「フライング・バットレス」を使った中世ゴシック建築の傑作、パリのノートルダム大聖堂は、
4月16日の火事で、一番高い「尖塔」部分を失ってしまいましたが、
尖塔の先端に取り付けられていた銅製の風見鶏の像が、
「奇跡的に無事」だったとのことで、
改修工事のために、貴重な遺品も移動されてましたし、
何よりも、死傷者が一人も出なかったのが幸いです。
しかし、この火災についてのフランス政府の対応が「早過ぎる」と米メディアは伝えます、
パリ・ノートルダム大聖堂の火災で、仏当局が放火の可能性はなしと早々に判断したのは間違いだ──米FOXビジネスのキャスター、ルー・ドブスは、そう示唆した。
火災発生から一夜明けた4月16日、ドブスは数人の右派コメンテーターが唱える陰謀説に呼応し、火災の原因を調査もできない段階で、放火ではないと発表した仏当局に疑義を呈した。ただ、その根拠は明らかにしなかった。
火災発生後まもなく、仏当局は放火の可能性を否定し、「火災による偶発的破壊」との見立てで調査を開始した。火災が起きたとき、大聖堂では大規模な修復工事が行われており、報道では、この作業に関連した何らかのミスが火災を招いた可能性があると伝えられた。
しかしドブスは、これは「政治的な判断」だという。「わずか数時間で仏当局は放火という1つの可能性を排除した。たった数時間で。別の思惑が働いたと言わざるを得ない」と、ドブスは視聴者に言った。「事実の慎重な調査に基づく判断ではなく、政治的な判断だ」
今や公式メディアが、インボーをほのめかす時代となりましたが、
西洋建築史的には、つっかえ棒である「フライング・バットレス」が開発されたことで、
「適正な低さ」だったロマネスクから、「異様な高さ」のゴシックへと移行しました。
ロマネスク:適正な低さ、厚い壁、小さな開口、シンプルなヴォールト、自給自足の場
ゴシック:異様な高さ 薄い壁、大きな開口 複雑なヴォールト、都市の中心
<フライング・バットレスの奇跡>
高さへの追求を可能に。
高さ、薄さを追求したからこそ、つっかえ棒が必要である。
外部空間で構造を担当し、内部空間から重力をなくす。
バットレスの複雑な表現がさらに構築製を倍化させる。
フライング・バットレスこそが、マジックの種。全体の構造とすれば合理的だが、断片的には成立しえないかのような空間ー「奇跡としての建築、奇跡のような建築ではなくて、建築で奇跡をつくる。
<ゴシック建築を支えたもの>
1:自治都市の誕生→修道院から都市の公共建築としての教会へ
2:職人層の台頭、ギルド(組合)の誕生、徒弟制度、世襲制、技術の私的所有
3:キリスト教を中心にした国家共同体の表現としてエスカレート
「フライング・バットレス」建築物の特徴は、
表と裏で、まったく「見え方」が違うことにあり、
ノートルダムは正面より、
背後のほうが美しく見えるのは、
「フライング・バットレス」構造だからです。
中世オカルト期、ゴシック建築は荘厳な「国家=教会」の権威の象徴として、どんどんエスカレートしましたが、
イタリア、フランスではそのうち「飽きられちゃった」とのことで、
しかし最後まで、「ゴシック」に飽きなかったのが英国で、
ケンブリッジ大学のキングス・カレッジ・チャペルにも、
部分的に「フライング・バットレス」が使われています。
世界最大のゴシック建築は、ドイツのケルン大聖堂で、
フランスで知り合ったドイツ人のベラちゃんが案内してくれましたが、圧倒される大きさです。
パリ・ノートルダムはロマネスク様式を一部残しつつ、
「フライング・バットレス」を効かせた初期ゴシック建築の傑作ですが、
しかしながらキリスト教と無縁な自分が、建築物としてではなく、神と繋がる「教会」として感動したのは、
フランスの真ん中、オーヴェルニュ地方のクレルモン=フェランが唯一でして、
火山岩の街であるクレルモン=フェランには二つの大きなカトリック教会があり、
「被昇天聖母大聖堂」が黒いのは、火山から切り出された石で作られたからで、
「被昇天聖母大聖堂」はゴシック様式です。
もう一つのノートルダム=デュ=ポール寺院はシンプルなロマネスク様式で、
