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「月の裏側」に短命装置が置かれた理由と「明け渡しのプロセス」

8月の満月を「スタージェンムーン」呼ぶのは、

8月満月時期に、巨大なチョウザメが捕獲されたから・・です。

ネイティブアメリカンの部族は、季節を把握するため、それぞれの満月に動物や植物、イベントなどの名前を付け、農業に役立てていた。アメリカの農業暦(The Old Farmer’s Almanac)によると、8月の満月はスタージェンムーンと呼ばれている。

スタージェンムーンはチョウザメを意味する。アメリカの五大湖やシャンプレーン湖ではかつて、巨大なチョウザメが夏のこの時期に最も容易に捕獲されたため、伝統的にチョウザメの月と呼ばれていたのだ。

http://karapaia.com/archives/52293351.html

先人達は、生物活動の「旬」を、月でキャッチしていたようですが、

2020年8月4日の満月は、アクエリアス(水瓶座)で起きました。

<8月4日に日付が変わったら次のステージの計画を立てよう>

満月は達成、成就のときと言われている。前の満月から行動していたことの、様々な結果が出やすい時期だ。

月は自ら光っているわけではなく、太陽の光を反射することで輝いて見える。同様に我々の心を写し出す鏡のようなもので、まっすぐに月と向かい合いながら、今月もまた満月を見ることができたことに感謝しよう。

8月の満月は水瓶座、しかも第9ハウスで起きる。星占術によると、第9ハウスは「現状打破」「新しい世界」を意味するそうだ。

また、水瓶座の守護星である天王星が、月と太陽と蜜な三角形を作りあげる。

どうにもならなかったことが急に動き出したり、思いもよらない変化により、現実が切り開かれるといった経験もする人がいそうだ。

とはいえ、すべてがスムーズに進むとは限らないが、行動を起こさなければ何も変わらない。水瓶座の性質でもあるネットワーク力を最大限に生かし、次のステージへと進もう。

http://karapaia.com/archives/52293351.html

昨夜の八王子では、オレンジ色のスタージェンムーンがくっきり見えましたが、

物理的な、リアル「月」を知っているという坂本廣志氏情報によると、

やっとわかった「月の真実」と最高・最強だった日本の「古神道」秘伝の言霊

月の裏側には、『生物の成長サイクルを速める=短命装置』が置かれていて、

初期ムー大陸の生物は、きわめて長命だったそうです。

●月の母船短命装置で7万年前にア文明だけ対象にしたのですが、ムーの地域の生物は長命でしたが、食糧難で。短命作用の照射線成分って何かは、重力波、二光です。他惑星でもやっています。植物動物のサイクルを速めて成長させます。子どもにも使われます。

月面短命装置で当初ア文明だけの照射は、地球移住直後のマ人の寿命縮めるため照射線の重力波と2つの光です。他惑星の子ども適用で大人に1年で成長させます。

マ人とはラー文書にも出てくる「マルデック」から来た方々のことで、

「ラー文書」による人類の起源と50万年前に起きたマルデックから地球への移送

30万年前に「マルデック」星は(戦争により)崩壊し、その「マルデック」の霊魂が参加したのがアトランティス文明とのことです。

マルデックの生態系の崩壊は、あなたがたの戦争と呼ぶ行為による蹂躙の結果です。・・この崩壊によって、マルデックの存在たちは非常に大きな精神的打撃を受けました。そして、社会複合体レベルの恐怖のもつれあるいは絡まりと呼ばれるような困難な状態に陥ってしまったのです。

月に短命装置が置かれる前のアトランティスの寿命は500歳で、設置後は50歳ですが、

同じ頃、天孫降臨が起きたムー大陸では、ナント、2万年の寿命の方々がいたそうです。

●月面短命装置で当初ア文明だけの重力波と2つの光照射で、マ人と白人達はそれぞれ500歳から50歳程に縮めたのです。照射前のムー人の寿命は2万年です。

月に装置を置いて寿命を短くした理由は、別にイジワルしたわけではなく、一度リセットして「やり直す」方が「人類の進化」が速まるからで、

人類の意識レベルが進化すれば、月の装置はハズされ、寿命が伸びます。

占星術では月星座は感情やパーソナリティに大きな影響を与えるとされてますが、

ベテラン占星術家にマドモアゼル愛さんは、多くの臨床体験から、月星座は「その人でナイもの」を、あたかも「自分」だと思わせる「幻影」だと言ってます。

マドモアゼル愛さんの「月がわかった」と集合的無意識を浄化する感情の力

で、実のところ「自我」そのものが幻影でして、占星術は「幻影のゲーム」を優位に進め、人類を統治するための統計的ツールとして、古代から現代に至るまで使われてきました。

つまり、「悟り」=「明け渡しのプロセス」とは、自我の「幻影のゲーム」から脱却して、ホントの自分になることで、それは「明け渡しのプロセス」を通じてのみ、可能です。

<明け渡しのプロセス>

霊的探求者なら誰でも、神に至る道はすべて、明け渡しがその核心であることを知ってます。しかし、明け渡しとは何であるか、またどうすればできるのかについては明らかではありません。確固たる技術がなければ、探求者はコンテントを明け渡すために何年も費やし、以前から一歩も進んでいないと嘆くことになります。心(マインド)はわき目もふらず、果てしなくコンテントを創出し続けるので、いくら明け渡しても間に合いません。これでは、負け戦です。

次に求道者が耳にするのは、コンテントではなく、コンテントに対する執着心が問題なんだということです。これを聞いて、しばし安堵するかもしれませんが、すぐに次の疑問が頭をもたげます。では、どうすれば執着心をなくすことができるのだるうか?

