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ムハンマドと雪だるまのファトワーと神の本質

ムハンマドと雪だるまのファトワーと神の本質

大川隆法氏が『ムハンマドよ、パリは燃えているか。―表現の自由VS.イスラム的信仰―』という本を、1月17日に緊急出版されたそうですが、

誰でもこの群衆を見たら、そういう発想が浮かぶものだろうと、しみじみ思いました。
mainichi-march-002毎日新聞より

シャルリー・エブドの「パリは燃えているか」&ビル・ライアンの「預言」

「幸福の科学」のみならず、特定の宗教や団体とは無縁の人生ですが、平均的な日本人の宗教観って、日々の自然との触れ合いの中で、何となく「神や仏」を見る・・という感じだと思います。

少なくとも、ウチはそんな感じです
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雲の合間に見えた夕日に染まる南アルプス(1月16日、清里にて)
DSC_0107翌日(17日)の朝は、快晴の青空かと思いきや、
DSC_0112ちらちら雪が降る時もあったけど、暖かい日中で、夕方帰り間際から風が強まり寒くなりました

「お正月は神社」「お葬式は仏教」の平均的日本人にとって、
DSC_9918豊国神社は、清里の開拓者が昭和に建てたプチ神社

偶像崇拝を禁じるイスラム教では、雪ダルマが駄目だという話は未知の世界です。
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ファトワーというのは、法律とは別の宗教的勧告ですが、サウジアラビアで雪が降り、子どもの雪だるまが問題になり、結局、宗教的指導者は、「子どもは雪だるまを作って問題ない」とファトワーを修正しました。

snowman-3しかしながら、こういった雪ダルマは、擬人化の偶像崇拝となり❌なんだそうです!

何とも摩訶不思議なイスラム教の世界ですが、パリで起きたシャルリー・エブド銃撃事件の発端となった問題の風刺画のモデル、イスラム教の預言者、ムハンマドって、実はこういう方だったようです・・・

最も興味深く、きわめて重要な例は、コーランを記したとき意識レベルが740であったイスラム教の預言者、ムハンマド(モハメット)です。コーラン自体は700と測定されています。しかし、ムハンマドは38歳になったとき、意識レベルが急激に落ちて130となり、剣を手に取りました。また、驚くべきことに、イスラム教が確立するのとほぼ同時期に、原理主義の武装勢力が他国を侵略し、”異教徒”というだけで数十万もの人々を殺戮しました。この侵略はムハンマドの在命中に起こり、彼はこれに参加し、派閥のリーダーになりました。

今日でもイスラム諸国は非常に低い数値に測定されています。社会の特徴として、女性に対して抑圧的であり、残忍性と憎悪が目立ちます。真の神聖さとは、平話と愛であることを忘れてはなりません。とすれば、ムハンマドもいくつかのイスラム分派も、サタン的なエネルギーに支配されているということです。

原理主義の基本的な危険性は、それが社会の最下層民にとって魅力的であり、ジハードの戦士になることで、肥大化した自我が即座に力を手に入れたように感じることです。そして、アッラーの名の下に、殺人の大義名分を手に入れるのです。銃は、神の意図と宗教的熱情のシンボルとなり、”聖なる殺人者”という、霊的には非常に歪んだ結果を生み出します。

デヴィッド・R・ホーキンズ 著 「真実と主観性」より抜粋

幼少期に臨死体験した精神科医のホーキンズ博士は、若い頃は「不可知論」でしたが、精神科医になり、死の間際まで追いつめられて覚醒し、「人類の意識レベルの進化」のための地図を作成しました。
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このマップは、ホーキンズ博士の主観による記述ではなく、数千人の人々にキネシオロジーテストで確認した結果です

ホーキンズ博士の調査によると、長きに渡って200(勇気)以下だった人類の意識レベルが、1987年に突然200を超えました。

1987年は、『ハーモニック・コンバージェンス』という惑星の『グランド・トライン(正三角形)』と同期して、「人類の覚醒が可能になった」とされる重要な年ですが、

博士のキネシオロジー調査でも、1987年に人類史上はじめて、人間の意識レベルが、ネガティブな「フォース」から、ポジティブな「パワー」にシフトする200を超えたという事実は、「偶然」ではなく「必然」でしょう。

覚醒した精神科医であるホーキンズ博士はまた、「宗教」における矛盾を明らかにし、「神の本質」についてキネシオロジー調査を行いました。

「一神教が争いのもと」という面もあるけど、もともとは、多神教の生贄儀式など「迷信から人類を目覚めさせて自由にする」ことが、「一神教」創始者の願いだったようです。

400px-Oudjat.SVGホルスの目も迷信?

