3連休中日、8月10日の清里高原は、
あいにくと、朝からシトシト雨降りで、

真昼の外気温20度・・寒い位です。

昨日土曜は、降りそうで降らない・・お天気で、

コモンセイジ・エクストラクトの葉にいたキボシカミキリさん、

写真を撮ってたら、ブーンと飛んで行っちゃいました〜

動物さん達は、「気配」の変化を感じるエキスパートで、
見知らぬ観光客がどんどん来てるせいか・・お外に出たベンガル・ピノちゃん、スグに家に戻っちゃいました。

犬だての赤さがしっかりしてきて、

玄関前のお隣さん宅から越境してきている、

ブッドレアが、いつのまにか咲いていて、


栗がなり始め、

お隣さんから移植したシオンも咲きました。

昨日8月9日は「長崎原爆の日」で、16時55分に水瓶座満月となりましたが、
てるてる坊主効果なのか・・今年は「雨で中断」がほとんどなかった、

第36回清里フィールドバレエは、ライオンズゲートが開いた日に始まり、満月で千秋楽って、すごいタイミングですネ。

ライオンズゲートが開いた日から、消化器系の不調になって、結局、(軽い)膵炎で8月1日から入院しちゃった旦那さんが、
本日、外出許可をもらって一時帰宅したのは、「ゴミ出し」のためで・・清里で暮らすには、運転が出来ないと「ゴミ出し」も出来ないのです!

住民票は八王子なので、日曜日13時〜16時の「別荘用ゴミ出し」のために大泉まで行かなくてならず、
7月20日の日曜日は、参院選のために東京に行ったので、結局、3週連続「ゴミ出し」出来なかったのが、やっと解消。スッキリしました〜

旦那さん、久しぶりにピノちゃんと会って、シャワーを浴びて・・大泉で「ゴミ出し」して、長坂の市立病院に戻りましたが、なんでも、お盆前だから・・と、ボケ老人を病院に預ける(入院させる)パターンが多いそうで・・驚きました。
まあ確かに・・「ゴミ出し」をパスしちゃった選挙の日、町田の実家に寄ったのですが、93歳父の「一人暮らし」は心配ではあり、自宅から徒歩15分の「サ高住」に入った方がイイのかも・・と感じました。
で、奇しくも26日(ライオンズゲートが開いた日)、父の「サ高住」入居が決まり、昨日、満月の日にお引っ越し・・ウチがこんな状態なので、転勤族で「引越し」には慣れてる弟クンに任せちゃいましたが、無事、完了したようで良かったです。
なにせ母親の時は、病院からホームに移ったその日に「大腿骨骨折」でしたからね〜〜
昨年のことが、まるで夢のように、遠い昔に感じますが、入院で「飛び級」しちゃった母は、ボケても母らしさは健在で、
「先の先のことまで考えている」と自負する父親より、晩年の母の方が「わかっている」感じがしましたが、
マハラジの通訳をしながら、覚醒したラメッシは、

