自然も人の気持ちも、時の経過とともに変わるもので、プチトラブルは「災い転じて福となす」場合が多いようですが、
先週、清里の家に着いたら、
テラス前のこのあたりに、かなり大きな木の枝が横たわっていて、台風の風で飛んだのか屋根部分をかすったようで、よーく見ないとわからない程度ですがへこんでました。
ちなみに上の木は、自分たちで伐採したもので、
新たな薪置き場を製作中です。
家から家電まで、自然災害の保険とか色々あるようですが「大難はスルーする」と信じることが最大の保険だと思ってます。
起きては欲しくないことに対して保険に入るのは矛盾した思考になると気づいたのは、14年前、旦那さんが消化器系の不調で緊急入院した際です。
生命保険の医療特約で少しの額が出たのですが、掛けている金額からするとバカバカしいし、起きては欲しくないことに保険を掛けるより、健康的な生活のためにお金を使った方がいいと生命保険を解約して、食生活を見直し、ペルーの先生の整体を受け、バッチフラワーでメンタルケアしたら、
多かった中性脂肪もコレステロール値も正常になり、還暦過ぎてもパワフルに働いてます。
働きながら、週末は大工さんで、
セルフビルドで家を建ててます。
ところで、ブログでも有名人になると大変なようで、「黄金の金玉を知らないか」の玉蔵さんが「真実を探す」ブログさんと和解したことをちゃんと記事にしていて、
けっこう、好感持てました。
真実を探すブログの山田氏は先にワタスへの批判記事を削除頂いていたということで
ワタスもトサカに来て書き過ぎた面もあり申し訳ないことでした。
こちらの記事も削除致しますた。
ゲリー・ボーネルさんの4月予言についてのバトルで、たとえ中傷記事でもハラを立てた事に対して素直に反省しているところがなかなかイイ感じです。
純粋でストレートな怒りに対応するバッチフラワーはホリーですが、ちゃんと怒れる人は実は愛にあふれた人だったりします。
インボー論ブログの中では、玉蔵さんが一番読みやすいのですが、もう少し若そうな「さらふらっとまうんど」さんも最近、「PART」というブログとバトルしてましたが、「PART」さんはキリスト教徒ですので、「さらふらっとまうんど」×「PART」においては、
理路整然としたキリスト教徒に言葉で挑んでもムダだと「さらふらっとまうんど」さんも少々うんざりのようです。
えーと、その「さらふらっとまうんど」さんが6月1日の道路交通法改正について「インボーだ!」としていたのですが、何でもかんでもインボーにしちゃうのも考えもので、
個人的には、この判決は妥当だと思います。
しかし、「さらふらっとまうんど」さんが参照にした後藤高浩さんという方の記事をよく読んでみたら、やたらと自転車保険を薦めていて驚きました!
この記事の読者の皆様にお勧めしたいことがあります。それは、家族の誰かが自転車に乗るのであれば、ぜひ「自転車保険」に加入して欲しいということです。
自転車に関する保険だけ見ても、クレジットカード加入者の特典として付帯できるものや、それこそコンビニで入れるもの等、様々な種類の保険が売り出されています。
保険は、万一のリスクのためのものなので、無駄になった方がよい費用です。それを高い出費と見るか、必要経費と見るかは人それぞれでしょう。しかし、この自転車の保険についてのみ言えば、私は絶対に入るべきものだと考えています。
この後藤高浩さんは八王子のGS進学教室代表で、学校や塾の先生対象の講演・研修をしてる方ですが、
教育者なら、「どうして自転車のマナーがこれほど悪くなったのか?」を問うハズが、保険を薦めるのは本末転倒、木を見て森を見ず・・「さらふらっとまうんど」さんが反応したのも納得しました。
ホ・オポノポノのイハレアカラ・ヒューレン氏は、文部省から依頼された「教育者向けのセミナー」での興味深い体験を記しています。
私はいつもどおり、講演前にクリーニングを始めました。しかし、クリーニングしているうちに、私がどんなことを言おうとも、二度と校長先生たちの講演会には呼ばれないだろうということがわかってしまいました。
どんなにクリーニングしても、校長先生たちは私の話に耳を傾けないだろうということがはっきり見えてしまったのです。
ここが大切なポイントなのですが、ホ・オポノポノで何かをしようというとき、自分のための利益を考えてはいけません。自分のためではなく、みんなのために一番いいという視点から考えなければならないのです。
何かをしようというときには、なんらかの意図があるものです。しかし、こういう成果が欲しいと考えること自体、コントロールすることになってしまいます。ですから、私は常にゼロに戻すことだけ考えるようにしています。
講演会に行くと、200〜300人もの校長先生たちがいました。
私は、オポノポノに関する30分の講演がもう1分で終わるというときに、「ああ、よかった。誰の質問もなしに終われるぞ」と思いました。
しかし、私が話を終えて退場しようとしたとき、一人の先生の手が上がりました。そのとき、この人の質問のお陰で私は二度とこの場に呼ばれることはないだろうな、と思いました。
その質問は、どうして教育に予算をとらないで犯罪者の矯正に予算をとらなければならないかということだったのです。
私は、クリーニングしました。そして、その質問に対するインスピレーションが降りてきたのですが、その答えは、
「罪を犯して刑務所に入っている人たちは、あなたたちの学校の卒業生なのですよ」
これが、聞こえてきた回答だったのです。
私は、その言葉を口にしたら1回50万のその講演の依頼が二度とこないことがわかっていましたが、言わざるをえませんでした。
自転車問題の根っこは、「みんなのために一番いいという視点」が日本社会から失われつつあることで、弱者救済を装った欧米民主主義の限界です。
そして、「こういう成果が欲しいと考えるコントロール願望」の保険制度は、日本人の精神性をダメにしてしまった一つの要因とも考えられます。
そのうち学校の先生も医者と同じく、患者ならぬ保護者から訴えられた際のリスク・マネジメントとして保険に入るようになるのでしょうか・・
最近、まるで機械仕掛けのような若者が出現しはじめましたが、
数年前ですが、クレジットカードをなくしたと勘違いして新しく手続きし直した時のことです。
カウンターの若い女性から、「買った商品を破損した際の保険」に入ることを当然のように誘導されましたが、その女性の表情や喋り方が、まるで機械のようでした。
クレジットカードをなくしたと勘違いした理由が、ナント信号無視疑惑でパトカーに止められ、あやうく切符切られそうになって動揺したせいだったのですが、
その時はインボー論なんて全然知らなかったけど、月々数百円でも、会員全部から徴収したらすごい額になるし、
200円あれば、長坂のJマートで、
こんな素敵なサンダルが買えたりします!
自転車に保険をかける前に、他者を気遣うマナーを心がけることが大切だと思いますがね〜
わたしの出会った範囲でいっても校長先生というお方々は病んでるひとが多いですネ。
あれはそれこそ死んでも治んないんじゃないでしょうか。。。
ところで最近は毎日のように読むのは酵素カフェと誘いの果実だけで、他は全然おもしろくなくなってしまいました。
ワザとかも知れないけれど、サラじゃなくてサユふらっとで、これはサヨだからだと思ったりしてました。
<あれはそれこそ死んでも治んないんじゃないでしょうか。。。>
昔、近所の公園を中学生が授業で占有しているので、旦那が「どういう状態が見に行ってみて下さい」と校長に電話したら、「私、体が弱くて見にいけないのです」と言われました。目の前の公園なのにね・・・だから、同感です。
<これはサヨだからだと思ったりしてました>
左翼のことですよね?アレも乗せられた人たちですよね。