ホーキンズ博士によれば、一神教は本来、「多神教的象徴主義・シンボリズム」を超越するものとして誕生したようで、以下、デヴィッド・R・ホーキンズ 著 「真実と主観性」からの抜粋です。

第10章 神の本質

歴史を通して人類は、「神の意志」や「神の言葉」、「神の法則」、「神の掟」について耳にしてきましたが、これらの言葉は往々にして、希望というよりはむしろ恐怖をもたらしました。

ですからわたしたちは、人類が実際にどのように神の真実について知るに至ったのかを調査し、その中で何を信じ、証明することができるのかを検証していきたいと思います。

伝統的に、神に関する知識は、啓示や啓発、インスピレーション、内観の他に、施策や演繹から得るというのが主な方法でした。神学は特殊な宗教研究であり、人が神に対する理解を知的に発展させたものでした。神学とは主として、知が生じ、認識論や形し上学的な哲学に融合していった要素を歴史的に検証するものです。したがって、あらゆる形式の知に不可欠な基本的要素が、分析と思索の焦点となりました。

宗教は、神を理解することは普通の人間には不可能だということを前提にしています。まして、神の真理を経験することなど到底ありえないわけです。こうして、宗教が、「神性」の本質について知ることのできる民衆の主な情報源となりました。

あらゆる宗教の真理は、神秘家の気づきから生まれたものです。そしてその神秘家たちこそが、宗教が創立する起源になったアバターたちでした。彼らは一様に神を悟った霊的な天才であり、自らの経験と情報と知識を人類全体のために分ち合いました。彼らの覚醒レベルを、前述のテクニック(キネシオロジー)を使って測定すると、上記のような値が出ました。

キリスト             1000
ブッダ              1000
クリシュナ            1000
キリストの使途           930
モーゼ               910
ゾロアスター            860
ムハンマド(コーランを記した当時) 740

ここに挙げた以外にも、歴史上のすべての偉大な覚醒した教師やマスター、聖者や聖人たちの真理を確認すると同時に、当時の神聖な経典や教えの信憑性を測定することができます。わたしたちは信頼できる情報のまさに核心にたどり着いたのです。それは、あらゆる人種や民族、宗教的境界を網羅した交差的な検証法であり、何世紀にもわたって、まったく異なる文化を測定しても、一致した結果を出しています。

集合的に見てみると、「神性」の本質について記された検証可能で信憑性の高い経典はどれも驚くほど共通しており、相互に関係もしています。そこには、あらゆる知識の上に君臨するとも言える、減じることのできない真理の礎が姿を現し、現代ではこれが、近年発見されたツールによって検証可能となりました。そのため通常の知力があれば、現代人の誰もが、理解できるような方法で教えを把握し、伝え、示すことができます。わたしたちは今、論理的で検証も可能な現代版の神学を手にしたと言えるでしょう。

ここで、真理とは証明可能なものではなく、また、証明の対象にもならず、「論理」の主題のように、測定可能な知識のカテゴリーに属しているものではないと認識することがきわめて重要です。

真理とは、唯一主観的に体験することによって実証可能なのです。”証明可能なもの”とは単なる命題にすぎませんが、たとえば空間のような実在のものは、”is(在る)”状態なので、ここに議論の余地はありません。わたしたちは記述に対して挑戦することはできますが、主観性という真実に対しては無力です。

霊的な知識に関する検証可能で信頼のおける資料全体の中から、わたしたちは究極の真髄を抽出することができます。それは、完全に信頼できるものの核心をなすもので、あらゆる立ち位置や損得勘定を超えています。こうした経典の言葉の起源とも言える、主観的な真実の源と、歴史を通じての人類の霊的な体験から、絶対的確信をもって以下のことを提示することができます。

