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沢木耕太郎氏のコロナ渦でも「旅に出ればいい」とプレアデス情報の「超意識への移行」

「乗っていたセスナ機がブラジルのジャングルで墜落し、九死に一生を得た体験をもつ」

作家の沢木耕太郎氏は、銀行を1日で辞めた・・というスゴイ記録の持ち主です。

大学卒業後は富士銀行(当時)に入行するも、初出社の日に退社した。出社途中に信号待ちをしているときに退社を決めたという。

wikipedia

沢木氏と同じく、経済学部出身の旦那さんはガテン系の一級建築士ですが、

大学卒業後、スグに就職した商品取引の会社を3ヶ月で辞め、辞める理由は「人を騙すようなことをやりたくないから」と答えたそうですが、まあ、銀行も似たようなものカモしれませんね〜

旦那さんはバイトしながら学費を稼ぎ、建築の学校に入り直したのですが、「何か作りたいな」というのが方向転換した動機だそうで、寝る暇ないほどの生活でも苦にならなかったのは目的が定まったからでしょうが、今となっては、経済学部で培ったモノが役立ってるようで、交渉事が上手ですし、経済を見通すカンも働くようです。

その上、たった3ヶ月勤務でも、年間3000円ほどの企業年金が入りまして・・何事もムダな経験はないな〜 と思う今日この頃です。

で、たった「1日で辞めた」記録の持ち主、沢木氏は父親との関係を克明に記録しており、

有名でも無名でも、父親の生き様が息子に与える影響は大きいようで、沢木氏はコロナ渦でも何ら変わりない日常生活を送っています。

変わらない日常を過ごしながら、世界中に広がるコロナ禍のニュースを眺めていたという沢木。20代の頃から世界を股にかけたハードな旅を経験してきた彼に、新型コロナウイルスはどう映ったのだろうか。
「語弊があるかもしれませんが、ごくごくシンプルに、大したことではないんじゃないかなと思う。僕たちのように高齢だったり、もともとハンディを抱えている人が肺炎になったら重症化するのは、実は当たり前のことですよね。仮に僕が、この新型ウイルスにかかってしまい、重症化して死ぬことがあったとしても、それは病気に『縁』があっただけだと思うわけです。もちろん、罹患を避ける努力や、人に何か迷惑をかけないように心がけるのは大切なことだと思うけれども、生活のすべてを変えようという気には全然ならない。それでも、もしかかってしまったとしたら、ちょっと予定よりは早いかもしれないけど、70代までは生きることができたし、人生を十分楽しませてもらったんだから、何の文句もありません。だから、何か世界はすべて変わって生き方を変えなければ、というような話になると……そういう人がいたって構わないけど……、僕はタイプが違う、それだけのことかなと思います」・・・

ニューノーマル。新しい生活様式。ポストコロナ社会。もはや世界は、これまで通りではない。……毎日そんな論調が世に溢れるが、沢木には少しのブレもない。

「若いうちにやっておいたほうがいいことに、『旅』と『スポーツ』があると思っています。それはどちらも、『思いがけないことが起きる』から。例えばサッカーならば、90分間の中で、瞬間瞬間にどう対応するかということを常に問われるわけです。そうすると、それに対応する能力が身についてくる。旅もそう。思いがけないようなことが起こるんだけど、『思いがけないことが起きる』ことを予想することは可能なわけです。大事なことは、それにどう対応するか、ですよね」

人生もまた、思いがけないことが起きるもの。今回のコロナ禍も、同じことだと沢木は言う。
「こういう想像し得ないことが起こるのは当たり前で、自分がそこにどう対応するかを決めていくだけだと思う。世界や人生が変わっちゃうとか、それほど大騒ぎするほどのことなのかな? 僕の場合は、高齢というリスク要因を抱えていることになるし、場合によっては死ぬこともあるだろうけど、その時はその時。『それで何か問題がありますか?』と自分に問えば、何もないと答えるだけです」

https://news.yahoo.co.jp/articles/415bac348e6a69316ecc903f17dc363ee6e40448?page=1

