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ゴッホとゴーギャンの違いとツインソウルだったかもしれないテオとの関係

ゴッホとゴーギャンの違いとツインソウルだったかもしれないテオとの関係

ゴッホと言えば「天才と狂気は紙一重」の代表のようなイメージですが、オルセー美術館に飾られた実物の数々を初めて見た時、

コピーではない「本物」から発せられるオーラの「輝き」に、しばし茫然としちゃいました。
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このフィンセント・ゴッホさん、たった10年間しか画家活動をしておらず、37歳で自殺したとされてますが、近年、異説も出てきているのは、

ファン・ゴッホは自殺を図ったとするのが定説だが、現場を目撃した者がいない事、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるとも言えることなどから、異説もある。2011年にファン・ゴッホの伝記を刊行したスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスは、彼と一緒にいた少年達が持っていた銃が暴発し、ファン・ゴッホを誤射してしまったが、彼らをかばうために自殺に見せかけたとする説を唱えた。

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ゴッホさんは、子どもの頃から繊細で感じやすい気質であり、

フィンセントは、小さい時から癇癪持ちで、両親や家政婦からは兄弟の中でもとりわけ扱いにくい子と見られていた。
親に無断で一人で遠出することも多く、ヒースの広がる低湿地を歩き回り、花や昆虫や鳥を観察して1日を過ごしていた。

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会社員生活7年目で「金儲けだけを追求するようなグーピル商会の仕事」を辞して、

「伝道師」を志し、自分の衣服を脱いで貧しい人々に与えたという奉仕系の方だったからでしょうが、父親は精神病院に入れようとしました。

伝道師としての道を絶たれたファン・ゴッホは、同年(1879年)8月、同じくボリナージュ地方のクウェム(モンス南西の郊外)の伝道師フランクと坑夫シャルル・ドゥクリュクの家に移り住んだ。

父親からの仕送りに頼ってデッサンの模写や坑夫のスケッチをして過ごしたが、家族からは仕事をしていないフィンセントに厳しい目が注がれ、彼のもとを訪れた弟テオからも「年金生活者」のような生活ぶりについて批判された。1880年3月頃、絶望のうちに北フランスへ放浪の旅に出て、金も食べるものも泊まるところもなく、ひたすら歩いて回った。

そしてついにエッテンの実家に帰ったが、彼の常軌を逸した傾向を憂慮した父親がヘールの精神病院に入れようとしたことで口論になり、クウェムに戻った。

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しかしながら弟のテオは兄を援助し、そして画家ゴッホが誕生します。

クウェムに戻った1880年6月頃から、テオからフィンセントへの生活費の援助が始まった。また、この時期、周りの人々や風景をスケッチしているうちに、ファン・ゴッホは本格的に絵を描くことを決意したようである。9月には、北フランスへの苦しい放浪を振り返って、「しかしまさにこの貧窮の中で、僕は力が戻ってくるのを感じ、ここから立ち直るのだ、くじけて置いていた鉛筆をとり直し、絵に戻るのだと自分に言い聞かせた。」と書いている。

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これは1880年、27歳のゴッホ青年が画家になる決心をしたベルギーのクウェムの家ですが、
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今では法外な値段で取引されるゴッホの絵は、生前は一枚しか売れず、

「画家ゴッホ」に、生涯「月150フラン(当時の約36万円)」を送金していた弟テオは、こう「予言」しています。

「兄さんがどれほど物を知っていたか、どれほど明瞭に世の中のことをわかっていたか、とても信じられないほどだ。もし兄さんが長生きすれば、きっと名声を得るに違いないと信じている」

そしてテオは、兄の中には「2人の人間」がいて、「この2人はいつも喧嘩している・・」とも言ってます。

「彼の中にはまるで2人の人間があるようだ。ひとりは才能に溢れていて優しく繊細な心を持つ人間だが、もうひとりは、自己中心的でかたくなな人間だ」

どうやらゴッホさんは「乗っ取られ」やすいタイプだったようですが、

ゴッホの本質は、鋭い観察眼とともに、
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単純に「人が好きで、好きで」「あらゆるものに神性を感じる」方だったようで、
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日本の浮世絵を見て、「繊細さとシンプルさ」を併せ持つ日本人への興味と憧憬がひとしおで、

「光あふれる日本」のような、南フランスを目指したのでした。

そして南フランスのアルルでは、
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「ここの太陽を信じない人はよほどの不信論者だよ」

と、たくさんの絵を描くのですが、
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切望していたゴーギャンとの共同生活は、最初は制作意欲をかき立てられましたが、だんだん暗雲がたちこめ、
Gogh4共同生活2ヶ月後の1888年12月23日、ゴッホはゴーギャンに対しカミソリを向け、

結局、自分の耳を切り落とし、「精神病院送り」となる事件を起してしまいました。
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ゴッホ自身はその件について「記憶がナイ」とのことで、乗っ取られた状態です。

これはゴーギャンが描いたゴッホですが、
400px-Paul_Gauguin_104

同じ天才でも、ゴーギャンさんはチョット冷たいところがあったようで、

叔父イシドアから1万3000フランの遺産を相続したものの、当初、妻に一銭も渡そうとしなかった。最終的に、メットには1500フランが分与されたものの、その後はシュフネッケルを通じてしか連絡をとろうとしなかった。

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『死霊が見ている』とか、
Paul_Gauguin-_Manao_tupapau_(The_Spirit_of_the_Dead_Keep_Watch)