1、神は「創造」の「全体性」、「十全性」として顕在し、「至高の神」、「無限の潜在的可能性」、有形の前の源、あるいは”虚”として非顕在である。

2、神は、時間やあらゆる空間の表現や所在を超えて無限であり、始まりも終わりもない。

3、神は全知全能にして偏在である。

4、神は源であり、意識、気づき、知、直観の礎である。

5、神は生命エネルギーの唯一の源である。

6、神は、進化と「創造」の源であり、両者はまったく同一のものである。

7、神は、平和、愛、静寂、美の源であり、そのあらわれである。

8、神は、すべての宇宙と物質を超越していると同時に、「存在するものすべて」の源である。

9、神は、存在とその潜在的可能性の唯一の源である。

10、神は、究極のコンテクスト(文脈/状況)であり、宇宙と万物がそのコンテント(内容/中身)である。

11、神は、あらゆる形に内在する先天的な、存在の無形の源である。

12、神は、知性や証明可能な領域に属していない。

13、神は、”I-ness(<わたし>である状態)”の主観性の源であり、本質であり、それが覚醒と呼ばれるものである。

14、神は、「自己実現」という根源的な主観性である。

15、神は、記述的に言うなら、内在的で超越的である。

16、人類が経験する「神の臨在」は、年齢、文化、地域を問わず共通している。

17、「神の臨在」を人間の意識が経験すると、主観的な変容が訪れる。それは人類史上、共通の現象である。また、時間を超えて痕跡を残しているため、記録された意識のレベルとして測定可能である。

18、神の本質は、人間の欠点を含んでいない。欠点とは、欠乏感や支配欲、偏愛、二次元的な物の見方、価値判断、憤怒、義憤、恨み、制限、恣意性、虚栄心、復讐心、嫉妬心、報復心、脆弱さ、局部性などである。

19、「神性」の表現がバラエティに富んでいるのは、無限にある人間の知覚や、自我とその立ち位置の障害を反映しているからである。

20、「神の臨在」の純粋性は、伝統的に神聖さという、言葉では表現できない特性の本質であり、わたしたちが「聖なる」と表現するものの源となるものである。いかなるコンテントも含まないそれは、「無垢さ」と同一のものである。

21、人間の思考や感情、あるいはその根底をなす自我の構造という障壁を超越することができれば、内在的な神としての「自己」がおのずと立ち現れる。それは、雲が過ぎ去った後に太陽が輝くのと同じである。

22、神は、コンテクストであり、あらゆる「創造」のカルマ的統一性の源となるものである。それは、あらゆる知覚的な描写や時空の制限を超越している。

23、真理は、それについて知ることによってではなく、同一化することによってのみ実証可能である。

「神性の真実」に関する上記の声明は、2003年7月13日に、公衆の面前でその信憑性が絶対的であることが確認されました。調査は、200人以上もの観衆の前で、公開講座の最中に行われたものです。観衆は100人ずつのキネシオロジーテストのチームに分かれ、同時に全員で、各声明の真実度をテストしました。そして結果は100%「正」となり(測定値1000)、その行程はビデオに収められています。このテストを実施した目的は、「真理」に関する確かな情報を現代に提示することであり、現代人が懐疑的に見ている歴史的な記述や聖職者の権威に依存しなくても、検証可能なテスト法があることを紹介することでした。

伝統的に自己実現とは、啓発、あるいは超越的な気づきであり、あらゆる障壁がなくなったときに、「恩寵」によって人間の意識がその本質を理解できるというものでした。しかし、悟りや啓発の目撃者は、それがただ起ったことしか告げることができません。奇妙なことに、その時点では上記のような”意味”はありません。重要性や結論は後になって導き出されるのです。

人間の意識というコンテントの全体性に光が当てられてはじめて、意識のレベルの行き先と起源が明らかになります。それは地図によって、ある道路がどこに行き着くのかが明らかになるのと似ています。したがって、聖者やアバターはさまざまな方向性がどこに行き着くのかを指摘しているにすぎず、それは物理法則で言えば重力のように確実な絶対的カルマの法則や「創造」の神性に従っているだけです。

次に聖者は、「創造」のカルマの法則が自我のあらゆる幻想や過ちに取って代わることを確認します。霊的な教えが伝えるメッセージは、肉体がニュートン的線的な物理法則に基づいているのと同じように、霊的な身体が非線的な霊的真理の法則に基づいているということだけです。そして、このふたつはまったく異なっています。人間の意識の進化が初歩の段階にあるために、アバターや神秘家や聖者は、ふたつの領域の違いを教えるために啓示を受けたのです。