心には、「機能する心」と「考える心」があり、覚醒者は「機能する心」だけで動いている・・そうです!
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<機能する心と考える心>
ブレンダン: 人はどうやってエゴと心を区別するのでしょうか?
ラメッシ:それはできません。それらは同じものです。考える心とエゴは同じものです。それらは同義語です…
シン:では、あなたが肉体精神機構と言う時は、それは心を含むものなのですね。
ラメッシ: 肉体精神機構では、心は、機能する心と考える心の両方があります。普通の人の場合は、機能する心と考える心の両方とも、賢者の場合は機能する心だけです。
シン:肉体精神機構とは、考えることを処理するデータ処理機のプログラムのようなものなのですか?
ラメッシ:考えることは、その肉体精神機構がプログラムされていることに従って起こります。思考は、神が特定の肉体精神機構に入力したとおりにわき起こるのです。では、なぜ思考は起こるのでしょうか? なぜなら、それは出力を導きだすようになっているからです。ですから、方程式E=mc²は常にそこにあったわけですが、その方程式を受け取るようにプログラムされたアインシュタインという名前の肉体精神機構だけが、その思考を受け取ったのです。
ブレンダン:あなたが「肉体精神機構」という言葉を使うとき、心を意味してはいないのですか?
ラメッシ:「肉体精神機構」という言葉は、肉体と、そして普通の人の場合は機能する心と考える心を意味し、賢者の場合は、機能する心だけを意味します。・・
考える心が巻き込まれることは水平的です。機能する心は水平的ではありません。機能する心は、現在の瞬間にとどまります。
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う〜〜ん、ボケちゃった人の「考える心」=エゴは、どうなっているのでしょうか?
ボケちゃった母は、心配事でいっぱいだったそれ以前より、「今」を生きてるような感じがしましたが・・
いずれにせよ、「肉体精神機構」がピカピカな若者は、「考える心」が旺盛であり、
ラメッシは、「何かをして、考える心よりも機能する心に機会を与えなさい」と、若者にアドバイスしてましたネ。
そして、「老年期うつ病」に見られるように、「肉体精神機構」の衰えを感じ始めた頃も、不安から「考える心」が旺盛になると思われ、
そんな「考える心」=エゴを静かにする唯一の方法は、「個々の行為者はいないということを、完全に無条件に受け入れること」です!
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ラメッシ:あなたが『アイ・アム・ザット』から得たと思うメッセージは何でしたか?
フレディ:どんなものにも執着しないこと、です。でも私は、自分の心はサルのようだと思っています。常にしがみつくものを必要として、手放しても、またもやしがみつくのです。 絶えず忙しい。・・
ラメッシ: まったく、そのとおり。サルの心がなければ、人生は実にシンプルなものです。つまり、あなたがスイッチを切りたいのは、心そのものではなく、サルの心です。こういった理由で、私は心には二つの面があるという考えをもっているのです。 一つはサルの心ーー考える心ーー質問し、答えを提供し、そして、これらの答えにさらにまた質問するということを延々と続ける心です。これがサルの心、私が「考える心」と呼んでいるものです。
心にはもう一つ別の側面もあり、私はそれを「機能する心」と呼んでいます。フレディが自分の人生を生きるのに必要なのは、機能する心です。機能する心は、状況のある瞬間に、なされるべきことをやることだけに集中します。なされている仕事が必要かどうかさえ、関心がありませんし、結果にも関心がありません。それは、ただなされている仕事をやることだけに集中していて、「誰が」その仕事をやっているのかには関心がありません。
考える心は、「『私』がこの仕事をやっている。『私』はその結果がどうなるのかを知らなければならいけない」と言います。ですから、考える心はいつも未来の結果について考えています。機能する心は未来に関心がありません。
なぜ機能する心は未来に関心がないのでしょうか? なぜなら、未来の結果に関心がある「人」は考える心、エゴだからです。機能する心においては、その仕事をおこなう個人はおらず、エゴもいません。ですから、機能する心において、仕事をやっている個人がいないのなら、そのときには、「誰」が結果を心配するでしょうか? 機能する心においては、働く個人はいませんーー 仕事はただなされるのです。
個々の「行為者」は、知りたがっている考える心ですーーこの仕事がなされたら、自分に何が起こるのだろうか? その「自分」こそが、考える心、エゴです。エゴとは、私の考えでは、行為者という感覚を持った個人という、名前と形による自己同一化ーー 何がこの肉体に起こるにせよ、「私」がそれをやっていて、「私」がその結果に苦しむ人である、というものです。
