今という時代に地球に生まれて来る子ども達は、たいへん意識レベルが高いとのことで、
特に3.11以降の日本に生まれた赤ちゃんは「意識レベル400」を超えてるとの説もあり、
オギャーと産まれたその瞬間は、
40万人ものネガティブな人々をバランスさせるパワーを有してますが、
一個人レベル=200以下の人に対応するおよその人数
意識レベル700の1人=7000万人の 200以下の人々
意識レベル600の1人=1000万人の 200以下の人々 (1千万人に1人)
意識レベル500の1人=75万人の 200以下の人々 (全人類の4%)
意識レベル400の1人=40万人の 200以下の人々
意識レベル300の1人=9万人の 200以下の人々
そのパワーは、生後のもろもろの環境によってダウンさせられちゃう場合が多いようで、
ワクチンや化学物質等の影響も気になるところですが、
何と言っても周囲の「大人」からの影響が大きく、
この世の法則を見事に解いたロシアの元物理学者、ヴァジム・ゼランド氏は、
4歳までの子供は「理性的でない」ゆえに、「世界をあるがままに知覚している」と言います。
本当は子供の意識性のほうが大人のそれよりのずっと高いのだ。覚醒状態で無意識の夢見にどっぷり浸かっているのは大人たちのほうだ。だから前世の人生についても、幼少期の自分についても思い出せないのだ。こんなことがどのようにして起こるのか、解明してみよう。
新たな肉体を持って生まれると、魂は後景に退く一方、理性は支配的地位を占める。ところで、理性とはいったい何だろうか。
誕生した瞬間の理性は真っ白な紙であり、そこには好きなことを何でも記することが可能だ。誕生した瞬間からこの紙にはパターンが書き込まれていき、それに従って人は自分や取り巻く現実を知覚する。このパターンの書き込み方が鮮明であればあるほど、魂と理性との間の溝は深まる。人は教わったとおりにリアリティを認識する。・・
生まれ落ちてすぐの知覚はどのようなベールにも覆われてはいない。幼い子供にとって、直観的な知や千里眼の能力への道は広く開け放たれている。言い換えると、幼い子供はバリアントの空間へ直接立ち入る権利を持ち、世界をあるがままに知覚していることになる。
ところが、「夢見ている」大人たちは生まれたばかりの子供を自分の意に従わせ、大人たちが意識的な在り方だと思っている狭い夢見の枠に押し込めてしまう。・・
注意や知覚は、問題、陰鬱な思索、状況によって固定される。その結果、人間は、覚醒状態での夢見のような、自分の心配事にどっぷり浸かって、こうして人は「大人」になっていく。
ここで言う「覚醒状態」とは、単に睡眠中ではない「起きている」状態を言ってますが、
人間はオギャーと生まれた時からどんどん深い眠りに入ってしまい、「直観的な知」を失うわけです。
そして、7万件以上の臨床数を持つ心理カウンセラーの大嶋信頼氏によると、
子ども時代にネグレクトやトラウマを体験すると、「感覚に麻痺が生じてしまう」ことがあるそうです。
<トラウマからの麻痺>
たいての人は、嫌なことがあっても、一晩寝れば「なーんだ!あんあこと!」という感じになり、それほど気にならなくなる。
これはどういうことかというと、不快な体験をすると、海馬が「不快な体験」として記憶を前部前頭野に整理して、その前部前頭野は今回の出来事と過去の出来事を照合し「前にもこんなことあったじゃん!」と怒りや恐怖の反応をしている扁桃体をなだめて、その反応を収める。
