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モンセラートの聖母と「黒いアテネ」だったサアラさん

モンセラートの聖母と「黒いアテネ」だったサアラさん

ゲーテが“魔の山”と呼び、ワーグナーがオペラの楽想を得、ガウディーがサグラダ・ファミリーの構想を得たといわれる標高725mの奇景に建つ、

スペインのベネディクト会修道院サンタ・マリア・デ・モンセラートは、カタロニアで最も有名な巡礼地のひとつであり、ここに安置されている「モンセラートの聖母」は、「黒い聖母」として有名です。
n-s_de_montserratマリア様は、世界(全宇宙)を象徴する球体を右手に持ち、幼子イエスは右手を挙げて祝福の仕草をし、左手には多数の突起のある球体を持ってます・・

ヨーロッパ各地に黒い肌の聖母像があり、特にフランスでは200体以上が分布しています。

聖母の肌が黒い理由については、19世紀以前はろうそくの煤で汚れているからだと思われていましたが、20世紀になってから、黒が本来の色であることがわかり、急速に関心が高まりました。

フロイト派の分析家、岸田秀氏は、英国出身の歴史学者マーティン・バナールの「黒いアテネ」を検証し、西洋史、特にイエス・キリストの物語が、いかに白人中心にねじ曲げれて記録されてきたかを力説してましたが、

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同じく心理学者で、アカシックレコードを読めるゲリー・ボーネルさんによると、イエスはひとりクリスチャンで、その意図を引き継げた弟子はいなかったそうです。
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結局のところ、イエスが信頼した弟子たちでさえも、拷問と死を通しての浄罪が「神の唯一の息子」となるに値するという考えを「真実」とみなしたのであれば、現在でも大多数の人が、その考えを受け入れてしまうのは無理もないことかもしれません。

一方コーランでは、信心を持たない者を殺し殉教した者には、彼らを完全に受け入れてくれる処女のいる天国への昇天が約束されていると言われています。

集合意識としてユニティへシフトするかどうか、人々の反応を決めるのは集合意識しれ自体です。現在地球の人口の約半数をキリスト教徒とイスラム教徒が占めており、彼らが上記のような信念を持っているという事実が何を示すかは、容易に想像がつきます。

このゲリー・ボーネルさんの個人セッションを2003年に受けたことがあるという「本山よろず屋本舗」さんのHPで、サアラさんという日本女性サイキックの方が「自分がイエスの娘であった前世を思い出した・・」という記事があり、

サアラさんによると「イエスの家系はイスラエルの血脈なので白人ではなく、特に当時のサアラは色黒でエキゾチックな顔立ちだった」そうで、

黒いマリアの実在もあり、かなり興味深くもありますが、さすがに「・・・」でもあり、まあエイプリルフールですので、とりあえずメモしておきまーす。

イエス・キリストの娘の転生の記憶を持つ人

以前、当HPでサアラさんを紹介したことがあります。
サアラさんの一連の本を読んでいて、私がサアラさんに強い関心を持った原因の一つに、サアラさんがイエス・キリストの娘としての転生の記憶を持つということがありました。
当時もサアラという名だったそうです。
イエスが処刑された(サアラさんによるとイエスは死んでおらず、実際はヒマヤラに旅立った)後、聖母マリアとイエスの妻マリア、そして娘のサアラはヨーロッパに渡ったといいます。
イエスの家系はイスラエルの血脈なので白人ではなく、特に当時のサアラは色黒でエキゾチックな顔立ちだったので、エジプトから連れてきた侍従だと思われていたそうです。
サアラはヨーロッパでも色々な奇跡を起こしたということで、現在の南仏のサント・マリー・ド・ラ・メールという町には、色の黒いセント・サラの銅像が立っているそうです。

