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人間本来の寿命と自己奉仕で収穫された第四密度の世界

人間本来の寿命と自己奉仕で収穫された第四密度の世界

日本人は「見えない存在」を信じている人が結構多いけど、その多くは、

「ご先祖様」とか「亡くなったペット」とか、あるいは「守護霊様」とか、いわゆる「霊」と呼ばれているモノで、

「宇宙人」だと、何だかSF映画の世界になっちゃいますが、

1981年に行われたチャネリング情報である「ラー文書」によると、

実際のところ、地球人類に「感化を目的」として来ている宇宙存在には、

約3600年前にやって来た「オリオン・グループ」と、

約3300年前にやって来た「惑星連合」という存在がいるそうです。

この方々がはるばる辺境の地である地球に留まっている理由は、

地球は今、2万5千年×3=7万5000年で起きる「収穫」周期の最終段階にあり、

「オリオン・グループ」は主に「自己奉仕での収穫=ネガティブ」を、

「惑星連合」は「他者奉仕での収穫=ポジティブ」を、

それぞれ支援することが目的とのことです。

スピ界ではよく、マヤ歴の終焉である2012年頃に地球で「アセンション」が起きると言われてましたが、

正直なところ「アセンション」って何なのか、今一つピンと来なかったのですが、

「ラー文書」では「収穫」という表現をしており、「収穫」なら大変イメージしやすいです。

不思議治療士の友人、ペルーラム君は今、無農薬栽培に夢中で、
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種を蒔いて芽が出、丹精込めて世話した作物が無事に「収穫」され、

それを「美味しく」味わうことは無上の喜びとのことですが、

どんなに途中まですくすく育ってても、台風やらの自然災害や、

そしてラム君の話では「猿」にやられちゃう場合が結構あるそうで、
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憎たらしいことに「猿」は、大根などを片っ端らから引っこ抜いては一口かじって捨てちゃうとか、生命の掟に反するような「遊び」をするそうです。

で、「ラー文書」によると7万5千年前から始まった人類史において、

最初の2万5千年目での「収穫」はゼロで、

2番目の2万5千年目の時は、「収穫可能な人々」がごくわずか存在したけれども、

その「収穫可能な人々」は自らの意志で、残った人々を支援するために、

あえて「収穫」されずにいたので、結果として2回目も「収穫」ゼロでした。

この、あえて「収穫」されずに地上の人々を支援する目的で残った人々のことを、

仏教では「菩薩」、あるいは「如来」と呼んでいるのかもしれませんが、

「菩薩=観音様」は多くの人に手を差し伸べて助ける、
b-senzyu11men06修行中の身であるのに対して、

薬師寺などの「如来」は、
photo_hotoke_top01ブッダ・・悟りを開いた人と定義されてます。

見えない世界からの支援にもいろいろなレベルがアルようで、

「如来」レベルだと直接は手を出さないで、「見守る」だけで支援しちゃいます。

さて、「ラー文書」で画期的だったのは、

ネガティブでも「収穫」はあり得るという初耳情報で、

「収穫」というのは、要するに「第3密度から第4密度への進級」なのですが、

ポジティブ進級とネガティブ進級では、そのクラスの様相は全然違うようです。

<Session38 質問14 自己奉仕で収穫された第四密度はどんな世界?>

質問者: 了解しました。 それではあと一つだけ、この質問だけをさせて頂きたいと思います。 私が此処に抱えている疑問として…、第四密度上のネガティブ側の惑星の一つとは、どの様な状態の内に置かれているのか、もしくは他の表現では、第四密度上の自己奉仕型の惑星の一つとは、此れがどの様な状態の内に置かれているのかについて、貴方から何らかのお話を行って頂く事は可能でしょうか?

ラー: ラーです。 第四密度ネガティブ側世界への進級とは、以下の様な存在らによって其れが成し遂げられる事となり…、(その緑色光線を欠いた状態の中で)、その赤色光線、オレンジ色光線、そして黄色光線のエネルギーらのみを利用する中で、意図的・恣意的に、覚醒無限(intelligent infinity)との接触を果たした者達、その様な者達によって達成される所の出来事となっております。 

従って、(これら下位の三中枢らとは、生存・自我・社会性と関係した所の中枢でありますので)、第四密度ネガティブ側の惑星状況とは、存在達による(自らの順位に関する)絶え間ない調整と再調整からなる所の活動(闘争)が含まれたものとなって参り…、其処に於いては、(各自の)エネルギーを結合・結集させるという目的の下、その為の方法としては、”他を圧倒する・制圧する”という行動パターンが用いられる事となり、この努力の下、上の絶え間ない調整と再調整からなる所の活動が行われる事となって参る、という事であります。

この様に、(ネガティブ側の)第四密度の初期とは、(全密度らの中で)最も苛烈な闘争が行われる所の密度の一つとなっております。 

その後、”権威”と呼ばれる所の序列が確立され、それぞれが、この権力構造の中で自身にとって適切な位置・序列に配置されたと納得が為されるまで、この戦いが続けられる事となり、この状態の後に、社会記憶複合体が出現して其の活動を開始させる事となります。 