これが寝ているうちに行われて、朝起きた時には記憶が整理され、過去の体験と照合して不快感の反応が打ち消されているので「スッキリ目覚める!」という感じになる。
これがトラウマになってしまうと、これまでに体験したことがないようなショック刺激により扁桃体が過剰に反応するから海馬が記憶の整理を拒否してしまう。すると過去の記憶とも照合できず、前部前頭野がショックで反応し続けている扁桃体をなだめることも出来ないので扁桃体は反応し続ける。
扁桃体の過剰な反応が消えずにショックの反応をし続けるとやがて”麻痺”が起こる。麻痺から、何も感じていないような感覚になっていく。それでも、扁桃体の反応は収まらないので、緊張はものすごく高くなってしまう。でも、感覚が麻痺している自分ではその高い緊張に気がつかない。
トラウマで一番問題なのはこの”麻痺”である。
トラウマによって感覚に麻痺が生じてしまうから、他者と接触していても相手の感情の機微を読み取ることができなくなり「場の空気が読めない人」、と痛い人の扱いを受けてしまう。痛い人の扱いを受けてしまうとますます”怒り”、扁桃体の活動は活発になり、さらに麻痺が進む。この麻痺が進んだ時に、アルコールで酔っ払ったような精神症状が表出する。
ある人は、退行して、反抗期の子どものように八つ当たりをするようになる。ある人は、だるくなって何もやる気が起きなくなってだらしがない人格になってしまう。さらにある人は、トラウマの再上演をして、トラウマ場面を再現して扁桃体の反応を収めようとしてしまう。(再上演とは交通事故でトラウマを負ったら、また、交通事故を起してトラウマで解離した状態を打ち消そうとすること。同じようなことをやってしまうこと)。
このトラウマから起こる麻痺で酩酊と同じ状態になり、様々な症状が出てくるのだ。
トラウマ脳になってしまうと、
静かで落ちつけるハズの安静時にストレスを感じ、
脅威を感じるような状況において快感を感じるという、
何とも葛藤の多い、矛盾した「脳の逆反応」現象が起きてしまい、
こういった感情のメカニズムは、「人類がもともと奴隷として創造されたという歴史」に由来するという説もありますが、
臨床的には、トラウマの原因を前世までアレコレ探っても、なかなか変われない場合も多く、
結局は「性格の問題」とされちゃいますが、
大嶋信頼氏はクライアントさんが訴えるトラウマになった事柄の内容、例えば「母親にほったらかしにされた・・」などは、単に「怒り」で感覚を麻痺させ、本源的なトラウマから回避してるだけだと考えます。
もちろん純粋に、災害や事故などの死ぬような体験をすることで記憶が解離してPTSDになってしまうケースもある。でも、時間が経過しても消えないトラウマについては「本当に、それがその人の脳に固着している”恐怖”の元になっているのだろうか?」と疑う必要が出てくる。”疑う”ということがポイントなのだが、その”疑う”をテーマにトラウマのケースを見ていくと、とても興味深い発見があった。
PTSDの内容について知ろうとするから間違えるんだ!
なぜなら。トラウマの記憶って。ほとんど”恐怖”の回避のために使われている可能性があるから。
そう!注目すべきは、回避じゃなくて、回避の元になっている”恐怖”にあるんだ。
”恐怖”は常に脳に固着している。
この”恐怖”に注目を向けた時にすっごい可能性が見えてきた!