沢木耕太郎氏は70歳超えとのことで、ここ数年、旦那さんの同級生たちがバタバタと逝ってますので、「70代までは生きることができたし」の重みがよくわかります。

旅もスポーツもある程度の体力がいりますが、「思いがけないようなことが起こる」からこそ、その経験が叡智となり、

沢木氏は「みんながこの状況を過度に恐れすぎて」旅をしないことを危惧してるようです。

「僕は『こうなりたい』というような思いを持たないタイプの人間です。今、目の前にある仕事をやってきただけで、自分の生き方、方向性なんて考えたこともなかったし、今もないです。ライフワークとして書きたいというものもない。これは面白そうだからやってみようかなっていうことは常にあるけれども、ごくごく近い距離のことしか考えずに生きてきたような気がします。だから、さっきの話に戻ると、例えば明日、新型コロナウイルスに感染して重症化して、1週間後に死んでしまっても、1年先にやりたいということもないから、構わないわけ、全然。自分の好きなことだけをやってきたので、『ここで終わり』って言われても、神さまに不平は言わないっていうことなんです」

こんな書き手になりたい、こういう仕事がしたいと思うことは、なかった。

「やりたいことだけをやってきたらこうなったっていう、それだけの話だから。だけれども、それを貫くためには、リスクがある。ちょっと偉そうなことを言うようだけど、力が必要だと思う。やりたいことだけをやって生きるには、やっぱりこちらの力量が必要だし、場合によっては、相手を納得させる話術だったり、政治力も必要になる。僕は、基本的には、ほとんどの仕事の依頼を断ってきました。でも、どんな内容なのかは確認するようにはしていました。まれに、何千個に一つくらい、自分にとって『おっ』と思うことが起きるからです。そういう偶然に対しては、なるべく柔軟でいたい。自分のやりたいことを通す頑なさと、その柔らかさを併せ持って、僕である、という感じがします」

遠い先の目標を持たず、目の前だけを見ながら生きてきたという沢木が、人生の中で魅せられたのが、長距離の移動を伴う「旅」だった。作家として、一人の人間として、沢木耕太郎にとって、旅とは何か。

「ちょっとかっこよく言えば『途上にあること』、要するにプロセスですよね。行く先のどこか、何かが目的なのではなくて、どこかに行くまでが『旅』。だと思う。僕にとっての旅は、やっぱりプロセスを楽しむものなんだよね。結果的にたどり着けなかったとしても、問題ないんです。行かれなかったっということがあっても、下世話な言い方をすると、『それは面白いじゃないか、ネタになるじゃん』と(笑)」

「たとえばケープタウンに行ってみたいということは、一瞬で決められることでしょう。そこまで行くのに3年かかろうが、目標を決めること自体には1秒かからない。そこへ行くこと、やりたいと思う仕事に何年もかかってしまうようなことは、もちろんあり得ます。僕は5年ほど続けている作業があるんだけど、それはやりたいことが5年経っても終わらないというだけの話です。それが少しずつ積み重なって、今ここに僕がいる、ということかもしれない」

一方で、若い人に対して、「旅をすべきだ」という物言いはしたくない。沢木は著書で何度もそう書いてきた。国内旅エッセーをまとめた近著『旅のつばくろ』(新潮社)にもこうある。


日本の若者たちが外国旅行をしなくなったと言われて久しい。
それもあって、私のような者にまで、もっと外国を旅せよという「檄」を飛ばしてもらえないかといった依頼が届くようになった。
だが、申し訳ないけれどと、そうした依頼はすべて断ることにしている。
ひとつには、私も若いとき、年長者の偉そうな「叱咤」や「激励」が鬱陶しいものと思えていた。だから、自分が齢を取っても、絶対に若者たちに対するメッセージなどを発しないようにしようと心に決めたということがある。(『旅のつばくろ』より)

「若い人がどうとかっていう物言いはしないようにしてきましたし、それはこれからも変わりません。ただ、すごく気になっているのは、みんながこの状況を過度に恐れすぎていること。周囲の目もあるだろうし、罹患に対する恐れもあるのかもしれないけど」

沢木は『深夜特急』の後書きで、これから旅をしようと思う若者への餞(はなむけ)として「恐れずに、しかし気をつけて」というメッセージを記している。まずは恐れることなく旅に出ればいい、ただし注意は怠るな、と。

https://news.yahoo.co.jp/articles/415bac348e6a69316ecc903f17dc363ee6e40448?page=4

「旅」とは、個人と環境(行き先)の相互作用であり、どう感じるかはその人次第で、

外国に行っても、友達とのおしゃべりに明け暮れてる場合もありますが、

個人的にはフランス以上に「異国感」アリアリだった大阪に長期出張中のオカベ師匠は、

8月1日、太陽の塔で泣きたいほど感激したそうです!