其処に於いては、存在らの間で対話が行われ、第四密度的性質からなるテレパシー機能が用いられる際には、常に、存在らの間では、その思考が”透明状態”の内に置かれる事が試みられており…、其の事によって、この権力という構造物の頂点に位置する者達、彼らが(下位の存在らの思考を見通す事?)が可能となる事が試みられております。

ただ、この様な抗争・分裂状態とは、貴方からも御理解可能な様に、第四密度ネガティブ側の存在達が更に分極化を行って行く際には、多くの場合、此れが非常なダメージ・損害となって参り…、というのも、更なるネガティブ側への分極化作業もまた、”集団的努力”を通じてのみ此れが発生する事が可能となっているからであります。

 ともかくも、この様にして、(ネガティブ側の)第四密度存在達がその結合・集団化にかろうじて成功すると、その後、彼らとは、自己への奉仕活動を通じて…、オリオンの聖戦士らによって自己への奉仕に関するの教育が行われ・此れ(に関する情報)が提供されているのと同様にして、その様にして提供され・教えられた所の奉仕活動らを通じて、其の分極化作業を行って行く事となります。

日本語未訳部分の情報で、こちらの記事のコメント情報ですが、

昨日の記事における「第4密度の世界」は、

ポジティブな「他者への奉仕で収穫された世界」ですが、同じ「第4密度」でもまったく真逆な世界です。

ネガティブの特徴は「緑色光線を欠いた状態」であり、

緑色はハートチャクラの色ですから、

「ハート(心)を欠いた状態」の中、ヤタラ規則正しく整然とした、序列・管理、監視社会のイメージで、
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果たして、こんな社会を望む人がいるのでしょうか?

と思いきや、NWOとかいう「新世界秩序」を目指してる方々にとっては理想の社会なのかもしれません。

考えてみれば、同じ「収穫」でも、

無農薬・有機作物は不揃いで個性的だったりしますが、
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遺伝子組み換えや大量の農薬を使った作物は管理しやすく画一的です。

どちらを撰ぶかはお好み次第ですが、

あまりに不自然な食べ物は寿命を縮めるようで、

昨日の「ラー情報」に、「一世代半」で密度の移行が完了するというのがありましたが、

この「一世代半」とは、ムー時代当時の人間の寿命=900年を基準としてるそうで、

つまり1350年間が移行期となり、私たちはとっくに移行期に突入してますが、

今の地球は「通常ではありえない異例状態」であり、

今回の移行に、どの程度の期間を要するかは予測出来ないとのことです。

<Session40 質問8 第三密度から第四密度への移行に要する時間は?>

質問者: この惑星地球上に於いては、第二密度から第三密度への移行の為に要した所の時間とは、どの位の長さだったのでしょうか? 貴方は以前に、”一世代半”と仰ったと思います。 正しいでしょうか?

ラー: ラーです。 仰る通りであり…、この時間とは、あなた方の年数を以って此れを計測した場合、凡そ1,350年であります。

(訳注: ラーによると、人間の適切な寿命とは本来900年との事である。 900×1.5=1350)

質問者: それでは、この惑星上に於いて、第三密度から第四密度への移行に要する時間とは、どの位の長さになると見込まれているのでしょうか?

ラー: ラーです。 この長さは、推測する事の困難なものであり…、その理由は、この移行期に於いては、この地球にとっては通常ではありえない異例状態(uncharacteristic anomalies)(?)が其処に介在を行っている為であります。 

ただともかくも、現在の空間/時間-関係性事情内に於いては、第四密度の為の作業を開始させた所の受肉存在達が既に存在しております。 しかしながら、この移行過程とは、現在、この惑星意識が第三密度状態からなる風潮・情勢・雰囲気の中に今だ置かれている事が理由となって、結果的に、この移行作業が遅延されるという事態が引起されております。 

従って、この様な状況の下、現在のこの特定の関係性事情内に於きましては、其処に存在する可能性/蓋然性-螺旋渦状体が指し示している所の移行期間としましては、この移行の為に必要とされている所の時間とは、あなた方の年数にして、100年から700年の間の何れかの期間であります。 ただ、この数値とは、現在の空間/時間内に存在するあなた方人々ら、その有する不安定性が理由となって、正確な数値として受け取られるべきものでは御座いません。

第3密度でも本来なら、「900年の寿命が可能」というのはウレシイ驚きで、

そういえばオーブリー・デ・グレイ博士は「1000年寿命説」を唱えてましたが、

さらに驚いたことに、第4密度に移行すると寿命は90000年になるとのことで、

90000年もの間、序列・管理、監視社会の中で戦い続けるのは、まっぴらゴメンですネ!


