酵素カフェ

「アイ・アム・ザット 私は在る」に知る覚醒者の境地と「生命がすべてを作り出す」

「田んぼ」をやっていると、日々の天候・・特に台風って気になるな〜 と、

昨年と一昨年、「MY米作り」をさせてもらって、つくづく感じましたが、

部分的?9月19日八王子に降ったヒョウと最も難しい今生の「レッスン」

それはガーデニングでも同じで、7月14日朝に「萌木の村」に見学に行ったのは、

午後からは台風の影響で雨予報だったので、雨に打たれる前に見ておこう〜 と思ったからで、

5月末に植えたばかりの、MYガーデンのお花さんたちは、まだ「ひ弱」なので、

ちょっとよれていたコーカサス・ジャーマンダーには、添木をしておきました。

案の定、昨日15日の清里は1日中雨で、時折、強く降っていたので、

楚々と咲いていた、イエロー・ダイヤーズ・カモミールや、

イレーネドイルラベンダーは、雨でダメージを受けちゃったけど、

意外と丈夫だったのが、細長いアラビアンナイト・ラベンダーでして・・


そして「雨降り」でも、植物は着々成長するようで・・

「萌木の村」ではとっくに咲いていた、赤いイヌダテや、

ポトスの花が、

雨上がりの16日朝、ウチでも咲き始めていることに気づきました。

午後、昨日は1日中「家ごもり」だったベンガル・ピノちゃんと、少しだけお散歩したら、

お隣さんでは、西洋アジサイ=アナベルが花盛りで、

イヌダテも咲き出していて、

植えたばかりの、ボックセイジも無事でした〜〜

う〜〜ん、ひょろりと長〜い植物って、案外、雨に強いのかも?

もう10歳のピノちゃんも、細〜く、長〜く、生きて欲しいですネ!

よく、野生動物にはない病気(ガンなど)がペットに起きるのは、飼い主のマインド(マイナス感情)が投影されるからだ・・と言われたりしますが、ペットフードの影響を指摘する向きもあり、いずれにせよ、そういった原因追及は、あまり意味がナイのかも? と、

40歳で「悟り」、54歳から教えはじめ、84歳で逝去した、マハラジのお言葉を読んでいて思いました。

覚醒者マハラジが説く「人類の底無しの愚かさ」への対処法に学ぶ「選挙への心構え」

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<真我だけが実在だ>

マハラジ:世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。それは在り、しかもそれはない。私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこに在る。私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。それは原因がなく、 何の目的にも仕えない。それは私たちが放心しているときに起こる。まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味もない。ただその傍観者だけが実在なのだ。彼は真我ともアートマとも呼ばれる。真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れられてしまう。ただの色鮮やかなショーに過ぎない。何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、あるいは笑い転げさせようと、つねに彼はそれがただのショーだと知っている。欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。

質問者:世界のなかに浸っている人は、多くの味わいをもっています。彼は泣き、笑い、愛し、そして憎み、切望し、また恐れ、苦しみ、そして楽しみます。無欲で恐れのないジニャーニ、彼の人生はどのようなものなのでしょう?彼は冷淡で無味乾燥とした高みにひとり超然としているのでしょうか?

マハラジ:彼の境地はそのような寂しいものではない。それは純粋で、原因がなく、希釈されない至福なのだ。彼は幸福であり、幸福が彼の本質そのものだ。彼はそれを守るために闘うことも、何をする必要もない。幸福は彼にしたがい、身体よりも真実で、マインドよりも身近なのだ。あなたは、原因なしで幸福はありえないと想像している。私から見れば、幸福のために何かに依存することはまったく悲惨なことだ。快楽と苦痛には原因がある。一方、私の境地は私自身のものであり、まったく原因がなく、独立した、疑う余地のないものだ。

質問者:舞台上の劇のようにでしょうか?

マハラジ: 劇は作品として書かれ、計画され、稽古されたものだ。世界はただ無から存在のなかへと立ち現れ。無へと帰っていく。

質問者:創造者はいないのでしょうか? 世界は創造される前には、創造神プラウマーのマインドのなかにあったのではないでしょうか?

マハラジ:私の境地の外にいる限り、あなたは創造神、維持神、破壊神をもつだろう。しかし、ひとたび私とともにあるならば、あなたは真我だけを知り、すべてのなかにあなた自身を見るだろう。

質問者:それでも、あなたは世界の中で機能しています。

マハラジ:めまいがするとき、世界はあなたの周りで輪を描いているかのように見える。手段と目標、 仕事と目的という観念に取りつかれて、あなたは私が一見機能しているかのように見るだろう。実際には、私はただ見ているだけだ。何であれ、為されることは舞台上で為されているのだ。喜びと悲しみ、生と死、束縛された人にとって、それらはすべて現実だ。私にとって、それらはすべてショーだ。ショーそのもののように非現実なのだ。

私はあなたのように、世界を知覚するかもしれないが、あなたはそのなかにいると信じきっている。ところが、私は世界を広大な意識の広がりのなかの、ひとつの真珠の粒としてしか見ていないのだ。

質問者:私たちは皆年老いていきます。あらゆる痛みや苦痛、弱さ、そして死が近づいていきます。 老年は快いものではありません。ジニャーニはひとりの老人としてどう感じるのでしょうか? 彼の内なる自己は彼自身の老衰をどう見ているのでしょうか?

