縄文時代、八ヶ岳周辺は「銀座」のような所で、
たくさんの縄文人で賑わっていたとのことですが、
これは1月14日の八ヶ岳で、
今はモグラの巣がたくさんです!
縄文の遺跡は、沖縄から北海道まで日本全国に広がり、
不思議言霊のカタカムナのルーツという説もありますが、
「証拠」物を見る限り、
国宝「仮面の女神」
国宝「縄文ビーナス」
どっしりと地に足の着いた、それでいて不思議感覚満載の文化だったように感じます。
ウチは2008年に八ヶ岳の麓に土地を求めて以来、
セルフビルドでコツコツ家を作ってきたのですが、
八王子〜清里を毎週往復するということは、
東は東京、西は長野、南は静岡へと続く、甲府盆地を通過し、
大月ー甲府ー韮崎ラインはすっかりお馴染みになりました。
で、甲府には「言霊の第一人者」七沢賢治という方がいて、
七沢氏は、「脳」が納得・理解してることが「言霊」を生かす方法だとします。
では、どうして一般的なポジティブシンキングやアファーメーションが失敗に終わってしまうことがあるのか。その理由について七沢氏はこう解説する。
「ポジティブシンキングには論理性がありません。そのため、どれほど肯定的な文言であっても唱えれば唱えるほど、それが強迫観念となる人が出てきてしまいます。そのような人の場合、ポジティブシンキングは逆効果となるでしょう。
人は何か行動に移るときにハードルがあるものですが、それは脳が問題の背景にある階層の全体を理解していないために、なかなか動けないということです。これまでの心理療法もいいところまではきていますが、全体の階層でしっかり言葉にしていないために、どうしても逃げ道ができてしまいます。あえて、逃げ道を作るというやり方もありますが、本当に物事を改善したいなら逃げてはいけません」
つまり、ここでもポイントとなるのは階層性と統合性なのだ。人が何かを願望するときには、必ずその背景には「不満」「不足」「不調」といったネガティブな問題が隠されているもの。一般的なポジティブシンキングやアファーメーションでは、そのネガティブな要素に触れず、ポジティブな願いにだけ意識と言葉を向けることになるが、それでは人によっては、ネガティブな要素を心の奥に閉じ込めてしまい、融通無碍(むげ)な心の働きをかえって縛り付けてしまう。
さらには、その願望の背景にある問題まで含めた「事の全体像」を脳が理解していないために、いざという好機にあたって機転を利かせ、適切な行動をとることができにくくなる。
七沢氏が述べているのはそういうことであろう。
「言霊はこうして実現する」からの抜粋ですが、
言い方は違いますが、これは沖縄の金城光夫氏が言ってることと同じだと思われ、
金城氏は「言葉」の前に、見る「目」があるとし、
「アタマ」優先は、3次元世界の限界だと言います。
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「アタマ」で理解することを素晴らしいと思い込み、
「アタマ」で理解できることのみ信じるようになり、
「アタマ」で理解できることこそ、すべて・・と思いこんでしまったのです。
それがこれまでの3次元の世界でした。
しかし、地球は5次元に目覚めたのです。
そして同時に、地球にいるすべての生命体も、
5次元へと進化したのです。
5次元は「アタマ」「リクツ」に、制限されない世界です。
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よーするに、アタマ=リクツで理解することと、脳が理解する(見る)は別物で、
覚醒した精神科医、ホーキンズ博士の「意識の地図」の、
「理性=理解する」も、アタマではなく「脳が理解する」ということです。
さて、七沢氏を知ったのは「甲斐犬の神髄、ここにあり。」を読んだからなのですが、
七沢氏が惜しみない賛辞を贈る、雨宮精二氏は昭和12年生まれ、
祖父を師匠とする「ブチ毛=甲斐犬飼い」として70余年の方で、
犬道楽・・つまり生業にしない本物の犬好きです。
自分も犬好き(猫好きでもありますが)なんですが、甲斐犬って2016年の春、
韮崎でたまたま品評会に出くわしたことがあり、
たまたま撮った写真の飼い主さんからコメントを頂き、
たまたまブログを「見て」くれたことにビックリしました!