イエスの娘としての転生を持つサアラさんですが、千さんに聞いてみるとこれは間違いないそうです。

サアラさんは今でも、イエスをチャネリングしていてイエスと語り合っていると言っていますが、これは紛れもなく本当のイエスだそうです。

ではまずサアラさんの『宇宙パラレルワールドの超しくみ』(ヒカルランド)から、サアラさんの記憶の中にあるイエスの話を紹介したいと思います。

・・・<『宇宙パラレルワールドの超しくみ』、p105~p108から抜粋開始>・・・

イエスの家族の女性の記憶を魂に持つ私は潜在意識に深い喪失感の傷を持っていた

さて2012年に入り、ある晩突然に新しいマスターテイーチヤーが私に「いい加減にイエスを許したらどうだろうか」と言いました。私は、彼を恨んでいたことにうすうす気づいていましたが、そういう気持ちと直面したくない気持ちが大きかったので忘れていました。
ここで少々解説しておくと、イエスはキリスト教で言われているような存在ではありません。もちろん彼は白人ではないし、彼はシリアスな性格でもなくむしろ楽天的な部分を持っていてよく笑い、また、感情的に激しく抗議したりもします。
そして、彼は十字架にかけられていません。このように言うとまた、混乱をきたすかもしれませんが、一部ではイエスの弟が身代わりになったとも言われています。ここで何が真実かを申し上げるのは、おそらく皆さんにとってかなり過激な内容となるのではないかと思いますが、私の記憶の中ではどちらでもありません。
彼は罪人扱いされ、磔(はりつけ)になるところであったことは事実ですが、その後は無事に逃れています。しかし彼は常に追われ逃亡しなくてはならない状況でした。彼は死ぬことを恐れたことはありませんが、どうしても果たさなければならないことがあったのです。
そして、家族はいつも彼をかばい同じように追われますが、ともに過ごしたことはほとんどありません。いつもバラバラで彼がどこにいるかを知ることさえありませんでした。
しかし、時折彼は私たち家族の前に突然に姿を現します。その時には何とも言えない安堵(あんど)を感じ、もう二度と離れ離れに暮らすことはないだろうと浅はかな幻想を抱きます。その望みは生涯叶うことなく、私たちは、イエスのいない間もいつも大勢の人たちに追われ、私たちの仲間は次々と命を奪われてゆきます。その時の私は繰り返し喪失する経験が大きなトラウマとなったようで、無気力と深い悲しみと失望感でいっばいだったのだと思いますが、むしろそのことには気づかないほどに深刻な傷となっていました。
新しいマスターティーチャーは、その傷を私の潜在意識から浮上させ、再びその時の思いをリアルに体験しました。私は小さな子供のように泣きじゃくり、彼への恨みの奥にある憧憬や愛情もあふれてきます。しかし、すぐに許す気にはならず、駄々をこねる自分もいます。
しかし、はたと今の自分の意識に戻ると、未来の可能性について思いを巡らせていました。この問題を解決することによって起きるたくさんの可能性があることに気づきます。そして私は晴れてイエスを受け入れ許し、そして長い間の喪失感からようやく解放されました。

・・・<抜粋終了>・・・

次に紹介するのは、サアラさんの最新刊『空なる叡智へ』(ヒカルランド)からの記事です。
上記の記事ではサアラさんは、イエスは十字架にかけられていないと言っています。しかしこれから紹介する記事では、イエスが「十字架から下ろされて」と表現しているので、内容が違っているように見えます。
『空なる叡智へ』が後から出版されたので、サアラさんの中で記憶が更新されたのかもしれません。

・・・<『空なる叡智へ』、p174~p178から抜粋開始>・・・

イエスが罪人として捕らえられた日

さて、ここから先は私自身の魂の記憶を中心にお話しします。
私たち家族は常に何かに追われ、常に命を狙われていました。幼かった私にもそれは十分に感じることができました。それでも父も母も結構楽天的で陽気に過ごしていました。
私たち家族が他の家族と著しく異なることは、ときどき前触れもなくすべてを捨てて旅に出ることです。両親は「旅に出る」という言い方をしましたが、私は明らかに目に見えない何かに追われている気がしました。頻繁に悪霊の放つ悪臭がしたり、怖い夢ばかりを見るようになると、決まって両親が「旅に出よう」と言うのです。
今考えるとこの言葉は、エンリルに操られた魔物の呪詛から逃れる時の合言葉でした。

