たまに風邪を引くのは、身体の大掃除にイイ・・とか言われてますが、
発熱を伴うほどの風邪を引いたのは、いつが最後だったのか・・
覚えている限り、24、5年前、弟の結婚式当日に高熱が出て、イププロフェン系解熱鎮痛剤を服用した際が最後で、今、思うと、アレはインフルエンザだったのかも? ですが、その後、なかなか回復せず、市販薬はリスキーだと思い知りました。
その後、ペルーの先生やバッチフラワーと出会い、「(西洋)薬を飲まなくなったら、風邪も引かないな〜」が続いてました。
旦那さんも退職してからは「風邪知らず」だったのですが、12月9日、軽井沢のアウトレットに行ったらすごい人混みで、
それ以降、コンコン咳をするようになり、「もらっちゃったかな?」という状態の中、
12月11日は「ゼロ磁場」に行ったら、ジャストのタイミングで父から電話が来まして・・
母の緊急入院に動揺している父から「スグ、こっちに来てくれないか?」と言われ、とりあえず、向かおうとはしたのですが、
携帯も通じない山奥の「ゼロ磁場」から着くのは夕方以降になるし、旦那さんのコンコンが激しくなっているので、これは無理だと判断しました。
降りる途中も全然、携帯が通じず、やっと繋がった時は父も冷静になっていて、「よく考えたら、今から来ても仕方ないから来なくていい・・」と冷静になってました(笑)。
で、お寺が多い高遠の街を少し散策したのですが、お寺・・という気分ではなかったので、321段の階段を登って「鉾持神社」に詣でし、
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<鉾持神社>
創建は721年(養老5年)
信濃国司の小治田宅持により伊豆神社の天津彦火瓊瓊杵尊、箱根神社の天津彦火火出見尊、三嶋大社の大山祗命、それぞれの分霊を町の西部にある権現山より勧請し、信濃国司源重之により969年(安和2年)に伊那郡笠原荘に遷座。現在地には日野喜太夫宗滋により1184年(元暦元年)に遷座した。現在地に遷座後、1185年(文治元年)に、旧所在地伊那郡笠原荘の土中から「霊鉾」が発掘され鉾持神社と改称。御神体として祀り鉾持三社大権現と尊称した。
現在の本殿は1774年(安永3年)に再建されたもの。 神楽殿は、1907年(明治40年)に建設し、拝殿は1915年(大正15年)に改築された。本堂へと続く石段は321段あり、参道手前にはだるまなどの集積所がある。
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饅頭をゲットして帰路についたのですが、途中、新百合ヶ丘総合病院の担当ドクター(女医さん)から電話が来て、これから輸血を始めるので、父に承諾書にサインしてもらおうとしたら、父が消えてしまった・・とのことで、この電話にて「家族の承諾」とし、そして、母の病状と今後の方針を説明するので来て欲しい・・と言われ、13日の3時にお約束をしました。
父はどこに消えたのか? まあきっと、父のことだから「勝手に家に帰っちゃったんだな〜」と思いましたが、案の定、家に戻った父から電話が来て、朝から(昼ごはんも食べずに)検査に付き添い、気分が悪くなったので「帰った」とのことで、疲れ切ってる様子です。
そして急に「吐き気がする・・」と電話を切ったのですが、その時の父は「ろれつが回らない」し、脳溢血とかの前兆ではないか? と心配になり、母のこともあり、まさかの二連ちゃんで「眠れない」夜となりました。
翌朝(12月12日)、父から電話が来て、朝早く、母をちゃんと病院に連れて行けるか・・気を揉んだストレスと(私もそれは心配していた)、空腹の中、新百合ヶ丘で「うなぎ」を食べたら、それが合わなかったみたいだ・・とのことで、「吐き気」はうなぎのせい?(笑)
で、旦那さんの風邪コンコンはますます酷くなっているので、13日は、私だけで電車で行くかも・・と言っておいたのですが、午後になって、なんか頭痛いな〜と、古い体温計を出して熱を測ったら、
ナント38度3分も熱があり、関節の節々が痛み出し・・まさに「鬼の霍乱」です!