30年も前のことなので、どちらの教会だったか定かではないのですが、多分「黒い教会」の方で、
内部に入ってすぐ、涙がポロポロ出てきて、
沢山の人の「祈り」が蓄積された場であるように感じました。
被昇天聖母大聖堂の歴史は古く、5世紀に司教座が置かれ、10世紀にロマネスク様式の聖堂が建設され、
13世紀にゴシック建築の大聖堂を造り始め、19世紀に完成し、
先端のマリア像が、クレルモン=フェランの町並みを見守ってきました。
ロマネスクの前は、プリロマネスクと呼ばれてますが、
プリロマネスクは「長堂式」とも呼ばれる、お堂のようなバシリカ建築様式であり、
「バシリカの起源は木造形式」とのことで、
これは北フランス・オンフルールのサント・カトリーヌ教会で、
フランスで最大の、かつ最古の木造教会は、
もともとは石造の教会だったのが、イギリスとの百年戦争(1337~1453年)で破壊されてしまい、木で建て直しましたが、形式はゴシック建築です。
全体に、中世ヨーロッパの教会は暗〜い感じで、あんまり長居したくないなぁ・・だったのですが、
「木」であることが、こんなにも「暖かみのある」印象に変えるのかと驚いたのがサント・カトリーヌ教会です。
で、やはり暗〜い印象が少々あった、パリ・ノートルダムでは、
パリ在住の日本女性(ダンサー)情報によると、「怪しい儀式」が行われていた・・とのことです。
数年前、PFCのパリチームにいた時、いくつかの建物の周りをグループの仲間とちとひっそり歩き、光をおろしたことを思い出しました。
このチームの情報によると、Paris という名は、Par ISIS(イシス経由)の意味があるとのこと。つまりイシスのネットワークの一つの重要なポイントだったということです。そして陰謀者たちはイシスの名を乗っ取り、そのパワーを利用したと、どこかで読みました。
フランス留学中、フランスだけでなく、ヨーロッパの各地に旅行する際、
一度パリに戻って・・というパターンが多かったのですが、
ヨーロッパの文化・交通網の中心であるパリの周波数を落とすために、
本当にノートルダムが使われていたのなら、
心機一転、燃えてしまったのはかえってイイことなのかもしれません。
というのも、2013年にローマ法皇がチャンジしてから、
ベネディクト16世(ドイツ出身・2005年〜2013年)
なんとなく、明るくなったような・・・気がしなくもなく、
フランシスコ(アルゼンチン出身・2013年3月13日就任)
実際に5年前、つまり法皇がチャンジした直後にバチカンに行った方の話では、
広場に法皇が出てきた途端に、それまで曇っていた空がサッーと晴れて、
「感動した・・」と言ってました。
その方は40代の美容師さんで音楽好き、全然カトリック信者ではありませんが、
「ひと目見よう」と集まった人々に、
応える姿勢がないと、消えゆく運命にあることを知ってる法皇さんなのかもしれませんネ。
昨年から美容院を変えたのですが、たくさん美容師さんがいる店なのに、二度続けてその方に当たって、カットも上手なので指名してお願いしてますが、
彼と話しているうちに、その美容院が入ってるビルのオーナーさんが、20数年前にMちゃんと知り合ったバイト先「本屋」のオーナーさんと同一であることが分かって驚きました。
このブログを作ってくれたオカベ師匠は、Mちゃんの旦那さんです。
ペルーの先生にMちゃんとオカベ師匠を紹介したことから、再びMちゃんとガッチリ繋がり、お二人は結婚した次第です。
個人的には、こういった偶然がどんどん多くなってるのが「面白い!」と感じる今日この頃で、
陰謀論では「悪の巣窟」とされているイエスズ会ですが、
ネット情報を見始めの頃、「おおっ!」と驚いたインボーの流れも変わってきてるようですし、
何より「フライング・バットレス」と同じく、ものごとは「見る」角度で全然違う印象となりますので、
*長野の知人が20年前に撮ったノートルダム
ペルーの先生の7年目の命日に起きたノートルダム大聖堂の火事は、地球「再建」の象徴かもしれませんネ。
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