戦後の日本は、「ゆとり教育」とか「自由教育」とかが盛んに推奨されてきましたが、
米国で學び、7万件以上の臨床例を持つ心理カウンセラーの大嶋信頼氏は、
人間はそれぞれ、人生を困難する「特徴的な遺伝子」を持っており、
尊敬する師を真似ることで、そういった「特徴的な遺伝子」はオフになると仮説し、
戦後の子ども達がドンドン荒れていった背景を、こう分析しています。
「教師が尊敬できる存在じゃなくなると、生徒はどんどん特徴的になっていった。黒い学生服に紫のちばりをしたり、髪の毛をさまざまな色に染めてみたりし始めた。
戦士の遺伝子のスイッチっがオンになった生徒が他校の生徒と喧嘩を始めたり、薬物やアルコール依存の遺伝子がオンになった生徒はシンナーを吸って歯をボロボロにしたり、アルコールで問題を起したりした。
特徴的な遺伝子の生徒が増え続けていったので、特徴的な遺伝子がオンになっていないと虐められる、という流れも感じるようになった。特徴的な遺伝子のスイッチをオフにする”尊敬”という言葉はどんどん失われていった。そして一体感が得られずに苦しむ人が増えていった・・・。
「特徴的な遺伝子」には色々なバリエーションがありますが、
例えば、左利きに優位に多いという「感情を言語化出来ない遺伝子」を持っていると、
何を話しても相手に自分の気持ちが伝わらないくて(表現できないから伝わらない)、
「わかってもらえない」という感覚のまま、ふてくされた態度になってしまいますが、
その根源には、「一体感が得らない苦しみ」という歪みがあり、
そういった歪みを修正する秘法、裏技テクニックとして、大嶋信頼氏は、
あえて、「”尊敬”なんて難しい言葉を捨て」
「○○さん、すげ〜」を連発するだけでイイとします。
<現実は歪められている>
人から見捨てられてしまう恐怖って遺伝子から来るの?と不思議に思うのだが、実際のところ、高所恐怖症の遺伝子や閉所恐怖の遺伝子も特定されている。遺伝子の影響で高い所が怖いというのは納得いくし、狭い所が怖いというのも「なるほど!」という感じである。見捨てられる恐怖もその遺伝子を持っていて、スイッチがオンになっているか否かの問題。・・
特徴的な遺伝子のスイッチが入ってしまった人は特に”尊敬”という言葉を嫌悪する。もしかしたら、尊敬を嫌悪する遺伝子があるのかもしれないが、それはまだ見つかってないので、仮説としておこう。
だから、”尊敬”なんて難しい言葉を捨て「○○さん、すげ〜」だけにしたのだ。
マネをするとか、尊敬心を持つとかは一切必要なくて、ただ、言葉を唱えるだけでいい、というシンプルなテクニックである。
不快な気持ちになったときは、特徴的な遺伝子のスイッチが入っているときだから「○○さんって、すげ〜」を唱えると、スイッチがオフになって、次第に一体感が感じられるようになってくる。唱えて、特徴的な遺伝子がオフになっていくと、現実の世界が見えてくる。
「あれ?自分って太っていると思っていたのに痩せていたんだ!」なんてことも見えてきたりする。
「あれ?自分ってこんなに人の悪口を言ってたんだ!」と気がつくようになるのは、遺伝子のスイッチがオフになったから。
スイッチが入っていると見えなかったものが、オフになると見えてきて「自分の感覚って当てにならないなんだな〜」と改めて思ったりする。
現実が見えてきて、多少なりともショックを受けるのだが、問題はすぐに修正される。遺伝子のスイッチが入ったままで現実が見えていないと何も対処することができないが、オフになると現実が見えてくるから自動的に素早く対処できるようになる。
たとえ”尊敬”に値するような「師」が見つからなくても、
あえて「○○さん、すげ〜」を連発すると、自分をダメにする「特徴的な遺伝子」のスイッチをオフに出来るとは朗報で、
ゼッケン51番のイチローは本来は右利きとのことですが、
こういった天才と呼ばれる人は皆、「我以外皆我師」で学ぶことが得意な方々です。
「我以外皆我師」とは、「この世で出会ったモノは皆、自分の師である」という意味ですが、
吉川英治の「宮本武蔵」では、父親から虐待され、やがて自分も「戦士の遺伝子」がオンとなり、野獣と化していた武蔵が沢庵和尚に捕獲され、高い木に吊るされ、
吊るされた状態で、満天の星空に吸い込まれていく感覚になったとき、
「己の存在はナント小さい!」と初めて自覚し、「スイッチオフ」になったことが描写されてます。
