酵素カフェ

柳田国男の「御先祖になる」に学ぶ日本の家族・農業の未来

ナチュラルな「庭」は素晴らしいけど、ほったらかしではなく、

よく観察し、ある程度、人の手が入ることで、

より生命力が増すと、「萌木の村」のポール・スミザーさんはおっしゃってます。

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私がめざしているのは、自然をお手本にした庭だ。植物の性質を知り、その声に「なるほどね」と耳を傾け、その植物たちが好きな場所に植えること。太陽の光と雨水と有機質たっぷりの土だけでたくましく生きる自然の植物と同じように、栽培も植栽も、化学肥料や農薬に頼らないことも含めての「ナチュラル」だ。

ただ、私の考える自然は、人の手の入らない原生林ではない。昔から人が生活のために、炭焼きなど、定期的に手を入れることで、山の植物の活力も保持されてきた、人と共生する「自然」。雑木林の里山だ。好きな環境で無理をさせなければ、植物は生命力を高め、少々の病気や虫には負けはしない。人と同じなんだ。その分、人は手をかけずに済み、楽ができる。双方とも楽チン。でも、手はかけなくても、目はかけてほしい。眺めたり観察したりして、じっくりつきあっていると、植物の方からいろんなことを教えてくれる。

「自然」を庭に取り込む庭は、虫や鳥などを呼び、本来の生態系を取り戻す。そう、これはビオトープと通じるところがある。ただ違うのは、庭としての美しさ、快適さだ。雑草が伸び放題の状態をナチュラルと思っている人がいるが、散歩したり近づいて植物を眺めて楽しむという目的の庭は、すっきりと片付いていなければ見苦しい。

絡み合った枝は払い、ぎゅうぎゅうの下草は株分けしたり移したり、最小限の世話はしてやろう。たとえしなくても、植物は何も言わないが、した方が断然美しい。しかも、風が通り光が入って何より、なにより健康、これも庭としての「ナチュラル」だ。

日陰でよかった!
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8月27日、朝採り「とうもろこし」をゲットしに、8時頃「萌木の村」を通ったら、

12日、旦那さんが退院してきた日以来ですが、

2025年のライオンズゲート「神の意志でないかぎり、何ごとも起らない」を実感しました〜

その時より、ビオトーク沿いがスッキリしていて、


オオロベリアソウが花盛りで、

ルドベキアとシオンがコラボしてました〜

秋明菊が咲く準備をしているのを眺めながら、

「とうもろこし」をゲットして、再び、オルゴール館前から帰る途中、

背の高〜い、三尺バーベナに、

蝶々がヒラヒラ・・

そして前方には、西側お隣さんに来ているガーデナーさんが・・彼女も背が高〜いので、スグに分かります。

なんでも、ビオトーク沿いは、昨日、彼女が手入れしたばかりとのことで、「見てくれて、嬉しい!」と言ってました。

とか、お喋りしてたら、毎年、春先のスイセンが素晴らしい、

南側斜め前の家のご主人が、ワンコ2匹連れで通りがかったので、ガーデナーさんを紹介したら、「今は薔薇が盛りなので、見に来てください」とのことで、東京で20年間、保育士をしていた背の高いガーデナーさんは朗らかで、とても社交的です。

91歳の西側お隣さんとは長いお付き合いですが、昨年から彼女が手伝うようになり、ますます、お隣さんは元気になり、

乙女座新月に知る一番の認知症予防とマハラジの「言葉が覚醒へと働きかける」

「萌木の村」で働く、彼女のおかげで、今年はフィールドバレエを鑑賞出来ましたが、

8月7日ライオンズゲート絶頂期に踊った75歳のプリマドンナに学ぶ「あなた自身への愛を完全なものにしなさい」

お隣さんは、フィールドバレエの翌日に調布にお戻りになり、

お盆の頃、ウチへの贈り物と一緒に、

大量の「芋けんぴ」が送られて来まして・・お預りしてました。

で、お隣さんとはジンクスがあって、私が(単独で)東京に行くと、清里に来る・・ので、この件を旦那さんに言い置いていたのですが、ビンゴで、私が出発した日に来たそうです(笑)。

お隣さんとMY両親は同年代なので、参考になる点が多々あり、例えば、ご主人がまだ元気な頃、「三男だから、雑に扱われた」とか言ってるのよ〜 と、おっしゃってましたが、MY父は7人兄妹の末っ子なので、さぞかし・・なんでしょうネ(笑)。

少し若い世代ですが、Y姉さんのご主人は5人兄妹の長男で、長男の嫁として同居した時分は、兄妹達も一緒に住んでたそうで・・今では、ちょっと考えられない家族構成ですが、一昔前までは、それが「フツー」だったようで、

柳田国男(國男)が、民俗学に芽生えたのは、その「フツー」さのルーツ探求です。

<柳田 國男>

1875年(明治8年)7月31日 – 1962年(昭和37年)8月8日)

