「2016年の秋に、全てが変わる・・」と、
チャネリング情報の老舗、バシャールさんは言ってましたが、
その変わり方は、どういうことかというと、
「エネルギーの上昇が更に加速してあなたの心にある”異質”な波動が、更に強く出現してくるようになる」
とのことで、
いわば、ごまかしが効かなくなる・・ということで、
どんどん”毒素”が放出されちゃうようですが、
現象としては、
「徐々に変化してゆく”事柄”もあるし、一瞬のうちに変化を体験する”事柄”もある」
とのことで、しかも、
「2017年以降は”未定”」
なんですが、
日本人へのアドバイスは、自然との共生です。
●日本に住む人達で、
健康、発電、精神的繋がり等に関して、自然界と調和した方法を追求して突き進む人達、
又は、あなたの波動が、最もシンクロする、自然界と繋がりの強い地域に移り住む人達で、
”素の自分”を、調和の取れた方法で表現出来る人達は無事である。それ以外の人達は、そうでは無い。
近い将来、日本国に、”分岐”が訪れる。
今まであなた達が追求してきた、古いシステムは崩壊し、
今まで中心であった権力構成は、もはや機能しなくなるであろう。
そして、自然界と調和した方法を追求する人達や、
自然と調和した地域に移り住む人達による、
調和された生活へと移行するであろう。
あなた達には、最高で10年の猶予がある。
日本でこれから起きるであろう、という”事柄”は、
今から5年以内に起こる可能性がありますが、
10年以内には、起こるでしょう。
ですから、自分を変える必要のある所を、変えていって下さい….
2015年のセッション内容ですが、「天皇陛下の生前退位」と何か関係するのでしょうか?
いずれにせよ、自然と調和する生き方がイイようで、
まずは「ベビーマグちゃん」や「クエン酸」などで、
水を汚さない洗濯や掃除を心がけましょう!
さて、ウチは2008年に山梨県の山林に土地をGETして、
コツコツとセルフビルドで家を作ってきたので、
もうすっかり山梨県に馴染んでる東京都民なんですが、
伊勢神宮のある三重県と山梨県には意外な共通点がアルことを知りました。
複数の地方に隣接してる県は、三重と山梨だけとのことで、
全国八地方区分で公式に複数の地方に跨っている都道府県はこの三重県(近畿地方と中部地方〈東海地方を含む〉、各々の場合ごとに扱われる)と山梨県(関東地方と中部地方<甲信越地方を含む>。こちらも各々の場合ごとに扱われる)の2県のみである。
これは三重県鳥羽市・答志島の「桃取集落」ですが、
「桃取島」とも呼ばれ、
九鬼嘉隆が最期を終えた地です。
<九鬼嘉隆>
日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。九鬼水軍を率いた水軍武将であり、九鬼氏の第8代当主である。
志摩の国衆の一員として身を起こし、織田信長や豊臣秀吉のお抱え水軍として活躍し、志摩国を支配して3万5,000石の禄を得た。
こうした経歴とその勢威から、江戸時代には軍記物などで海賊大名の異称をとった。後に関ヶ原の戦いで西軍に与し、敗れて自害した。
で、山梨県にも桃太郎ゆかりの「九鬼山」があります!
「桃太郎物語」が成立したのは室町=南北朝時代です。
<南北朝内乱期>
1333年の鎌倉幕府滅亡後に開始した後醍醐天皇の建武の新政は、恩賞や所領をめぐる不満や混乱によりすぐに崩壊のきざしを見せ始めた。
諸国の武士達の衆望は、清和源氏の嫡流である足利尊氏に集まるようになり、後醍醐と尊氏の対立関係が深まっていく。
1336年、尊氏は後醍醐を退位させ、北朝の光明天皇を擁立し、幕府を開いた。2年後には征夷大将軍の宣下を受ける。後醍醐は京都を脱出して大和国の吉野に南朝を開き、内乱が長期にわたって繰り広げられる。
つまり、2012年12月に終わった「1000年オカルト期」のど真ん中であり、
この時期、パッとしない海賊だった九鬼一族が、突然、世に出て、
そして、歴史の表舞台から消えてました・・・
<九鬼水軍をご存知ですか?>
現在の三重県出身の九鬼嘉隆が率いた水軍で、織田信長参加となり、毛利方である宿敵・村上水軍を撃破し、戦国最強の水軍として名を馳せました。
ちなみに鉄甲船を作ったのも九鬼嘉隆といわれています。
さて、その九鬼水軍ですが、絶頂期は信長の存命中で、その後はどうなったのか?
