9月1日、水に流して白紙撤回された2020年東京五輪オリンピックのエンブレムのデザインを手がけた佐野研二郎氏にかわって、
注目されているのが、俳優で画伯である田辺誠一さんですが、
エンブレムのデザインはともかく、明るそうなキャラがイイ感じではあります・・
えらが張った人は、男でも女でも、芯が強い頑固な人が多い印象ですが、今回の佐野氏にはそれがマイナスイメージになりましたネ。
しかし問題の要は容姿の好みではなく、不透明な利権絡みの構造にあると思います。
新国立問題と同様に、今回も選考のずさんさ、不透明さが浮かび上がった。広告業界などのコンペでは、審査員の投票内容などを公表するのが一般的。「宣伝会議」の編集室長・田中里沙さんは「五輪という最も公共性の高いイベントで、もっと公開性があってもよかった」と指摘する。
佐野氏の“原案”が修正を経て採用されたのも疑問が残る。田中さんは「後になって“原画は違うものでした。手直ししました”と出てくることに違和感がある」とした。武藤事務総長は否定しているが“佐野氏ありき”の選考と、とられかねない。
http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/09/02/kiji/K20150902011051750.html
「選考のずさんさ」のせいで、佐野エンブレムのために既に発注した4800万なにがしの血税がパアになるわけですから、
政府が一度決めたことを「撤回」するには、それなりの理由があるように思えます。
以前、無印良品がイスラエル進出を白紙撤回したことを記事にしましたが、
自分としては、市民の力が企業を動かした・・という実例だと思ったのですが、
経済に詳しい人にこの話をしたら、
あれは無印良品の方に撤回したい理由があり、関係者にソレを納得させるために内部から仕組んだ可能性が高い・・と言ってました。
政府も、国民が騒ぐからと、佐野氏を切るのは簡単ですが、
多大な利権が絡んでいる原発に関しては、「テング熱」を演出して(大衆の注意を向けて)、騒ぎにならないようにコントロールされてるそうで、
そう言う意味では、オリンピックって大衆操作と利権の「ひのき舞台」な面もあり、
故安部公房氏は、オリンピックとは「国家主義の極み」だと、鋭い考察を残してました。
国家の外に立つことが誰にとっても不可能なら、抑止力としての核を生きるしかないことになる。
だから現代の破滅願望は、反体制として機能するよりも、はるかに国家主義、もしくは民族主義的方向に組織されやすい性格を持っているんだ。
けっきょく真の核廃絶は国家の廃絶以外にありえないような気がする。あまり希望は持てないね。兵士への道のほうが、国家の廃絶よりはずっと理解しやすいプログラムだからな
「兵士への道のほうが、国家の廃絶よりはずっと理解しやすいプログラム」は、まるで今現在の安保法案を見通したかのようなお言葉で、
シャーマニズムはお好きでなかった安部公房氏ですが、日本神界の大予言「ひふみ神示」でも同じようなことを警告してます。
ウヨウヨしている霊かかりにまだ、だまされている御座る人民多いのう。・・群衆心理とは一時的の邪霊の憑き物じゃ。
「兵士への道」につながる国家主義、民族主義に陥ることなく、
日本の良さを維持していくバランス感覚が今こそ大切な時代ですネ!
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