東京帝国大学法科大学(現在の東京大学法学部)を卒業して農商務省(現在の経済産業省・農林水産省)官僚となり、貴族院書記官長(現在の衆議院事務総長/参議院事務総長に相当)まで昇り詰めた。退官して約20年を経た1946年(昭和21年)に枢密顧問官に補され、枢密院が廃止されるまで在任した。・・・

「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。初期は山の生活に着目し、『遠野物語』で「願わくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」と述べた。日本民俗学の開拓者であり、多数の著作は今日まで重版され続けている。・・

父は儒者で医者の松岡操、母たけの六男(男ばかりの8人兄弟)として出生した。・・

生家は街道に面し、さまざまな花を植えており、白桃、八重桜などが植えられ、道行く人々の口上に上るほど美しかった。生家は狭く、國男は「私の家は日本一小さい家」だったといっている。家が小さく、親夫婦と長男夫婦が同居できる大きさではないのに、無理に同居させたことから嫁と姑との対立が生じ、長男夫婦の離婚を招いたことが、幼き日の國男に強い影響を与え、民俗への関心[家(および家屋)の構造への関心=民俗学への志向]はそこから芽生えた。

wikipedia

これがその「日本一小さい家」ですが、素敵な日本家屋ですネ。

で、東京大空襲の最中、日本という国、日本民族の行く末を、「祈る」がごとく執筆した「先祖の話」には、

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先祖の話 柳田国男集 (古典名作文庫)
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🔸大東亜戦争で東京大空襲を受けている時に、柳田国男が執筆したとされる本書「先祖の話」。身の危険がある中、書いておかなければと選ばれたテーマで、81編から成り、各編は短めで一気に書き上げられたと思われる。

戦争による戦死者、戦災者には兵隊もいれば非兵隊もいる。いずれにせよ、先祖を弔う単位である家そのものを戦死や戦災によって全喪失した場合、御魂は誰にも弔われなくなる。国家が準備する慰霊碑や慰霊神社は、ためにする後付けであり、日本で連綿と続けられて来た、先祖を弔う代替になり得ないという問題提起。
日本人は先祖をどのように弔って来たのか、日本人の社会意識、社会行動を分析、記述して残し、それを基礎に考えるべきとする。正月と盆は別ものと考えられているが、そもそもは先祖を弔うことにおいて同じであった・・・

今となっては、文化や習俗、記憶としても残っていないものもあり、山の神と田の神は同じであったとする記述も研究者でなければ興味が湧かないかもしれない。戦後のTV普及に始まり、コンビニ24時間営業以降、日常のハレとケの境目は消失し始め、バレンタインや恵方巻、今やイースターまでやりはじめ、柳田国男が現代にタイムスリップすれば驚嘆するに違いない。戦争は一切合切を破壊する。当初の問題提起は、その後、何ら解決されていない。

Amazonレビューより

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昔はフツーに使われていたらしい・・「御先祖になる」という言い方について書かれていて、なかなか興味深かったです。

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<御先祖になる>

先祖という言葉の意味が、新しい学問をした人の考えているのとは、その間に大分の開きがあるということを前に説いたが、その似つかわしい実例として、「御先祖になる」という物の言い方がある。文句が新しく印象が強いためか、私などの小さい頃にはよく用いられ、学者といってもよい人の口からも聴いたことがある。例えばここに体格のしっかりとした、目の光がさわやかで物わかりの良い少年があって、それが跡取り息子でなかったという場合には、必ず周囲の者が激励して、今ならば早く立派な人になれとでもいう代わりに、精出して学問をして御先祖になりなさいと、少しも不吉な感じはなしに、言って聴かせたものであった

親たちが年をとって末の子の前途を案じているような場合にも、いやこの児は見どころがある。きっと御先祖様になる児だなどと言って、慰めかつ力附ける者が多かった。その意味は、やがて一家を創立しまた永続させて、私の家の柳田与兵衛などのように、新たに初代となるだけの力量を備えているということを受け合った言葉である。人に冷飯食いなどとひやかされた次男坊三男坊たちは、これを聴いてどれくらい前途の望みを広くしたかわからない。実際また明治年間の新華族というものの、半分はそういう人たちであった。

それをもう大分久しい間、耳にする折がなくていた私は、最近になって偶然に、自分で御先祖になるのだという人に出会ったのである。南多摩郡の丘陵地帯を、毎週の行事にして歩きまわっていた頃に、原町田の町に住む陸川という、自分と同じ年配の老人と、バスを待つ間の会話をしたことがある。

