老子は、春秋戦国時代(紀元前770年〜紀元前221年)の中国における哲学者で、
「太極」を奉じる道教において、老子は神格として崇拝され、
これは「老子誕生の図」ですが、
老子さん、ナント100年近くも母親の体内にいて、生まれた時から、白髪の大人姿だった・・とか、
13度生まれ変わり、990歳の長寿だった・・とか、いろいろな伝承があり、実在の人物ではないという説もありますが、ある種の予言者でもあったようです。
人間は2500年のちには、人間の拵えたもので滅びるであろう・・という意味の言葉を老子は申しました。
そのときが来ました。すべては人災で、めまぐるしい世の中、人の心も体も空気も水も大地も病んでいます。
医学、宗教、政治、教育、経済等の方向がすべて狂っているがため、限界がきているのです。今のままではどうにもなりません。
かたみとて何か残さん春は花
夏ホトトギス秋はもみじ葉この良寛の歌は現代をよく表現しています。自然破壊や環境汚染、遺伝子技術を駆使して動物や植物を人間の力で自由に操ろうとさえしています。
あまりに人間のエゴが大きくなり、「地球までも自分たちのものだ」という振る舞いです。人間は地球上にあるたくさんの生きものの一つにすぎないのに、こんなに我が物顔で振る舞っていいのでしょうか。
今ここに反省する時が来ました。
科学は発達し、教育水準は高まり、宗教や道徳を説く人や団体もたくさんあるのですが、一向に世の中は善くならず、ますます悪い方向に向いています。これは一体どういうことでしょう。このままいけば人類滅亡の危機にあります。
「物事が行きづまったとき、初心に返れ」という言葉があります。初心とはこの宇宙が、そして人類が創られたときの心です。・・人間はどこから来て、どこへ還るのでしょう。・・
今、研究されていますことには、人間の遺伝子の重さは米一粒の五十億分の一、そこに百科事典数千冊以上の情報が書き込まれているということです。そのままで、そのままですばらしい人間なのに、神の意に反する教育がはじまりました。それは徹底した人間中心主義で、エゴやあくなく欲望のとりことなり、弱肉強食の論理が前面に出て競争が激化しました。そのあおりを受けて私たちは育ちました。・・
喜びと楽しみのために創られた人間を闘争と破壊、弱肉強食の道具と化しました。
生まれたらすぐその線上に立たされ叱咤激励されてきました。生まれて現在まで一番多く聞いた言葉は何でしょうか?
「はじめに言葉ありき」
昔から言葉には霊力があるのです。だからいい言葉を使えば幸福になる。悪い言葉をいえば不幸がやってきます。では、私たちが聞いた言葉を集めてみましょう。
ダメです。いけません。もっとがんばらないと○○に負けます。〜しなければ○○はしてあげません。弱虫ネ。ぐずぐずね。汚いネ。はやくしなさい。おくれます。大嫌い。かわいくないネ。できないのネ。〜しなさい・・・。
まだまだあります。
このようなマイナスの言葉、手も足も出なくなる言葉が、幼い心に、これでもか、これでもかーーとすりこまれているのです。なかには、聞いてうれしくなる、歌いたくなる、おどりたくなる言葉を聞いた方もあるでしょうけど、ほんの少しでしょう。
実は宇宙には絶対的な法則があります。
それはすべては波動であり、心も波動です。波動には波長があって、波長に合わないことは起こらないーーということです。わかりやすくいえば、
「喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びに来る」
「悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみに来る」ということです。
昔から、明るい人、暗い人と、人を分けてきました。
明るい人は喜ばれ、暗い人は「たった一つのふくれ顔、まわりのみんなを暗くする」と嫌がられます。
しかし、振りかけられ、すりこまれた言葉は、暗い言葉ばかりです。さあ私たちは、どうしたらその明るい人になれるでしょうか?大丈夫!!その方法はあるのです。
何事も、ダメョ、ダメョとすりこまれたマイナスの言葉をはねかえすように、言われた言葉の数より多く、大丈夫、大丈夫といいましょう。心の底から湧き上がらせましょう。すりこみがうすくなるように、なくなるまで、いいつづけましょう。人類みんなのために、生まれてくる赤ちゃんのために、大丈夫、大丈夫とたくさんいいましょう。
「病氣になりました」
「ハイ大丈夫」この体は宇宙のエネルギーで創られているから、エネルギーが入りやすいように、素直で明るいあたたかい心で、ありがとう・・と感謝していたらすぐ治ります。
「試験です」
「ハイ大丈夫」智慧は天とつながっているから、落ち着いていたら天から流れてきます。
「事業をします」
「ハイ大丈夫」エゴではなく、みんなが幸せに喜ぶようなことをするなら、一番よい場所に、ちょうどよくお金も人も集まります。
「長生きしたいです」
「ハイ大丈夫」自分の内なる心が喜んではたを楽にしていれば、あなたのお望みの年まで天寿をあげましょう。
「すばらしい家に住みたい」
「ハイ大丈夫」何事もイメージです。イメージしたものしか現れません。ちょっと高い望みがいいのです。
しかし100%信じることが大切です。1%でも信じてなかったら成就しません。これも宇宙の法則です。宇宙の根源から、すべてのものを創造するエネルギーを引き込むには、うれしい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう・・の言葉を心の中から発することです。
この言葉は、光です。この発光体は宇宙の根源に到達して、無尽蔵の天の倉から噴射されます。そして人のこころやまわりを明るくするだけでなく、組織構造を変えてしまいます。この光の受け皿が「大丈夫」という言葉です。
