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向田邦子氏の「装いの三本柱」と第3密度に混在する3つのタイプ

向田邦子氏の「装いの三本柱」と第3密度に混在する3つのタイプ

オシャレをしたり、「装う」という行為は、人間だけに許された「贅沢」であり、

このカウンター越しの姉(左)と妹(右)は、
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51歳で早逝した作家の向田邦子さんと和子さんで、

「オシャレ」で有名だった作家の姉には、「装いの三本柱」があったと和子さんは述べています。

第一の柱 自分が選んだものに責任を持つ

第二の柱 創意工夫して人に喜ばれたいという意欲

第三の柱 情報を収集して面白がる

とのことで

人間の目から見て、孔雀がどんなに美しく、華やかに見えても、
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それは雄の孔雀のDNAに組み込まれた「種の保存」行為であり、孔雀さんには「オシャレ」している意識はなく、

向田さんが「オシャレ」に敏感だったのは、「言葉の使用」と同じく、人間的な振る舞いであり、

「装い」と同じく、普通であることの難しさ、美しさが、向田作品には存分に描かれています。

また、「オシャレ」に敏感だった作家の観察力は鋭く、こんなことも言ってます。
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「私の身近な例でいうのだが、大きなバッグを持って、一切合切抱えて歩く人は長女が多い、ハンカチ待たずちり紙持たず、せいぜい口紅一本と小銭ぐらいで、イザとなったら誰かに借りるわ、という超小型バッグのひとは末っ子タイプ、少なくとも長女ではないような気がする」

典型的な「長女タイプ」だった向田邦子さんは、大きな「荷物」を抱えて生まれ、

それを一つ一つ丁寧にほぐして、足早に清算して逝ったかのようで、晩年の作品群には、50歳前後とは思えない人間としての「経験の深さ」を感じさせられます。

もっとも、人間としての「経験の深さ」は年齢だけで計れるものではなく、

2014年に天使になったトイ・プードルの蘭ちゃんは、
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ボサボサな状態から、美しくトリミングしてもらうと、

飼い主の気持ちが「投影」されてるせいかもしれませんが、

妙に「気取っている」ように見えなくもなく、

「ラー文書」によると、人間と深く関わりを持った動物たちは、「自我」を持つようになり、

来生では「人間」に生まれたりすることがあるそうです。

人間は「第三密度」、動植物は「第二密度」の意識存在で、

第一密度:
気付きの密度。この状態で、時間を持たない意識が、物質として現実化する。地、火、水、火のエレメントや鉱物の意識が、ここに属する。

第二密度:
成長の密度。この状態で、生物学的な生命が生じる。動物や植物の意識がここに属する。

第三密度:
自己への気付きとスピリットを意識する密度。人間の意識は、ここに属する。この密度において、創造主へ向けて、さらなる進化をするかどうか決定する。

第四密度:
愛と理解の密度。この密度では、自分と他人を完全に愛することを学び、進化の意志を持つ人々と共に道を歩むことになる。

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第3密度は「自我・選択」が可能となる密度で、動植物らは「成長・生命」の密度で、

ペットブームな昨今、前世ワンニャンだった子ども達が結構いるのかもしれず、
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そういった新人類は、人間としてのカルマはナイのでピュアなんだけども、

「自我」の取り扱いが、まだ初心者マークであり、
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それゆえ、「オレが、オレが・・」という自己主張が強過ぎたり、

自意識過剰で「引きこもり」になったりもするようですが、

ピュアな分だけ、突然「覚醒」しちゃったりもアルようです。

それに対して、人間として何度も転生し続けてベテランは、清算すべきカルマが溜まってたりしますが、人間関係のノウハウは心得てる場合が多いようで、

また、すでに第3密度を卒業しているに関わらず、さらなる「進化」のために、あえて「第3密度」に戻って来た方々もいて、
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年齢層を超えて、この第3密度には、

