2018年の春、30年前の自主出版本である『光と影のやさしいお話』がナチュラルスピリット社から出版され、
不食の弁護士、秋山佳胤さんや山川亜紀子さんも絶賛してますが、
著作の山田征さんは、東京電力に「待った!」をかける活動家で、
「再エネは原発体制を補完する新利権構造」だと指摘してます。
で、なぜか30年前に自主出版した「山田征さんシリーズ」が我が家にありまして・・
アロマセラピストのY姉さんが我が家に来た時に、「ペルーの先生のことが出てるわよ・・」と持って来てくれて、そのまま置いてる状態です。
今は「チャネリング」という言葉が普通に使われるようになりましたが、ホントの意味での「チャネル」は、日常生活を通して行われている・・ということをこの本やY姉さんら、ペルーの先生のお仲間たちに学ばさせていただきました。
一度もお会いしたことない山田征さんですが、間接的にはお世話になってる感があり、
というのは、先日、シンクロニシティな再会をしたヨガ先生に、
ペルーの先生を紹介したのは山田征さんだったそうで、分倍河原というマイナーな場所の小さなヨガ教室でペルーの先生と出会えたのは、彼女がペルーに行ったおかげです。
で、山田征さんシリーズの中には、
まだ40代だった故ペルーの先生のことも出ていて、
今は日本でファーマー治療士している息子のペルーラムさんいわく、若い頃の先生は、
山川亜紀子夫妻のグループがペルーの先生宅を訪ねて来た際も、
「山川さんのセミナーなのに、父がひとりで話してました。。」
というほどアクティブだったとのことで、そんな様子が記録されています。
かねてより山田征さんは、「マチュピチュのビジョン」を見たりしていて、
「私はいつかそこに行く、あるいはかつてはそこに住んでいたに違いない・・」
と確証してたとのことで、
1990年の春に、「ペルーに行きませんか?」とあるグループから誘いを受け、
「お金のことなら何とかなります・・」という申し出に、
なぜか征さん、「日にち」をハッキリ指定しちゃいます!
「はい、それで征さん、日にちはいつがいいですか?」
「ええ、私は四月九日、十日にマチュピチュに居るんです」
「? あ、そうですか。はい、わかりました。それではそのように致しましょう」
「よわったな〜?、征さん、九日、十日、ほんとにマチュピチュですか?」
「はい、そうです。そのようにして下さい」
それは私でない、誰か、の考えのようでした。
まあこんな具合に話はすすみ、結局私たちは四月二日に日本を発ち、四月九日、十日にはペルーのアンデスの山中マチュピチュに”居た”というわけでした。
山田征著「吹く風もまた 私である」より抜粋
で、七人組でペルーに行くわけですが、
「青はもちろん走れで黄もゆっくり走れ、赤は気をつけて走れ」
で、車はミラーなし(駐車してると盗まれる)でボコボコ、「腕にはめた腕時計」すら盗られちゃうという、
リマのすごい喧噪に驚き、そんな中で初対面したペルーの先生は、日本からの客人を歓待します。
ある高級土産物屋さんに行った時などは、まず外からベルを押し、門の鍵と扉を開けてもらい、いえこんなの別に珍しくないのですが、なんとその家には銃を持ったガードマンがすっと外の気配をうかがっているのです。そんな中で私たちはお買い物をしました。今のペルーはもっともっと凄いというのですから、ほんとにどんなふうなのか想像もつかない気がします。
さて、そのペルーの旅で、私たちは原田さんというとてもビッグな方との出会いを致しました。この方は、日本を発つ前に私の本を読んで下さった中のおひとりが紹介して下さったのです。・・私たちは慣れない国への旅でしたから、そのようなお医者さまがいらっしゃればとても安心だし、土地のいろいろな話を聞かせていただけるかもしれないと思いました。・・
原田さんご夫妻は、私たちが着いた日のお昼近くにホテルまで訪ねてきて下さいました。その後おにぎりや日本茶の差し入れをいただいたり、お家に招いていただき思いがけないペルーでの手巻きずしをごちそうになったりしました。また、旅の後半、アンデスの山岳地帯、クスコかピサック、ウルバンバ、マチュピチュへと向かう際に、ご自分の診療所を閉めてご家族そろって同行して下さいましたので、とても心強い思いを致しました。