父が罪人として捕らえられた日のことは今でも鮮明に覚えています。私は「来るべき時が来た」と思った時、すべてが終わってしまうような恐怖で凍りつく思いがしました。
その時母は、朝の湯を、沸かすために、台所でまだ赤ん坊の弟を抱いたまま立っていました。いつになく父は寝坊をしていたのか、いつまでも部屋から出てきませんでした。私は食堂のテーブルの前の椅子に座り、大好きな歌を一人で歌っていました。
すると母が飛んできて「静かに」と言いました。母の顔は緊張でこわばっていました。父が静かに部屋から出てくると、突然外から大きな体の男が何人か家に入り込み、無遠慮な感じで父を捕らえていきます。母は大きな黒いパンの塊を私に渡して「これを食べていなさい」と言い、弟を抱いたまま父についていきました。
それからどれくらい時間が過ぎたでしょうか。私は黒くて重いパンの塊を見つめたままま岩のように固まって、朝歌っていた歌を小さな震える声で何度も何度も繰り返し歌い続けていました。
日が傾き、窓越しに入ってきた夕日がパンを掴んだ両手に当たって、「暖かい」と感じた時に、初めて我が身に起きた恐ろしい事態を受け止めることができたような気がします。私の頬を伝う涙がいつまでもいつまでも止まることなく流れ続けました。

この時の私の記憶はそこまでで途切れています。
実は、私は父が捕らえられた日、泣き疲れて眠ってしまってからの記憶を失っていました。自分ではまるでずっと眠っていたような感じでしたが、2014年に入ってようやくすべてを思い出す機会が与えられました。内容は極めて個人的なことなのでここでは割愛しておきますが、その時のイエスやマグダラのマリアに起きた真実についてだけお話ししましょう。

父は大きな布に包まれて家に帰ってきました。
父は十字架から下ろされてその肉体を母や祖母に返されたのです。
当然父はその時死んでいたはずですが、私は生きていると思ったのです。私が父の肉体に近づくことは、母もそれ以外の大人たちも許しませんでした。
イエスは3日後に自分の肉体に戻りましたが、あの日、父が捕らえられて出て行った日以来、私は弟と一度も会ったことがありません。見かけたことすらありません。父も母も弟に関することは何も言わないので、何か事情があるのだと悟り聞かずにいました。後で知ったことですが、弟は義理の祖父であるヨゼフを通して遠方に養子に出されました。
その後、父は肉体的な回復を待って再び単独で旅に出ました。次にいつ会えるかもわからない別れでした。私は母マグダラのマリアと聖母マリアとその妹や親せきたち、そしてイエスの弟子の何人かと一緒に、船でフランスに渡りヨーロッパを転々とします。
しばらくの間イエスは時々私たちのもとに姿をあらわしていましたが、その後は全く会えなくなりました。しかし、マグダラのマリアが亡くなる時には、彼女が肉体を離れて天高く消えていくまで、ずっとそばにいてくれました。それは娘サアラにとってあの生涯で最も幸せな時間でした。

イエスはその後もずっとヒマラヤの険しい山の奥で生き続けています。
彼自身が言いました。「私は今でも肉体を朽(く)ちさせることなく生きている」と。

・・・<抜粋終了>・・・

先週(3月14日)ですが、サアラさんのWSに出てきました。
そこでサアラさんから、イエスに関するエピソードが色々と語られました。
私が失敗したと思ったのは、録音機を忘れてしまったことです。録音禁止のWSも多いですが、たしかサアラさんのWSでは禁止されていなかったと思います。
もし録音機があったら、WSでのイエスの正確な言葉をここに載せられたのですが、私の曖昧な記憶とノートの走り書きしかないので、正確なものではありません。
それでもイエスの言動の雰囲気はお伝えできると思いますので、頑張って書こうと思います。

