共振・共鳴現象は、物理的なモノだけでなく、
「意識」から生まれるエネルギーをどんどん増幅させます。
ひとつの振動は必ず何等かの周波数を出します。どこからか同じ周波数の振動と出会えば、共振が始まります。
共振すれば振動は強く大きくなります。共振現象が多くなれば、共振物には豊富なエネルギーが入り、元気になります。共振現象が少なくなれば、振動も弱まり、やがてゼロポイントから訪れるエネルギーが少なくなり、物質は崩壊へと進み出します。物も人も現象も同じです。
一人が大きな石を転がそうとして、強い力を石にかけますが、石はびくともしません。そこにもう一人の人がやってきて、一緒に手伝ってくれると言います。
二人は息を合わせて、「いちにのさん」と、一緒に力を入れます。すると多少石は動きましたが、また戻ってしまいます。
戻ってくるタイミングを二人は捉えて、再び息を合わせて「いちにのさん」と押すと、前回よりも大きく石が動きました。三回、四回、、ついに石は転がりました。このように二人が息を合わせて石にタイミングよく力を加えると、ついに石は動きます。二人のあった息により力が合わさり大きな力になる、、、すなわち共振行動と言えるでしょう。共振行動が生み出す力は大きくなったわけです。
次に、同じ考えを抱く者同士が、何かに義憤を駆られ、不満やる方ない気持ちでお互いの顔を見合わせたとしましょう。
その時、二人の視線には、強い思いが共通して認識できることがあると思います。物理的には何も変化していませんが、二人の心の共振は、石を動かした共振行動よりも小さいとは言えません。むしろ石の時の共振行動よりも大きいのです。ひとつの石を協力して動かしたからと言って、人生の何かが二人の中で変化することはありません。
しかし、憤懣やるかたない強い思いが、もしも二人の視線の中に共振現象として共有できたら、それは今後のふたりの活動、生きかたを変えさいする、大きなエネルギーをもたらしているかもしれないのです。
ベテラン占星術家のマドモアゼル愛さんのブログからの抜粋ですが、
1+1は2じゃなく、共振現象によって、計り知れないエネルギーになるわけですが、
共振現象は「たった一人」でも起こせます。
さらに、相手がだれかも、どこにいるかもわからないものの、ある真実の思いを持った者が、いつも一定の思いを、どこかに、何かに常々投げかけていたとしたら、何が起こるのかということです。
一人の持つある思いは、一定の周波数となって世に飛び出し、拡散していきます。物理的には、協力して石を動かそうとする人もいない、気持ちや思いをわかり合える人もいない、、、そんな中でも、一人の持つ思いは意識周波数となって世界に広がっていくのです。そして必ず、その意識周波数と共振現象を起こす意識がこの世には存在します。この世に存在しなければ、あの世に存在します。そっちの方がさらに大きな共振現象をもたらすのです。
誰一人知らない、、、誰一人わかってはくれない、、、誰一人いない中で、純な意識を常々どこかに、何かにむけて生きる人がいたなら、これはもうどうにもならない。どこかの誰かと決定的な思いが共振し出し、大きなエネルギーをもたらすこととなり、現実はみるみる変化していくことになります。
もし、この世に一人もいないとしたら、その強い真実の思いはあっちの世界との共振現象を開始する。あっちは大元の世界ですから、その反作用は莫大な大きさになっていくでしょう。
たった一人が、世界を動かす可能性があるとも言えます。いえ、本当はたった一人でしか世界を動かせないのかもしれません。誰もわかってくれない中で、たった一人で真実を通す人によって、この世はきっと保たれてきたのかもしれません。
私たち凡人には到底わかりえない世界の話しではありますが、少なくとも、私たちは、自分が一人であることなど、恐れる必要がないということでもあります。
「純な意識」を増幅させた1985年のライブエンドを、
映画で観た若い世代が、またまた「共振」することで、
フレディの振動は、「今」も生き続けているわけですが、
「感情を癒す」バッチフラワーの世界では、
「あなたが幸福であることが、世界への一番の貢献」
だとされ、
義憤・・つまり正義感からくる怒りにはバーベインが、
愛アルゆえの、ストレートな怒りにはホリーがよく効き、
マイナス感情をバランスさせて、
愛と歓びにあふれている時は、その状態に共振する「あっちの世界」とつながりますので、
「義憤を駆られ」た経験もあるフレディの、
大きな愛に「共振」しましょう!
私も常々心の中で祈っているのですが、
1人ぼっちではなくその思いは増幅すると
思うと より信じてみようと思えます!
ボヘミアンラプソディ、夫婦で来週見に行ってきます(*^^*)~
間違いなく増幅してますよ〜
夫婦でボヘミアン、イイですね。楽しんで下さい!