今年の秋は、やはり高温傾向のようで、
通常の清里では、9月も後半になると、蝶ってあまり見かけないのですが、今年はまだヒラヒラしていて、

9月26日の朝、イタリアンパセリにいたこの幼虫さんは、


10日前に見かけた幼虫さんと同じでしょうか?
読者さんから、この幼虫は「キアゲハ」だと教えていただきましたが、

羽化は、来春に「持ち越し」になるのか・・微妙なところで、
この蛹期間には、季節や環境によって差が出ます。例えば、秋に蛹になる場合は越冬し、春になってから羽化することもあります。
AI による概要
羽化する前に、鳥さんに食べられちゃったりする・・可能性も大です。
そんな高いハードルを超えて、無事、羽化したばかりの蝶が、今朝も庭先にヒラヒラ。

おニューだと思ったのは、羽がとても綺麗だからですが、

この蝶は、旅する蝶「アサギマダラ」かな?

ちなみに、しょっちゅう見かけるこの蝶は、「ヒョウモンチョウ」とのことで、

そういえば、昨年の9月、MY母が亡くなった翌日に南部町に来ていた蝶は、
「キアゲハ」だったのですね〜

アゲハチョウの寿命は、羽化して数週間〜数ヶ月とのことですが、悠久の宇宙からしたら、人間の寿命も一瞬であり、
人間だけが「死」を恐れ、それゆえ宗教が必要になってきましたが、葬式や年忌などの儀式は、「遺族の気持ちの整理」のためなんだな〜 と、しみじみ実感で、
母の一回忌が終わり、父の件も落ち着いたので、昨日は旦那さんの両親のお墓参りと、
MY母の件で何かと動いてくれた、6歳上の「いとこちがい」の母上、つまり、私には大叔母にあたる方が、ちょうどコロナ自粛の真っ最中に亡くなり、「お別れ」が出来なかったので、遅ればせながら、お墓参りに行かせていただきました。
その大叔母には、子どもの頃から大変お世話になり・・次男の「いとこちがい」とは、成人してからも仲良しで・・故ペルーの先生も紹介しました。