まずサアラさんが語った、イエスの時代の社会のありようです。
私たちは2000年前の古代となると、現代のように忙しく時間に追われることもなく、のどかで牧歌的な草原で暮らすイメージを持ちがちです。
しかし実際は、精神的に強く圧迫された社会だったといいます。
当時のかの地は、ユダヤ教の権威が絶対で、それに反することは全く許されない社会だったといいます。もしユダヤ教の権威に反することを言おうものなら、密告されて人々の前に晒し者にされて、説教されてしまうといいます。
一般庶民はそれが嫌で萎縮してしまい、人と接触するのをできるだけ避けてひっそりと暮らすのが普通だったといいます。相互に密告し合う社会というと、今の北朝鮮を思い浮かべますが、サアラさんの話を聞く限り、あながち外れていないかもしれません。
結婚相手も、その村を管轄している教会が決めてしまうそうです。つまり自由がなかったのです。
またユダヤ教の特別な宗教的な行事が行われる節句には、人々は献金を要求されたそうです。
しかし貧しい一般庶民が、たくさん献金できるはずもありません。
金持ちはたくさん献金できるわけですが、たくさん献金した人には有利な職業に就けるとか、特権が与えられたといいます。
ですから貧しい一般庶民は、ますます貧しくなり、金持ちはますます金持ちになるという貧富の格差が広がっていく社会だったといいます(蛇足ですが、私には今の日本がそれに向かっているように見えます)。
要するに、貧しい一般庶民には、夢も希望もない社会だったというわけです。
そうした中で登場したのが、イエスだったといいます。

イエスが人々に説法を説いたのは、わずか4年間の出来事だったといいます。
宗教家というと、清貧で穏やかな人格者というイメージを持ちがちですが、サアラさんによると、イエスはそうしたイメージとは一線を画していたといいます。
当時の権威であったユダヤ教の権威を一切認めない、反宗教の改革者だったそうです。説法を始めたのは血気盛んな30代で、イエスの元に集まった弟子たちが、常に心配していたのが、イエスの暴走だったそうです。
弟子たちは、先生であるイエスが時の権力であるユダヤ教に反することをしないかと、毎日ハラハラしていたそうです。

イエスが説法を始めたときは、わずか2~3人しかいなかったといいます。
しかしイエスのことは、徐々に人々の口によって広まり、最後は3000~4000人もの聴衆を集めるようになっていったといいます。
ではなぜ、当時の人々はイエスの言葉を聞きたがったのか。その理由をサアラさんがボードに書いたので、それを紹介します。

1.彼の話が真実だったので、心に響いた。

2.人々の意識をひっくり返すような、驚くべき話だった。

3.多くの人々の心が癒された。

4.未来に希望を持てる話だった。

私が特に感心したのは、1です。
サアラさんは、人は真実に引き寄せられる習性があるといいます。なぜなら真実には魂が同意しているからだといいます。つまり真実には、力があるということです。

サアラさんが語ったイエスのエピソードで一つ面白いものがあったので、ここで紹介したいと思います。
ユダヤ教の節句の前日、イエスが弟子たちにここにいるように言い置きして、出掛けたといいます。
しばらくして帰ってきたイエスは教会にあった金(キン)の聖杯を持っていました。なんと教会から黙って持ってきた(要するに盗んできた)といいます。
当然、弟子たちは仰天します。
するとイエスはその金の聖杯を街に行って売り払ってしまい、そのお金で買えるだけのパンを買ったといいます。そしてそのパンを貧しくひもじい思いをしている子供たちに、みんな与えてしまったそうです。
そしてイエスは次のようなことを弟子たちに言ったそうです。

「もし今日が祝福すべき日の前日であるなら、神は貧しい子供たちの腹を満たすことを、神が祝福するだろう」

訪問者の方々に申し訳ないと思うのですが、録音機がなかったため、こうしたイエスの言葉は一字一句正確ではありません。
WSが始まる前にサアラさんはイエスをチャネリングして、イエスから2000年前にイエスが当時語った言葉を一字一句正確に伝えるように要請されたそうです。しかしここでは私の曖昧な記憶を元に書いているので、一字一句正確ではないということを断っておきたいと思います。

