2025年9月の三連休は「大雨か猛暑」とのことで、
標高1200m以上の清里高原でも、年々「暑く」なってきている中、

先日、ちょっとしたトラブルが発生しました!
2年連続で、ペルーラムさんの南部町で体験させてもらった「MY米作り」、

昨年は、雑草抜きを頑張った甲斐があって、30Kgの大袋に3袋の大収穫となり、
おかげさまで「令和の米騒動」とも無縁で、籾の状態で保存し、少量づつ精米して食べていたのですが、最後の一袋に、白い小さな羽虫が発生しちゃったのです!
気づく数日前から、見慣れない羽虫が飛んでるな〜 で、てっきり外から入って来たのかと思いきや・・・大ショック。
で、まずは「天日干し」で、羽虫を追い出し、

コイン精米所に走り、ぜ〜んぶ、精米しちゃいました〜〜
備蓄するには「籾」の方がナイスなんですが、仕方ありませんネ。
後でペルーラムさんにこの件を話したら、「清里は涼しいので大丈夫かと思ってましたが・・」とのことで、実際、真夏までは大丈夫でしたが、秋口の高温と湿気でやられちゃったようです。
で、そうなると、精米しても危ない・・とのことで、「布団圧縮袋」を使って真空パックにする方法を教えてもらい、早速注文。
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これは掃除機を使わないで出来るタイプで、なかなか使い勝手がヨカッタです。

