酵素カフェ

「於菊稲荷神社」に知るお稲荷さんの真実と人間の無償の愛

「夏祭り」の季節ですが、「八王子まつり」では猛暑により、

一部、演目を中止にしたようです。

八王子住民ですが、久しく「八王子まつり」には行ってなく、

なぜなら金曜の夜に八王子を出て山梨県の清里高原に行き、

日曜日の夜に帰って来る生活を、ここ十年以上続けているからなのですが、73万人ってすごい賑わいですね〜

で、昨夜の中央高速は大渋滞で、下道(20号)までビッシリ混んでまして、

八王子市街を12時前に通過したら、提灯が飾られてる街中を清掃車が走ってました。

住んではいても、もともとの「地元」というわけではないので、八王子のことをあまり知らないのですが、

「リアル酵素カフェ」に三回連続でいらしてくれた茨城県の守谷の方から、

「守谷の八坂神社の祇園祭」の動画をメールで見せてもらい、

「狐さんとひょっとこ踊り」の動きがすごく面白いのでブログにアップしたかったけど、やり方がわかりません。

こういうことは、オカベ師匠に聞いてみましょう!

で、「鎮座1200年、守谷の歴史を見守る八坂神社」の、

ご祭神は、「素戔嗚尊(すさのをのみこと)別名牛頭天王(ごずてんのう)」とのことで、

「牛頭天王」って、確か八王子に関係していたと記憶し、調べてみたらビンゴでした。

<八王子の子安神社の祇園祭>

東京都で、牛頭天王に関する駅名は天王洲アイル駅、八王子駅、そして、西武線の八坂駅の三駅でしょう。

天王洲アイランド駅には牛頭天王に関する神社はありませんが、以前紹介した、近くの品川の荏原神社には牛頭天王の面が保存されていて、夏の天王祭にはその面をつけた御神輿が披露されるとのことです。

八王子は、牛頭天王の八人の王子が名前の起源というにも係わらず、八王子まつりには残念ながら牛頭天王に関する催しは行われていません。

しかし、JR八王子駅から歩いて4,5分のところにある子安神社では祇園祭を行っています。

子安神社、正しくは子安 金刀比羅神社の発行しているパンフレットによりますと「子安祇園祭」と言い、七月の第三土・日・月曜日に、子安神社青年会が中心となり、重量約1トンの御神輿を担いで氏子地域内6キロを練り歩くとのことです。夜は様々なイベントで賑わうとのこと。

主祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)で、摂社金刀比羅神社の祭神は大物主命(オオモノヌシノミコト)です。相殿には、仏教の立場に立てば、牛頭天王の垂迹たるスサノヲノミコトも祀っておりますので、祇園祭が行われるわけです。牛頭天王の子どもの名をもつ八王子において、祇園祭、または天王祭が行われないのは寂しいかぎり。「ご先祖様に申し訳ありません」から、子安神社の祇園祭はありがたいことと思う次第です。

https://blog.goo.ne.jp/gozutennou/e/7bbf3d208e4eced6d596361de936ddb1

八王子の子安神社は駅そばで図書館の近くにあり、
昔から、時々「詣で」してましたが、祇園祭が行われているとは知りませんでした!

また、「八人の王子がいた」から八王子・・という話はよく聞きますが、それが牛頭天王の息子さんだというのも、

京都の八坂神社・祇園祭を調べていて、つい最近知った次第でして・・

祇園祭に知るインセクトイドを従えるシリウス系日本人の祖先

う〜ん、ということは、八王子も守谷も、シリウスに所縁のある地なのでしょうか?

八王子は「封印されている」地域だと聞いたことがありますが、

子安神社は繁華街の中にあることもあり、

「七五三」御用達のフツーの神社というイメージでしたが、

牛頭天王を祀っているなら、かなり力のある神社なのかもしれません。

実際、ここでお願いしたことは。。ハイ、全部叶っています。

守谷の方のお陰で、地元を見直すイイ機会となり大感謝ですが、

このところ、神社に少し興味が出てきたのはMちゃんに教えてもらった桜井識子さんを知ったからで、

特に、この書に記された、

「於菊稲荷神社」の話には感動しました!