次にサアラさんとイエスが再会した話も興味深かったので、紹介したいと思います。
サアラさんが忙しくしている中、どういうわけか浅草の浅草寺に行かなくてはならないという強迫観念にも来た思いが湧いてきたそうです。
それが抑えきれなくなり、車で急遽浅草寺に駆けつけたそうです。その時は夕方で、浅草寺が閉まる時間が迫っており、境内には誰一人いなかったそうです。
サアラさんが境内に立っていると、サアラさんを後ろから優しく抱いた存在があったそうです。その瞬間サアラさんは、その存在がイエスであることに気付いたそうです。しかしサアラさんの口をついて出てきた言葉はイエスではなく、「お父さん」だったといいます。

こうしたイエスとの体験により、サアラさんはイエスが2000年前から死ぬことなく、ずっと生きていると主張しているのだと思います。
しかし私はイエスが2000年前からずっと生きているという表現は、誤解を生む表現だと考えています。
そこで私は千さんのお爺ちゃんセッションで、イエスは2000年間ずっと生きてきたのか聞いてみました。するとお爺ちゃんの答えは、「(イエスは)3次元にはいない」でした。
やはりです。
私はイエスに関しては神秘家ゲリー・ボーネルさんの説明が真実だろうと思っています。
スピリチュアルに関心のある人々の中で、2012年に地球と人類がアセンション(次元上昇)するという話がありました。
私はこれから地球と人類が体験するのは、4次元に向かうという次元上昇ではないと考えています。物質の振動数が上昇し、第4密度と言われる振動密度になると私は考えています。それは日月神示が語る半霊半物質の世界であり、完全な非物質世界である4次元ではありません。4次元と現在の中間の世界といえば、わかりやすいかもしれません。
ですから私はアセンションという言葉を使いません。

しかしイエスを語る際には、アセンションという言葉抜きでは語れません。
ゲリーさんによると、アカシックレコードにはイエスが体験したものこそアセンションだと書かれているそうです。
アセンションがどんなものかという説明はゲリーさんの著書に書かれているので、ここでは触れません(興味のある方は、ゲリーさんの本を読んで下さい)。
とにかくイエスはアセンションしたことにより、イエスという人間の肉体の鋳型を手に入れることができたということです。
つまりアセンションしたことにより、あちらの世界にいながら、いつでも好きな時に、この3次元に物質化して姿を現すことが可能になったということです。これは別の言い方をすれば、生死の輪廻から抜けてしまったということです。

サアラさんと浅草寺で会ったイエスは、たしかに2000年前のイエスの肉体そのものだったと言えます。
しかしそれは、イエスが意図して物質化した肉体であって、2000年間ずっと生きてきた肉体ではないということです。

(注0:千さんのお爺ちゃんセッション)
当HPを以前から読まれている方はご存じだと思いますが、千さんのお爺ちゃんセッションとは、千さんという方が行うチャネリング・セッションのことです。5人の霊的な存在であるお爺ちゃん(実際には女性もいるので全員がお爺ちゃんではないのですが)と呼ばれるマスターが千さんを介してクライアントである私達の質問に答えてくれます。

(2015年3月22日)

http://homepage2.nifty.com/motoyama/

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COMMENTS & TRACKBACKS

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  1. イエスさんはよくわかりませんけど、少なくともブッタんはアーリア人なので白人なのでしょう。

    まあでも昔から「前世では実はマリアさまだった」とかいってるひと達って後を絶ちませんネ。(゚〇゚;)

    • <ブッタんはアーリア人>

      そーなんだ。イメージチャンじですぅ・

      <まあでも昔から「前世では実はマリアさまだった」とかいってるひと達って後を絶ちませんネ。>

      前世のことは、ほどほどでいいかもね。

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