①ワンニャンからの進級した「新人類」
②古くから人間として輪廻転生してる「オールドエイジ」
③一度卒業したけど、再び「帰ってきたウルトラマン」

な人間が混在し、

イエス・キリストが、たった一度だけ地球に降りた「帰ってきたウルトラマン」だったの対し、
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釈迦は何度も転生して、悟りに達した「オールドエイジ」だったことが、
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覚醒した精神科医、ホーキンズ博士のキネシオロジー調査で確かめられてますが、

どの組の人も同じく、この第3密度へ受肉してきた目的は、

「”愛の方法ら・あり方ら”(ways of love)を学ぶ為であります」

であり、

ポジティブな第3密度卒業の条件は、「51%の他者への奉仕」となります。

「51%の他者への奉仕」って、そんなに難しい条件じゃなさそうに感じますが、

しかしながら、真の「他者への奉仕」とは、

まずは「自分を愛し、信頼する」ということであり、

これがなかなか難しいことだったりするのは、向田さんのエッセイからも伺えます。

<革の服>

革を着るときには気負いが要る。
覚悟のようなものが要る。
自分に号令をかけて励ますようなところがある。胸の奥の気おくれや、小さな罪の意識をわざとそそり立てるような、”はしゃぎ”が要る。大袈裟に言えば加虐的な快楽といったような意地の悪さもある。

着ているうちに、そういったものがいつの間にか体の温かみと馴染んで融けてゆく不思議な面白さがある。

けものの皮を着るのはうしろめたい。

かなり長いこと、そう思っていた。”殺生”の二文字が瞼の裏に見えたりかくれたりするようで、手を出すことなく過ぎていた。

考えてみればおかしなはなしで、皮の靴をはき、ステーキはミディアム・レアで、などという口の下から、ミンクのコートは残酷よ、もないものである。絹だって蚕が我が身を殺して作り上げた繭から作るものだし、ウールは羊を丸裸にして寒い思いをさせているのである。

小さな溝をひとつ飛び越すつもりで着てみたら、申し訳ないことだが、着心地がいいのである、丈夫で暖かい。何より皺の寄らないのが嬉しい。これも考えてみれば当たり前のことで、坐っただけで皺の出来る狼やミンクはいない。過酷な生存競争を生き抜くためにそなわった条件を、そっくりそのまま人間様が横取りしたのだから、便利なのは当然であろう。

もともと私はタブーの多い人間なのだが、革にはもうひとつコンプレックスがあった。

昔でいえばグレース・ケリー。今でいうならフェイ・ダナウェイのような長身痩せぎす。鼻筋の通った唇の薄いひとしか似合わないと決めていた。

私のような団子鼻のコロコロが着ては物笑いである。死んだ狐やミンクも浮かばれないと遠慮をしていたふしがある。

ところが30を過ぎ40も半ばを越したあたりから、少し考えが変わってきた。着たいものを着ようという気持ちになった。

よそおう楽しみは、他人様にどう映るかも大切だが、自分だけのひそかな喜びもかなり大きいものがある。

意味のない潔癖から人や物の好みにこだわり、あれは嫌、あの人も嫌いと自らせばめて生きてきたことが、少し勿体なくなったのであろう。

春が行ってしまい夏も終わって、人生の秋から冬にさしかかっているせいかも知れない。今まで知らなかった革の肌ざわりの中から、”挑戦”や”若さ”や”冒険”やーーそんな単語が生まれてくる。

「夜中の薔薇」より

妹、和子さんが語る、

「自分で面白がって夢中でやる。人を喜ばせたい。そして作ったもの、選んだものには責任を持つ、この三本柱は、姉がずっと持ち続け、衣食住の衣だけでなく、食にも仕事にも、姉の人生すべてに通底していたと思われます。」

という。向田さんの「装いの三本柱」は、「第3密度卒業」のためにもナイスな心構えであり、

「あれは嫌、あの人も嫌いと自らせばめて生きてきた」

というコンプレックスを手放し、

「着たいものを着ようという気持ちになった」向田さんは、

釈迦と同じく、卒業間近な「オールドエイジ」だったのかもしれませんネ!


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