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  1. あえてこの密度に残った存在の話は、仏教の経典(たしか無量寿経)に「お地蔵さん」の話としてでてきます。

    そして「一なるもの」の展開は、華厳経に「善哉童子の求法の旅」の話として出てきます。
    要約すると、善哉くんは文殊先生にいろいろ教わってたんですが、もっといい先生がいると紹介されて、今度はそのひとにいろいろ教えてもらい、そんな感じでレベルアップ?していき、最後52人目だか53人目だったか「これ以上の先生はいない」とかいって紹介されて会いに行くと、それは始めの先生であった文殊だったけど、そのとき文殊先生は普賢先生となって。。。みたいな感じです。

    たしか惑星連合には52だか53種類の文明があるとか、悟りも52だか53種類の悟りを兼ね備える?とかいった話もありましたネ。

    そしてラーさんのいう「下位の三中枢ら」とは、仏教では生存=地獄 自我=餓鬼 社会性=畜生とかいって、かなりネガティブに表現されてます。

    ところでトラサーに「平衡力」というのがありましたけど、ラー文には「平衡状態 balancing 」というのが出てきます。

    セッション42 質問1

    Q1質問者: 私は、”平衡化作業”(balancing)というものに関して質問の一つを有しております。 

    私の推測では、平衡状態を有する存在とは、如何なる状況に遭遇した場合にも其の感情が揺り動かされる事が無く、ポジティブな感情、もしくはネガティブな感情、そのどちらの側にも左右される事が無いと推測します。 この様に、この平衡状態を有する存在とは、如何なる状況に於いても、”非感情的な状態”の内に留まる事が可能であり、この事が理由となって、この存在とは、上の様な感情が揺り動かされる状況内に置かれた場合にも、全一の法則と調和した状態からなる所の適切な反応らが如何なるものであるか、これを見分ける事が可能であり、また、その様な状態となる為に必要とされる反応らを明確に見極める事が可能であり…、其の中で、その様な態度・状態を有する事が可能となって参ります。

    其の一方で、現在、我々の惑星上に存在する所の存在達の内の殆どとは、自らが遭遇する事となる所の状況に対しては感情的にはまり込んでしまっており…、彼ら自身の有する所の独自の傾向性らに従った中で遭遇・体験される事となる所の独自の状況、其処に無意識的に捕らわれてしまっており…、更には、彼らとは、この独自の傾向性ら・バイアスらが理由となって、それら感情を乱す状況のそれぞれの中には本来、教育/学習の為の機会らが存在している事、此れを明確に認識する事が可能では無く、また、この機会らに対しては適切な反応を行う事が不可能な状態の内に置かれております。 従って、彼らとは、その様な状況に対しては、幾度にもわたって試みと間違いを犯し、其処から生ずる所の(感情的)痛みに耐えなければならなくなり…、彼らが、其の有するエネルギー中枢らを平衡化しなければならないという必要性に気付き、其の事によって、それら状況に対する反応らと振る舞い方らに対して平衡化作業を行い始めるまでは、上の様な状況が続いて行く事となります。 この様にして、一度、其の存在が、其のエネルギー中枢らと上の状況らに対する反応らに対しては平衡化作業を行わなければならないという必要性、此れに表面意識上で気付いた場合には、其処で次に行われる事となる所の段階とは、感情を駆り立てる状況らに遭遇した際に、其処に適切なポジティブ的反応、もしくはネガティブ的反応を生じさせ、此れが自らの内をスムーズに流れて行く様に気を配る作業となって参り…、この反応が其の存在の内部を流れて行く状態が意識的に観察される間に、其処に如何なる”感情的な色付け”が為されて此れが留められる事無く、スムーズに流れて行く様に配慮を行う事が必要とされて参ります。 この様に、私の推測としては、このポジティブ側かネガティブ側の分極化状態を帯びた所のエネルギー、此れが其の存在の内部をスムーズに流れて行く状態、此れを意識的に観察する行為こそが、貴方が以前に我々に対して与えてくださった所の”平衡化作業”なのであり、また其の中で、この作業によって上の状態・観察能力が増大されて行く事となるのであり…、この作業が成し遂げられた場合には、其の存在の内部に平衡状態が確立される事となり、其の後、この存在とは、如何なる状況に於いても、全一の法則との関係性の中で感情に左右されない状態の内に留まる事が可能となり、また、歪曲をきたす事の無い状態の内に留まる事が可能となり…、まるでテレビ映画を視聴している存在の様な、客観的視聴者の様な状況の内に置かれる事が可能となって参る、という事なのでしょうか。

    この平衡状態というものに関する私の考えとは、正しいものでしょうか?