で、子犬の頃から勇敢な、
甲斐犬は「闘犬」ではなく、「猟」を手伝う犬で、
縄文の頃から、人とともに共存共栄してきた、
縄文的な「犬」の資質を色濃く遺した犬種だと七沢氏は言います。
<「自然に任せる」の一言に凝縮されたもの>
そうした姿から、わたし自身も多くの示唆をいただいたことを、改めて思い返しておりますが、雨宮さんの甲斐犬に対する思いのかけ方、その付き合い方から教えられ、ある意味必然のようにたどりついた場所のひとつは、人と犬がかつてどのように出会い、長い間どのような関係を結んできたのであろうという省察でした。・・
世界中で広がる犬種の中でも、犬の祖である狼の資質をもっとも色濃く引き継いだ犬ではないか、といわれているのが甲斐犬です。
狼の資質を色濃く引き継ぐとは、言い換えれば、「野性を失っていない」ということだろうとわたしは考えますが、雨宮さんの甲斐犬との付き合い方はまさにこの「野性との付き合い方」のお手本ではないかと思うのです。
で、雨宮&七沢が暮らす甲府盆地、笛吹市御坂町からは、
黒駒土偶、あるいは腕長土偶と呼ばれる、
縄文土器の中でも、たいへん変わったお顔が出土していて、
山梨県笛吹市上黒駒出土、
縄文中期。
(2016年4月に撮影)
ネコ顔のつり目は山梨~長野で出土する
土偶・土器に見られます。
地域的には釈迦堂あたりに近い。
奇怪な顔と形をした半身の土偶。目尻が鋭く吊り上がり,人の顔というより獣面に近い。この顔の表現は中部高地や関東地方西部の中期の土器の人面把手に共通する。胸に当てられた左手の三本指の表現もこの時期の土器につけられる人体および動物装飾にみられる。
雨宮氏には、この土偶が甲斐犬の祖先に見えるとのことです。
いまは国立博物館に所蔵されているこの土偶、大正時代に発掘されました。この土偶の顔と姿が、よくある、人をかたどった土偶とは明らかに異なります。
顔の上、左右に丸みのある突起がひとつずつ、頭の上の突起といえば、角か耳か。甲斐犬好きの色眼鏡を外しても、これは、”立ち耳”、間違いないところと見えます。
目は上がり目、目端のきれ強く、口は左右と鼻に向かって切れ、両頬に長いひげを思わせる線状の模様、そして肩から前足付根にかけ点々模様ー自分には虎毛模様に見えるのです。そして、胸に添えられている左手、これまた不思議に指が三本しかない、右腕というと折れてなし・・・。
猫とも、犬とも、狼とも、確かにはいえないまでもそれに近いもの、と私には見えるのですのが、みなさんの見方はいかがでしょうか。
これは諏訪大社・春宮の
猫とも、犬とも、狼とも。。な、お飾りですが、
彼らって、よーするに、
参拝者を「見て」るんですネ。
これは愛猫クレちゃんと、
愛犬蘭ちゃんで、
どちらも、もう逝っちゃいましたが、いつも「見て」くれてるよーに感じます。
実際、金城氏いわく、5次元になった地球では「あの世とこの世」は同時に存在してるとのことで、
この不思議顔した土偶が甲斐犬の祖先かどうかはともかく、
どんな「言葉」を使っていたのか全く不明の縄文時代の日本人は、
犬と一緒に「猟」をして、
犬を大切に埋葬していたことは、考古学上、確かです。
しかし、弥生人渡来で縄文文化は徐々に薄まっていき、
縄文時代には大切に埋葬されていた犬の骨も、弥生時代に入るとバラバラになって捨てられてしまいます。
弥生人は大陸から連れてきた犬を食用として食べていたのです。
だんだん3次元的な「アタマ=リクツ」優先社会になっていった・・という流れですが、
大切に守られた犬の系譜と同じように、
日本人の遺伝子には縄文が生き続けているのも確かで、
5次元的には彼らのように、
「アタマ=リクツ」なしで見る「目の真力」を、
縄文遺伝子を引き継ぐ日本人は持っているのかもしれませんネ!
たびたびコメントしてすみません!
家族が他界した後のロス状態が今頃来ていて、生前お世話になった方が来訪して下さって、帰られた後が特にキツイです(今日の夕方もそうでした。。)。
4年位前にこちらのブログから知ったバッチフラワーの「ウォルナット」を、お看取り状態に入る前位から摂っていて、もう無くても大丈夫かなと思っていたのですが、まだまだ自分の感情ケアは必要なようでした。。
今日書かれていた金城氏の『5次元になった地球では「あの世とこの世」は同時に存在してる』という説にちょっと癒されました。
故人に心のなかで話しかけると、応えてくれる声が聞こえるように感じます。
自分の創作というか思い込みかもしれないけど、そう思えると心強いですね。
5次元ってまだよく理解できてないけど、そして移行期は大変だと感じるけど、楽しそうな世界ですね。
いつもありがとうございます。
<生前お世話になった方が来訪して下さって、帰られた後が特にキツイです>
来訪者の強い嘆きと悲しみが伝わって・・キツイと、ペルーラムさんもお父上が亡くなれた時に言ってましたが、自然な感情が出るのはいいことだと思いますよ。
おっしゃる通り、移行期は感情の起伏が激しくなりますが、「一過性」ですから!!