我が店のしるしを染めた赤い新しい半纏を重ね、ゴムの長靴をはき、長い白い髭を垂れているという変わった風采の人だったが、この人がしきりに御先祖になるつもりだということを言ったのである。生まれは越後の高田在で、母の在所の信州へ来て大工を覚えた。兵役の少し前から東京へ出て働いたが、腕が良かったと見えて四十前後にはやや仕出した、それから受負と材木の取引に転じ、今では家作も大分持って楽に暮らしている。子供は六人とかで出征しているものもあるが、大体身が決まったから、それぞれに家を持たせることが出来る。母も引き取って安らかに見送り、墓所も相応なものが出来ている。もうここより他に移って行く気はない。新たな六軒の一族の御先祖になるのですと、珍しく朗らかな話をした。

一時にほぼ同等の六つの家を立てて、おもいやに自分を祀らせようというだけは、少しばかり昔の先祖の念願とは違うが、ともかくもそれを死んだ後までの目標にして、後世子孫のために計画するということは、たとえ順境に恵まれて他の欲望がなくなったからだとしても、今時ちょっと類のない、古風なしかも穏健な心掛けだと私は感心した。

日本の家族制度では、過去三百年以上の久しきにわたって、ちょうどこの陸川老の腹の中のように、家の根幹を太く逞しくしようとする長子家督法と、どの子も幸福にしてやりたいという分割相続法と、二つの主義が相闘いまた妥協し続けていた。・・

家を強くするということは、総領の権力を大きくしておくことであった。もっと詳しく言えば次男以下の者に、長兄とは比べものにならぬような悪い生活を辛抱させることであった。家の一番早く弱るのは、農産物の収穫の減ずることで、これでは多くの人を養うことが出来ず、今の言葉でいうと栄養が足りなくなるからである。・・

やたらに分家を出し田地を分けようとしなかったのは、必ずしも古い慣習の力ばかりではない。第一にそんなことをすれば毎年の家の祭や法事が淋しいものになり、前々の格式が保ち難くなるからである。親は末の子の愛情のために それくらいは我慢するとしても、それでは代々の御先祖様に対して、申しわけがないと感じたからである。世間もとかくにこういう点にばかり注意の目を集め、少しでも今までの仕来りを省くようなことをすると、すぐに何とかかとか噂をしはじめる。家が衰えかかったという意識もこんなところに萌し、それを警戒するために旧家門閥では、皆苦心をして分家の問題を考究していたのである。

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次男以降が、一代で自ら道を切り開いて、新たな系譜を作ることを「御先祖になる」という言い方をしていたのですね。

もっとも戦前からすでに、この「御先祖になる」という言い方は、フツーには使われなくなっていたようですが、

そういう「感じ」を、MY父世代は引きずっているので、長男の嫁が介護問題にいっさい「ノータッチ」なことを、「フツーじゃない」と、しきりに言ってましたが、最近では、受け入れ(あきらめ)たようです(笑)。

「40歳から13年間父親の介護」した高島礼子さんはA級ライセンス・ドライバーだった!

そういえば、二人の息子さんがいるお隣さんも一度だけ、胃ガンで入院した際、嫁さんたちが全然来なかった・・とか言ってましたが、前述の父の愚痴話をしたら、「今の人は、お互いの両親はそれぞれで看る・・なんですよね」と、おっしゃってましたので、しっかり認識を「新たに」したようです。

よーするに、戦前までの日本では、「家の根幹を太く逞しく」するために、長男が家督を「受け継いで」来たわけですが、

今でも、ソレが強く残っている家って、天皇家くらい?

それはともかく、その昔、地方から東京に出て来た方々のほとんどは、長男以下だと思われ、

旦那さんの両親は山形の人で、義父は次男だったので、長男に田地は譲り、祖父はその代わりに、西荻に土地を買ってくれました。

その当時の西荻ってド田舎で・・1952年生まれの旦那さんが子どもの頃、家の前の道が舗装されてなかったそうですが、こんな感じかな?

1959年 「昭和の日常」「秋の山」8ミリフィルム映像

旦那さんの話では、「オヤジは百姓をしたかった・・」そうですが、結局、山形では農業を継ぐ人がいなくなり・・田地は手放すことになりました。

背の高〜いガーデナーさんも山形の方で、ご両親はもう亡くなってますが、コロナの時、親戚から「帰って来るな」と言われたそうで、農業は先細りでも、ご近所の「噂」を気にする風土は変わってないようです。

昨年と一昨年、ペルーラムさんの南部町で「米作り」をさせていただき、

日本人の「農業離れ」を打開する、新たな風を感じましたが、

柳田国男の「先祖の話」で、イイ悪いは別にして、昔の家族制度・長男優遇は、「食糧」確保のためだった・・ことが理解出来ました。

しかし、今の日本には、少しは「目はかけてほしい」、ほったらかしになってる田地が沢山ある状態でして・・日本ルーツの根幹=「農業」「米」を絶やさないためには、家族制度を超えた新たな助け合い、楽しめる農業であることが大事であると共に、

日本国政府は、この問題にちゃんと「目をかけない」と、「代々の御先祖様に対して、申しわけがない」と、真摯に思いました!

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