まあ、泣きたくなったのは、久しぶりに妻子と会えたからカモで、

7月31日、Mちゃんと愛娘さんは大阪に向かい、8月早々、家族で「太陽の塔」に登ったようで、Mちゃんはこんな鋭い洞察をしてました。

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太陽の塔に登ったら、TVインタビューされてました。

新幹線でもどこでも感染症予防のアナウンスがされてるのを聞いて、『願いは言うと叶う、というから、どこでもコロナの事ばかり言ってると、尚更治まらないよ』と言ってました(笑)

なるほど❗️です。

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大阪は「梅雨が懐かしくなるほど暑かった」とのことですが、

8月1日、久々に爽やかな好天気だった清里には、


旦那さんの甥っ子が尋ねて来まして、「初めて」ゆっくりお話ししました。

結婚時、まだ8歳だった義姉(次女)の一人息子は、インディゴって感じで、

インディゴチルドレンは権威主義に対する反抗意識や、彼らが教師よりも賢く、スピリチュアル的に成熟していること、罪悪感、恐れの感覚の欠落から、従来の学校教育に適応することが難しいとされる。

wikipedia

長女の息子さんはアスペっぽいのと対照的ですが、どちらも180㎝超えの長身で、

吉濱ツトム氏の「知的欲求が充たせる会話」と行動するためのラーチ

インディゴな甥っ子は、小学生の頃から柔道で何度もトロフィーを授与されたスポーツマンでしたが、「従来の学校教育に適応することが難しい」で高校を辞め、

ブラブラしてるかと思いきや、仲間を集めて「起業」し、20代で大成功したのですが、「申告漏れ」で税務署が来て、オジャンになったそうです。

この話を義母から聞いた時、税務署が来るほど売上があった・・ってスゴイと思いましたが、

もっとスゴイと感じたのは、パートナーの実家である山形に移住した甥っ子が、たまたま東京に出てきたタイミングで祖母が逝ったことで、

赤ちゃんの頃から同居していた「孫」でしたので、ちゃんと手配済みで「逝った」のかな・・と思いました。

西荻窪の義母の家はすでに処分してしまい、

70歳超えの義姉は一人暮らしをしていたのですが、コロナ騒ぎの直前に「脳梗塞」で倒れてしまい、半年以上も入院してましたが幸い回復し、とは言え、まだ車椅子状態なんですが、

ナント、甥っ子のパートナーが「引き取ってもいい」と言ってくれ、お盆明けに山形に連れて行く準備で東京に出てきたのですが、山形に帰る途中に清里に寄った次第です。

で、甥っ子から「行ってもいいですか〜」な電話が来た時、旦那さんはこのブログを話をしたそうで、

「俺の知りたい話がたくさん出ていて、メチャ読みました!」とのことで、小学生の頃、(荻窪で)UHOを見た話とか・・色々してくれました。

まあ、UHOはどこに出ても不思議でないですが、

このところの不思議さは、日常生活で頻繁に起きていて、

例えば、清里の家の2軒隣に、一昨年から夏場だけ来るようになった家族がいるのですが、

その家族の住所が、「杉並区桃井4丁目3番地まで同じ」といった「偶然」がよくあるのです。
 
で、杉並育ちの甥っ子の話を聞いてると、竜&プレアデス系の吉濱ツトム氏が参考になるような気がして、紹介しておきました。

ドスピな「吉濱ツトム」さんいわく、ドスピな人ほど規則正しい「行動」がナイスとのことで、

インディゴな甥っ子は「引きこもり」では全然なく、

好きなこと以外に対する集中力がなくほとんど関心や興味を示さない「多動」なタイプですが、

発達障害はトラウマのせいではなく、脳の器質(もともとの性向)だから、

(脳の)本能のままに「好きなこと」だけしていると「アララ」となる・・というのがツトム氏の経験的持論です。

甥っ子はしばらく沖縄に住んでいたことがあり、その際「多幸感」を得たとのことですが、

沖縄・備瀬崎の夕暮れに知るアダマス・セント・ジャーメインの「二元性の終焉」と2009年に可能となった「再統合」

日常生活に、そういった素晴らしい体験をどう定着させるかが大切で、

やりたいことをやるには「リスク」があり、「相手を納得させる話術だったり、政治力も必要」という沢木耕太郎氏の話も参考になります。

例えば、甥っ子は「土仕事はしたくない」と言うのですが、無農薬で野菜を育ていて楽しいとのことで、矛盾しているので問い正したら、

農薬バンバンでブルトーザーで耕すような従来型の「農業はしたくない」という意味でして、そこまで話さないと伝わりませんネ。

ですので、彼みたいなタイプは言葉が通じない方がイイ場合もあり、

甥っ子とパートーナーはカンボジアで暮らしていたことがあるのですが、

言葉は通じなくても、現地の皆さんがとても親切で、全然、問題なかったそうです!

