今年はじめ、イギリスの週刊新聞『エコノミスト』の『2015 世界はこうなる』の表紙に記された11.5と11.3という日付が世界中で話題になりましたが、
どうやら、11.5と11.3の意味は、
コレじゃないかと、海外で噂されているようす。
10月19日月曜日に行われたCNBCのインタビューで、ジャック・ルー財務長官は、「財務省は、11月3日までに債務限度を引き上げなければ資金が底をつく。」と警告しました。
以前もこのような事を言っていました。1962年以降、米財務省は債務限度を74回も引き上げてきたのです。
しかし最も懸念されることは、ルー長官は、今回は不足の事態となるかもしれない、と警告したのです。
また、ルー長官は、「米議会のみが債務限度を引き上げる決断ができる。私は11月3日までにあらゆる手段をうっているだろう。そうすることで我々は現金を使えるようになる。しかし私は、債務限度を引き上げる度に予期せぬ事態になるのではないかと心配している。。。」と警告しました。先週、ルー長官は米議会に債務限度の引き上げ期限は11月3日であると文書で伝えました。数週間前までは11月5日が期限とされていたのにです。
そして、今年1月に発行されたエコノミスト誌の表紙の右下には、11.5と11.3という日付が書いてあったのを思い出しました。
確かに、この2本の矢はヤタラ意味深な感じで、
「世界経済が破綻する」は、経済通的には、かなり現実的らしく、
ATMが使えなくなった時のために、2週間分の現金、水と食糧を手元に置いておいた方がイイという話もありますが、
友人の治療士、ペルーラム君が野菜だけでなく、無農薬でお米を作るようになったのは、
別に備蓄のためではなく、
心身の健康状態に、「食」が及ぼす影響が大で、何より美味しいお米を食べたい。。ということのようで、
世界でも稀に見る豊かな「食文化」を持つ日本人は、
ホーキンズ博士の言うところの「ホモ・スピリタス」まで成長する可能性の高い民族なのかもしれません。
「ホモ・スピリタス」とは、ゲリー・ボーネルさんの言うところの、ダイアード意識が、
①トライアード(三位一体)
非物理的形体 基本的第一次存在・・魂(ソウル)
創造された最初の瞬間から全体であり、完成された存在②ダイアード(二元性存在)
物理的形体 基本的進化存在・・肉体(エネルギーをベースにした物質)
原始的な存在から進化し続けて、ついに「本当の人間」になった状態で、
つまり、今の人類のほとんどは、まだ「本当の人間」ではなく、
「はやく人間になりたい!」と叫ぶ「妖怪人間ベム」たちと同じであり、
ベム、ベラ、ベロさんたちは、「まだ人間でない」と知ってるだけエライのです。
覚醒した精神科医のホーキンズ博士は、「真実と主観性」にて、
「ホモ・スピリタス」になるためには、「悪」を弾劾する必要はないとしてます。
わたしたちは”悪”という言葉を口にする必要がありません。それは感情を刺激する言葉です。その代りに、自己陶酔的な利己主義、自我の肥大、無知、集団ヒステリー、動物的な衝動による精神病質的/犯罪的行動化などと描写するほうが適切です。これらの行為は、愛の不在によって特徴づけられます。
そういえば、こちらの記事のコメントで、
ビックリなレア情報を頂きましたが、
私の時代の先生は、給食全部食べさせないとか、見せしめの説教とか、露骨なえこひいきとか、竹刀を振り回すとか、大声で怒鳴るとか、理由も聞かず一方的に怒るとか、ガキ呼ばわりとか、セクハラとか、パワハラ発言なんかも中学校までは当たり前にありましたねー。
自宅節水のために洗車しに学校に来る先生もいたし(笑)。
これじゃ学校の先生って、
「動物的な衝動による精神病質的/犯罪的行動化」の展覧会みたいですが、
その昔、先生や医師は「聖職」であり、子どもを導く人たちは、「ホモ・スピリタス」であるか、少なくとも、目指している方であってほしいものです。
教育の世界も、日教組をはじめ、対立や争い事、欺瞞に満ちているのが現状で、それがどんどん渦巻いて、惨事に発展するとも考えられ、絶え間ない人類の惨事について、ホーキンズ博士はこう述べてます。
Q:そうした人類の惨事に対して、どのように距離を置くことができますか?