時節柄、高熱がある状態で病院に入るのは無理なので、父は一人で行くと言ってましたが、一応、南町田に住む義妹(弟の嫁)に父が連絡したら、来てくれることになり助かりました。
MY実家は、転勤族の弟家族とは疎遠(別に仲違いしてるわけではない)なんですが、
ここ数週間、1日に4〜5回も父から電話が来る中、「この現状を、弟夫婦が知らないのは、実におかしいことだよ!」と父にぶちまけたら、「その通り!」と父も同意し、わかってはいたようです。
そうしたら翌日(入院する前日)、弟から実家に電話が来て、やっと母は、弟と話が出来て・・ヨカッタです。
今までの母は「そんなに苦しいなら、弟に連絡しようか?」と言うと、「まだいいから・・」と言っていたのですが、一週間ほど前に聞いたら、「そうね、連絡して」と言うので、留守電に入れておきました。
私が熱を出したせいで、急遽13日、父と一緒に行ってくれた義妹は「知らなかった・・」とのことで、弟の連絡不精・疎遠さは、実家だけのことではナイようです。
で、女医さんの説明によると、母の超貧血の原因は「骨髄異形成症候群」が疑われるけど、年齢からして精密検査は無理なので、輸血の対処療法のみで、抗がん剤もしない・・と言われたそうです。
骨髄異形成症候群は、血液中の細胞が減少する病気です。そのため重篤な病気と思われがちですが、一般的ながんのように急激に病状が進行することはありません。ゆっくりと症状が現れるため、発症に気づかないことも少なくありません。また、上で述べたような症状が現れたとしても、即座に命に関わるわけではありません。症状とうまく付き合いながら生活している患者も多く、病気の種類と発症年齢によっては診断されてから10年後も生存している率が80%を越えるものもあります。
しかし、骨髄異形成症候群の中には急性骨髄性白血病に移行するものもあり、このような場合は白血病に移行しなくても血液の細胞が著しく減少するのが特徴です。そのため、診断されてから1年以内に半数近くの患者が亡くなると報告されています。・・
骨髄異形成症候群は急性骨髄性白血病に移行する場合を除いて、緩やかに進行していくのが特徴です。このため、自覚症状がまったくなく、たまたま受けた健康診断などで血液細胞の減少を指摘され、発見されるケースも少なくありません。
このように自覚症状がないケースや軽度な症状のみが見られるケースでは特別な治療をせずに、定期的に血液検査を行いながら経過を見ます。
しかし、骨髄異形成症候群を根本的に治す方法は、現在には残念ながら存在しません(2019年12月時点)。このため、血液細胞の減少による症状が強い場合には輸血や抗生剤などを用いてそれぞれの症状を改善する治療が適宜行われます。
確かに・・治療法がないなら、温存療法で天寿を全うした方が賢明ですね。
ちなみに、磯村尚徳さんも「骨髄異形成症候群」だったそうで・・
ナント、「発症しても症状が現れることなく一生を終える患者」もいるそうです。
母は2019年12月終わりに、ひどい風邪症状で肺炎になりかけ、新百合ヶ丘総合病院に駆け込んでおり、その時の検査での血液は正常値でしたので、コロナ渦が始まったこの4年間で発症し、もう限界値だったようで、「よく、脳溢血とか起こさなかった・・」と、医者に言われたそうです。
そして面談には、ソーシャルなんチャラも同行し、問題は退院した後、どうするか・・で、特養や老健は無理なので(空きがない?)、介護付き有料老人ホームを勧められたそうです。
父的には、母の急激な認知の低下が病気のせい(せん妄)で、ある程度は元に戻るなら、自宅で看ると言ってますが、医者も、認知症に関しては、今後どうなるか「わからない」とのことで、母の(頭の)混乱した状況は、今も続いているようで、義妹と私の区別がつかなかったそうです。
と言うわけで、今年の正月は「家族会議をする」と、父は音頭を取ってますが、「鬼の霍乱」のせいで、義妹も知るところになったのは幸いです。
ちなみに今回は、旦那さんも38度以上の熱を出し、13日、二人でフウフウして熱を測っていたら、古い体温計が反応しなくなり(電池切れ?)、
必需品だ〜〜 と注文したら、翌日14日には届き、新しい体温計で測った時は、二人とも平熱に戻っていて、
私たちの異常を心配したのか・・13日は食欲のなくなっていたピノちゃんも、通常モードに戻りました!
それにしても、久しぶりの「風邪」はなかなか辛く・・ある程度の年齢になると「身体の大掃除」より、引かないのが一番! というのが実感で、
タダの風邪でも、病み上がりでフラフラしちゃうのに、長い間、超貧血の不調を抱えていた母は、さぞかし辛かったのだろうな〜と、心気症だと疑って「ゴメンなさい」です!
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イルカさんこんにちは。お久しぶりです。
高齢のご両親を持ちご心配だと思います。私の母もケアハウスに入所していて会うごとに年取ったなぁと感じます。
さて、実は今月町田の日本看取り士会東京支部で、看取り学講座を受け、昨日看取り士の資格をいただきました。
看取り士は、いよいよの前の相談、臨終の立ち会い、看取りの作法の伝授ご仕事で、看取り士と、家族や知人で作るエンジェルチームで旅立ちの時を寄り添って過ごし、その方の魂のエネルギーを受け継ぐものです。
町田でフォトスタジオをやりながら看取り士の講座もしている清水和土さんという方に学びました。とても素敵な方でした。
誰しも最期を迎えますが、それはネガティブなものではありません。感謝を伝え命のバトンを受け継ぐ感動的な時です。
まだまだ先のことかもしれませんが、もし看取り士にご興味あれば、清水さんに連絡してみてください。
望月さん
両親の件、お気遣い&情報をありがとうございます。
映画「みとりし」で看取り士のことを知り、とても感動しましたよ。最後の瞬間に(魂が)何を感じるか・・ってすごく大切なことで、望月さんに合ってるな〜って思いました。
わが身と重ね合わせて拝読しています。
わが家は夫の介護は私です。
実家の両親は母が先に倒れました、その時の父の頼りなさを見ていて、
これは夫より先に倒れられないw!
と覚悟はしていたもののですが、
ご実家のお父様は驚くほど理知的でいらっしゃる。
夫の介護、案外上手っていいますよね、男性は案外優しいのですね。
わが家も娘や息子が意外に優しいので、うれしいですが、その連れ合いが案外覚悟が出来ていておどろきます。
aoi さん
そうですか・・息子さんが関与してくれるなら何よりですネ。ウチの弟はイナイも同然です(笑)。
父は、口だけ、気持ちだけ・・先走る傾向があり、やや要注意なんですが、まあ、一人でもやっていけそうではあります。
お互い、まずは自身の健康! を、大切にしましょう!