で、その「いとこちがい」の奥方も、間接的に(私が)紹介しまして・・MY両親が仲人で結婚し・・今では、孫が何人もいる「お祖父ちゃん」とは驚きです!
大叔母の家のお墓は多摩霊園近くの永福寺にあり、
ナント、大伯父の家のお墓と隣合ってまして・・
大叔母の家は京王線の多摩霊園で、大伯父の家は中央線の東小金井にあり、子どもの時代のお正月は、両方の家に「詣で」するのが慣わしでしたが、
今思うと、幼少で生母を亡くし、伯父の部下で鹿児島県人の父と結婚し、東京に出て来た母にとって、この伯父・叔母は、東京での「親代わり」だったのでしょうネ。
そんな伯父夫妻、叔母夫妻が次々と故人となり・・最後、やはり叔母にあたる鹿児島の義母を看取った2年後に、母は逝った次第ですが、ウチ的にはまだ「父」が残ってます(笑)。
と言うわけで、昨日、大伯父と大叔母の墓に手を合わせたのですが、大叔母の家の墓石には「南無阿弥陀仏」が刻まれました。
AI による概要
そして、永福寺は浄土真宗・高田派なんだな〜 とチェックしたのは、
母の一回忌に来たお坊さんが気さくな方で、旦那さんの家の宗派を尋ねられ、浄土真宗の大谷派だと答えたら、MY実家は本願寺派なんですが、「同じ浄土真宗で良かったですね〜」と、しきりにおっしゃってましたが、同じ仏教でも宗派の違いで揉めることがあるのでしょうか?
サンスクリット語の「南無阿弥陀仏」は、浄土真宗に共通で、
AI による概要
焼香の回数が、西が1回、東が2回、真宗高田派は3回です。
AI による概要
焼香の仕方も、宗派によって違うようですが、仏教発祥の地、インドに生まれたマハラジは、
お釈迦さまが説いた「真意」を理解するのに、宗教の経典は必要なく、「意識」とは、「存在しているという感覚」で、「意識が起こるとき、二元性が起こる」と言ってます。
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1980年12月9日
マハラジ: ここであなたは、聞きたいと期待したことではなく、あるがままを知るようになる。意識が起こるとき、二元性が起こる。私は存在し、私は自分が存在していることを知っている。それが二元性だ。私は存在し、私は自分が存在していることを意識していない。これが一元性だ。たった一つのものしか存在しないが、この意識がそこに存在するときには二元性の感覚がある。
質問者:覚醒した人はあらゆることに気づいているのですか?
マハラジ:実際は覚醒している人がいるわけではなく、純粋な知識があるだけだ。ただコミュニケーション上、覚醒した人と言うだけだ。知識が、それを知識だと理解したのだ。起こったことはそれだけだ。私はこの肉体ではなく、言葉でもない。知識がそれを認識するとき、それが真我実現と呼ばれる。
質問者:マハラジが与えている知識はジニャーニのためのものです。これを理解できない非常に単純な人はどうなるのでしょうか?
マハラジ:バジャンと瞑想をやりなさい。瞑想によって、未熟な知識がしだいに成熟することだろう。
質問者:千年前、人々は原始的でした。彼らはこういうことを理解できなかったことでしょう。それはただ発達したマインドのためのものです。
マハラジ:原始的であろうと、文明化されていようと、人々はこれを理解することができる。当時でさえ、この知識が現れた者たちがいたはずであり、彼らは直感的にこれを理解した。
この知識は新しいものではない。これは常に存在してきた。人々は直感的にこれを理解するようになったのだ。
質問者:なぜインドがこの知識の発祥地のように見えるのでしょうか? 他のどの国もこの知識をもっていないようです。
マハラジ:それは違う。この顕現は絶対の表現であり、その顕現は様々な国で様々な形を取ることだろう。それがどんな種類の表現をとるかは重要なことではない。基本的にはすべてが絶対の顕現だ。原因もなければ、結果もない。なぜあるものがある場所にあって、別の何かが別の場所にあるのか、どんな理由もない。人がすべきことは、自分とは何かを自分で発見することだ。
質問者:グルはその知識に向かって一押ししてくれることはできますか?
マハラジ:あなたは自分が一人の個人で、グルもまた別の個人だと思っているが、そうではない。グルとはこの知識を知るものだが、仮の姿だ。
この奇妙な状況を理解しなさい。私があなたに話している間、この肉体には耐えがたい苦痛がある。お互いから分離しているどんな個人もいないし、世俗的知識と霊的知識として分離しているどんな知識もないことを、私は確固と 理解した。グルも弟子もいなければ、神も帰依者もいない。対立するものは何もない。それらは分離した二つの部分ではなく、同じものの二つの部分、二つの極だ。私はそれを確信しながら、それでもあなたに話している。あなたはそれを知識として受け入れ、私はそれを知識として与える。このおかしな要因を理解しなさい。
この話は私から自然発生的に生じている。言葉が出てくる前には何も意味付けされていない。マインドはどんな役割も演じていない。それは直接的で自然発生的だ。
質問者:マハラジが意識という言葉を使うとき、それはどういう定義ですか?
マハラジ:ここで使われている意識は、この生きて、存在しているという感覚、存在感のことだ。それはあらゆる願望の源泉と原因である存在の愛なのだ。
*ジニャーニ=知者、賢者、真我実現した聖者
*バジャン=神に捧げる賛歌、祈り
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う〜〜ん、花や蝶は、「私は存在し、私は自分が存在していることを意識していない」一元性の状態なんでしょうか?

そして単純な人には「バジャンと瞑想」がイイとのことで、MYバジャンは「般若心経」なんですが、浄土真宗では唱えない・・とは知りませんでした〜〜、
2025/03/18
まあ正直、母の葬儀で初めて「宗派」を知った、葬式仏教なので、全然問題ないでしょうが、
仏教の宗派によって、唱えるお経(バジャン?)は違えど、一心に唱えることで往生出来るというシンプルさは共通で・・それはコレクトなんでしょうね!
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