人間の生命は、段階的なプロセスや次元を象徴しているかのように見えます。といにも、生命としての意識が細胞という最も単純な生命エネルギーから形を持つまでに精緻化し、動物王国を経て霊長類になるまで進化を遂げ、さらに知力も発達することで理解力が生まれたからです。そしてさらに知性が育つことによって、探求したり意味を理解するようになり、形からその本質を抽出できるようになりました。それが、コンテントに対するコンテクストです。そしてコンテクストから源について推測したり、探求したりする霊的な気づきが生まれます。

動物は知ったり、愛情を持ったりすることはありますが、自らの源や運命について何の知識も持っていません。一方、霊的な聖者とは、源を発見する意識レベルに至ることによって現れるものであり、発見したことを全体の情報として伝えます。その霊的な情報によって、肉体が滅びた後に魂の運命はどうなりうるのかが明かされるのです。

このニュースを耳にした人類の中には、嬉々とする者もいれば恐れおののく者もおり、彼らは権威主義者となります。そして、グループを結成し、なかには独自の奇妙な体験を告白する人物が現れてくることもあります。そうして人物たちはグループから脱退して、明かされたことについて独自の解釈を始めます。彼らはさらに、自らの声明を”ルール”や”規則”、あるいは権威ある宣告とし、それが後に”教会法”や”法律”、宗教的教義になるのです。

こうしたずれは、不適切なものに過度の重点を置くことによって、やがてその教理の元である真理を曇らせ、失墜させてしまいます。ひどい場合は、著しく内容を歪め、原本とは正反対の主張をしていることさえあります。神の名のもとで、罪なき人々や異教徒やアメリカ人を殺すのはその最たる例です。

意識の純粋さは、同時に弱点でもあり、霊的真理に背くエネルギーの攻撃に対して防御する術がありません。人類が入手できる検証可能な霊的情報を調査した結果、あらゆる「創造」のカルマ的統一性は、時間や表現を超えて、その顕在において不変であり、わたしたちが神と呼ぶ統一性と完全に調和していると結論づけることができます。

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  1. なんでもホルスの目は人間の脳の松果体だとか言われていますけど、今日の記事のトコはホーキンズさんの本の中でもハイライト的なトコになってますネ。

    一神教を乗り越える必要が先ずあって、その後それを肯定してバランスとってやっと全貌が明らかになるみたいな二重構造乗り越え路線はナンミョ~にもあって、実に上手いこと説明されているけれど、それを踏まえて人類全体のシフトというコトになると、何が幸いするかはわからないですネ。

    ちょっと思ったのは本当のコトを言っても反発されたり表面的にしか伝わらないのとかは、むしろウソの蔓延によって深いトコロでみんながワカルみたいなアベコベ観音路線もあるのかもネ。

    あとカルマですが、わたしたちが個別的展開をするにあたって、本来はひとつなのを深いトコで覚えていられるようにする道しるべとして同意(戻るまでの間)されたものなので覚醒すると必要なくなるというコトなのかも。

    • <ホルスの目は人間の脳の松果体>

      そういえば、この図は、2分の1以降、4の倍数ですね。

      <二重構造乗り越え路線>

      うまい言い方ですね〜結局のところ、外じゃなくて自分を信じて丸ごと好きになればいいのだけども、中々難しいところに人生の醍醐味があるよーな。

      カルマとか前世については、ペルー先生は、患者さんのがわかるようだったけど、そういった事に深追いせず、今を大切にする感じでしたネ。

      Y姉さんは、親子関係はカルマというか「決めて」きたと言ってましたが、確かにココを避けると倍返しが来る例はたくさんありました。

      • 一般的に言われているカルマは本来は誰かを蹴っ飛ばすと自分を蹴っ飛ばすのと同じコトといった地球におけるワンネスの展開(善悪ではなく)だったのにHMSに逆利用されたり、それによって予期せぬ方向(やきもちパワーグリッド)やある種のテクニックでズルして回避できたりで本来の意味がなくなっているのかも。

        ところで安倍湖辺観音ってオモシロクなかったですか~?!ヾ(≧▽≦)ノギャハハ

        • <カルマは本来は誰かを蹴っ飛ばすと自分を蹴っ飛ばすのと同じコト>

          この法則が、スグにわかりやすくなってるのが今日この頃ですネ。

          <ある種のテクニックでズルして回避できたり>

          えっ、そんなテクあるんですか?

          <安倍湖辺観音ってオモシロクなかったですか~?>

          充分、面白かったですよ〜♡

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