A:より広いコンテクストを持つことによって、より公平な視点を持つことができます。人間の意識は、動物から始まり、幼児から好奇心旺盛な若者、そして成熟した大人へと成長していきます。
しかし、新人類たる「ホモ・スピリタス」まで成長することは、ごく稀と言えるでしょう。数千年も前から、霊的なインスピレーションを得た才能ある個々人やグループが存在していたにもかかわらず、その数が伸びることはなく、彼らの明らかな影響力は反対勢力や歪曲により制限され、損なわれてきました。
わたしたちは人生の盛衰を変動として眺めることができ、それに蔑視的なラベル付けをすることはありません。人生は最高の学校なのです。
立ち位置から離脱することによって(特に、ラベル付けから起こる立ち位置)、わたしたちは平安と自由と安心を得ることができます。より大きな平安は、コンテントではなく、人生のコンテクストに目を向けることによってもたらされます。
というのも、コンテントは自我同士がぶつかり合いゲームボードにすぎないからです。このように人生に対し、より大らかに臨むことで、さらなる慈悲心が生まれ、世界に振り回されることもなくなります。
コンテントとは、「誰がどこで何をどうした」みたいな内容で、集中して何かを成し遂げたり、車を運転する際には必要な意識状態です。
それに対してコンテクストとは、布置を俯瞰する意識状態であり、
例えば宇宙がコンテクストなら、地球はコンテントであり、
コンテクストから、
地球の多彩なコンテントを眺めるると、
すべてのものが美しく、
完璧なのです。
意識レベルが上がるにつれ人々が寡黙になるのは、その人の意識状態が常にコンテクストに向けらてるからで、何を見ても美しく、それでいて明晰な区別が出来るのです。
差別ではなく、区別です・・
ここに葉がナイのは事実であり、アル状態と区別する意識は保ちつつ、ナイことも美しいわけです。
このことは、ペルーラム君の父上であるペルーの先生から、
ある朝起きたら「何が起きても嬉しい」至福な状態になり、しばらく言葉が出てこなかった・・という体験を聞いてましたので、納得です。
ホーキンズ博士は精神科医、ペルーの先生&ラム君は身体の治療をする人で、心身の健康状態とコンテクストは密接な関係にあるようですが、
『エコノミスト』な「自己陶酔的な利己主義」な方々が狙っているのは、人類が「より広いコンテクストを持つこと」を阻止することのように感じます。
経済というのは、まさにしく、
「コンテントは自我同士がぶつかり合いゲームボードにすぎない」モノですから、
『エコノミスト』の予言がどうであろうと、
刻一刻、深まりつつある秋を愛でて・・
世界経済の「流れ」からハズれた所で、自分なりの幸福を見出すのがコンテクスト的には良さそうですネ。
COMMENTS & TRACKBACKS
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はじめまして、こんにちは!一年前に、四人目の出産を期にバッチフラワーレメディを揃えましたがイマイチ使い方がピンと来なくて手付かずのままでした。ですが、先月にイルカさんのブログを知ってから活用しまくっています。
何となく薬に頼らずイイ感じになりたくて、試したんですが、いつもイイ感じに近づきつつあります。おかげさまです。
ところで、破廉恥先生の被害に遭ったのが原因でその後しばらくは真っ暗な小学校生活でしたが、親に訴えても先生がそんなことするわけ無い、むしろあんたがオカシイと言われ二重に傷つきました。
私が傷ついてフワフワした地に足が着かない生活の一方で、他に被害に遭った友人が声を上げたら見せしめのような懲罰にあって大変な思いをしたようです。結局、悪事がばれたようで、なんと特別支援クラスに異動していきました。今思うと、何が行われたのかゾッとします。
中学では、別のクラスですが、女子全員強制的にブルマ姿にして、飛ばされた先生もいました。ちなみに、すぐに手をあげることでも有名な方でした。なんで教員になれたのか、不思議です。
ちょうど、その頃の罪悪感やら汚れた存在やら、頭の固い、子供を見下す親と葛藤が楽になったところで、初カミングアウトです。このブログが励みになりました!
そして俯瞰する意識のありかたの、コツみたいなものを得させてもらっていますー。これからも更新楽しみにしています。
スズキさん、はじめまして、こんにちは〜
貴重な情報コメントありがとうございます。
<親に訴えても先生がそんなことするわけ無い、むしろあんたがオカシイと言われ二重に傷つきました。>
こういった話は、ほんとに多くて驚きですが、子の方が親より意識レベルが上だと、そうなってしまうようですが、そういった経験こそが「進化」への触媒となるのだと思います。
<そして俯瞰する意識のありかたの、コツみたいなものを得させてもらっていますー。>
ウレシイお言葉、ありがとうございます〜
個人的な体験型リアルマガジンのノリですが、これからもヨロシクお願いしまーす!
コメントありがとうございます!ホント、このブログがきっかけで人生変わりましたー!
これからも、どんな記事が更新されるかワクワクしています。コメントを読んで下さって、しかもコメントから、暖かいものが伝わってきました。ありがとうございました。