酵素カフェ

覚醒への「罠」かもしれない「マトリックス」と軽〜い「オミクロン株」

同じ風景でも、朝方と夕方では表情が違うもので、

素晴らしい晴天に恵まれた昨日、

日暮れ時の清里高原では、

八ヶ岳も富士山も、

夕日の輝きの中に、次第に沈んでいき、

ちょっと寂しげな、夕暮れ時の美しさも格別です・・

冬場は、家に居ながら南アルプスがバッチリ見えて、ステイホームでもいいわ〜 って感じですが、

何事も「強制」されるのはイヤですので、コロナの脅威を煽って「強制」の流れは要ウォッチで、

新型コロナが変異に変異を重ねたオミクロン株って、感染力は強いけど、風邪以上に症状のナイ、軽いモノだそうです。

・オミクロン株は南アフリカの現在の臨床状況では大変に軽い病気

・パニックが誘発されようとしているが、その必要はない

・アメリカでは、この変異種への脅威でさらにワクチン接種とブースターショットを進めようとしている

https://indeep.jp/omicron-strain-is-extremely-mild/

よーするに、狼が出たぞ〜 と言い続けて、感染拡大の原因をあやふやにしたまま「強制」することが狙いのようですが、そろそろ「なんか変だな?」と気づく人が多くなることを願います。

2020年からの「コロナ騒ぎ」でつくづく思ったのは、人間とは、周囲がやってることを「真似すること」が好きなんだな〜 ということで、

「個性」を重視する欧米の方々も「右にならえ」であることに驚きましたが、

21歳で覚醒し、1990年59歳で世を去ったOSHOさんは、文明社会とは「物まね」であることを見抜いてました。

あなたがたはみな、優れた物まね屋だ。ありのままでいるより、模倣するほうがやさしい。模倣は表面上のことにすぎないからだ。ありのままでいるには、あなたの中心(センター)が必要になる。全面的に在るあなたが、必要になる。それは大変だ。表面だけ巻き込まれても、深いところでは、あなたは外側に残っている。

模倣はたやすい。文化、社会の全体が模倣に依存している。誰もがあなたに、立ち回り方を教えているが、彼らがあなたに教えることは何であれすべて、まね以外の何ものでもない。ーーいわゆる宗教的な人々、司祭、神学者ーー彼らもまた、あなたに教え込む。「イエスのように、ブッダのように、クリシュナのようになりなさい」。あなたに教えてくれる人はいない。「自分自身でありなさい」とは。ーー誰もいない、誰もがあなたを否定しているようだ。あなたに、あなた自身であることを許してくれる人はいない、あなたに自由を与える人はいない。・・

事のすべてがばかげている。同じことが、ブッダにも言われていた。「ラーマのように、クリシュナのようになりなさい」。ブッダは従わなかった。それがブッダになる方法だ。彼は光明を得た、絶対に模倣の犠牲にならなかったからだ。模倣のできる者はいない。まねをすれば、あなたはにせもののままだ。

こんな話がある。ライオンとうさぎがレストランに入った。突然、全員が警戒した。そしてみな目を疑った。うさぎはウェーターに言った。「わたしにレタスを持ってきてくれたまえーードレッシングなしでね」
ウェーターは怯えながら、たずねた。「お連れ様には何をお持ちしましょう?」
うさぎが答えた。「いらない」
ウェーターはたずねた。「おなかが空いてはいらっしゃらないんですか?」
うさぎはウェーターをじっと見て言った。「彼が本物のライオンだったら、わたしがここにすわっていると思うかね? 彼は演技しているんだ」

世間全体が非現実的、芝居になってしまった。本物はいない。本物の人間を見つけるのはとても難しくなった。本物の人間を見つけたなら、その人のもとを離れずにそばに在りなさい。彼の実在は伝染する。彼のそばにいるだけであなたは変容する。何かをする必要はない。これがサットサングと呼ばれるものだ。真実の人、本物の人、ありのままでいる人のそばにいなさい。他には何もいらない。ただ彼のそばにいること、彼の在り方を感じ、見ていることーーそれで充分だ。

けれども、社会があなたを物まね屋に、役者にした。あなたは本物ではない、偽物だ。あなたは、自分自身になることを一度も許されなかった。あなたがなれるのは、自分自身だけだというのに。あなたは他のものにはなれない。・・

世界中があなたを、物まね屋になるように手伝う。だから寺院に来て、導師のそばにいても、あなたはまたもや世間での古い方法を取ろうとする。・・宗教において、まねは決して許されない。だが宗教的な人々を見てごらん。教会、寺院、モスクを見ると、もっとも優れた物まね屋が見つかるだろう。宗教には何も残っていないことが、それに表れているーー教会、寺院、モスクは、今やびれた墓場だ。イエスとともにあっては、人は真実であらねばならなかった。だが、バチカンの法王と一緒にいるなら、あなたは物まね屋でいなければならない。バチカンのキリスト教は、もはや社会の一部だ。
イエスは社会の一部ではけっしてなかった。彼はよそものだった。本物の宗教的な人はよそものでいる。彼らはアウトサイダーだ。・・

社会は、多くの狡猾な手段を持っている。市場から逃れても、あなたは教会に捕らえられる。教会は市場の拡大したものにすぎないからだ。市場は教会に餌を与え、操っている。教会の実際の所有者は、市場だ。そして聖職者は神聖の顕れではなく、市場を表している。