それにもましてこの原田さん、それこそとてもとても不思議な体験を沢山お持ちの方でした。それゆえに今、”ペルーでお医者さま”というわけですが、その話をここで続けてしまったら大変なことになってしまいます。
さて、その原田さんは、私たちが何の為にここペルーまで来たのか、マチュピチュに行こうとしているのかを何回も尋ねれました。でも私は自分がこの、いわゆる自動書記をしている話とか、何か目に視えない世界に関わっている話とか、その関係でペルーに来たなんてこと、いっさい話すつもりはなかったのです。・・そんなことを言ったらきっともう私たちと逢うのはやめにしようと思ってしまうかもしれないとさえ思いました。でもほんとうはこの原田夫妻、原田さん一家こそは、そうした渦中にいらっしゃる方達だったのです。・・
山田征著「吹く風もまた 私である」より抜粋
50代の主婦だった山田征さんがマチュピチュに行きたい理由は、自動書記のメッセンジャーから、
「天に合図をしにいく」と言われたからです。
”今こそ地球は、いえ私たち地球の上で育まれた人間としての魂達は、地球という小さな星の枠を抜け出して他の宇宙、他の星々の仲間入りをすることの出来る準備が出来ましたよ”
と合図をするのだと言うのです。
山田征著「吹く風もまた 私である」より抜粋
多分、ペルーの先生は既にそのことをキャッチしていて(クライアントさんが来る前に分る方でしたので・・)、案内を買って出たのだと思われますが、
何せ、マチュピチュは世界的な観光地ですので、
一年前から予約しないとマチュピチュのホテルは取れず、一つ手前の駅のホテルしか予約出来なかった征さん達に、
「それだとマチュピチュ行く意味がない・・」と言い、再度、マチュピチュのホテルに問い合わせますが、全く「空き室」ナシ。
しかし、ペルーの先生は「大丈夫です」と確約します。
「でも大丈夫、絶対みなさんは泊まれますよ」と原田さんは、はっきり断言するかのように言ってくれました。・・
原田さんはあんなにはっきり自信たっぷりに言ってくれましたけれども、そんな奇蹟のようなようなこと起こるわけがない・・それに私たち七人だけでもとれなかったの、今は原田さんの家族四人が加わり十一人になって、条件はさらに悪くなっています。それより、原田さん達は泊まれても私たちは泊まれないことになるかもしれないとも思いました。
「大丈夫、クスコに行けばなんとかなりますよ」
原田さんのその言葉を当てにして私たちはリマを旅立ったのでした。
でも、ほんとにクスコでそれはその通りのことになりました。・・みなさんの待つ朝食の席に降りていった時、第一番に聞いたのがそのことでした。
「やっぱりマチュピチュとれましたよ。全員泊まれるそうです!」
とても嬉しいニュースでした。原田さんの言った通りになりました。原田さん、何か魔法つかったのかな?とも思いました。
もしかしてノートの人達が、と思うのもとても簡単なことでしたけれど、私はそういうふうに考えるのは極力さけたいと思っていました。もっと現実的にものごとを見たり判断したりしていかなければ、なんだかこうしたことのひとつひとつがとりとめのない、とてもおかしな話になってしまいます。
しかしそのようになってみますと、それもまた当然の成りゆきのように思えてくるからおかしなものです。
山田征著「吹く風もまた 私である」より抜粋
「ノートの人達」というのは、 山田征さんがチェネリングしてる方々(天使とか・・)で、さすが活動家、現実的な見方も出来る方のようですが、
ペルー先生はよく、「上で解決する」という言い方をしてましたので、この時もそんな感じだったのでしょうネ・・
こうして山田征さんは、四月九日にマチュピチュチュに「居る」ことになり、
その日はナント、虹が出たそうです!
さらにその晩、ペルーの先生が交渉して、普通なら立ち入り禁止の真夜中のマチュピチュに侵入することが出来ました!