フレディ:私の中には、いつも最高の決断をして、最高の結果を得たいという願望がありますーー いつも、いつも、いつもです。
ラメッシ:ですから、「『私』がその仕事をやっている」というのは、常に「自分」ーーエゴ、行為者です。私の考えでは、考える心ーー サルの心、観念化する心を静める唯一の方法は、個々の行為者はいないということを、完全に無条件に受け入れることです。あらゆることはただ起こります。「自分」がそれをやっていると考える個々の行為者がいるかぎり、「その人」は責任と結果について考え、気にかけることになります。これが考える心です。でも、「自分」が行為者だと感じる「自分」なしに、手元の仕事に注意を払うことは可能です。
本当の問題は、どうしたらフレディが、フレディは決して行為者ではなく、やっていることはただ起こっているのだという、完全な無条件の受容に到達するのか、ということです。それは実際の個人的体験を通じてです フレディが、「自分が」やっていると思っているすべての行為は、フレディがいるからではなく、フレディがいるにもかかわらず(!)なされているのです。そしてあなたは、フレディがいつも自分の望むものを得ているわけではないことを知っています。ですから、起こることをフレディは決してコントロールできませんし、あなたは、そのことを自分の実際的体験、個人的体験から知っています。フレディはいつ責任と結果の重荷を感じなくなるのでしょうか? それは、フレディが自分はどんなおこないの行為者でもなかったと完全に確信する時です。フレディは決して行為者ではありませんし、フレディだけでなく、誰も行為者ではありません。どんな人間も行為者ではありません。
フレディ:誰がこの結論に到達するのですか?
ラメッシ:まさにそこです。最初にこの結論に達する「人」はエゴ、「自分」が行為者だったと考えていた「人」です。しだいに、「自分」は存在していないという結論に達した「私」、エゴはある期間にわたって、「自分」は何もやっていないという個人的な体験にますます気づくようになります。それから、エゴはますます弱まり、もしそれが源泉の意志であるなら、エゴは崩壊するのです。
エゴが崩壊したら、この肉体精神機構はどうやって機能するのでしょうか? その答えはーー肉体精神機構は、まさに今までとまったく同じように機能しつづけるということです。以前は、この肉体精神機構を通じて機能していたのは源泉でした。そして、未来にも、この肉体精神機構を通じて機能し続けるのは源泉です。以前、フレディは、「自分」が機能していたと考えていました。でも今、フレディは、「自分」は機能していないことを知っています。 機能それ自体は、過去と同じように未来へ継続していきます。
フレディ:私には自分自身の面倒を見なければいけないという信念があります。
ラメッシ:その通りです。ですから、それ自身の面倒を見るのは、機能する心です。機能する心は状況に応じ、必要なことをやり続けます。それゆえ、フレディは、自分の行為に責任のある、社会に受け入れられた人物として継続するのです。すると、何が起こるのでしょうか? 行為や行動は起こり、それらは神、すなわち源泉の意志ということです。一つ一つの肉体精神機構についての神の意志とは、妊娠の瞬間に刻印されたその肉体精神機構の運命と私が呼んでいるものです。
人生とは何でしょうか? 私の考えでは、人生はただ、大勢の肉体精神機構の集合であり、それらを通じて源泉は機能しています。私たちはただ起こっていることを受け入れるだけです。私たちは、なぜ源泉がそれがやっていることをやっているのか、決して知ることはできません。なぜでしょうか? それは、なぜ神がそれをやっているのか、もしあなたがそれを知りたいと思うなら、創造された対象(客体)が、主体である創造者の意志を知りたがっているということになります。どうしてそんなことは可能でしょうか?ですから、エゴという怪しげな才能ーー 行為者という感覚、考える心ーーを与えられている創造された対象物にできるのは、ただ神の創造の素晴らしさを受け入れることだけです。なぜ神はそれをやったのか、対象物とエゴは理解しようとすることさえできません。なぜなら、創造された対象は、主体である創造主の意志を決して知ることができないからです。
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う〜〜ん、故ペルーの先生は「ワンちゃん、ネコちゃんが先生だよ・・」と言ってましたが、
彼らには、「考える心」はなく、「状況に応じ、必要なことをやり続けて」ますね〜〜
と言うわけで、「先の先のことまで考えて」サ高住に入っちゃった父が、かえってボケちゃうのでは? と、やや心配ではありますが、
「あらゆることはただ起こります」し、先のことは「神のみぞ知る」ですね〜〜
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