その前にわたしたちは、執着心の構造をよく理解する必要があります。執着心は、信念と欲望を基盤としています。その信念とは、頭の中のコンテントは幸せをもたらし、問題を解決してくれるというものです。つまり執着とは、考えること自体が幸福(富、成功、ロマンスなど)への道だとする暗黙の了解に対してのものなのです。

考えることを放棄するのは脅威です。というのも、それが生存のための主要なツールであり、考えを”わたし”だと思っているからです。その”わたし”はユニークで、個別的、貴重なものと見なされており、”わたしは誰か!という自己アイデンティティの主要なデータベースでもあります。

自己アイデンティティを失う恐怖から、抵抗が生まれます。自我の執着の源を発見するにしたがって、わたしたちは自分自身に魅了されているというきわめて重要な驚くべき発見に至ります。

たとえ思考が痛みや失敗を背負い、災害や苦悩を招いているとしても、わたしたちは”それがわたしそのもの”なので手放そうとはせず、思考との間に愛憎関係を生み出しています。そして、自己は思考の生存を確かにするために、ネガティヴな感情から活力と満足感を”搾り出す”術を覚えています。

また、不公平、苦難、失敗、罪悪感を生き甲斐としています。自我は密かに被害者の立場を”愛し”、それに執着し、痛みと苦しみから歪んだ快楽と正当性を抽出しているのです。こうした傾向は、依存症やライフスタイルといったさまざまな場面でも観察されます。”敗者”という人物像は、音楽や物語の中でロマンチックに描かれているものです。

わたしたちはこれまでずっと思考を愛し、大切に扱ってきました。思考のためなら言い訳もし、それをかばい続けてきました。また、嫉妬心さえ起こすこともありました。思考を賛美したかと思うと、次は罪悪感と自己嫌悪から自らを裁き、軽蔑しました。けれども、どのみちわたしたちは自分自身に心酔しているのです。そして、人生というドラマのパレードの中で、自己像はどんどん美化されていきます。愛するものを手放すのは、喪失の怖れをもたらします。自己にとって、愛する対象はすべて幸福の源のように映るのです。

次の核心的な問題は、わたしたちが感情的な愛を手放したくないということです。愛そのものというよりは、愛の対象への執着を手放すことができないのです。わたしたちは、愛の対象を失うと哀しみがやってくると思っています。しかし実際は、執着心が悲しむのであって、それは愛の対象が喜びの源であると思い込んでいることに起因しています。悲しみとは、”外側”にある幸せの源泉を失ったという幻想から生じています。

しかし、幸福感をよく観察してみると、それが内側にあるものだということに気づきます。確かに外側のものが誘発したかもしれないが、幸福感は内側から生じる喜びです。つまり、幸せの源は内側にあり、心が欲する結果が得られたときの、好ましい状況の中で放出されるものなのです。内面をつぶさに観察すると、あらゆる事象は、もうすでにそこにある内的な特性を刺激しているにすぎないことがわかります。そして、喜びの源は内在しているので、失われることがないことに気づけば、怖れは減少します。

「真実」から見れば、思考は”外側”のものです。驚くべきことに、思考こそが真の幸福感を得る妨げとなっているので、これは完全に捨て去ってもよいものなのです。

恩師のペルーの先生は、1970年代からペルーでドクターとして沢山の人を治療し続け、

2006年初頭に「悟り」を得た方ですが、悟った人は「後をわずらわせないで逝く」ようで、

99歳で逝去した奥様の母上の法事の直後、親族一同が揃っていた時に宇宙に帰還しました。

2012年4月16日、満67歳で逝去したペルーの先生の波動に最も近いと感じた「本」が、ホーキンズ博士の「真実と主観性」で、

覚醒者が語る悟りの段階的なフィールド

「悟り」を得た後のホーキンズ博士は、30年も沈黙していたのに、語る気になったのはキネシオロジーというツールを得たからで、

もともと治療にキネシオロジーを使っていたペルーの先生も、晩年は多くを語らず、キネシオロジーですべて解決してました。

キネシオロジーは思考を介在させずに「真実」に至るツールですが、「執着心」が介在しちゃうと正確性が失われるようで、

ペルーラムさんが言うには、バッチフラワーはとてもキネシオロジーがやりやすいとのことで、

彼は個々の指標の意味を「知らない」し、何がヒットしようと「執着心が一切ない」からです。

なにごとも「執着のナイ状態」であることが、正しさと平穏をもたらす秘訣のようですが、

逆に、かなり進化した方でも「執着心」が増大しちゃうのが「自分の子ども」や「自分の親」、

「自分の伴侶」や「自分の恋人」の事柄であり、自己憐憫的な執着心に該当するバッチフラワーはチコリですが、

「マヤ暦の終わりの日」かもしれない蟹座新月と人類進化を阻むチコリの軌道

留意すべきは、「明け渡し」は段階的なプロセスであり、

進歩すればするほど、「あなたはホントにそれが出来てますか?」なテストがあり、

テストを受け入れ、個人的な執着を手放していくことは、世界平和のために祈ることより難しい・・というのが実感です!

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