鏡餅は三種の神器の一つ、八咫鏡を形取ったものとも言われ、三種の神器とは、
日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物のことで、
三種の宝物である「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」「草薙剣」は、天皇でさえも見ることが許されないとされてますが、
鏡餅の飾り付けには意味があり、
餅が「八咫鏡」で、
橙(ダイダイ)=みかんが「八尺瓊勾玉」、
そして、「草薙剣」の別名である天叢雲剣に見立てた物が串柿(干し柿)で、
こんな風に干し柿を添えるのが「本式」だそうで、
そんなことはつゆ知らず、タマタマ頂いたので、初挑戦した「干し柿」ですが、
かなり、いい加減なヤリ方でも、ちゃんと美味しくなりましたので、
冬のビタミン源としてだけでなく、
「三種の神器の一つ」として、恒例行事に採用したいと思ってますが、
そうとは知らず、「干し柿」はひたすら食べるだけで、
昨日、八王子の自宅を出る時に一応鏡餅を飾ってきたのですが、
手づくりなんでUHOみたいな餅ですが、28日という「時」はOKだったみたいです。
鏡餅を飾り始めるのは、早くても問題とはされないが12月28日が最適とされる事が多い。「八」が末広がりで日本では良い数字とされているからである。大安(12月31日を除く)を選んで供える地域もある。
12月29日は、日本では「九」が苦しむにつながるので避けるべきとされる(逆に29を「福」と読み替えて、この日に餅を搗く地域も有る)。
12月30日はキリの良い数字なので悪くないと考えられている。
12月31日に飾るのは、「誠意に欠ける」「葬儀の飾り方を連想する」などの理由により、「一夜飾り」「一夜餅」として忌避される。但し浄土真宗はこの限りでない。
鏡餅だけでなく、正月のお飾りは、29日、31日を避けた方がいいとされてますが、こうした由来には諸説ありますので、あまり気にしなくてもイイのかも知れません。
しかしながら、鏡餅を「三種の神器」としてお供えする風習は、
ロシアの元量子物理学者の「幸福実現の法則」を、日本人は昔から何となく感じとっていたのカモ?です。
あなたはこの二元鏡を魔法のように操ることができるか?
トランスサーフィンでは運命が問題になることはないと思われるかもしれない。運命はバリアントの空間が存在するおかげで自由自在になり得るし、二元鏡の法則に従っていれば、運命は操縦可能となるからだ。しかし、それでもこのテーマにはもう少し注意を払うべきなのである。
運命については意見が分かれる。ある人々は、運命は所有者である本人の手の中にあると考える。また、ある人々は、運命は予め決められていると信じる。ほかにもっと遠大な考えの人々もいて、運命を前世における各人の行いによって条件づけられ、神や天から遣わされた天恵か宿命と考えている。どのような見方が真理にいちばん近いのだろうか。
どれもが真理に近い。どの立場も確かであり、対等でさえある。鏡である世界において、そうでないということが果たしてあり得るだろうか。鏡の前に立つ誰もが、自分の思考のイメージを確認するのである。鏡に映る自分の顔は悲しそうに、または嬉しそうに見えることが、予め決められているだろうか、と鏡に問いかけても無意味なことだ。
一方で、鏡はあるがままのものが映し出され、他方では、自分がこうありたいと望むものを目にすることになる。そのため、運命についての問題とは、予め定められた運命を撰ぶか、それとも自由は運命を撰ぶか、という選択の問題なのである。
要するに、撰んだものを受け取るとあなたが確信するだけのことである。
もし人が、運命は予め決まっていて、そこからは逃げられないと確信しているならば、本当に事前に確定しているシナリオが現実化することになる。バリアントの空間には、一本一本別々の小流が存在し、人生という小舟は、もし手を放して波任せにすると、小流に乗って進むことになる。・・・
ところが、人が梶棒を自分の手で握ると、その人の人生は状況に翻弄されるのをやめる。小舟を予め決められた「運命」から好きな方向へ向けることができるようになる。