<スイッチオフで本来の自分に戻る>
武蔵の場合、”己の小ささ”を自覚したときに「我以外皆我師」として、すべての人に対して、”尊敬の念”が持てたのかもしれない。すべての人に”尊敬の念”を持つことで、武蔵の特徴的な遺伝子のスイッチはオフになっていき、人々の心をつかむ人間へと変化していった、・・
”自信のない人”は「自分が尊敬できる人」を探すと「あの人は尊敬出来ないけど、この人は尊敬できるかもしれない」といった比較対象を作る傾向がある。
「あの人のあの部分は尊敬できるけど、あそこはな〜」と自信のない人は言う。自信がないのに優劣をつけてしまう。自信がないと言いながら、心の中で相手に対してダメ出しをしてしまう。
このように比較対象を作って「あの人のあの部分は尊敬できない」としたとき、実はそれが無意識のうちに自分の特徴的な遺伝子を指して「尊敬できない」と言ってしまっている。
そして「尊敬できない」と断言した時点でその特徴的な遺伝子がオンになって、知らず知らずのうちに、尊敬できない人と同じような醜いことをやってしまう。でも、特徴的な遺伝子のスイッチが入ってしまっているので醜いことをやっている自覚がない。
肥満の遺伝子がオンになっていると「自分が太っている」という自覚がないのと同じで、スイッチが入ってしまったら己の姿が見えなくなってしまう。
武蔵の場合「我以外皆我師」なので、比較対象を作ることがない。「あの人はダメ」とか「あの人のあの部分がダメ!」と否定することがない。さらに「皆我師」として尊敬してしまうから特徴的な遺伝子のスイッチが片っ端からオフになり”無敵の剣士”になったと考えられる。
だから「○○さんって、すげ〜」をやる対象は「誰でもいい!」のである。この「すげ〜」のベースには宮本武蔵の「我以外皆我師」がある。
ランダムにターゲットを絞って「○○さんって、すげ〜」を唱えてみると、その人の世界が見えてきて、だんだん「本当にすげ〜」と思えてきたりする。その「すげ〜」と思えたときに、自分の特徴的な遺伝子のスイッチがオフになり、そこで周囲と一体感が得られるようになる。
そして、もっと一体感を得たくなり、「すげ〜」の対象を他の人に変えてみる。すると、新たなる人の中の「すげ〜」を体感できたときに、もう一つの遺伝子のスイッチがオフになり、さらに周囲との一体感が深まっていく、という仕組みになっている。
どんどん尊敬できる人の素晴らしさを吸収する、というようりも、「すげ〜」で自分の特徴的な遺伝子のスイッチをオフにして、本来の自分の姿に戻っていくだけ。本来の自分の姿に戻ったとき、本当に求めていた”一体感”がそこにある。
「○○さんって、すげ〜」をやる対象は「誰でもいい!」
というのは簡単過ぎるようですが、経験的にはコレクトで、
つまり、ムカっとするような「気になる人や物事」こそ自分の歪みを映す鏡となり、
「気になる人や物事」に対して、「○○さん、すげ〜」と唱えると、
不思議と全く気にならなくなり、そして、人生が好転するのです。
これは昨年の7月3日の清里で、
一昨年、東京から移植したツツジは今年も同じ頃に咲きましたので無事根付いたようです。
正直、昨年の方が数段色鮮やかに咲いてましたが、
気候条件などで、色々なバリエーションがあるのが自然の醍醐味です。
植物にもちゃんと意識や感情はありますが、
「昨年の方がキレイだったのに。。」といった愚痴をこぼさず「あるがまま」に咲きます。
それに対して「自我意識」を持つ人間の現実認識には歪みがつきもので、
常に比較して、優劣をつけたがる傾向があり、それ故に科学技術の発展も成し得たのですが、
歪みが大きくなり過ぎると、不自然な感情生活になっていき、メンタル面もおかしくなります。
ですので、人生を困難する「特徴的な遺伝子」をオフにするためには、
超簡単なように見える大嶋信頼氏の、「○○さん、すげ〜」のテクニックは、
どんな花でも愛でるのと同じ感覚であり、
49%の自己への奉仕
51%の他者への奉仕
でポジティブな収穫が起きるという、
第6密度からのメッセージ、「ラー文書」の言うところの、
「一なるものの法則」を現実生活で実践するテクニックであり、本気でヤレば、必ず効果大だと思いますよ〜
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