上下逆さにすると「平成」と「令和」になるようにデザインされた、
野村一晟さんのアンビグラム作品が話題になってますが、
野村さんの手にかかると、「独創」も「模倣」となり、
「模倣」にプラスアルファすることで、独自の文化を築いてきた日本人にピッタリなアンビグラムだと感じました。
「平成最後の日」の清里高原は、朝からしっとりとした雨が降り続いてましたが、
やっとヨモギが顔を出し始め、
新しい芽が次々と花開き始めるタイミングで、
「令和」を迎えるのは幸いなのかもしれません。
「生前退位」ですから、季節も選ぶことができたわけですが、
2017年に「生前退位」が決まったことは、「社会全体を飲み込むエネルギー的浄化の嵐」の一環なのでしょうか?
2017年から2020年には、私たちに染み付いて来た低波動を洗い流すために、社会全体を飲み込むエネルギー的浄化の嵐が吹き抜けていきます。
こうした変化の嵐の中においても、より高い視点から、全ては永遠の魂が終わりなき時間の「今・ここ」で経験している事なのです。そこで大切なのは、常に「今・ここ」において、自らのスピリチュアル的な覚醒にベストを尽くし、永遠の瞬間の中に調和的な経験を創造し続けることにあるのです。
こういった情報を精査し、発信している砂見氏によると、
2012年の冬至の頃に、3次元に残る人、4次元、ないし5次元に進む人のタイムラインがほぼ確定したとのことですが、
「4次元の世界」とは、「5次元の世界」への橋渡しであり、あくまでも通過点です。
4次元の世界は、3次元の世界と5次元の世界の繋ぎの次元として存在しており、長い目で見れば、私たちは今後1000〜2000年程度の時間をかけて4次元領域を通過し、5次元へと落ち着く事を目指しているのです。
しかし、現在の私たちが注目している「アセンション」というのは、取りあえず4次元への次元上昇までを捉えてそう言っているだと言えます。
ただ、個別には同じこの時期に、人類の次元上昇をサポートするために、5次元への次元上昇を進めている人も存在しています。
そして、また一方では、3次元の経験世界に囚われた状態で、このまま3次元の世界に残る人達もいるのです。
時代の流れ的には、どんどん「5次元サポート」が手厚くなってるようで、次元が上がるほど「調和的」になります。
3次元世界が、分離的な物質世界という幻想によって生み出されているのに対して、5次元世界というのは調和的なエネルギー世界であり、自らの創造によって即座に全ての経験が生み出されていくことになります。
そして、その2つの次元を中継する次元が4次元世界なのです。4次元世界は、物質的な要素を残しながらも、よりエネルギー的な能力・経験が加わり、そこで調和的な経験が効率的に生み出されていくことになります。
しかしながら、ラー文書で「第三密度は選択の密度です」と言われてるように、
三次元的な「競争・分離」社会を選択するのも、4次元ないし5次元以上を選択するのも、
あくまでも個人の「選択」ですので、余計なお節介はしない方が無難です。
ところで「宗教」って本来は、4次元ないし5次元以上へのサポートだったのでしょうが、
身延山・久遠寺
組織化するにつれ、3次元的搾取構造に染まった感じがなくもありません。
故ペルーの先生と出会った2000年頃、新興宗教に入ってしまった友人について相談したら、
宗教(団体)での学びは、通過点としてならOKだけども、
「ずっといちゃダメだ・・」と言ってましたので、
宗教とは本来は4次元的で、5次元への橋渡しなのかもしれず、
古代から、天皇が「祭祀」を行う日本という国は、4次元優勢だったところに、
戦後はアメちゃんが入って、3次元優勢になったわけですが、
それでも模倣に独自の「工夫」を加える力は、
日本的、4次元的エッセンスの賜物なのかもしれませんネ。
4次元への移行には「エゴ」を手なづけることが大切で、
「自分が自分が・・」より、和を大切にする日本の風潮は有利だったようですが、
5次元に行くためには、完全な「エゴの浄化」が要になります。
4次元領域においても、多少のエゴは存在していくことになりますが、5次元以上の世界においては完全にエゴが存在する余地はありません。
つまり、3次元から抜け出すためには、大半のエゴは手放さなければならないのです。・・
自らの内にエゴを住まわせたままで、「常識のどこに分離的な要素があるのかを」を考えても、なかなかそれを見つけ出すことは出来ません。
エゴは分離的思考そのものであり、そうした低波動を「必要」だと考えるからです。
しかし、自他を差別する意識をなくしていくことに取り組めば、それによって自然とこれまで隠れていた分離的な側面が「常識」の中に浮かび上がって見えてくることになるのです。
ただ、その際に「自他を差別しない」ことの解釈に気をつけなければなりません。差別はしなくても、区別はしていく必要があります。また、差別しないと言うには、相手に対してもそうであるように、自分に対してもそうでなければなりません。
ペルーの先生からは、
「この人について行ったら絶対大丈夫・・は、ないからね」
とか、
「ワンちゃん猫ちゃんを先生だと思いなさい・・」
とか言われてましたが、
区別はしても「差別」はしない動植物たちは、既に次元上昇してるとの説もあります。
いずれにせよ2017年から2020年の間に、
「私たちに染み付いて来た低波動を洗い流す」ための、
「社会全体を飲み込むエネルギー的浄化の嵐」が起きる・・とのことですから、
とりあえずは「令和」な時代に期待しましょう!
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