信長が本能寺の変で最後を遂げると、九鬼水軍は羽柴秀吉に仕え、九州平定や小田原の陣で活躍します。
ここまではまだ順調で、慶長二年(1597)家督を次男・守隆に譲ります。
しかし九鬼水軍の転機となってしまったのが慶長五年(1600)の関ヶ原合戦。
豊臣家に恩義を感じた父・嘉隆は西軍、家督を継いでいた守隆は東軍についてしまい、嘉隆は敗れて自刃。
東軍に付いた守隆も寛永九年(1632)に亡くなってしまいます。
その後、守隆の息子である隆季と隆久の間で家督争いが勃発し、徳川幕府から分割相続を命じられてしまうハメに。
隆季は丹波綾部(現・京都府)二万石。隆久は摂津三田(現・兵庫県)三万六千石に転封となってしまいます。
この二ヵ所は内陸部で海に面しておらず、このときより九鬼水軍は、水軍としての歴史に幕を閉じました。
しかしその後、隆久の三田藩では、水軍の誇りを忘れないために、城の前に大きな池を作り、軍船を浮かべて調練する伝統行事がうまれました。
九鬼水軍の名は初耳ですが、
ごま油の九鬼は知ってます。
「九鬼」の名が歴史の大舞台に登場するのは、「九鬼嘉隆」という人物がいたからです。
熊野の各水軍を一つにまとめ、戦国時代に活躍しました。これが歴史に出てくる九鬼水軍です。
時代は天正6年(西暦1579年)、世界史上初めての鉄張りの巨船7艘で当時最強の毛利水軍600隻を撃破しました。
その後、秀吉の時代には三重の鳥羽に城を構え、嘉隆の栄華は頂点になりました。
しかし、関ヶ原の合戦では一族の存続のために親子で二手にわかれ、嘉隆は西方の石田三成側につきます。そして戦で敗軍となった嘉隆は、鳥羽の答志島で58歳の生涯をとじました。
一方、嘉隆とともに西方についた守隆の末の弟は、関ヶ原の合戦で敗軍として逃れ四日市の地にたどり着きます。その後四日市で住いを構え、水軍としての能力を活かして兵庫県・赤穂の塩を東京に販売するなど回船商売を始め、江戸時代には武士を捨て商人となりました。
これが四日市・九鬼家の始まりです。その後、九鬼家は、四日市に菜種畑が広がり水が綺麗なところに目を付け、製油業を始めました。
明治十九年、八代・九鬼紋七氏が「油を搾るなら最高の油をより良い技術で」ということから、日本で初めて連続式圧搾法により胡麻油の製造を始め、今日の九鬼産業に至っています。九鬼の胡麻油へのこだわりはこのときに生まれたのです。
やはり、ご先祖様は九鬼水軍だったようで、
これを機会に九鬼の油を定期購入することにしましたが、
「熊野の各水軍を一つにまとめ」たという九鬼水軍、
「桃太郎」伝説とも相まって、
「日本国に、”分岐”が訪れる」
今だからこそ、なかなか興味深いお話ですネ!
イルカさん 九鬼水軍を詳しく取り上げてくださりありがとうございます。
折しも、水軍の栄えた志摩半島は大雨と雷でした。
ほんとうは、ここ最近の小さな地震の頻発にシコウサクゴしていて九鬼水軍を書き込みました。
近辺には、中央構造線もありますので揺れた時は、スローにスリップした感覚があり、今までの地震とは少し違うと感じました。
震源に、奈良の御杖村とありました。
御杖村は、一度参拝したことのあるヤマト姫の神社があります。
過去と現在と未来は、同時に存在すると想像すると、九鬼水軍とヤマト姫たちが、もしかしたら日本列島レスキュー大作戦なんて?笑
<ここ最近の小さな地震の頻発>
横田基地も騒がしいです・・が、平穏な気持ちで11:11ポータルをキープしつつ、
起こるべき変化は受け入れるしかありませんが、感じてくれる人が多いほど、ナイスな方向に向きそうですネ!
関が原はサンカ三羽烏による演出の一つであり、功あり名があったものは皆生きてるわけです。
織田信長しかり、明智光秀しかり、真田の御大将しかり、ですので、九鬼水軍はシルクロードネットワークの柳生一族傘下にて温存されたと見てます。
柳生一族ですか・・またまた謎でーす。
ご先祖様は三重県の大王崎、海賊だったと亡くなったお祖父ちゃんが云っていたらしい。
伊勢志摩の旅行で、大王崎の灯台の側の神社でお詣りすると、それまでの晴天が一転ものすごい雷と風雨・・・しばらくして晴天になり、驚きました、歓待のご挨拶だったのかしら?
やっぱりうちのご先祖ここだったんだね、と夫。
熊野灘は難所ですから島陰に隠れて悪さをしていたのかな。
戦いになると九鬼水軍に召集され、ある時は北朝、ある時は南朝、風を操るのに長けていた?。
<ご先祖様は三重県の大王崎、海賊だった>
それはスゴい血筋ですね。是非とも自然と調和して、日本を守って下さい!
<熊野灘は難所ですから島陰に隠れて悪さをしていたのかな。>
ウチの先祖も薩摩藩の武士なんですが、戦う動機に愛があったらなら。。OKなんだと思います。
九鬼の油、クエン酸、大好きで普段使いです。
ベビーマグちゃんは、イルカさんを真似て使用を始めました^ – ^
以前に、八日市のパジャマ屋さんの品を主人にプレゼントしようと、本人へ相談して断られていました 苦笑
こちらとのシンクロの多さに、驚きです。
現在、村上水軍拠点の1つ、伯方島に居ます。
猪肉や釣ったお魚を分けていただき、酸っぱい野良伊予柑を食べています。
凄く体調が良いです。
バシャールのアドバイスに従うと、心地が良い状況が巡ってきますね^_^
いつも意識して、生きていたいです。
ホント、シンクロの時代ですネ。
村上水軍・・今、日本に起きてることは「水」絡みが多いですネ。
心地よいコメント、ありがとうございました!
シルクロードネットワークには色んな会派がありますが、核となるのは秦氏の流れで柳生一族もClAのような役割分担で、例えば靖国神社など創建し極東アジアの国家間のコントロール装置として利用してるわけです。
揉め事の種蒔きが上手いことー。ー
<極東アジアの国家間のコントロール装置>
だから参拝するんですネ!