    ラー: ラーです。 この御言及とは、我々が此れまでに議論してきた所の”平衡化”という概念を、正しくない解釈の中で他の事例に転用したものであります。
    つまりは、(以前にお伝えした所の)この訓練(S5Q2)…、最初に感情らを体験し、その後、それら感情に対する対立物ら(アンチテーゼら)を、其の存在の内部に発見し・確認して行くという訓練とは、其の目的として、ポジティブ的な感情らとネガティブ的な感情らの両方を、それらに左右されない状態の内に留まりつつ円滑に流れさせて行く事を指すのではなく…、寧ろ、(これら感情に左右されるという経験を行いつつ、最終的に)それら感情に左右されない状態へと至る事、此れが其の目的であります。 ただ、この状態へと至る為には、より多くの訓練が其処に必要とされて参りますが…、しかしながら、この状態こそが、いわばより自然な成り行きであります。

    つまりは、(上の様な感情らを引起こす原因となる所の)経験触媒とは、この第三密度に於ける学びらを教え/学習する(learn/teachings)という作業、これらが其処に発生する為の目的の下に其の活動を行っております。
    従って、もし其の存在の内部に、この触媒に対する(感情的)反応・反響の一つが今だ確認される場合には、其の反応が単に僅かに観察されただけの場合であっても、其の存在とは、其の教育/学習行為の中で、其の成長触媒を今だに活用していると考えられる事が可能であります。
    その後、この学習行為に於いて最終的に望まれる状態とは、この成長触媒が必要されない状態へと至る事であります。
    その様な状態が達成された場合、この密度とは其の存在にとっては必要の無いものとなって参ります。
    しかしながら、この最終的に獲得される事となる所の状態とは、物事に対して無関心からなる状態ではなく、もしくは客観的視点からなる状態ではなく、この状態とは、寧ろ、(あらゆる側面的場面らを経験した事の結果として生ずる所の)、全ての存在物を”愛”として認識する所の、(対象との間で)精巧に調律が為された所の同情心・共感心(compassion)を有する状態の事であります。
    物事に対するこの観点に至った場合には、成長触媒の作用らを以ってしても、(愛以外の)如何なる(感情的)反応が其処から引き出される事が無くなって参ります。
    従って、この存在とは、この観点に至ると、経験世界の中で発生する出来事らの間に在りながら、それらに対しては、創造主との間で”共同創造者”としての立場を有する事が可能となって参ります。 この状態こそが、より正確な意味合いに於ける”平衡状態”であります。

    質問者: 完全な平衡状態の内に置かれた所の一存在とは、他自己(他者)から攻撃を受けた場合、其処に何らかの感情的な反応を生じさせるといった事はあるのでしょうか?

    ラー: ラーです。 其の通りであります。 其の反応とは、”愛”であります。

    セッション42質問6

    Q6質問者: 前回のセッションに於いて貴方が仰った内容として、「我々…、つまりはラーとは、第五密度の時間/空間に於いて多くの時間を費やした所の者達であり、我々が第四密度内に存在する間に獲得した所の強烈な同情心・共感心、これを”平衡化”する為に、其処で多くの時間を費やした所の者達であります」との事でありました。 それでは、この貴方に関する情報についてを、我々が直前に議論した所の平衡化作業の話と関係させて、此れを更に広げてお話して頂く事は可能でしょうか?

    ラー: ラーです。 第四密度とは、我々が以前にもお伝え致しました様に、同情心・共感心・愛(compassion)が豊富に存在する密度となっております。 一方で、この同情心・共感心とは、知恵(wisdom)という視点(第五密度的態度)から観察された場合には、此れが無分別な行為(folly)として観察される事となって参ります。 つまりは、この同情心・共感心・愛とは、第三密度存在達にとっては其処から更に先(第四密度)へと進んで行く為の”救済手段”ではありますが、同時に、この同情心・共感心とは、その存在が究極的・最終的に有する事となる所の平衡状態、この中に、”不釣合いの状態”の一つを生み出してしまう所のものである、という事であります。

    この様な経緯の中で、我々もまた、社会記憶複合体の一つとして第四密度内に存在していた際には、当時、この同情心・共感心へと傾く傾向性を有しており、その同情心とは、他自己らの援助の試みの中で自らの殉教さえも厭わない程のものでありました。 しかしながら、その後、第五密度への収穫が達成された際に、我々が其処で発見した所の事実と致しましては…、この第五密度の振動レベルの観点から観察された場合、その様な抑える事の出来ない同情心・共感心というものとは、此れが効能を有しており・有効性を有しておりながらも、その中には、”欠点らもが存在する”、という事でありました。 従って、我々とは、創造主のあり方について熟考を行う中で多くの時間を費やす事となり…、つまりは、”愛を知恵で満たす”というあり方らについてを熟考・熟慮する行為の内に、(この第五密度内に於いて)多くの時間/空間を費やす事となった、という事であります。