敏感な人は、半覚醒状態の時、異次元にスポッと入っちゃうようなことが時々ありますが、

神仏研究家の桜井識子さんは、そんな状態で「於菊さん」に呼ばれました。

・・・・・・

明け方の清浄な時間帯に、半分目が覚めて半分寝ている状態になりました。こういう時に、あちらの世界(神仏界など、良いあちらの世界です)とつながることが多いのです。

そこに出てきたのは、髪を結って着物をきている女性でした。・・

なんでお稲荷さんが菊の花の絵なの?と思いました。するとそこで次の言葉が響きました。

「菊のお稲荷さんです。是非、来て下さい」

そう言われたところで、半覚醒が終わりハッキリと目が覚めました。・・

女性が来たということはわかりましたが、どこの誰かまではわかりません。

とりあえずネットで検索をしてみました。検索ワードは言われた通り、”菊”と”稲荷”です。すると、「於菊稲荷神社」がヒットしました。

・・・・・

今やフェイスブックまでアリ、

女性に大人気の「於菊稲荷神社」ですが、

識子さんの夢に出てきた頃の「於菊稲荷神社」は、すたれる一方で、

神社を訪れた識子さんは、於菊さんに「お願い」されちゃいます。

・・・・・・

「よう来てくれた、よう来てくれた」とすごい喜びようです。伝説の於菊さんです。・・元が人間なのでお礼の言い方も丁寧で、遠いところから来てくれてありがとうなんて言われたのは初めてかもしれません。・・・

境内をひと回りして状態を把握したところで、於菊さんがいろんな話をしてくれました。

於菊さんはここのお稲荷さん(神様)が大好きなのだそうです。それで亡くなってからも、このお稲荷さんの元で働いているのだと言います。修行というか、仕事をお手伝いしています。

昔、この神社はとっても栄えていたと言っていました。参拝客が多くて活気にあふれ、賑わっていたのだそうです。

それが今は、社殿が傷み、境内も昔に比べて狭くなった・・と於菊さんは言ってました。参拝客の数は激減だそうです。

於菊さんは、お稲荷さんが気の毒で仕方がない、おいたわしい、と言います。

栄えていた時はたくさんの人がひっきりなしに参拝していて、それゆえパワーがみなぎっていて力も強く、その時に眷属もたくさん増えたと言います。

参拝客もにぎわっていましたが、神社の神様、眷属のほうもにぎわっていたらしいです。

だけど現在、すたれてしまって人が訪れない、仕事がない、と言うのです。

大勢いる眷属も仕事がないので、力も錆びついてきてるそうです。これ以上落ちぶれるとやさぐれる眷属も出てきそう、と於菊さんは心配しています。

お稲荷さんの場合、参拝する人が減ると力がなくなっていきます。神格が高くなっているお稲荷さんなら大丈夫なのですが、もしも神格が低ければ力は弱くなっていきます。眷属に至ってはもっと深刻で、力がなくなるうえに質も低下していくことがあります。

於菊さんは他のキツネと違って、元が人間なのでその部分に関してはダメージはありません。参拝客が減ろうと増えようと、それに力や質が左右されることはないのです。

於菊さんは、眷属に仕事をさせてあげたい、と言っていました。質が落ちないようにしてあげたいと言うのです。この状況をなんとか変えたい!と言います。

昔のように多くの人がワイワイと参拝する、そんなにぎわった神社に戻したいとのことでした。そこで私に言いました。

「昔のようにしてもらえないか・・・」と。

なるほど、と話は大変よくわかりました。

ですが・・・私が本に書いたくらいでは、そこまでの影響力はとてもじゃないけどありません・・・。力になって差し上げたいのですが、その力がないのです。何ともやるせない、申し訳ない気持ちになりました。・・

「それでも本に書けば、心優しい読者の人が参拝に来てくれると思います。その人が自分のブログに書いたり口コミで宣伝してくれれば、少しずつ参拝する人が増えていくかもしれません」