この受け皿を腹の中にしっかり備えないと光が漏れてしまいます。
さあ、いつでもどこでも、心の中から「大丈夫、大丈夫」を湧き上がらせて、拡げて、大きな大きな輪にしましょう。
「はたを楽にして」の「はた」は「傍」で、
働くという言葉は、「傍を楽にさせること」からきていて、つまり、他者を楽にする生き方・・他者への奉仕を指してます。
「傍を楽にさせること」は、何も偉大な発明をしなくても、
例えば、昨年春に植えた「三輪草」の苗が無事に冬越しして、
昨日から咲き始めましたが、それを眺めているだけで「楽しく」なりますので、
人間も、自分なりの花を咲かせれば、「はたを楽にして」働いていることになります。
福岡県でコスモポートという健康道場を30年以上営む吉丸房江さんは、まさにそんな生き方をして来た方で、80歳過ぎても現役で、
「子育て」への助言も具体的で筋が通ってます。
親が身をもって示していけば、子どもはそれをまねていきます。学ぶとはまねることなのです。
子どもが動き回ることに我慢ができないなら、そういう場所には連れて行かなければいいのです。コンサートや美術館、レストランなどのは、子どもを連れて行かなければいいのです。そうすれば、何も怒ることはありません。連れて行っていい場所、連れて行ってはいけない場所、我慢のできる時間の範囲、そういうものを考えるのが愛情というものです。
子どもは自然が一番好きです。「おにぎり」を持って人工的でないところに行ってうんと走り回らせてください。落ち着きのある子に育ちます。・・
親が子どもに教えてもらうこともたくさんあります。子どもによって育てられた部分がたくさんあります。親だから子どもより上の立場にあるわけではありません。子どもと親は同級生、それでいいのだと私は思っています。
7人のお孫さんがいる吉丸さんは、3人の子どもを育てたお母さんですが、
ご自身は27歳と30歳で父母を亡くされており、子ども時代に「お母さん」から教えられたことの大きさを、このインタビューで語ってます。
「はたを楽にして」が出来ないと人間は自己卑下するようになり、「虐待する親」や「公共の場で他人を傷つける」人間の出現は、
まるで「魔物」に取り憑かれてしまったかのようですが、
そこまでに至るまでには吉丸さんのいうところの「明るさ」の欠如があり、
「たった一つのふくれ顔、まわりのみんなを暗くする」
にならないように、また、
「言葉には霊力があるのです」から、言葉を大切にすれば、
「はたを楽にして」が出来る人類がどんどん増え、21世紀は自然に、「組織構造を変えてしまいます」になるのがイイですネ!
ラーは過去に、たしか中国においてデネブの人たちがある程度高度な文明を形成してた、みたいなコトを言っていたのと、そのデネブが白鳥座なコトから、方噛ムナ検索で出てきた白鳥族というのは符号してるから関係あるっぽい感じがしますネ。
ただ極性化の観点からいうと、方噛むナとかヌーとかは自己への奉仕路線にも使える青色半田光線主体な感じで、緑光線の要素が抜けてる関係で、どちらかというと自己への奉仕に傾きやすい気がして、だからラーはあんまり言及しなかったんじゃないかと思いまちた。(つまり仮に善と悪で言うと、相手を嫌って居なくなれば良いとか思ってるのは善の方で、悪は善玉のカモが居なければ自分たちも存在できないと知っているので実は大好き)
ただ統合路線ではあるので、ソロパブさんの最新記事や
http://solopub.blog103.fc2.com/blog-entry-790.html
対になっている時間/空間と空間/時間とかを理解というか、イメージするにはかなり役に立つように思いました。
あと老子の記事で9次元とか言ってるのは音楽におけるテンションコードみたいなものだと思われ、(オクダーブ上?のドレミファソラシド「レ」の音)だとすると現オクターブ世界では9次元と11次元と13次元しか使えないのかも知れないですネ。
実は自分も、ソロパブさんの『人が言語を介さず、ナマの信号のやりとりで交流している世界』に馴染みがあり、言葉は難しいと感じる今日この頃で、カタカムナのウタそのものは、簡潔に誤解なく、見えない世界の仕組みを表現しているのだと感じます。ラーとか西洋本に出てないのは、やはりローカルエリアだったからでは?
次元については、密度より曖昧な感じで、意識によっていくらでも出来るような感じもアリますネ。
今は親が物質・外面いわば服装や学歴、仕事の事が全てであるかのように教え、人間の本質(魂でも霊でも内なる神でも愛でも何でも良いですが)より上に立ち、奴隷かまるで機械の様になっている気がします…。
本当にある種の集団催眠というか実際問題、本人も含め人々が創り出した集合意識という集団催眠ですね。
そして何故こうなったのか考えると、ひとつにはこういった内面のとらえどころのないものを物語として家族の間で語り継ぐ、実はたくさんの知恵を含んだお話が核家族になり断絶されて、心の拠り所が無くなり、結果として今の様な浅い世界や価値観が主体となってしまったのかなぁと思いますね…
いつも寝る前に必ずブログを拝見させて頂いており、とっても癒されそして学ばさせて頂いている23歳の通りすがりでした。
これからも過去の記事含めゆっくりと楽しみに拝読させて頂きます〜!
道さん、コメントありがとうございます。若い人ほど分ると早い・・のはいつものことですが、落ち着いた文面に23歳とは驚きました!
おっしゃる通り、小さなコミュニティで受け継がれる「人としての核」がなくなれば、人類は滅亡していくしかないと思われますが、これからは血縁を超えたつながりでもOKですので、「大丈夫」でしょう!
今後ともよろしくネ!