コロナのおかげで、権威ある国際的組織ってアテにならないな〜と実感しましたが、
12月2日「世界人口の9割はコロナに免疫 WHO推定」とのことで、それに関してまあヨカッタですが、新たな「変異株(VOC)」煽りに振られることのナイことを願います。
12月3日の清里高原は、日中の外気温が10度前後のこの季節らしい日和となり、

石工仕事に励んでいる旦那さん、「寒さに慣れたかな・・」とか言ってましたが、

ベンガル・ピノちゃんはすっかり「オンリー家ネコ」になり、

眠っているネコほど、可愛いものってありませんね〜〜

ピノちゃん、たまに起きては「遊べ!」とうるさかったりするのですが、
OSHOさん曰く、こういったピノちゃんの勝手気ままな行動には「問題はまったくない」です。
そこで人は、再び動物のように、一つに、一体となる。覚者の次元にあっては、その人が決めたことは自動的にその通りになる。なぜなら、そこにはもう対立したり、無自覚だったりする部分はないからだ。
人間に「迷い」や「揺れ」が生じるのは、「意識」と「無意識」の葛藤があるからですが、トータルに「無意識」な動物さんには葛藤がありません。
2000年に知り合った故ペルーの先生のおかげで、コロナ(ワクチン)に関しては一切「葛藤」ありませんでしたが、(皆がワクチン打つ)周りの状況には少なからず「揺れたな〜」としみじみで、しかしまあ、それも一つの「体験」として必要だったかもしれない・・と、このOSHOさんのお言葉で感じました。
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悟りとはサマディ(究極の歓喜)、サマディの最初の段階をいう。サマディに入る入り口が悟りだ。それはもう一つ別の世界であり、あなたにはまったく未知の世界だ。その世界は、あなたの在る世界のすぐ近くに存在している。いや実のところ、あなたは一歩も動く必要はない。この世界のすぐ近く、この世界のなかにその世界は存在している。ただ、あなたの見方を変えなければならない。新しい見方を得たとき、今までと同じ世界を見てみると、突然、もう一つの世界が現れるーー
世界とは、あなたの見方以外の何ものでもない。この世界が醜いのは、あなたの見方が間違っているからだ。もしこの世界が、ただ苦しみであり地獄であるとしたら、それはあなたの見方がおかしいのだ。この世界が地獄であるわけではなく、地獄をこの世界に創り上げるのはあなた自身であって、あなたが地獄を投影しているだけのことだ。
世界は中性だ。それはちょうど映画のスクリーンのように、汚れもなく、白くて単純で、純粋だ。そしてそれは、あなたがその上に何を投影するかによって変化する。
地獄を投影することもできるし、天国を投影することもできる。あるいはまた、投影をまったく落とすことだってできるかもしれない。そうなったら、それはモクシャと呼ばれる境地、何一つ投影することがないことで達せられる、究極的な解放だ。・・
ここで、理解しておかなければならないことがある。もしあなたが何の努力もしなかったら、会得することはけっしてありえない。だが、努力を重ね過ぎてもまた取り逃がす。ときどきあなたはやり過ぎる。
これは本当にデリケートなことだ。どうして中間に在るためのバランスを取るか、きわめて微妙なところだ。全然何もしないということは簡単だし、またやり過ぎるのも簡単だ。むずかしいのはその中間に在って、適当なバランスを保つことだ。
エゴにとって、極端なことはとても簡単だ。何もしないのはとても楽なことだ。それにまたやり過ぎるというのも楽だ。・・
完全にリラックスする・・・これに至るまでには、人は苦しい努力を経てこなければならない。それを得た後、突然、悟りは起こる。
実際のところ、それは常にあなたの周りに存在していた。だが、あなたの方がいなかった。あなたの方がここにいなかった。あなたはマインドのなかで動き、欲望のなかで、未来のなかで動きまわっていた。過去のなかで、記憶のなかで、思考のなかで生きていた。
あなたは雲にこだわりすぎて空を見ることができなかった。それは常にそこに在ったというのに。実際、雲は空のなかを動きまわっていたのだ。サマディはあなたの周りの中にある。サマデイは大海原だ。あなたはその中の魚だ。ただ、あなたの方がここにいない。・・
悟った人には、質そのものに変化が起こる。彼は、少なくとも師に対しては何も言う必要はない。彼は「私は達成しました」と言う必要はない。
なぜならヴァイブレーションそのものが、悟りに至った人の在り様そのものが、全く違ってくるからだ。・・
ひとたびそれが起これば、知る人には見えるし、何も分からない人であっても、それを感じ始めるものだ。
あなたも、覚醒した人に出会うと、何か未知の世界のものを感じないではいられない。その足音に耳済まさずにはいられない。未知の世界の何かが、神秘の何かがそこに在る。神秘が彼を取り巻いている。その影の内部には、何か非常に神聖なものが在る。その動きのなかには何か聖なるものがある。それは、その人が一つの全体であるところから来る。
悟りはあなたを一つの全体にする。サマディはあなたを一つの全体にする。もう意識と無意識の間に区別はない。その二つのあいだに、突然橋がかかる。全体が意識のなかに入るのだ。
それはこんな風に捉えていいかもしれない。
夜、一軒の家を見たとする。なかには灯りがともっていない。すると誰かがなかでランプを火をつける。と、その家の質全体に変化が起こる。道行く人々も、その家に灯がともっているのに突然気がつく、質そのもが変わったのだ。窓から、戸口から、割れ目から、その光りは外に漏れ、輝く。
家はもう暗くない・・・・
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純日本人ですが、ペルーに渡った途端に不思議な能力が開花し、まったく誰からも教わらず、独自の治療法で多くの人を治してきたペルーの先生は、日本とペルーを3ヶ月毎に行き来し出して5年後、61歳になる直前に「悟って」しまい、その状態はまさに「何か起きても至福」で、しばらく何も喋れない・・状態でした。
ちなみに「覚醒した人」かどうかは、動物さんにはよ〜く「分かる」ようで、プードル蘭ちゃんの先生に対する態度はまさに、
「そこで人は、再び動物のように、一つに、一体となる」
を体現していて、私たちを含め他の誰とも違っていて、まったく隙間がなく「一体」でした。
そんなペルーの先生は2012年4月、突然、逝ってしまいましたが、もし、あの時ピンコロで逝かず、今回の「コロナ渦」を体験したとしても、至福の状態は変わらなかった・・と思います。
人は目覚めていけばいくほど、すべてを、たとえ悲しみであっても楽しむようになる。そうなったら、悲しみは夜のしじまのようにその人を取りまき、すべてが静まって沈黙する。鳥さえも唄わず、風も渡らない。あらゆるものが静かになり、すべてが深いくつろぎの内に落ちつく。
— OSHO bot (@osho_bot_jp) December 2, 2022
<神性なるもの>はあると私が言うとき
それは、何であれ存在するものはすべて神に満ちている、という意味だ
樹々の緑、そして赤い色も金色も–
すべてが神性だ
この烏の鳴き声、風に舞う小鳥、くすくす笑うこども、吠える犬–
すべてが神性だ
ほかには何も存在しない— OSHO bot (@osho_bot_jp) December 2, 2022
「レジリオンス」座談会では、家族や親しい友人が「打つ」のを止められなかった・・という話をよく聞きましたが、
そういった苦悩も「動物」さんにはあり得ないわけで、

人間とは不条理な「体験」を経て、やっと動物さんのように「完全にリラックスする」ことが出来る存在なんだと、深〜く実感した2020年からの「コロナ渦」でした〜

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