すべてはとても簡単なことだ。人生は河のようなようなものである。もしあなたが自分で漕ぎ進むと、方向を撰ぶことが可能となり、もしただ流れに任せると、成り行き任せの小流を進まなければならない。
あなたがカルマを求めれば、カルマを受け取る。あなたの人生が何らかの避けがたい状況や前世の過ちによるものだと思うと、あなたはそう思うことでそれにふさわしいバリアントを現実化させる。
あなたの意志のままなのだ。なぜなら、あなたは神の子だからだ。もしあなたが支配者であることを望むなら、それもあなたの思いのままとなる。二元鏡はあらゆることに同意するだろう。要は、あなたが鏡を取り扱うことができるかどうかにかかっている。
トランスサーフィンの枠内では、こうしたことのすべてが完全に明らかになっている。唯一不可解な謎であり続けるのは、バリアントの空間である。そこにあるすべてを誰が「置いた」のか。それはどこから来てそこにあるのか。そして、いかなる理由によるものか。また、そこにすべてが置かれる前は、何があったのか。
正直に言うと、私は何も知らない。仮説を述べることだけはできる。バリアントの空間は誰が築いたものでもない。それはずっとそこにあった。
人間の理性は、この世にあるすべてが何かによって、あるいは誰かによって作りあげられ「それぞれに始めと終わりがある」と考えるようにできている。
おそらく、すべてがそうとは限らないだろう。残念なことだが、たとえ人間の意識性を、カキ貝と人間との意識性の開き分ほどさらに引きあげたとしても、そのようなことの意味を理解するのに十分とはならないと思う。
世のなかには理性の可能性を遥かにしのぐ問題がある。なにしろ理性は、抽象的に思考する能力を持ってはいても、論理的な自動機械に過ぎないのだから。
つまり、29日はダメだと思えば、ダメになるし、
心底、気にしない人にはネガティブな鏡の反映はナイわけです。
いずれにせよ、お正月は気心の知れた家族や仲間でゆっくり「笑顔」で過ごし、
特に信者でなくても神社に行き、イイ鏡を拝んで一年の幸運を祈る・・は、
トランスサーフィン的にも理にかなっているわけで、
意外にあなどれない、日本の年中行事ですが、
「要するに、撰んだものを受け取る」を、忘れずにお参りしましょう!
先々週のニャンパチSP先生は武田鉄矢が出てきたりしてイマイチだったけれど、先週の2時間SPはかなりオモシロくて、そのひとつに「うんがい鏡」という鏡と鏡の空間をつなげる妖怪(USAピョンがそう紹介してた)が登場したので調べてみると、水木しげるのにもデデデの出太郎だった古くからの言い伝え妖怪(古来のバージョンでは魔物の正体を明らかにする妖鏡らしい)雲外鏡がモデルになってる模様でした。
http://dic.pixiv.net/a/%E3%81%86%E3%82%93%E3%81%8C%E3%81%84%E9%8F%A1
鏡と鏡の空間をつなげるというのは合わせ鏡、二元鏡っぽいし、3.11,9.11とかの11はそれを表していて、鏡餅がふたつの鏡を重ねてる感じで関係あるっぽいんですネ。
そしてわたしの妄想では、バリアント空間はたぶんわたしたち~すべてのものの経験とかが連動して広がっているので無限なのではないかなと。
あと火星はどいつだ?の件を無度さんに聞いてみました。
http://plaza.rakuten.co.jp/mineralnoginga/diary/201512280000/#201512291652214936
「鏡のお手入れは一日三回」とか、ワープさせるとか、「うんがい鏡」は確かにトラさーっぽいですネ。
<3.11,9.11とかの11はそれを表していて、鏡餅がふたつの鏡を重ねてる感じで関係あるっぽいんですネ>
鏡開きも11で・・ナルホドです。
<バリアント空間はたぶんわたしたち~すべてのものの経験とかが連動して広がっている>
結局のところ、タダ経験する・・というのが大切で、そして無限に変化、進化していく。。のかもですネ。
火星の話は、難し過ぎで??でした〜