『夜(悪夢)』とかの作品からは、
Paul_Gauguin,_Eve_(The_Nightmare),_1899–1900_monotype

ゴーギャンさんには、暗ーい世界と繋がりやすい感じが見て取れ、

精神病院でのゴッホは、度々「幻覚」の発作に襲われますが、ゴッホの発作が何であったのかは不明とのことで、

感じやすいゴッホさん、ひょっとしたらゴーギャンさんから「もらっちゃった」のかもしれないな〜なんて、ふと感じましたが、

こういう場合、役に立つバッチフラワーはウォールナットとクラブアップルの組み合わせで、
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この組み合わせは、アストラルレベルでの「影響」から身を守ってくれます。

退院後のゴッホは南仏を去り、「北で南の光を再現する」と、

パリから北西へ30キロ余り離れたオーヴェル=シュル=オワーズの農村に移り、
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たった2ヶ月間で80枚以上もの油絵を描きました。

1890年6月『医師ガシェの肖像』を描き、
800px-Portrait_of_Dr._Gachet美術愛好家でホメオパシー療法の精神科医のガシェ医師について、

「非常に神経質で、とても変わった人だが、体格の面でも、精神的な面でも、僕にとても似ているので、まるで新しい兄弟みたいな感じがして、まさに友人を見出した思いだ」

と言い、南仏の光をしっかり受け取ったゴッホは、筆が乗ってたようですが、
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ゴッホが精神病院に入った頃に結婚した弟テオには、職場の問題と家族の病氣が重なります。

この頃、パリのテオは、勤務先の商会の経営者ブッソ、ヴァラドンと意見が対立しており、ヨーの兄アンドリース・ボンゲル(ドリース)とともに共同で自営の画商を営む決意をするか迷っていた。またヨーと息子が体調を崩し、そのことでも悩んでおり、テオは6月30日、兄宛に悩みを吐露した長い手紙を書いている。

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ゴッホの自死の原因は、「精神の発作を苦にして」というのが定説ですが、

この動画に出て来るオーヴェル在住の「ゴッホ婆さん」が綿密に調査した結果、

オーヴェルでのゴッホはただ一度も発作を起しておらず、非常に穏やかで安定しており、
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「弟の苦境」を知ってから、不安定になったと述べています。

他者の苦境を自分のことのように感じ、心配で頭が一杯になってる状態に使うバッチフラワーはレッドチェストナットで、

エネルギッシュの人ほど、心配すると不安なエネルギーを引きつけてしまいますので、明るい気持ちで援助することが大切です。

しかしゴッホにとっては、画家になると決意して10年来、生活費を送ってもらってる身としてはダブルの葛藤状態であり、

「ゴッホ婆さん」が言う通り、「自分がいなくなれば・・」となった可能性は大です。

驚いたことに、弟テオはゴッホの死後、たった半年後で病死しており、

ゴッホは常々、「まるでテオと一緒になって描いているようだ・・」と語ってましたが、

ひょっとしたら、この兄弟は「ツインソウル」だったのかもしれません。

<ツインソウルの転生>

物質の世界に転生することを決意したどの存在も、ツインソウルと共に転生することが必要になります。

これは魂の分裂ではなく、二つの身体に転生することを意味します。そのうち一つは女性性を表し、もう一つは男性性を表します。

あなた方の多くは理想的な愛の関係を願っており、この願いはツインソウルとの繋がりから生じています。・・

ツインソウルとの関係があなた方を解放することはできないことを知ってください。

あなた自身の内面を満足させ、ワンネスの世界にしっかりと定着し、それからツインソウル同士が愛で繋がることで多くのことが魔法のように明かされるでしょう。

なぜならツインソウルとの人間関係は本当に素晴らしい経験だからです。それは惑星全体のための二重の光の柱と愛とワンネスを創造します。

世界全体で集中的に発生するであろうツインソウルとの出会いは二元性の終わりとワンネスの世界への突入を告げています。

生涯独身だったゴッホは女性に惚れっぽく、テオにも妻子がありましたが、魂レベルでの結びつきと性的嗜好はあまり関係ないようで、

「ツインソウルとの関係があなた方を解放することはできない」

というのは、ただ出会うだけでは何も起こらないことを言っているようです。

37歳と33歳、「無私の奉仕」で結ばれた兄弟はオーヴェルで隣合って眠ってますが、
Auvers-sur-Oise_Cimetière_977たった10年間を二人三脚で駆け抜けた「二重の光の柱」は、たくさんの作品と共に、これからも輝き続けるのでしょうネ!


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コメント & トラックバック

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  1. ガンタ~レ♪タ~レ♪あんたダレ~?そう、アンタれすヨ!
    と、いうコトで、悪役がオリオンなので、今に蠍座関係の宇宙存在(正義の)とかが現れるとは思ってました。

    11という数字が、先日の充溢にシンクロする感じですネ。

    ところで五ッホさんですが、かなり日本に凝っていたらしく、五井野さんによると、あれはやっぱり自殺なんだけれど、お腹を撃っているところがミソで、ふつう拳銃自殺の場合はアタマを撃つらしいのですが、あの行為の意味は、日本のハラキリ、つまり切腹のつもりだった(2発目はいわゆる介錯)、とのコトです。

    五~ギャンさんから貰ってたのかはわかりませんけど、五リ五リー・ラスプーチンとか、五オルギー・グルジェフとか、なんか五つながりは共通するところがあるよーな感じで、五ーリキーがロシア語で「苦い」という意味なのを鑑みてもイバラの道路線を歩んでる人たちみたいな印象派ですネ。

    • <蠍座関係の宇宙存在(正義の)>

      確かに・・でも、理路整然としてる所がちょっと新手な感じです。

      <日本のハラキリ、つまり切腹のつもりだった>

      これは驚きです。それにしても無理なことを・・まあ、そのせいでテオさんに看取ってもらえたんですネ。

      <イバラの道路線を歩んでる人たちみたいな印象派>

      上手い! 思うに、ゴッホさん、転生したら「平凡な幸せ」を願うかもネ。

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