
丹田が拡がってスペースになり
自分の中心が丹田にある…
と、感じました。

チベットで行われている
瞑想メソッド、
問い、公案が
あたまに浮かびました。

【私は、誰だ?】
Who am I?
よりも、もっと深い 問いかけ。

【私は、どこにいるのか?】
Where am I?
答えは・・・
新しい
【丹田】だった。

内側と 外側をつなぐ
全ての中心 、生
命の源泉、丹田がスペースになり
光になり 、
ゆるやかな空間になった時・・・
人はリラックスして、
丹田の中にやすらぐことができる。

僕が、ゆるゆるをやっているのは
新しい次元の丹田のあり方を
無意識にやっていた
ということがわかりました。

oshoが肉体を離れる前、
禅宣言の時、
直接、瞑想を指導して
丹田に入っていくことをガイドしていました。

言うなれば、
ぼくにとってはoshoの
遺言のようなものです。

丹田に入っていくことが
悟りのもっとも早道です。

(代理投稿 貫井)

https://ameblo.jp/miyairikuro/entry-12357531935.html

*****************

ペルーの先生もよく、「頭で考えないで、お腹で考えなさい」と言ってましたが、丹田なくして「悟り」はあり得ないのですネ!

シャンタンさんのことを漫画にしている方もいて、ウィンナーとかお好きだったようで、
            ↓
https://www.instagram.com/p/Ccc1rkFJqn2/

「ゆるゆる瞑想」一度体験したかったな〜 と思いましたが、

12年ほど前「チベット体操」を毎日の習慣にしていた時期があり(1年間ほど)、その話をペルーの先生にしたら、「それは昔の人がやっていたことだから・・あなたのやり方でやりなさい」と言われ、ハッとしました。

きっとシャンタンさんは、瞑想の真髄を知った上で、日本人に合う、独自の方法を編み出したのですネ。

これは2019年の文章ですが、この頃からシャンタンさん、「逝く」準備が整っていたようです。

*****************

<山口小夜子。こころがからだを着ているなあと思うの。>
2019年12月24日(火) 12時51分17秒

山口小夜子は昔、30代の初めごろ恋人だったことがある。

1970年代のはじめ、ぼくは映像からはじまったのだけれど、
光を加えて、映像、ライトショーをやったり、ディスコをつくったり
ファッションショーの演出をやったりしていたとき
小夜子は、きっとモデルになりたての
ほやほやのモデルとしてやってきた。