    質問者: 私は、この(愛と知恵との関係)状態についてを、第三密度に於いて(此れと似ていると考えられる)状況の一つと照らし合わせて、其の類推を行いたいと思います。 現在、第三密度に存在する所の多くの者達が、この第三密度内に同時に存在する所の他自己ら(他者ら)に対しては非常に大きな”同情心”を感じ、其の中で、彼らの物理的問題を軽減させる為に、様々な方法を通じて援助を行っており…、現在のアフリカの諸国に見られる様に飢えが発生している場合には、其処に食料援助を行い、医療的な援助の一つが必要であると考えられる場合には、其処に薬の援助を行っており…、其の中で、彼らとは、それら総ての奉仕行為の中で、非常に高い一程度に於いて、私心の無い状態の内に置かれております。

    この様に、彼らのこの援助的態度とは、彼らの中に、緑色光線もしくは第四密度と調和する所の一振幅状態を生み出してはおりますが…、ただ、その一方で、この共感心からなる状態とは、第五密度に於ける理解・知恵の観点からは、其処に平衡化が行われて釣り合いの取られた状態とはなっておらず…、というのも、それら(貧困を経験している所の)存在達とは、実際には、それら貧困によって成長触媒を経験しているのであり、従って、彼らの(真の)必要性に見合った所の、より平衡状態の内に置かれた所の(より知恵のある)援助方法とは、現在、彼らの呈している所の物理的な必要性に応ずる中で物理的援助を行う事ではなく、寧ろ、彼らが第四密度への気付きの状態に至る事についてが考慮されるべきであり、従って、其の為に必要とされる所の(心的・精神的)”学び”を彼らに提供する事である、という事なのでしょうか。 正しいでしょうか?

    ラー: ラーです。 その御推測とは、正しくありません。 其処に飢えを経験している所の一心/体/精神/複合体が存在する場合、其処への適切な反応とは、その”体に”、食料を与える事であります。 貴方は、この回答から、他の種の御質問についても外挿法的にその回答を推論される事が可能であり…、(つまりは、精神的援助を必用としている者には、精神的援助を、心的援助を必用としている者には、心的援助を…、という事であります)。

    しかしながら、一方に於いて、貴方が上の御言及に於いて為された推測内には、正しい部分もが含まれており…、緑色光線に基づいて行われる所の(貧困者らに対する愛の援助的)反応が、更に其処に(第五密度の)”知恵・英知”が浸透された状態の反応と比較された場合、前者が、後者程には精錬された・質の高いものではないのではないかという貴方の御推測とは、此れが正しいものであります。 この様に、この(第五密度に於ける)知恵・英知というものが利用可能となった場合、其の存在とは、自らの有する特性・能力に従った状態の中、自らがこの惑星意識に対して如何に貢献を行う事が可能であるかという点に関しては、より明確に認識を行う事が可能となって参り…、その活動もしくは振る舞いがどの様なものであれ、また、視覚可能な(物理)領域ら上に於いて、其れが如何なる結果を結ぶ事となるのかといった懸念から開放された状態の中で、(より知恵に満たされた)活動が可能となって参る、という事であります。

    質問者: それでは、何故、現在、地球が全体として観察された場合、概して”アフリカの地域”に於いて、極端な飢餓の問題が発生しているのでしょうか? この事とは…、この地域に飢餓が発生しているという事実の中には、其の背後に何か形而上学的理由が存在しているのでしょうか、もしくはこの出来事とは、ただ単に偶発的に発生している所の出来事なのでしょうか?

    ラー: ラーです。 貴方の先の御推測が正しいものであり、この飢餓と病が、成長触媒の作用として其処に現れているという事であります。 
    しかしながら、この他自己ら(他者ら)の有する窮状に対してどの様な形の中で反応を行うかとは、此れが一存在の自由意志の範囲内に任されており…、其の中で、貴方が仰られた所の、必要とされる食材らと物質らを提供するという選択とは、現時点に於いて、あなた方が取り組んでおられる所の(第三密度から第四密度への移行に関する)教えを/学ぶという作業(learn/teachings)の骨子内に於いては、此れが適切な反応となっており…、というのも、このあなた方が現在行っておられる所の教育/学習らとは、(更に上位の密度に於ける学習課題を扱うものでは無く、第三密度から第四密度への移行がその主題となっており、従って)、其の課題として、其処には、”他自己達に対する益々の愛の感覚”が含まれている事が必要とされているからであり、また、”他自己らに対する益々の奉仕”が必用とされているからであります。

  2. これからの移行について

    我々は、あなた方がこの収穫期に関しては、(ラー・グループを通じて)或る情報を既に有しておられる事に気付いており…、当経験がその可能性として第三密度における最後のものとなり、この経験の行われた後に第四密度経験が開始されるまでの間には、あなた方の尺度にして非常に大きな時間が待ち構えている事、この事を指し示す所の情報を有しておられる事を存じております。(S40Q8) ただ、この時間尺度、この移行の為にはあなた方の年数にして最大で六百年から七百年の時間が必要とされているとする考えとは、いまだ一つの可能性でしかなく、しかしながら、この数値に関しては、(この発言の行われた1980年代当時の)あなた方の惑星内の大衆、その有していた自由意志という因子らがそこに影響を及ぼしていた事が考慮されねばなりません。

