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植原紘治氏の「断捨離」の落とし穴とブッダが伝える「一番大切なもの」

植原紘治氏の「断捨離」の落とし穴とブッダが伝える「一番大切なもの」

イエス・キリストは高い密度から地球に降りてきた「ワンダラー」だったのに対し、

お釈迦様は何度も何度も地球で転生を繰り返し、「覚醒」した方であることが、
iStock-471381457image by iStockphoto

ホーキンズ博士のキネシオロジー調査で確かめられてますが、

お釈迦様が大好きだという植原紘治氏は、
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「目覚め」とは、日々日常の中でやれることだと言ってます。

お釈迦様は「ブッダ」と呼ばれています。ブッダというのは「目覚めた人」という意味です。目覚めた人になる。これがわたしの最終的な目標です。

お釈迦様は、聖者でも何でもありません。普通の人たちと一緒に生活して、普通の言葉で話をしてました。しかし、あの方の目覚め方は特別でした。

もちろん、お釈迦様ほどの素晴らしい目覚めではありませんが、わたしたちも、日々目覚めることができます。

普通の生活の中で、たとえばお料理をしているとき、ひと工夫することでより簡単にしかも美味しくできたとすれば、それだって目覚めです。こういうことを積み重ねていけばいい。

目覚めるには、とにかくゆるむことが大切です。

2018年10月7日の清里高原は、
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少し風は強いけど青空広がる行楽日和で、
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庭には、名も知らぬ秋の草花が、DSCF3404

今年も勝手に咲いています・・
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八王子と清里の2拠点生活を10年以上続けてますが、
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八ヶ岳の麓にいると、勝手に「ゆるむ」という感じで、
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ウチにとっては最大の健康法なんですが、

地球生まれの「覚醒者」ブッダは、一番大切なものは「健康」だと言っていたそうです。

<健康でなければ、好きなことを好きなように行うことはできない>

お釈迦様が「私たちにとって、一番大切なものは何ですか?」と弟子に質問されたとき、「それは健康である。いかなる富に恵まれ、名誉に輝き、この世で認められようが、健康でなければ、自分の好きなことを好きなように行うことはできないだろう」と答えた記録があります。

わたしもそう思います。健康は人間にとって基本であり、土台となる部分でした。

健康であるということは、わたしにとって、生まれたときからの大きな課題でした。

子どもの頃は体が弱くて、医師から「この子は大人になれないだろう」とまで言われていたので、どうしたらまともに暮らすことができるのか、それが最大の課題でした。

「お釈迦様の響き」と「健康」、これが、ルン・ルを支える両輪です。

お釈迦様の響きを、わたしは一度だけ聞いたことがあります。

それはもう、なんとも言えない響きでした。自然と涙が溢れて止まらないのです。

あれは20年ぐらい前、まさにルン・ルをしていた最中のことでした。

「誰が声を出しているんだろう。すごいなあ。こういう声を出せたらいいな」

うっすらとその声を聞きながら、わたしも声に出し続けました。

その日の会員さんたちは、もう皆さん涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりました。

「今日のルン・ルはよかったです」「これまでで最高でした」と口々に言うのですが、残念ながら、その素晴らしい響きを出したのは、わたしではありません。

こんな素晴らしい響きが出せるのは、お釈迦様しかいないでしょう。

「これが出せるようになるまでは、わたしはルン・ルをやめないぞ」

わたしはそう決めました。

この響きを伝えようとして、その後20年間続けているのです。

最近、植原氏の「ルン・ルCD」をGETしまして、

八王子でたまに聞いてますが、確かに有音の方は「お経」のような感じで、
DSCF3346途中、熟睡しちゃってたりしますが、それでイイようです。

さて、セルフビルドで8年かけてコツコツ作ってきた清里の家は、
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住める状態になって、まだ間もないので、「物」が極めて少ないのですが、
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八王子には26年住んでますので、だんだん「物」が多くなり、

「捨てちゃおうかな?」な物もアリますが、

植原氏は、一時的なスッキリ効果を狙った「断捨離」は好きでない・・と言います。

<知識も行動も中道を行く>

迷いに振り回されないようにするために、お釈迦様は「これだけすれば大丈夫という方法を教えてくれました。それが「八正道」です。

「正しい道」と言われると、何か絶対的に正しいものがあるように思ってしまいます。

正しいものと正しくないものとに分けて考えてしまうかもしれませんが、お釈迦様はそうはおっしゃっていないはずです。

わたしたちも「これこそ正しい」「こうあるべき」などとこり固まらないようにしましょう。

たとえば、野菜が体にいいから野菜だけ食べるとか、肉食は一切しない、また、お米や小麦粉などの炭水化物を一切とらないなど、そういう極端な人がいます。

しかし、偏りすぎてはいけません。何事もバランスが大切です。中道の精神で行きましょう。知識も行動も中道を行くようにしたいものです。

そうすれば自分に何が必要で何が不要なのかということが、自然に分るようになり、物事に迷うことが随分減ってくるはずです。

断捨離というものがはやっているようですが、わたしはあまり好きではありません。わたしたちには好みや趣味というものがあります。必要でないものでも、好きでたまらなく集めてしまうこともある。それを不要だからと捨てるのは、何か違うような気がするのです。

断捨離というのは、気分的なものが大きく関係しているように思います。

物が減れば、一時的に気持ちがスッキリしたように感じますから。

わたしは捨てない生き方もいいと思っています。

物を持っていても、それに捉われなければいいのです。

物理的に収納場所に収まりきらないものを整理するのは構いません。でも、気分的な快感を得るために捨てているのだとしたら、後で困った事が起こるのではないでしょうか。

あまり行き過ぎた行動はしないようにしましょう。

中道を行くのです。

普段から中道を心掛けていれば、そこから外れたものがどういうものか、だんだん分ってきます。すると、思い悩むこともなくなります。

自分にとってこれは必要だろうか、不要だろうか、そんなことを思う必要はありません。余分な事をしなければいい。

こうして中道にいればゴミ屋敷にもミニマリストにもなりません。

わたしの周りには、今のわたしに必要なものが必要なだけあります。

妻から見たら「何よ、そのガラクタは」と思われるかもしれないけれど。

でも、まったく余分にあるとも思わないし、足りないとも思いません。

非常に快適です。

大事なことは欲をかきすぎないことです。

中道を行きましょう。

偏らない考え方をしていれば、自然と暮らしは快適になり、あれこれ思い悩むこともなくなっていきます。

「名も知らぬ草花」を、雑草だとポンポン捨てちゃうのは、
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確かに感心しませんが、雑草だらけ・・も困りますので、何事もバランスです。

植原氏は、「心の傷が解決しなくてもいい」とも指摘してましたが、

ヤタラとキレイ好きな潔癖症の方によく使われるバッチフラワーは、クラブアップルで、

クラブアップルは、自分を汚いもの、傷物のように感じてしまい、

「ありのままの自分を受け入れられない」状態に使うレメディで、

通常はクラブアップルの傾向がナイ人でも、

病氣になると、必要になることが多いレメディです。

ですので、植原氏が言うように、スッキリするためにいくら「断捨離」をしても、

「自分がキライ」という想いを捨てない限り、「目覚め」とは程遠い状態で、

「潔癖症」と「断捨離」には、案外と似たような心理背景があるのカモ・・と、植原氏の指摘で思いました。

そして、八王子のクローゼットを整理していてつくづく感じたのですが、
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「断捨離」以前に、安いからといって、

「捨てるような物を買わない!」

ことが何よりも大切ですネ。

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