人間の持つ本源的な”恐怖”とは「死」なんですが、
まだ理性的でない、幼少期に「死」と結びつくような何らかのショック体験でトラウマ脳になってしまうと、
頭の中がヤタラと「恐怖を回避」し、
その結果、どんどん恐怖を増幅する経路になってしまいます。
”恐怖”は自然にさらしておけば、動物の恒常性の機能で凪になる。でも、それを”回避”することで逆に”恐怖”は増幅して、その増幅した恐怖を回避すればさらに恐怖は増幅していくという悪循環に陥ってしまう。
多くのトラウマの人は、”恐怖”に対する”回避”を、思考の中でしている。人に怒ったり、不安になったり、心配したりすることで”回避”を効率よく行っていて、増幅した恐怖も思考の中で激しくなるだけなので、一見、症状としては派手には見えない。
だから、普通の人が端からトラウマの人を観察していても「別に何も症状があるようには見えませんけど?」と思ってしまう。
”恐怖の回避”に使っている思考も「子どもの心配」とか「金銭的な問題」や「人間関係のちょっとしたごたごた」などの一般的なネタだったりするから「誰でも同じことで悩んだり、怒ったりしてるでしょ!」と思う。
でも、トラウマの人の特徴は、常に、それらのストレス刺激が順番に循環していて、脳に安静が無い。何も考えないで落ち着いていることが難しい(ストレス刺激で解離して感覚が麻痺している場合はあるが、それは”安静”とは言えない)。
周囲の人への心配や怒りを抜きにして純粋に自分の楽しみを追求したり、自分のしたいことをすることができない。なぜなら、”恐怖”と”回避”を繰り返していて脳が過覚醒を起していて「自分の感覚」が完全に麻痺してしまっているから。
つまりカウンセリングとかで「親に無視された」ことへの怒りの感情が出てきても、その怒りは”恐怖”を”回避”するための感情ということになります。
あらゆる覚者が「今を生きる」ためには「死の恐怖」と向き合うことを推奨しますが、
Q11:死の恐怖がひんぱんに、激しくやって来ます。この美しいもの、この友情と愛のすべてを後にしなくてはならないという恐怖です。この、確実に訪れる死に対して、どうしたらくつろぐことができるでしょうか?
A:ある日、それは切羽詰まって爆発することだろう。火山にように噴火し、復讐するだろう。というのも、あなたが抑圧してきたために、あまりに多くのエネルギーを蓄えるようになったからだ。
ある日、あなたが弱った瞬間、ガードがゆるんだ瞬間、それは復讐するだろう。あなた方のいわゆる聖者たちはすべて、大きな疑いに苦しんでいる。・・・そもそも、くつろぐことができるのは、死が確実なときだけだ。事が不確かなときは、くつろぐのはむずかしい。もしあなたが今日死ぬと分れば、死の恐怖はすべて消え去るだろう。時間を無駄にすることに、何の意味がある?あなたは一日生きることができるのだ。できるだけ強烈に生きるがいい。できるだけトータルに生きることだ。
ちょうど一日中懸命に働いたあと、体が大きなくつろぎとして、美しい眠としてやって来るように、生きた後の死も、そのようにしてやって来る。死はまったく醜いものではない。これほど清いものを見つけることはできない。
もし死の恐怖が入り込むとすれば、それは、生きることで埋められてない隙間がいくつかあるということだ。だからそうした死の恐怖は、とても示唆に富み、助けになる。
それは、あなたがもう少し激しく踊る必要がある、人生というたいまつを両側から燃やす必要があると教えてくれているのだ。踊り手が消え失せ、ただダンスだけが残るほどに、激しく踊ってみるがいい。そうすれば、どんな死の恐怖もあなたを訪れることはできなくなる。・・
あなたは、あらゆる瞬間が完結しているということを学ばなくてはならない。
「示唆に富み、助けになる」死への恐怖を「回避」してしまう仕組みは、
大嶋氏自身が「トラウマ脳」だったので、ここまで詳しく解明出来たようで、
悟りを求める人達にとっても大嶋氏のトラウマ理論は参考になると思います。
そして気になったのは、虐待のような極端なケースでなくてもトラウマ脳になってしまう場合があるとのことで、
松久正医師がワクチンは「人間として打ったらダメ」になると言ってましたが、
「真っ白な紙」である赤ちゃんにとって、注射は十分に恐怖体験でしょうし、
トラウマとは記憶から抜け落ちているほど強固に脳に固着しちゃいますので、
乳幼児にバンバン予防接種している日本の若者の自殺の多さは、
その後の生育史や環境での影響の方が大きいにしても、何らかの影響はありそうで、
実際に、ワクチン接種した子はしない子に比べて自閉症などが多く発症していますので、
そういった観点からも、「世界をあるがままに知覚している」乳幼児へのワクチン接種は再考を要する懸案ですね。
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