    その様な中、現在、この地球上には、当グループの様にして、この収穫数を”幾何学的様式の一つの中で”増加させようとする意図の下、活動を行う所の人々が多く存在しております
    あなた方は、ラーからなる者達がお伝えした所の”二乗”(doubling)の概念についてを既にご存知の事と思います。 
    この例からも分かる様に、そこに探求を行う一者が存在する場合、これが”隅の親石”としての十分な役割を果たす事となる、という事であります。
    更にそこに探求を行う所の第二の者が現れ、収穫へと向けて満足の行く形の中で接近が行われている場合、そこには、この”二乗”の効果が発生する事となって参ります。
    更にそこに第三の者が現れて、その状況に対して更に二乗の効果が与えられる事となり…、最終的にあなた方惑星上の人々によって、この収穫作業の発生の為のいわゆる臨界質量値(critical mass)が達成されるまで、この状況が継続されて行く事となります。

    この臨界質量とは、まず時間/空間側世界(いわゆる精神世界)において、必要とされる数値へと向けてこれが増大されて行く事となり、更には、これと連動する形の中で、この時間/空間側世界に対するアナログ面・相似面である所の当空間/時間側世界(いわゆる物質側世界)においてもまた、この収穫の一翼を担う事の可能となる所の者達、その数が増大して行く事となって参り…、もし仮に、この状態が、現在受肉が行われている状態の中で現れて来ない場合には、これに続く次の受肉の行われる機会までには、上の様な者達が必ず現れて来る事となり…、というのも、現在の状況から見受けられる所では、この惑星を”誕生させる”という目的の下、この道の教師ら、ガイドら、学生ら、ヘルパーら、その全てによって最大限の努力が行われている事の結果として、この収穫の達成までの間には、もはやそこには、”二度かそれに満たない程度において”、幾らか受肉を行う事の可能なチャンスらのみしか残されていない様に見受けられるからであります。

    (訳注:ラーからの発言として、彼ら連盟とは、この移行期を出来るだけ長期間にわたるもの・目立たないものとさせたいとの事であり、其の事によって、この時期人々に与えられるダメージを最小限にしたいとの事である。 この点からすると、上の部分とは、「彼ら援助によって最大限の努力が行われている”にもかかわらず”、現時点では、この収穫があと二世代ほどの間に終了してしまう様に見受けられる」となるのかもしれない。)

    27のコメント
    >この臨界質量とは、まず時間/空間側世界(いわゆる精神世界)において、必要とされる数値へと向けてこれが増大されて行く事となり。。。

    @たぶん「四次元がなくなる」とかいった話は、上記のような変化を誤ってとらえた感じのものっぽいですネ。

    • <@たぶん「四次元がなくなる」とかいった話は、上記のような変化を誤ってとらえた感じのものっぽいですネ。>

      たしかにナンかスッキリしてきた感じはアリますね〜

  3. 善哉童子の話、ありがとうございます♡

    27さんてホント守備範囲が広いですネ。

    <この最終的に獲得される事となる所の状態とは、物事に対して無関心からなる状態ではなく、もしくは客観的視点からなる状態ではなく、この状態とは、寧ろ、(あらゆる側面的場面らを経験した事の結果として生ずる所の)、全ての存在物を”愛”として認識する所の、(対象との間で)精巧に調律が為された所の同情心・共感心(compassion)を有する状態の事であります。

    物事に対するこの観点に至った場合には、成長触媒の作用らを以ってしても、(愛以外の)如何なる(感情的)反応が其処から引き出される事が無くなって参ります。>

    「平衡状態 balancing 」については、Y姉さんから指南受け、まずは自分が「反応」していることに「気づく」ところからはじめましたよ。

    気になる人・物事は「成長触媒」であり、「全ての存在物を”愛”として認識する」訓練なんですね。

    <其処に飢えを経験している所の一心/体/精神/複合体が存在する場合、其処への適切な反応とは、その”体に”、食料を与える事であります。>

    ラム君の話では、ペル先生はリマで子ども達が物乞いしてくると与えていたそうです。

    <飢餓と病が、成長触媒の作用として其処に現れている>

    与えることと、コレを理解していることは別なんですね。勉強になりました。

  4. Session30質問2 死後について

    質問者: (前略) それでは、”心”、”体”、そして”精神”というものについてを、貴方から、これ等を分けた中でそれぞれの定義を行って頂けるでしょうか?

