「タイムトリップ」を比喩してると思われる「浦島太郎」伝説は日本各地に伝わってますが、
その発祥地の一つ、鹿児島県指宿には「たまて箱」電車なるものが走ってます。
何で電車が「白黒」ツートーンなのかというと、
太郎さんが、竜宮城から戻って「玉手箱」を開けた途端に、黒かった髪が白くなった・・カラとのことで、
本州最南端の鹿児島では、城山とかシロクマとか、白がお好きかと思えば、
黒砂糖や指宿の砂風呂など、黒モノも大事にされていて、
これは先日の九州旅行1日目、宮崎・日南海岸近くで、
30度越えの「暑さ」に参って、
スーパーマーケットでゲットしたアイスなんですが・・
東京では見たことのない、「黒糖もなか」はナント、
祖母の住む「伊集院」産でした〜
で、翌日10月1日は祖母に会いに伊集院に行ったのですが、
伊集院には「沈壽官窯(ちんじゅかんがま) 」という、薩摩焼を代表する窯元があると知り、寄ってみました〜
いつもながら、ウチは正門でなくてバックグランドから入る時が多く、
この日も「工房入り口」から入っちゃったのですが、そこは神様が祀られている別世界で、
職人さん達が無言で、
一心不乱に「技」を磨いている静謐な空間です。
敷地内のすべてに手入れが行き届いており、
神社仏閣と同じく、結界が張られた「聖域」という感じで、
「お座り」じゃなくて、「伏せ」をした、
狛犬さんもいました〜
後ろ姿がなんとも可愛い・・狛犬さんでしたが、
もっと気になったのが、この面白顔の石像で、
後にショップの方に聞いたところ、朝鮮の「島」から持って来そうで、
きっと、日韓友好の証なんですね〜
司馬遼太郎もこよなく愛したという、
「沈壽官窯」のご先祖様は朝鮮の方で、島津のお殿様に召しかかえられました。
作家、司馬遼太郎が、現当主の先代にあたる14代沈壽官氏を主人公に綴った作品の、出版記念碑です。
タイトルにある「故郷」とは、はるか海の彼方にある朝鮮の地のこと。
ここ沈壽官窯は、1598年 (慶長3年) 、豊臣秀吉による2度目の朝鮮出征 (慶長の役) の際に、当時の薩摩藩主、島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工のひとり、沈当吉から数えて15代続く薩摩焼の窯元です。
「初代をはじめ薩摩にたどり着いた陶工たちは、この美山の地が祖国に似ているとの理由で、この地に住みついたと言われています」
以来、沈壽官窯は島津家おかかえの御用窯として発展してきました。
他国のモノでも、イイものは何でも取り入れて改良加工し、独自に発展したのが日本文化ですが、薩摩焼はそんな日本文化の代表として、国の伝統的工芸品指定を受けています。
で、両親とも鹿児島県人なのに、今回、始めて知ったのですが、薩摩焼には「白と黒」があり、
これらは黒薩摩・・
これらは白薩摩で、
どちらも素晴らしいですが、もともと、桜島の火山灰が降り注ぐ鹿児島では「黒」が主だったのを、沈壽官窯の初代さんが苦労を重ねて「白」にしたそうです。
黒薩摩と白薩摩の違いは、土に鉄分を含んでいるかいないかの違いです。
鉄分を含んだ桜島の火山灰が降り注ぐ鹿児島では、黒っぽい土ばかり採れていました。
そこで島津家から白い焼き物を作れと命を受け、初代沈当吉たちは7年の歳月をかけて白い土を探したそうです。
ようやく見つけた白土で器を焼き、島津家に差し出すと、喜んだお殿様がその功績をたたえ、薩摩焼と名付けた。これが薩摩焼の始まりだと文献に残っています。
つまり白薩摩は超高級品で、庶民はもっぱら黒薩摩を使ってました。
優れた技巧も、その価値を認め、愛でる人がいて、はじめて発展するようですが、
そんな歴史のある「沈壽官窯」の妙技には、旦那さんも感心して・・
売店ショップでは、お手頃価格の黒薩摩も並んでましたが、思いきって、白薩摩のコーヒーカップをお願いしたら「受注生産」とのことで、工房に連絡して、納期は10月中〜下旬と伝えられました。
送料は無料とのことで、ウチは今回、カーフェリー&車でしたが、飛行機の場合は荷物にならず、ナイスなシステムですネ。
で、昨日、八王子の自宅に届きまして・・
楽しかった旅の想い出が蘇り、
「たまて箱」を開ける気分で、
開けてみたら、
買った時には気付かなかったのですが、ソーサーにも模様が描かれていて、
雀をモチーフにした春と秋、
裏側にも模様が描かれ、
すごーく気に入りました〜
夏と冬バージョンもあり、それらも素敵でしたが、なにせ1客11000円(税込)。
10月1日、消費税が10%になってお初の大きな買い物でしたが大満足です!
これは30年ほど前、結婚祝いに親戚から頂いた薩摩焼で、普段使いに重宝しています。
考えてみれば、陶器は長〜く使えるものですので、決して「高い」買い物ではなく、作っている現場を見れたのもテンション上がります。
それにしても「沈壽官窯」は凛とした素敵な空間で、
鳥の巣箱があったり、
屋根の上には大福様?
伊集院はホント何もない田舎でして・・転勤が多かった亡き祖父は隠居先として伊集院に居を構えたとのことですが、こんな所があったとは意外です。
意外といえば、同じく鹿児島県人の父から最近、「日の丸」はメイドイン島津だと聞きビックリしました!!
島津斉彬は鹿児島城内から見た桜島から昇る太陽を美しく思い、これを国旗にしようと家臣に言ったといわれている。また薩摩藩から洋式軍艦「昇平丸」を幕府へ献上するため、1855年1月(安政2年2月)江戸へ回航された際、日の丸が船尾部に掲揚された。これが日の丸を日本の船旗として掲揚した第一号とされる。
これが幕末に薩摩藩が建造した洋式軍艦「昇平丸」ですが、
薩英戦争の際、イギリス艦隊と戦うために国旗が必要になったわけで、白黒ハッキリするのがお好みな気風からして、ナルホドな「第一号」説です。
それはともかく、しょっちゅう噴火している活火山「桜島」を抱く鹿児島は、
なんだかんだ言って、異国を受け入れる度量がある土地柄なのかもしれず、
父親曰く「東洋のナポリ」とのことで、イタリアと同じく家族愛・・身内で結束する気風も強く、
そこが自分にはちょっと違和感ではありましたが、
今回、自分のルーツを辿って、あらためて九州パワーに興味がわいてきました!
16日から今度は母親が伊集院に里帰りしてますが、台風20号が21号とともに「ちょっと警戒」の中、
今日「孫の日」は、17人も孫らが集まって宴会とのことで、96歳の祖母はお喜びのようで、
うちも祖母のおかげで伊集院の「沈壽官窯」を訪問して、
ハイブリッドな日本文化のルーツをに想いを寄せる機会を得て、大感謝です!
*10月24日木曜日、イベントやりまーす!→リアル酵素カフェ#6 | eventon(イベントン)
自分で調べた訳でもないので当コメントのアップは希望しませんが、日の丸の諸説について紹介しておきます。『琉球交易港図屏風』に、日の丸の原型と思われる旗が散見されます。日の丸 太陽旗 などのキーワードで検索すると、それなりの説明がなされたブログも見つかります。個人的には、琉球王朝よりも遡るのではとの印象を受けます。
プチトマトさん、ありがとうございま〜す!見てみますね〜
「琉球王朝よりも遡る」ウンウンなるほどです。