「よろしく頼む・・・」

・・・・・・

お稲荷さんは一度拝んだら、定期的に行かないと「怖い」とよく言われますが、神格が高い場合は、そういうことはないようです。

そういえば建築士の旦那さんは、三井不動産の分譲住宅など大規模開発に携わってきましたが、

「お稲荷さんを動かす」ことは、誰もやりたがらない・・と言ってました。

とは言え、住宅地を造るために誰かがヤルわけで、

先の茨城県、守谷市も三井不動産の開発の手が入った所ですが、昔はのどかな城下町だったようです。

<守谷市>

人口67,448人

旧市街地はかつて城下町、その周辺は田園地帯となっていた。長らく純農村であったが、1966年(昭和41年)6月に首都圏近郊整備地帯の指定を受けて以後、民間デベロッパーによる小規模な乱開発を経て、日本住宅公団(現:都市再生機構)や三井不動産による大規模宅地開発により東京都心部へ通勤するベッドタウンとして市街化が進行、国道294号とそれに並行する常総ふれあい道路沿いを中心に産業活動が活発化している。

2005年(平成17年)8月24日に開業した首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス開業に伴い、宅地開発を中心にさらなる開発が行われている。

wikipedia

八王子市も、元城下町・宿場町で栄えたところですが、今はベッドタウンです。

<八王子市>

人口577,653人

八王子市は、東京府(現在の東京都)の中では東京市(現在の東京23区)に次いで2番目に市制を施行した市である。人口は日本の市町村の中で第24位、20の政令指定都市を除くと第4位で、東京都内の市町村では第1位(23区を含む市区町村全体では第6位)。面積でも奥多摩町に次いで、東京都の市区町村で2番目に広い。

古く戦国時代には後北条氏および徳川氏から軍事拠点として位置づけられて城下町となり、江戸時代には宿場町(八王子宿)として栄えた。絹織物産業・養蚕業が盛んであった為に「桑の都」及び「桑都(そうと)」という美称があり、西行の歌と伝えられる「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」という歌もある。

明治時代には南多摩郡の郡役所所在地となり、以降は多摩地域の行政と商業の中心地として、国や東京都の出先機関、商業施設や商店街、オフィスビルが集積する都市となっている。また東京都心から約40kmという近さもあり、ベッドタウンとしての面も持っているほか、市内に大学・短期大学・高専が23校あり、外国人留学生約3,100人を含む約11万人の学生が学ぶ全国有数の大学都市でもある。

wikipedia

そして、識子さんが呼ばれた「於菊稲荷神社」がある高崎市も、元は職人の町として賑わっていたようです。

<高崎市>

人口368,846人

古くから交通の要衝で、中山道(国道17号・国道18号)と三国街道(群馬県道25号高崎渋川線)の分岐点、関越自動車道と北関東自動車道の分岐点、上越新幹線と北陸新幹線の分岐点ともなるなど、全国有数の交通拠点都市である。

江戸時代には高崎藩の城下町として、中山道69次中4番目に規模が大きい宿場町として、また物資の集散地・商業のまちとして大いににぎわった。

街道筋の田町、本町、新町(現:あら町)などに市が立ち、その様子は「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われたほどである。鍛冶町には鍛冶職人が、鞘町には刀の鞘師が、白銀町には金銀細工師らが住み、当時の職人の町は今も町名として留めている。 現代でも県内有数の商業都市として盛えている。

wikipedia

で、そんな江戸時代、病気になった於菊さんを助けてくれた「お稲荷さん」のために、

於菊さんは「無心の奉仕」をしているのです。

・・・・・・・・

お稲荷さんにいる眷属は、神獣のキツネが普通です。このキツネがお稲荷さんの元で”稲荷修行”を積めば、お稲荷さんという神様になれます。

しかし於菊さんは元が人間ですので、ここで稲荷修行”をどれだけ積もうと、お稲荷さんという神様になれません。

神獣のキツネだけがお稲荷さんになる資格があるのです。

私はそこについて質問をしてみました。言い方が悪いかもしれませんが、未来永劫、下働きのままだからです。

その状態はいいのですか、と。すると於菊さんは、

「それでも構わない」と言っていました。

命を助けてくれた大好きなお稲荷さんの下で働ける、もうそれだけで満足である、と言います。神様になれなくてもいいのだそうです。このままで十分だと微笑んでいました。

しかし、眷属は格が高いものばかりではありません。さきほども書いたように、格の低いものは落ちぶれるとやさぐれてしまいます。それを必死で支え、管理しています。

管理する側も同じ神獣のキツネだったら、一喝したりできるのでしょうが、於菊さんは優しいのでそれができません。・・眷属のまとめ役はちょっと難しい面があるのかもしれません。だから一刻も早く、神社を元のように栄えさせたいのだと思います。