    ラー: ラーです。 それら用語とは、全てが、その記述が容易となる為に本来の意味内容からは更に単純化が行われた所の表現らとなっており…、そのそれぞれが、本来のものとしては、”エネルギーの焦点らからなる一複合体”という意味に相当致しております。 其の様な中、貴方がそう表現されている所のこの”体”とは、あなた方が其処で経験を行う為に与えられている所の一特定の空間/時間、もしくは一特定の時間/空間…、其処に存在する素材から此れが構成される所のものとなっております。 この体という物質的複合体とは、貴方の表現に由るならば、”物理的顕現状態”と呼ばれる環境の中で、その有する歪曲状態らを表現する為の”素材ら”として此れが利用可能となっている所のものとなっております。

    その一方で、この”心”とは、精神を経由しつつ(下側へと流れ込んで来る所の下降)エネルギー流入、此れを其処で”反映する”という働きを行い、更には、体-複合体から(上側へと流れ込んでくる所の)上昇エネルギー流入、此れを其処で”反映する”という働きを行う所の一複合体となっております。 其の様な中、この心(の表面上)には、貴方が以下の様なものとして理解されている所の事柄…、その表面意識上に於ける活動の中で更に複合する・複雑な状態の中に置かれる事となった所の、”感覚”、”感情”、そして、”知的思考活動ら”が其処に内包される事となっております。 一方で、この心という樹状組織を更にその下側へと下降して行くと、我々は其処に、”直観力”という働きを発見する事となり…、この直感力とは、其の存在の心の中で、その全存在性からなる複合体部分(本体部分)、此れに対してより密接に関係性を有する心部分であり、もしくは、この全体性複合体部分に対してより調和状態の中に置かれた心部分、その有する所の働きとなっております。 更には、この心の樹状組織をその根幹部分にまで下降して行くと、我々は其処に、意識の更なる進展(?)を目撃する事となり…、其処に於いて、この意識とは、個人的記憶を取り扱う状態から、”民族的記憶”を取り扱う状態へと其の注意の方向性を変えて行く事となり、最終的には宇宙からの流入エネルギーらへとその注意の方向性を変えて行く事となり…、この事によって、この意識とは、(個人と覚醒無限との間を往復する所の)”直接的なシャトル”の一つへとその形を変えて行く事となり…、其の様な中、我々とは、このシャトルを”精神(霊:spirit)複合体”と呼んで参っております。

    つまりは、この精神-複合体とは、以下との間の”経路・チャネル”としての役割を果たす所のものであり…、この道を通じて、宇宙的規模の流入エネルギーら、惑星的規模の流入エネルギーら、そして個人的規模の流入エネルギーら、これらの総てが、その意識の根幹部分へとじょうご状の形の中で連結されて其処に注がれる事が可能となり…、更には、(其の逆の働きとして)、其の存在の体と心の中に存在する所の知性エネルギー、これらに対して既に平衡化が達成されている場合には、この前提の下、其の意識とは、上の心と体を経由しつつ、この精神複合体を通過する事で、覚醒無限へとつながる通路・ゲートウェイへと接続される事が可能となって参る、という事であります。

    この様に、貴方とは、この心、体、精神というものに関しましては、上の一連の定義内容らを耳にされる事よって、以下の点を理解される事となったでありましょうが…、つまりは、この心、体、そして精神とは、分け隔てる事の出来ない程に織り合わされた中で存在しているという事であり…、従って、何れか一つでも欠いた状態の中では、その何れもが存続する事が可能ではない、という事であります。 従って、我々もまた、それらを別個に取り扱うのではなく、”心/体/精神-複合体”という言葉を用いて此れらを(一つのものとした中で)言及を行っており…、というのも、この作業…、あなた方が経験らを体験される事によって行われている所のこのいわゆる”作業”とは、それら三つの構成要素部分らの相互作業を通じて此れが行われる事となるのであり…、其の中のどれか一つのみを通じて此れが行われるのでは無いからであります。

    質問者: 我々の身体が”死を迎える”際には…、この死とは我々特有の表現でありますが、我々とは、この特定の密度を去る事となり、更には、この特定の受肉経験から離れる事となり…、その際には、我々とは、この化学的身体を失う事となります。 それでは、(この心/体/精神-複合体とは、それらの内の何れかを欠いた状態の中では存続出来ない、という事ですので…)、この化学的身体の喪失の直後には、我々とは、此れとは異なった所の他の型の身体、その一つを今だに所有し続けているという事なのでしょうか? この死の直後の時点に於いて、我々とは、今だに”心/体/精神-複合体”の一つで有り続けているのでしょうか?

    ラー: ラーです。 其の通りであります。 この心/体/精神-複合体とは、(この死の過程によっても)、全く損なわれる事は御座いません。 この事からも理解される様に、現在、貴方が”体”という用語を用いて考えられている所の物理的-体複合体とは、ただ単に、より濃密な体複合体が物理顕現を行った所のものでしかなく、より知性を獲得した所の、より強力な体-複合体、此れが物理顕現を行った所のものでしか御座いません。

    質問者: それでは、この我々が”死”と呼ぶ所の移行期の後には、我々が現在有している所のこの化学的体の喪失が理由となって、その心もしくは精神もまた、(体と同様にして)、其処に何らかの損失を被る事となるのでしょうか? あるいは、其のどちらかに、何らかの機能減退の様な事態が発生する事はあるのでしょうか?

