チャクラとは、目には見えなくても確かに存在し、私たちの日常生活や健康に多大な影響を与えていて、
シュタイナーによると、「それぞれに対応する物質体の部位の近くに、霊的に知覚することができる」とのことで、
自分が長らくやっていたヨガの先生や、不思議な治療士だった「故ペルーの先生」は、チャクラの動きを確実に感知出来る方々でした。
さて、山梨県は台風11号の影響もさほどなく、昨日の午後は青空も出てましたが、
今朝はかなり肌寒く、7月半ばなのに、
蒔きストーブを炊くほどで、
雨上がりの庭には、虫さんがたくさん集まっていて、
今年は昨年より虫が多いようで、虫がいるのは自然が健全な証拠ですが、
虫は虫でも、「腹の虫が収まらない」のは困ったもので、最近「怒りにかられやすくなった」という声をよく耳にします。
無意識に抑圧された感情が出てくるのは「変容へのサイン」でもあり、
怒っている自分を認めることが大事なこともありますが、
自分や他者に対する「思いやりのチャクラ」を育めば、腹の虫は収まるようです。
苦境に立たされた時、それを理不尽で受けいれられないものだとみなすこともできるが、おおいなる計画の一部である介入、つまり、自分自身の力と聖なる意志を学ぶ、次のレッスンへの道しるべだと考えることもできる。
もちろん、ものごとを象徴的に見るために危機を待つ必要はない。
霊的な人生とは、自分や他者に悪い事が起こる理由を突きとめようとすることや、その嫌な出来事が意味することを見極めようとすることだけではない。
なぜなら、その理由は完全に理解できるものではないからだ。
けれども、やっかいな出来事以外にも、人生の楽しい出来事やパターンにとり組んで、その背後に隠されているおおいなる目的を見つけようとすることもできるのだ。たとえば、ある人たちとよい関係を築いている理由や、仕事や趣味が充実している理由について考えてみよう。
人は正しい道を見つけて、人生を心ゆくまで楽しみ、日々の行動や他者とのやりとりのなかに意味を見つけるために生まれてきた。そして、それは、今日、今いる場所から始めることができる。そして、ラム・ダスの有名な言葉、「ビー・ヒア・ナウ」のように、いまこの瞬間を生きなければならないのだ。
支援を与えることは、エネルギーや恩寵をだれかに渡すという霊的な錬金術の行いだ。意外なことに、人生を変えるエネルギーを供給しているのは、意志と思いやりの電気である。
要するに、「支援を与える=他者奉仕」がチャクラ活性化の鍵であり、自分の師匠たちはまさにそんな感じでしたが、
第1チャクラと第2チャクラの違いは、
衣食住らの基本的欲求が満たされ、
家族や同族の一員であるという安心感が第1チャクラで、
第1チャクラが安定してる人は第2チャクラを使って、
他者と交流して「分かち合う」とか、「創造性」を学んでいくことが出来ますが、
第2チャクラのエネルギーには競争心が含まれてますので、
第1チャクラの安定度が低い状態で、第2チャクラを活性化すると、
「人に与えれば自分が損をする」といった恐れが出てきてしまいます。
で、この第1、第2チャクラより、
第3チャクラの「不安定」さが原因で、怒りにかられる場合が多いようです。
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第3チャクラは「自己」のエネルギーの中心点だ。ここは自我の中心であり、(生き残るための直観)の力の領域だ。
人はほかの6つのチャクラのどれよりも、この3番目のエネルギーの中心点の影響を受けて生きている。
この「気の場」のなかで、人の認識は、第1チャクラの同族の認識である「どう属するのか」と、第2チャクラの人とのやりとりである「だれに属するのか」から個人としての主体性へと変化していく。
人に与えすぎたために死にかけている人には会ったことがないが、自分の努力に気づいてもらえないという怒りや恨みや嫉妬心に苦しんでいる人は大勢いる。
第3チャクラの苦悩は即座に感じとることができる。傷ついたり、拒絶されたりした自我が示す反応は、非常にはっきりとしている。太陽神経叢は「生き残るための直観」の中心でもあるため、二重の意味で、きわめて敏感なエネルギーの領域となっている。
与えすぎたり、間違った理由から与えたりしていれば、エネルギーの損失が起こっているのかもしれない。うつ状態や感情的な疲労、慢性的な痛みといった症状は、「救済者」として疲れきったために表れるものだ。
自分を意識し、自分が何者であるのか、何ができ、何ができないかに気づくようになることは、霊的な成熟や英雄の旅の重要な課題のひとつである。
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第3チャクラは、「自分が何者であるのか」を自覚する段階であり、
ココが不安定だと、ちょっとしたことでアイデンティティを失う危機にかられ、怒りが渦巻いてしまったりします。
第3チャクラのモットーは「自分自身を尊重せよ」で、
キャロラインさんは「自分自身を尊重する」ということは、
「自分の直観を大切にする」ことと同じだと言ってますが、
セラトーというバッチフラワーは、自分の直観が信じられず、他者に確信を求めるたがる人が、
自分の直観を使えるようになるレメディで、
セラトーは、ラーチという「自信のない人」のためのレメディとよく一緒に処方されますが、
どちらも「自分自身を尊重してない」ことの表れであり、
「自分が何者であるのか」わからないゆえに、つい、ムカっとしちゃう、第3チャクラが不安定な人は、これらのレメディを飲んでみるとイイかもしれませんよ!
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