「世間全体が非現実的、芝居になってしまった」が、目に見えるカタチで顕著になってる2021年暮れ、あの「マトリックス」の四番目が公開されます。

つい最近、「マトリックス」三部作を全部見たばかりですが、

罠だと知って見ると、「マトリックス」にはヒントが満載で、

映画「マトリックス」な罠とキネシオロジーテストの信憑性

「マトリックス」に限らず、ある時期からハリウッドの大作には「本物の人間」が見当たらず、「幸せにはなれない」マインド製造機になってるようです。

いわゆる世間は、本物の人間としてではなく、影であることだけをあなたに求める。本物の人間は危険だからだ。
影だけが、押さえつけることができる。影は従順になれる。影は従うことができる。やれと言われれば何でもできる。本物の人間は、いつもイエスとは言わない。ときどき、ノーを言う。彼がノーと言うなら、ノーと言っているのだ。彼を押さえつけることはできない。彼を抑制するのは不可能だ。

そのために、当の初まりから、わたしたちは、子どもたちが偽物になるように訓練する。これがいわゆる”人格”と呼ばれるものだ。子どもたちが実に、偽物、非現実的になると、ほめて、ごほうびにメダルを与える。そして彼らを本物と言う。その虚偽性を本物、手本と言う。しかし子どもが反抗し、自分自身になろうとすると、”問題児”になる。心理分析にかけなくてはならない。その子を矯正するために、施設に送り込まなければならないーー悪いところがあるとして。だが悪いわけではまったくなく、彼はただ自分自身を貫いているのだ。「自分自身でいさせてほしい」と彼は言っている。・・

妻は、夫が彼自身であることを許さない。夫は、妻が彼女自身であることを許さない。他人に、その人自身であるのを許せる人はいない。危険に思えるからだ。
抑圧だ!これが、社会を抑圧してきた。悲しければ悲しくなる、それは自然だ。偽りの人々は幸せにはなれない。せいぜい、悲しむぐらいのものだ。よくてせいぜい、意気消沈して悲しむぐらいだ。人類に望みはないと、フロイトは言った。彼は正しい。人類の進んできている道、それがそのまま続くなら、悲しみ、落胆、望みのない状況しかない。ただ自分を重荷にようになんとかひきずってーー踊りも、エネルギーが湧き上がることも、活力も、歌も、花も何もなくーーただひきずっていくだけだ。・・

だがその偽りの人々があまりに退屈して、いわゆる社会というものにうんざりすると。彼らは真実を探求するために、導師のもとへ向かう。・・だが真理の探求にあるとき、導師のもとへ来て、何が真実なのか知りたいという衝動が起こったとき、まねは許されない。まねをすれば、あなたは自分の古いパターン、自分の存在形態を持ち運んでいる。その存在形態が障壁になる。

こちらの記事のコメント情報で、

OSHOの「意識の三つの次元の顕れ」と出始めているワクチン嫌疑

「トランプ関係は映画のマトリックスのあの罠と同じだと思います」というご意見をいただき、

「マトリックスの救世主プログラム」についても解説してくれましたが、

**************

・機械が人類をマトリックスに支配してます
・ある程度は完璧に支配できるんだけど、なぜか一定数はいつも目覚めて反乱してしまう
・じゃあ逆にあえて一定数の人を目覚めさせてそいつらの受け皿や行き先をこちらがあえて用意してあげて
・機械側が完全にコントロールしながら目覚めや反乱をさせてあげよう
・ある程度反乱軍が大きくなったら解体してまた最初から別の目覚めチームを作る。この繰り返し
・それにより人類は結果機械側の支配から抜け出せず、マトリックスは安定して永続するのだった
・モーフィアスは自覚は無いが実は機械側の手先でありマトリックス側。本人は目覚めているつもりで反乱しているつもりだけれども
それは機械サイドがお膳立てした完全にコントロールされた反乱、目覚めであり、実際には眠ってマトリックスに閉じ込められてるのと変わらない
・支配されている事に気がついて反乱、反抗するまでが支配サイドの計画通り。この事に気が付かないとマトリックスに閉じ込められたまま
・支配に気がつく=覚醒ではない

**************

マトリックス世代のお若い方なのでしょうか?

個人的には「マトリックス」って、古代からソクラテスなんかが言っていたことを、今風に脚色しただけで、そこまで深読みする必要はないように思いますが、「支配に気がつく=覚醒ではない」は、その通りだと思います。

11月29日、南アルプスが夕日に輝き、

すやすや寝ているピノちゃんの寝顔を見ながら、

平和だな〜 としみじみで、

OSHOさん的に言えば、よーするに、一人ひとりが自分だけの「マトリックス」を作ってるわけで、

そこから抜け出すタイミング、「鍵」は自分次第ということですが、どうせ「幻想」なら、

素敵な「夢」を楽しみたいもので、果たして四番目の「マトリックス」はどうなんでしょうかね〜

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COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. こんばんは。
    自分が自分の現実を創っている、または繰り返し反応してしまっている、、と気付いた出来事があった今日、コレクトなイルカさんのブログ記事でした。
    そしてメンタル的にはやや堪えていたので、八ヶ岳の美しい風景のお写真に癒されました。
    映画「マトリックス」面白そうですね!
    12月、劇場に見に行ってみます。
    いつもありがとうございます^^

    • mariaさん

      こちらこそグッドタイミングなコメントありがとうございます。マトリックス4、見たら、感想教えてくださ〜い!

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