東京の人口密度は世界1位で、9位のニューヨークに比べても、
どこまでいっても「都会」が続く、東京の規模の大きさに驚いたとニューヨーカーは言ってましたが、
石の文化である25位のパリと比べると、
東京は公園以外の場所でも土や緑が比較的多い都市であり、
都心でも昔風な蕎麦屋さんとか残っていて、
生まれ育った東京は決して嫌いではありませんが、
都内から都下へと、どんどん西に引っ越していき、
この10年は八王子と清里を毎週末に往復する生活をしてるせいか、
たまに都内に行くと、その人口密度の多さに息苦しさを感じちゃう時があります。
まあ若い頃は都会好きでしたが・・・好みは変わるもので、
「母の日」だった5月14日の日曜日、日中は都内で過ごしたのですが、
夕陽に向って中央高速を西に進み、八王子を過ぎるとめっきり車の数が減り、正直、ホッとしました。
連休明けの5月15日月曜日、清里高原は新緑の季節を迎え、
平日はなおのこと、家の前を通る人も車もほとんどありません。
こういう静かな生活を、最近は好む方も結構いるようで、
山梨県は空き家率も高いけど、都会から移住してくる人も多いと聞きますが、
東京の多すぎる人口密度を考えると、自然な流れだと思います。
さて、密度と言えば、地球は「第3密度から第4密度に移行中」とよく言われますが、
<密度について>
バシャールは第3密度とか第4密度というように密度という言葉を使う。これは先に紹介した「ラー文書」でも同様だ。これは精神世界で一般に使われる「次元」という言葉とは一線を画す言い方で、一対一の対応関係にはないようだ。
バシャールによれば、第4密度までが物質世界である。第5密度から非物質社会に入る。我々人類は第3密度の生命体であり、バジャールは第4密度の生命体で肉体を持つ。ただ我々第3密度の生命体からは光輝く存在にしか見えないそうだ。
人類は第4密度に移行すると言われている(ポジティブな地球を体験する場合のみ?)。バシャールたちは第5密度へ移行するとのことだ。
「ラー文書」によると植物、動物、鉱物が第2密度の存在である。
どうやら「密度」と「次元」は別モノの話のようですが、
第3密度より第4密度の方が、3次元的な「物質法則」から自由なようです。
<第3密度と第4密度の差は何か>
「自分が『一なるもの』とひとつであるということに気づくと第4密度に上がる。この気づきは、上の密度に上がるほど深まる。第4密度では、その最初の段階の気づきが起こる。この気づきは、自分が現実(リアリティ)を共同創造しているという気づきにつながる。
自分が自分のリアリティを創造していると認識し、実際に創造するようになる。それを防げる信念から自由になる。
防げる信念とはつまり、自分で自分のリアリティは作っていないとう信念、恐れ、第3密度に留める信念には、地球生命系特有の信念と、もっと宇宙一般的な信念とがある。
ここで創造する言ったが、第3密度や第4密度の物理的条件を満たす範疇で創造する。自分は年を取らないと思っても、実際年は取る。無限の寿命があるわけではない。
自分で自分の未来を作っているとわかっているので、自分の未来に対する不安はなくなる。恐れがなくなる。死の不安もなくなる」
「振動数が高くなってくるとポジティブに考えるようになる。疑いが少なくなる。自分の思いが実現されやすくなる。疑いがストッパーの役割をしている(重し)。それが少なくなるので思いが実現されやすくなる。そうするとさらに疑いがなくなる。
自分でどう実現されるかは特定しない。自然の流れに乗って実現されてくる。
非物質界では思いはそのまま実現されるが、物質界では実現するのに物質界のエネルギーが必要。第3密度では第4密度よりもさらに大きなエネルギーが必要。
波動、振動数に共鳴する形でエネルギーが集まる。物質界のエネルギーとは、本人の実際の努力、タイミング、他の人の協力。
今どうして自分が自分の現実を作っていることが信じられないのか?」
坂本:悪いことが起きることがあるから・・他にもいろいろな要因があまりに複雑に絡んでいるように思えます。自分がすべてをコントロールしているとは思えません。偶然だと思ってしまいます。
「いろいろな要因があるのは事実だが、それらは自分の生み出す波動に共鳴して引きつけられてくる。あるいは共鳴しないので引きつけられない。すべてをコントロールしているわけではないが、基本の波動は自分が出している。それに応じた未来が引き寄せられてくる。
だから結果の詳細は異なるかもしれないが、その持つ振動は同じ、似た色合い、波長だ。
第3密度ではそういう関係になっている。
第4密度では物質がより軽い。高い振動数なので、思いはより実現しやすく、そのまま現われやすい。非物質界では思ったとおりにストレートに現れる」
今生で「地球を卒業」するらしい坂本政道氏のバジャール情報からの抜粋ですが、
東大出の理数系らしい、坂本氏の鋭い「疑う姿勢」が、
かえって分りやすい、シンプルな答えを引き出しています。
<上の密度ほど幸福感が高まる>
「(上の密度に)行かなければならないということではない。行きたくなければ、この密度にい続けてもいいのだ。ただし、我々はみな幸せを求めている。
上の密度はより幸せの多い状態、喜びの多い状態である。幸せを求める限り、我々は上の密度へと導かれていく」
坂本:どうして幸せを求めるのですか?
「それは我々すべての意識の中に本来備わった欲求と言っていいだろう。創造された際に組み込まれたと考えられる。
ポジティブは他者への奉仕を通して喜びを得、ネガティブじゃ自己への奉仕を通して喜びを得る。いずれも喜びを求める点では同じだ。
喜びを求めるという本来備わっている欲求は、我々が『一なるもの』と一体であったときに感じていた大いなる喜びを、今でもどこかで覚えていることに起因している。
それに対する郷愁の念が、すべての存在をして、上の密度へと向かわせる原動力となっているのだ」
上の密度に上がるほど、本来は一つである自他への「気づき」が深まり、幸福感が増し、さらに物質的法則からの自由度が高まるわけですが、
覚醒しちゃってる人は、どんな状況においても幸福感の高い人であり、
自分に対する疑いがなく、100%信じていて、そういう人のソバにいると「あるがままの自分」が引き出されます。
そして、実在する不食の弁護士、秋山佳胤氏は、
「わがまま」とは、ありのままの自分のことであり、
「わがまま」は私たちが生まれてきた理由だと言います。
わがままを否定すると
個性が消えてしまい、
生まれた理由が消える。一瞬、思っただけで、意識のエネルギーは飛ぶのです。
あるいは「私はできる」と強く自分に念じる暗示(自己暗示)の効力は、アストリートや起業家の間では実証済みですが、気をつけたいのは、自分のどこかに自己否定的な感情があると、創造的な暗示力が生み出せないということです。
自分を否定せず、肯定する。
我儘という意識を消し、わがままという意識を持ってみてください。
バジャール風に言うと、
「我儘」とは、自己への奉仕を通して喜びを得る=ネガティブであり、
ネガティブは離散させる方向に進み、
「わがまま」は、他者への奉仕を通して喜びを得る=ポジティブであり、
ポジティブは集積する方向に進みますが、
要するに、第3密度から第4密度に上がれば上がるほど
第3密度と第4密度の差な人が増えて、住みやすい世界になりますので、
東京は人口密度を上げるより、第4密度への上昇を目指した方が良さそうですネ!
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