帰りに鳥居をくぐっていたら、なんと!於菊さんがひざまずいて、

「よろしく頼む」と言います。

「於菊さん、そんなことまでしなくていいです。お立ちになって下さい。必ず、書きますから」

「頼む」と、於菊さんはひざまずいたままです。

涙がボロボロ出て止まりませんでした。

於菊さんは肉体を持っていませんから、本が書けません。ブログも書けません。

人に来てもらいたくても宣伝ができないのです。・・そこで唯一の手段として、私のような人格もまだまだの人間に頭を下げているわけです。・・うわーん!と私はここで号泣しました。周囲には誰にもいませんでしたし。・・

於菊さんに頑張って欲しいなぁ、と思われた方はどうか「於菊稲荷神社」へ足を運んであげて下さい。

その際、いつも100円をお賽銭箱に入れる人は150円を、10円を入れる人は20円というふうに心持ち多めに入れていただければ、と思います。

帰りによく見たら、鳥居のしめ縄もボロボロでした。

「桜井識子の本を読んで来たという人にはよくしてあげて下さいね」と、これだけは言わねば、と思って言うと、

「約束する」と於菊さんはきっぱり言ってくれました。

ですから、お願いも叶えてくれると思います。

元が人間なのにお稲荷さんの元で働いている人もいるということを、私はここで初めて知りました。

於菊さんのお稲荷さんに対する無償の愛の尊さをはじめ、多くのことを学ばさせてもらえた「於菊稲荷神社」でした。

お近くの人はどうぞ、一度足を運ばれてみて下さい。お近くでない方もドライブがてら旅行ついでに立ち寄ってあげて下さい。

どうかよろしくお願い致します。

・・・・・・・

ほんとうに、私たちは肉体があるからこそ、ブログを書いたり読んだり、口コミで宣伝したり出来るわけで、

「神頼み」ではなく「人間頼み」という事情が、アチラにはアチラであるようで、

桜井さんの描写のおかげで、「お稲荷さんとはなんぞや?」ということが理解出来ましたし、

明治以降の「近代化」の波で封印されてしまった神仏が多くある・・という意味がよく分かり、

ネットのおかげで情報が瞬時に駆け巡る今こそ、日本全国の封印を解く「時」なのかもしれませんね!

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COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. 八王子祭り!懐かしいです。
    私は特にお祭り好きではないですが、子どもの頃の思い出にひたるために行きたいなぁ、とふと思います。実際は暑いし夜なので行きませんが。
    社会人になってからは、バスが渋滞するので迷惑!!と思うようになってしまいました。

    ところが、離れてからは
    何より八王子の盆踊りの歌を聞きたくなります。
    今の地元の盆踊りを聞いてもピンと来ません。
    各地共通は「ドラえもん音頭」位ですかね~。
    小学校時代の友達とは今もたまに会うと、八王子の盆踊りでは必ずかかる「太陽おどり」(by佐良直美)を歌って大笑いしています。ご存知ですか?

    ちなみに熊谷市は盆踊りで、あの「ビューティフルサンデー」が流れていたそうで、全くもって謎です(笑)。

    私も同じく牛頭大王のこと、知りませんでした。

    子安神社へは、私も家族でよく行きました。
    引っ越してからも安産祈願に行き、食べ過ぎと間違う位の陣痛で超安産だったので効き目ありますね!

    • やはり、幼少期の思い出(刷り込み)は大きいですね〜

      自分は目黒にいたので、烏森稲荷神社です。

      <八王子の盆踊りでは必ずかかる「太陽おどり」(by佐良直美)>

      「太陽の街〜八王子〜♪ 」ですよね。アレはイイですよ。時々歌ってます!

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