四月九日の真夜中、私たちは全員、いえ原田さんのお子さん二人をホテルに残して、マチュピチュの遺跡の中にいました。ホテルを出たのは十一時少し前、夜空を仰ぎますと白く美しい月が輝いていました。・・
私はいつのまにか自分が自分でなくなっていることに気づきました。私の背筋はいちも立派にシャンと伸び、腰はきちっと座り、両の手は胸元に静かに合わせられてました。それからの動きと言葉はもちろんここにそのまま再現することは出来ません。・・
山田征著「吹く風もまた 私である」より抜粋
こうして、山田征さんは予定通り、「天に合図」をしたわけですが、マチュピチュのある南米という地域には、
40年近く前のチャネリング情報「ラー文書」によると、
2万5千年前の地球で、第三密度を卒業して第四密度に行けるのに、あえて、残った方々の集団がいたそうです。
質問者:あなたは先に、二番目の終わりに収穫に値する状態にあったという南アメリカの集団について話されました。その二番目の周期における、彼らの寿命はどのくらいだったのでしょうか。
ラー:私はラー。この孤立状態にあった集団はこの密度に適切であった900歳という年齢に向けて寿命を延ばすことに成功していました。
質問者:その周期末には、その総数のだいたい何人くらいが収穫にあたいする状態にあったのですか。
ラー:私はラー。約150人の存在たちが収穫に値する状態でした。
質問者:それではそうした存在たちが、次の周期が始まってからも、地上で働くために残っていた人たちなのでしょうか。
ラー:私はラー。惑星連合の訪問を受けたそれらの存在たちは、その惑星を支援するために、地球に残ることを望むようになったのです。あなたのおっしゃる通りです。
質問者:惑星連合は、この150人の存在たちをどのように訪問したのですか。
ラー:私はラー。惑星連合は、光の盾と呼ばれるであろうものを身につけて、光の存在として出現したのです。・・そしてテレパシーによるつながりをさしだし、関心を示した者たちに、惑星複合体として見た第三密度の窮状を段階的に見せていったのです。そうしたあと光の存在は地球を去ったのでした。
質問者:その存在たち全員が、次の2万5千年のあいだもそこに残って手助けすることを決めたのでしょうか。
ラー:私はラー。そのとおりです。彼らはひとつの集団として地球に残りました。この文化と皮相的に関わった者たちもいましたが、関係を続けることはしませんでした。しかし、彼らも収穫されなかったわけですから、いわゆる第三密度の副次的オクターブの非常に高いレベルから始めて、この密度を繰り返したのです。愛情深い存在たちの多くが、ワンダラーではなく、二番目の周期でのこうした特殊な出自をもつ者たちです。
ペルーの先生は商社マンとしてペルーの地に降りたとたんにペルーが大好きになり、「僕はここで骨を埋める・・」と確信したそうですが、
そういう歴史があるので、山田征さんもマチュピチュチュに導かれたのかもしれず、
ちなみに「四月九日」というには、30年を経てリバイバル出版された山田征さんの「自動書記」が1988年の四月九日から始まってまして、
地球の地場を担っているというマグネット・サービスのクライオンさんは、
「9944」には重要なパワーがあると言ってましたが、
9944という重要なパワーの公式をお教えしましょう。認識力と直観によってあなたはやがてその意味へと導かれることでしょうが、それはエネルギーの変容において重要なことです。
そして、本には出ていませんが、実は四月九日はペルーの先生のお誕生日でして・・
この時は誕生日前に、クスコでひどい高山病になり、案内する手前、生涯でたった一度だけ「薬」を飲んだと聞きましたが、
そういうことを含めて、誕生日に山田征さんを案内することは「前世からのお約束」だったのかもしれませんネ!
ありがとうございます。
嬉しく拝読しました。
たまたま、ブログを最近読み始めていました。
山田征さんは、尊敬する女性でして、何度かお会いしています。
ペルー行ってみたいですね。
ありがとうございます。
安田さん、こちらこそコメントありがとうございます。
<たまたま、ブログを最近読み始めていました。>
山田征さんの本は、急に思い出して、調べてみたら・・って感じでしたが、共振したのかもですネ。
今後ともよろしくお願いします♡