    ラー: ラーです。 あなた方の有しておられる単語らを用いてこの状態を表現させて頂くならば、その時点に於いては、その心複合体に於いて、非常に大部分の喪失が発生致します。 この様な事態が発生する理由とは、以下の事実によるものであり…、あなた方が、この空間/時間-連続体内で経験を行う間に認識されている所の、心の性質からなる所の活動ら、その大部分とは、実際の所、その化学的な体複合体がそうであるのと同様にして、その多くが”表層的な幻影物”でしか無く…、(従って、時間の経過と共に、それらは脱落して行く性質のものであるからであります)。

    つまりは、この状態を別の言葉で表現させて頂くならば…、この死というものを迎える存在にとって真に重要である所の事柄とは、其れが如何なるものであれ、それらが失われる事は決して無い、という事であります。 其の存在の有する”性格性”とは、もしくは、これらの表現が許されるならば、いわゆる、その存在の体験した”感情ら”と”傾向性ら”、もしくは他の表現では、その獲得した”歪曲状態ら”と”知恵ら”…、これらから精製される事となる所の純粋な精錬物らとは、いわば、”その死後に初めて”明らかなものとなって参ります。 この様に、其の存在の有する純粋な感情らと知恵ら、そして傾向性/歪曲状態らとは、其の当人からは、その大部分が、物理的な生活経験を送っていた間には、見落とされていた所の本質部分であり、もしくは、その重要性に注意が払われていなかった所の本質部分であり…、(従って、これら本来の性質部分が、其の死後、初めて顕わとなって参る、という事であります)。

    一方で、この死というものを”精神”という観点からお話しするならば、この(精神複合体という)経路・チャネルとは、その死後に於いて、此れが大々的に開放されて行く事となり…、その理由は、この存在とは、其の死後、この第三密度に於ける特徴・性格となっている所の”記憶の忘却”、この作用を受ける必要が無くなって参る為に…、(この覚醒無限へとつながる経路・チャネルが制約を受ける事が無くなり、完全な状態の中で機能を行う事が可能となって参るからであります)。

    質問者: 私が知りたい点として、この心/体/精神-複合体とは、どの様にして此れが発生して来たのでしょうか。 この起源とは、出来うる限り其の形成の起源まで遡った場合…、この発生順序とは、先ず、精神が心を形成し、次に、心が身体を形成した、という様になっているのでしょうか? 貴方からこの点についてを教えて頂く事は可能でしょうか?

    ラー: ラーです。 我々から貴方に考えて頂きたい点と致しましては…、貴方が現在疑問に思われて行おうとしておられる所の作業とは、”存在の進化が如何にして行われて来たのか”、この過程・歴史そのものを辿ろうとする行為に等しいものである、という事であります。 其の様な中、この存在の進化の過程とは、我々が此れまでにも議論して参りました様に…、”意識”が、初めに第一密度内に出現した、という事であり、しかしながら、この意識とは、今だ”活動状態”というものを有さない中で、”無規則状態からなる物体・無生物”(random thing)の一つとして其処に出現する事となります。 其の様な中、これらを、貴方が”心”と呼ばれるか、もしくは”体複合体”と呼ばれるかとは、語義上の違いからなる問題でしか御座いません。 ただ、我々とは、これら第一密度に出現する所の存在達に関しましては、それら複合体の内で最も単純で微小な存在の内にも、全一の創造主が完全な形の中で備わっている事を認識しておりますので、我々とは、それらを”心/体-複合体”と呼んでおります。 この心/体-複合体とは、その後、第二密度に於いて、”光へと向けての成長”というものを発見する事となり、更には、”光へと向き直る事”を発見・学習する事となり…、その事によって、あなた方からは”精神複合体”と呼ばれる事の可能な対象を覚醒させる事となり…、この精神複合体によって、其の存在の内部に於いては、上昇螺旋的活動が活性化される事となり…、無限創造主から発せられる所の”愛と光”、これらへと向かう所の上昇螺旋的活動が激化・活性化される事となって参ります。

    其の様な中、この精神複合体が、心/体-複合体に対して追加されるという出来事とは…、ただ、この”追加”とは、現実のものでは無く、仮にそう見えているだけの仮象でしかないのでありますが…、つまりは、この出来事に於いて、この精神複合体とは、空間/時間の開始時点から、潜在状態・ポテンシャル状態の中でその存在の内に既に備えられているという事であり、その後、その心/体-複合体が、第三密度へと進級を果たした際に、完璧な状態の中で此れが機能し始める事となる、という事であります。 その後、この進級によって”心/体/精神-複合体”となった存在が以下に気付き、其処には、自己への奉仕か、他者らへの奉仕を選択する事の可能な状態が存在している事、此れに気付いた際に、その後、この心/体/精神-複合体が活性化されてその(本来の)活動を開始させる事となる、という事であります。

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