これは長野在住の知人が撮った超マクロな蓮の花ですが、
梅雨時の神秘な霧の森の奥には、
東洋的美に満ちた世界が、次々と、花開き、まさに、チャクラが元気よく廻っている様子を、
これらの蓮の花からイメージしました。
チャクラ
サンスクリットで「車輪・円」を意味する語。漢訳は「輪」(りん)、チベット語では「コルロ」という。インド起源の神秘的身体論における、物質的な身体(粗大身)と精微な身体(微細身)にある複数の中枢を指す。
人間の体には7つのチャクラがあり、
それぞれが花開いて、いい具合に回転していると健康で輝き、
第1チャクラ(赤) 家族・生存
第2チャクラ お金・セックス・力
第3チャクラ 自尊の念
第4チャクラ 感情・愛・寛容
第5チャクラ 意志・選択・自己表現
第6チャクラ 知性・知恵
第7チャクラ 聖なるものとの関係
何らかに原因で、失速したり、回転し過ぎると、
心身に不具合が出てくることを、
お釈迦様も感じとっていたのかも知れません。
蓮の花が「お釈迦様の台座」なのは、人間として生を受けたことを象徴しているようです。
泥水が濃ければ濃いほど、はすの花は大輪の花を咲かせます。
泥水とは人生におきかえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なことです。
ほとんど泥水ではなく、真水に近いようなきれいな水である場合、
蓮の花は本当に小さな花しか咲かせません。
大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要です。
蓮の花は泥水の中からしか立ち上がってこないのです。蓮の花とは、まさに人生の中で花を咲かせること、
そして、その花の中に実があるのが 「悟り」 です。つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ、
ということをお釈迦さまは教えたかったのだと思います。苦難なときが来たら、
「ああ、この結果として私は大きな悟りに、美しい世界に導かれていくのだな」と思うことが大切です。
そう思えれば、自分自身にとってものすごく嬉しく楽しく、幸せで素晴らしいこと、そして、有難いことだと気が付いてきます。
それをお釈迦様は後世の人に伝えたかったようです。
その象徴として、蓮の花が台座に選ばれました。
※ 「悟り」 とは受け入れること。受け入れるためには3秒あればよい。
1秒目、過去のすべてを受け入れること。
2秒目、現在のすべてを受け入れること。
3秒目、未来のすべてを受け入れること。「こうありたい」 あるいは 「こうあってはならない」 と思うことは、
そのどちらも執着ということにほかなりません。執着していることが、
自分にとってのストレスになり、ストレスが体を壊していくようです。
※ 悟りを開くとは「仏」すなわち「真理に目覚めた人」に成ることをいいます。心の迷いが解けて、真理を会得することの意。悟りの世界=迷いのない心の安住の地。
悲しい・つらいことを否定せず、悟るために必要なもの として受け止めると、この経験が、心を豊か にして、いつでも幸せを感じ取る事が出来ます。 人の悲しみや苦労も解る 豊かな心 になります。
そういえば、チャクラの実在性を感知していた故ペルーの先生は、とにかく「無執着」なお方だったなあ・・と、
素晴らしい蓮の写真の数々を見て、改めて思い出しました。
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