ハートとハートでコミュニケーション出来る甥っ子が、母親を引き取るにあたっての「お言葉」は素晴らしく、

『山形にいるので、あと何回(母親と)会えるのかな・・と思っていたから嬉しい』

と、ホンキで言ってるのには感激しました!

もちろん、『やってみないとわからない』ことは承知の上ですが、そう決意したこと自体が大拍手です。

甥っ子が中学の頃、両親は離婚しており、最後まで付き添って父親を看取ったのも甥っ子で、

「三つ子の魂百まで」と言われる通り、大きくなってからいろいろあっても、子ども時代に可愛がられた子は強いな〜と思いましたが、

インディゴな方々は「考えないで」ハートに直結した決断をすると、必ずイイ流れが来ると、プレアデス情報では言ってます。

来たるべき時代に生き残るためには、思考の実現、または超意識という考えに移行していくことが絶対に必要です。超意識は、いまのところは、あなた方にとってはただの言葉にすぎません。それはまだ、あなた方が内在化した概念ではありません。というのは、膨大な量の情報と波長を合わせ、その情報で一杯に満たされるということが、あなた方には、まだ、考えられないのです。

しかし、進化するにつれて、それこそがあなた方が向かっていく方向なのです。この意識の動きが地球全体を座巻するであろうことをよく意識している存在がいて、彼らはそれを阻止しようとしています。しかし、”それはもうすでに起きてしまったのです”。私たちは、これを教えてあなた方を安心させるために、あなた方の過去に戻ってきました。

”考えがまず、第一にきます”。体験はつねに二次的なものです。その逆であることは決してありません。・・つねに、あなた方の体験は、考えていることの直接的な投影です。あなた自身の力を明確にし、それを認識することがもっとも大事です。あなたの考えがあなたの世界を形成しています。時々ではなく、”つねに”そうなのです。あなた方は、あまりに多くの、明確さを見失わせようとする周波数コントロールの波動に攻撃されているために、揺れ動いています。

あなた方は、人間という種全体のあり方として、つねに明確でいて、心の中心にいてたじろかず、この瞬間に100%集中することを意図しなければなりません。未来に生きることをやめなさい。過去に生きることをやめなさい。そして、つねにいまこの瞬間に生きなさい。・・

あなた自身のパターンを見つめなさい。もしも、あなたが自分の体験の一部を自分で創造したということを否定し、その体験を自分が創造したものとして所有したくないと思っていることに気付いたならば、ただそのことを見つめてください。そして、こういってみてください。「これは面白い。私はいつもこれをやっている。自分で創造していることを自分のものとして所有したくないと思っている。自分で創造したものが気に入らなければ、誰か他人のせいにしようとする。どれくらい長くこういう態度をとりつづけるかみてみることにしよう。そして、これとは違った行動パターンを作るにはどうすればよいか、その解決策を考えてみよう」。

自分自身を価値判断しないでください。自分自身に向かってつぎのような言葉をいいはじめてください。「私は私がかかわっていることすべてに対しての責任を受け入れます。私の起きることが気に入らなければ、”自分が好きでもないことを、なぜ、私は創造しているのだろうか”と自問することを始めます。多分それはあることについて私の注意を向けようとしているのであって、私は気付いていないけれども、本当は私のためにうまくいってないことを変えようとしているのだろう」。

あなたがするすべてのことは、完璧に素晴らしい目的があるかのようにいつも行動しなさい。あなたにとってもっともよいこと、もっとも素晴らしい機会は、あなたがかかわるすべての出来事を体験することから生まれると思って行動しなさい。

「超意識という考えに移行していくこと」は、若い世代ほどやりやすいようで、

甥っ子はまだ30代でして、これからの世界を引っ張っていく原動力であり、

「ゼロポント」とか、ラー文書の「51%以上の他者奉仕」もスグに習得してましたが、

8月早々清里で、お若い方とスピ系なお話しが沢山出来て、

人生そのものが「一つの旅」であり、目的地にはやく着くのではなく、

旅の途中でいろいろと寄り道する方がオモシロイと、ますます思いました!

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