マハラジ:彼は年を追うしたがって、もっともっと幸せに、そして平安になっていく。つまるところ、彼は古巣に戻るのだ。目的地に近づいた旅人が、荷物をまとめ、心残りもなく、列車を去っていくように。

質問者:明らかにそこには矛盾があります。ジニャーニはすべての変化を超えていると私たちは聞いています。彼の幸福は強くなることも、衰えることもありません。どうして身体的衰弱にも関わらず、年をとるにつれて彼はより幸福になるのでしょうか?

マハラジ:そこに矛盾はない。運命の一巻は終わりを告げようとしているーーマインドは嬉しいのだ。身体的存在の霧は晴れようとしているーー身体の重荷は日に日に減少していくのだ。

質問者: ジニャーニが病気だとしましょう。彼は風邪をひき、関節のあちこちが痛み、 焼けるようです。 彼のマインドの状態はどうなのでしょうか?

マハラジ:あらゆる感覚は完全な平静さとともに観照される。そこには何の欲望も拒絶もない。それはあるがままであり、彼はそれは愛情のこもった無執着の微笑みとともに見るのだ。

質問者:彼は苦しみに対して超然としているかもしれませんが、それでも、それはそこにあるのです。

マハラジ:それはそこにある。だがそれは問題ではない。いかなる状態にいようとも、私はそれをあるがままのマインドの状態として見るのだ。

質問者:痛みは痛みです。あなたはやはり体験するのです。

マハラジ:身体を体験する人は、その苦痛と快楽を体験するだろう。私は身体でも、身体を体験する人でもないのだ。

質問者:ではあなたが25歳の青年だとします。あなたの結婚が準備され、行われました。そして家庭生活の義務があなたの上にのしかかってきます。あなたはどう感じるのでしょうか?

マハラジ:たった今、私が感じているようにだ。あなたは私の内的状態が、外的出来事によって形づくられると主張し続けている。それはただそうではないのだ。何が起ころうと、私は変わらないままだ。私の存在の根底には気づきが、強烈な光の点が在る。この点がその本性によって輝き、空間のなかには画像を、時間のなかには出来事を、努力することなく自発的につくり出す。単にそれに気づいているだけならば、問題はない。しかし、分別心が存在のなかに現れ、区別をつくり出すと、苦痛と快楽が立ち現れる。眠りの間、マインドは停止しているため、苦痛や快楽も停止している。創造の過程は継続するが、注目はされない。マインドは意識のひとつの形であり、意識は生命の一つの相だ。生命がすべてを作り出す。しかし、至高なるものはすべてを超えた彼方に在るのだ。・・・

質問者:あなたは死を恐れてはいないのでしょうか?

マハラジ:私のグルのグルがどのように死を迎えたか話をしよう。死が近づいていることを皆に告げた後、彼は日々の日常の仕事を続けながら、食事するのをやめた。11日後、祈りの時間に、彼は歌い、手を元気に叩きながら、突然死んだのだ! そのように、二つの瞬間の合間にロウソクが吹き消されるように、誰もが彼が生きたように死ぬ。私は死を恐れてはいない。なぜなら、生を恐れていないからだ。私は幸福な生を送り、幸福な死を迎えるだろう。 惨めさとは生まれることだ。死ぬことではない。すべてはあなたがどのように見るかにかかっているのだ。

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う〜〜ん、故ペルーの先生は、「治療をする人で、話もしていると、60歳まで生きられない」と、おっしゃってましたが、

マハラジも、マハラジの弟子で、92歳で逝去したラメッシも、治療をする人ではなかったようですね。

シンプルでわかりやすいラメッシ・バルセカールの「ニサルガダッタ・マハラジが指し示したもの」

で、超不思議な「治療をする人」だったペルーの先生は、数回の臨死体験を経て、61歳になる直前に「悟った」のですが、その状態は言語を絶する境地であり、何か起きても嬉しい・・とおっしゃってました。

そして67歳でお亡くなりになるまでの間、時々、ポツリポツリとおっしゃっていたお言葉の意味が、「アイ・アム・ザット 私は在る」では、鮮明に語られています。

「マインドは意識のひとつの形であり、意識は生命の一つの相だ。生命がすべてを作り出す」

自我のある人間のマインド(意識)は、時に、歪む時がありますが、植物や動物の「生命力」には矛盾がなく、

そして植物にも「意識」がありますので、「秘露農園」の農作物が美味しいのは、真摯に見守り、愛情深く育てているからなんでしょうね〜〜

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