ラムさんの所では、この方法で「籾」のまま保存しているそうで、都度、精米すると「新米に近い食味」は、ウチも実感してました〜〜
①常温での保管できるので、冷蔵設備がいらない!
②玄米だと虫(コクゾウムシ等)が発生するが、籾だと発生しない!
③米が生きているので、玄米より長持ちして、籾摺り⇒精米すると新米に近い食味!
う〜〜ん、「百姓」というお言葉通り、農家さんって(特に無農薬だと)多岐に渡って、ヤルことが盛りだくさん。
そして、日本人にとって「お米」は、食の基本であり、故ペルーの先生が、終の棲家に南部町を選んだのは、息子のラムさんに「力のある食べ物」を託したからなのかもしれませんネ。
で、「目覚め」の体験後、「田舎に暮らし」て、「畑仕事」を始めたヘルメスさんは、
1975年生まれ。30代前半、人生上の挫折と苦悩を転機に、導かれるように真理探求の
道に入る。様々な教えを学び、寺で修業し、巡礼の旅に出るが、最終的に「全ては私
の中に在る」と得心、悟入する。数回に分けられ体験された目覚めにより、Oneness
(一つであること)を認識、数々の教えの統合作業に入る。
現在は静かな田舎に暮らし、独りで畑仕事をしながら、出会いが起きた探求者たちに
教えを伝えている。
〈在る〉という教えは、これまでの師たちの伝統的な教えであり、またいくらか統合
されたものに過ぎず、なんらオリジナルなものではないため、師たちの名前を借りて
〈ヘルメス・J・シャンブ〉と名乗り、初の著作となる『“それ”は在る』を執筆した。
本書は、聖ジャーメインの「準備はできている。世界に出て行きなさい」という言葉
を聴いた際に、突然思考としてやってきたインスピレーションによって書かれた。
マハラジ&ラメッシの教えを熟考し、「わかった」方で、
「熟考自体がどこにもたどり着かない」ことを「わかる」ためには、
「自らの体験と経験をもとに熟考する」と、言ってます。
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ある御方は言った。
「人には完全な自由意志があるかあるのか、それとも、全ては完全に決定されているのか。
この問題はまた後で触れることにしよう。
なぜなら、また後で触れることになるからだ。
それよりまず、理解すべきことが山ほどある。
続けて話していこう。
話を聞いたその瞬間、明確な理解が訪れなくても構わない。
それはまったく問題にならない。
だが、一つ一つが何を意味するのかを熟考するがいい。
自らの体験と経験をもとに熟考するのである。
今日理解できなければ明日も熟考するがいい。
そのようにしていれば、恩寵がやってきて、突然の理解が訪れる。
<私>は、そうか、そういうことか!と思うだろう。
そしてまた数年後に、同じ問題において、
そうか、そういうことか。昔は違う意味で捉えてしまっていたが。
実際は違うのだ、という異なるレベルの理解が再び訪れる。
そのような幾多の過程を経て、<私>はある日突然、爆発的飛躍を遂げるのである。
だから、今理解できないからといって、方向を見失ってはならない。
そしてまた、方向を見失うことはないだろう。
なぜなら、この話されている内容は、
この瞬間にもあなたの無意識に完全にプログラムされ続けているからだ。
思考とはコンピューターのプログラムに他ならない。
ライオンに噛まれた頭は、もはや逃げることはできない」
「では、熟考を続けていれば、やがて正しい解答を得られる、ということですね?」
「そうではない。
そうではない。
熟考を続けていく時、<私>はあることに気づき、理解するのである。
それは何か。
熟考自体がどこにもたどり着かないのだ、ということだ。
知的探求は、自分をどこにも連れて行かない、ということだ。
その時、<私>は求めることを全て止め、<在る>に留まるようになるのである。
無欲、これこそ 偉大な智慧だ。
静止、これこそ最も偉大な行動なのである。
よって真に成熟した者は、今この瞬間、全てを止めるのである。
もはや、何も知る必要がない、と。
それは無駄だ、と。
それができないなら、知識を求め、得た知識を熟考し続けるがいい。
やがて、その熟考が、無欲、静止という智慧をもたらすだろう。
その時もまた、今この瞬間なのである」
「わかりました」
「だがいいかね。 静止とは単に行動の静止を意味するのではない。
これを理解しておくがいい」
探求者はお辞儀をして、ある御方の話に再び傾聴した。
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それ は在る―ある御方と探求者の対話
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「ライオンに噛まれた頭」の例は、ラメッシさんも使ってましたが、
ラメッシさんの、「機能する心」と「考える心」の違いは重要で、
よーするに、何もしないでブラブラしていると、「考える心」が優勢になり、鬱っぽくなりますが、「状況に応じ、必要なことをやり続けて」いると、機能する心が稼働します。
そして、「目覚めた」からといって、表面的には何も変わって見えない・・というヘルメスさんのお言葉もその通りで、
ラムさん曰く、ソレ以降の先生は、治療の腕は上がったけど、あまり喋らなくなり、そして夫婦喧嘩が無くなった・・そうです(笑)。
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探求者は尋ねた。
「師よ、目覚めた後はどうなるのですか?」
「まず、目覚めが起きても、目の前の世界の景色が消え去るわけではない。それは、あるがままに、そこに存在している。
だが、もはやその世界が目覚めたものに影響を与えることはできない。
なぜなら、影響とはそもそも、無知なる<私>が自分自身に与えていたものだからだ。
目覚めたも者、彼、彼女は、自分には必要なものなど一切ない、と自覚している。
また、すでに自分は完全に満たされているということも自覚している。
彼、彼女には、満たされていないことなど想像もできない。
それでも、完全に満たされている彼、彼女は、
表面的には、死ぬまで食べ、飲み、眠り、また働く。
彼、彼女が働いているのではない。彼、彼女の身体の機能が働いているのである。
目覚めれば、生活の一切が必要なく、どこか超人のようになって生きていく、ということではない。
ゆえに、禅では有名な言葉がある。
『目覚める前、薪を割り、水を汲む。
目覚めた後、薪を割り、水を汲む』と。
目覚めが起きても、彼、彼女は怒るかもしれない。
喜び、悲しみ、また苦しみを感じるかもしれない。
笑い、また泣くかもしれない。
また、ほとんど感情がないように見え、
その行動は常に穏やかでゆったりとしたものになるかもしれない。
それがどのように見えても、彼、彼女は非常に敏感である。
以前より感受性が増し、より繊細になるからだ。
その鋭い感性は表現しがたい。
しかし同時に、それら知覚可能なものはどれも、
自分自身ではないことを完全に認識している。
場合によっては、知覚可能な世界を一切知覚しておらず、
まったく無意識になっている。
つまり、目覚めた者とは、ただ自身の完全さだけを観ている者なのだ。
彼、彼女は食べ物がなくて空腹を感じていても、
それが身体のものであり、自分が不足しているのではないことを自覚している。
『おい、腹が減ったぞ』と言ったとしても、だ。
痛みは感じるだろう。だが、その痛みを身体のものであり、
自分が痛いのではないことを完全に自覚している。
『おい、痛いぞ』と言ったとしても、だ。・・
彼、彼女は思考や精神や感情ではない。
彼、彼女は身体ではない。
彼、彼女は完全そのものであり、
彼、彼女は自身が完全であることを完全に自己認識しているのである。
彼、彼女は表面的には普通の人間に見えるだろう。
ゆえにほとんど誰も気づくことはないだろう。
それでも彼、彼女は何かが違う。
どこかがおかしい。
どこか理解に苦しむ。
必ず、誰もがみな、彼、彼女は何かが違うことを感じ取る。
だがそのように感じても、わからない者たちは、何が違うのかがわからない。
周波数が合わなければ電波を受信することができないように、
まったく異なる周波数に生きている者たちは、まるで理解ができない。
彼らはまったく同じ世界いながら、まったく異なる次元に生きている。
わからない者たちは自身の観念の範囲内によってしか判断できず、
また、理解しようとする前に、目の前の事象に忙しくなる。
よくわからない他者よりも<私>が優先だからだ。
しかしそれもまた、必要なことなのだ。
それもまた、すでに書かれていることなのだ。・・
また他の誰かはその自由の輝きに導かれて、近づいていくかもしれない。
それはほんのわずかな人だけだろう。
それでもそのわずかな人は必ず近づいていく。
生徒となるべき者は、必ず先生を見つけ出すからだ。
彼、彼女はただ<在る>。
それは外見的にはまったくわからない。
それは外見的なものではないからだ。
彼、彼女のそばでは、誰かが恐れ、誰かは幸福を感じる 。
まったく無名のまま生涯を終える者もたくさんいる。
なぜなら、目に見える現象世界に対して、
特別何かをする必要がないからだ。
有名になる必要などない。
有名になるなんてもはや考えもしない。
それでも、教師の役割がある者は、それに従うだろう。
彼、彼女が従うのではない。彼、彼女の身体の機能全てが従うのである。
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それ は在る―ある御方と探求者の対話
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この書は2013年に出ていて、

ヘルメスさんの言い回しは、とてもシンプルなんですが、5年前にサラッと読んだ時より、
マハラジ&ラメッシを読んだ後の方が、どんどん入ってくるので、
2022年に出た最新版も、読んでみることにしました〜

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と言うわけで、悟った人も、そうでない人も、「死ぬまで食べ、飲み、眠り、また働く」のは確かですから、
猛暑続きの2025年も、

無農薬でお米を作ってくれているペルーラムさん夫妻に、深く感謝です!
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