当時ぼくはショーの時、スクリーンの裏から光や映像をあてて
影絵になるひとが踊る姿を見て楽しんでいた。

小夜子はすぐ自分を解放して、ある種のエクスタシーの中で
踊っているということを感じた。

それは、光と影の中にからだが溶け込んでいった世界だった。

それは自分がきえていく喜びの世界だった。

そのショーの後付き愛はじめて、半年くらい共にいて
自然に離れていった。

今度からだが弱って小夜子のことが懐かしくて
残っている動画や画像、ことばを見ているうちに
あることに気ずかされていった。

動画の中の彼女のことば、
なにか意図的なことを排除し、自分をなくす、そこから入ることが
一番本質にふれることなんじゃないかな。

彼女は自分のことをウェアリスト、着るひととよんでいた。

こころがからだを着ているかなあと思うの。。。。。。。。

そして、着ると言うのは地球上にあるものなら、
なんでも着れると思うの。

光でも、木でも、飛行機でも、壁でも、ビルでも
テレビでも、電気でも、黒板でも
なんだってまとうことができる。

つまり、まとうことは生きること。

私はあらゆるものを着ていく。

地球を取巻くエネルギーとか、人のこころとか
風とか、木とかぜんぶがひとつに融合することが
わたしの中の答えとして形になっていく。

これはいまのことばでいえば、ワンネスということですね。

ワンネスをもっと分かりやすい、言葉でいいあらわしていますね。

また、これからなにをしたいですか、という質問に
校庭とか、グランドに白い線を引きますよね。

白いあの線を引いてみたいと思います。

線ってほんとうは怖いなとおもいます。

国と国の間の線を引く

隣ととなりの間に線を引く

ひととひとの間に線をひくことで
争いが生まれたんだなと思うのね。

でも校庭のあのまっすぐの白い線は
とても純粋なもので
なにか天につながるような感じがあるの。

これは、もう悟ったひとのことばですね。

そのことに今回ぼくは気ずかされました。

彼女は服をまとうということを、つきつめていって
すべてのものがまとえる、それはすべてのものと
ひとつになる

ある種のさとりの世界にはいったのだとおもいます。

ぼくと小夜子は別べつの道を歩んでいると思っていたのですが
じつは同じ道をべつべつに歩いていたんだと気ずかされました。

https://ameblo.jp/miyairikuro/entry-12310768021.html

*****************

一世を風靡した山口小夜子さんが57歳で「急性肺炎のため死去」してたとは知りませんでしたが、

どんな分野でも極めれば、「ある種のさとりの世界」につながり、

境界「線」は怖いものだけども、

『でも校庭のあのまっすぐの白い線は
とても純粋なもので
なにか天につながるような感じがあるの』

って、動物的な直感的センスを感じます。

今日、5月3日も晴天で、葉っぱが張り出してくると、日陰が多くなり、

南アルプスが見えなくなりますが、新緑の季節は爽やかそのもので、

ピノちゃん、外に出た途端に、サニーレタスの種を植えたプランターのふちや、

倒木の上で、盛んに「爪とぎ」してましたが、

猫が爪とぎする理由は、「するどい爪の維持」「リラックスや気分転換」「自己アピール」

そして、「マーキング」があるそうです。

<マーキング>

猫の肉球には、強いニオイを放つ臭腺があります。爪とぎをすることで臭腺のニオイをつけ、自分の縄張りを主張しているのです。また跡に残った爪跡にも縄張りを主張する意味が。そのため、壁や柱など垂直なもので爪とぎをするときは、できるだけ背伸びをして高い位置にマーキングし「自分は大きいんだぞ。ケンカだって強いんだぞ」とアピールします。

http://kalkan.jp/catguide/article_08.html

う〜〜ん、ピノちゃんが庭で「爪とぎ」するようになったのは、

ここはウチだ・・という、「縄張り」意識が芽生えたのでしょうか?

(幻想の)境界「線」を引いて、ムダに争うのは人間の専売特許ですが、

安心できる「場」である、縄張りを大切にするのは動物の本能であり、

もっとも大切な縄張りは、人間も動物も自分の「体」で、

「カラダ」なしでは「カラっぽ」」にはなれないことを、シャンタンさんは知っていたようです。

ゆるゆる瞑想

これからわたしたちは、
からだをもったまま
次の次元に行きます。

個人としての
あなたは解け、
全体とひとつに
なるのです。

私たち日本人が
悟るためには
丹田に
おりることが早道です。

今こそ、
ゆるゆるした意識の中で
もっと、
もっと
自分の内側に
入っていき
丹田に入り
【自分の底の底】から 
【自分自身やすべてを観る】ことです。

からだを緊張させるのではなく
ゆるめて 
やすらぎの中で
努力もなく
くつろいで 
あそびながら
ゆるめた丹田に
落ちていくことです。

丹田こそが
ぼくたちの
生まれもった中心です。

丹田の中に
すべて意識と
エネルギーが
入ったとき、
宇宙の中心とつながります。

それが悟りです。

いま、
宇宙的エネルギーの
ジェットコースターに
乗っかっている
ようなものですから
このエネルギーの
波乗りをするときです。

ますます、
予定調和的な生き方が
むずかしくなり、
明日何が起きるか、
数時間後に何が起きるかが
予測できません。

ただ、
いまここを
トータルに生きる、
生き切ることしかありません。

それが、
日本語の只今、ただいま、
という言葉です。

そして、
これこそが、
このときこそが
大きな覚醒のチャンスです。

時代は、まったくもって予期することが難しい時です。
自分の感覚を信じ
感ずるまま
流れのまま
随神(かんながら)にて
タイミングさえも、時の満つるままに任せましょううううううう

日本には、悟った人が沢山出ました。
その一人が、道元禅師です。
 
道元禅師は言います。
只管打座(しかんだざ)。
ただひたすら座る。

道元さんがあるとき、訊かれました。
「心をもって悟るのか? それとも、体をもって悟るのか?」と。
答えて曰く、「体を通して悟るのだ」と。
日本人には、理屈はいらない。

それが、日本人が丹田という文化をもっていたということです。
この丹田に意識とエネルギーが入ったとき、宇宙の中心とつながります。
だから、ただ、リラックスして自分の中に入っていく。
そして、深く入って、深く入って、丹田の中に降りること。
このことが、悟りへの早道です。
道元さんは、悟りのことをつぎのようにいいました。
心身脱落。脱落心身。
緊張が落ちてリラックスすること。
この日本人の緊張がとれたとき、悟りの世界がひろがります。

バガバァンは言います。
悟りの中にいれば、どんな津波や地震も
あなた方を害することはないでしょう。
 
ゆるゆる瞑想は、
ぼくの身体を通して思い出した方法です。
古代、縄文時代、まだ人びとが素朴で純粋な時代、
共同体の中で
病気なおしや、健康のために集まって、
お互いのエネルギーをまわし合って
ひとりでは取り切れない疲れや、
からだの毒を流し取っていきました。
ただ、ゆるやかに丹田をまわす、
誰にでもできるからだの運動を通して
丹田がスペースになり光になり 、
ゆるやかな空間になった時・・・
人はリラックスして、丹田の中に
やすらぐことができます。
ただ、ひたすらくつろぐ。
それは自分自身の中に深く入っていくことであり、
みずからのいのちのみなもと、
丹田にやすらぐことです。
 
それは静かな至福そのものであり、
これ以上の喜びはありません。
そして、そこにいる人すべてと、輪、和、わに なり、
エネルギーがひとつになります。
このゆるゆる瞑想を、通して悟りを体験していただきます。

 
アナンド(至福) シャンタン(平和)
Life as Art
ありがとうぅぅぅぅぅ❣️🐉

https://ameblo.jp/johnny17102/entry-12738300178.html

そういえば、ペルーの先生もY姉さんも「カラダ」をケアするボディワーカーですが、

結局のところ、動物でもある「私」を認めて好きになり、「ゆるゆる」することが、
「悟り」へ近道なんでしょうね〜

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