日本人にとって「忘れられない」日、あの3.11から11年目の2022年3月11日、
山梨県の清里はとてもいいお天気で、
草原まで散歩したら、雪はなく、
2週間前の「かまくら」が、
ほんのちょとだけ、残ってました〜
春先にしてはクッキリな八ヶ岳を拝んで、
我が家に戻って、ベンガル・ピノちゃんの寝顔を拝み、
平和だな〜 と、しみじみですが、
平和な暮らしが一瞬で崩れてしまうのが「戦争」で、
現代のハイテク「戦争」は、ヒジョーに「見にくい」形となってることは、認識していた方が良さそうで、
やはりウクライナに生物兵器を開発製造する研究所があることが公式に確認されました。 pic.twitter.com/sgJPZ8DLRb
— 森井啓二 (@keijimoriiVet) March 10, 2022
「金儲け」目的という意味では、医療問題も一種の「戦争」です。
各地で旧型(武漢型)枠珍の膨大な在庫問題が発生中。
日本はいまだに国民に打とうとしている pic.twitter.com/YjlUgRfMNg
— 森井啓二 (@keijimoriiVet) March 8, 2022
そして、いくらハイテク化された時代でも、自然の脅威の前には「かなわない」を思い知ったのが3.11で、ハイテクで地震を起こすのが可能にしても、あれはやはり「自然災害」だったと思われます。
さて、明らかに「自然」ではなく、「人工的」作為で起こるのが「戦争」で、
ブリーダー猫として、沢山の子猫を産んだピノちゃんは、
ペットショップで「他の猫と一緒のゲージは無理」状態でしたが、
子を守る「お母さん」として、用心深いのは当然で、知らない猫が来ると威嚇してました。
人間も、そういった用心深さから、国と国との境界線を作り「住み分け」してきた次第で、
「住み分け」自体は、ある種の知恵とも言えますが、
そこに「戦争で儲ける」人達の「人工的」作為が入り込んでしまったのが、人間社会の「戦争」で、
先日観た「みかんの丘」で、ロシア周辺の局地的戦争の実態を知りましたが、
「とうもろこしの島」も、ジョージアとアブハジアの紛争が舞台で、
アブハジア人のお爺さんと孫娘が、中洲に家を建てるところから物語が始まりますが、セリフはほとんどありません。
2014年製作/100分/G/ジョージア・チェコ・フランス・ドイツ・カザフスタン・ハンガリー合作
原題:Simindis kundzuli
ウチは3.11の直前から、清里でセルフビルドし始めましたが、
勝新太郎似のお爺ちゃんは、「建て方」からやる究極のセルフビルドで、
思春期の孫娘は両親が亡くなり、お人形を持ち歩いてることからPTSD的なトラウマがあることがわかります。
向こう岸には家があり、学校にも行ってますが、
お爺さんと黙々と「とうもろこし」を育て、
お爺さんが助けたジョージア兵とふざけ合ったりする中で、
孫娘は自然な感情を取り戻していきます。
印象的だったのは、最初に中洲に渡った際、
孫娘が「ここは誰の土地?」と聞くと、
お爺さんは「耕すものの土地だ」と答えるシーンで、
古代から、大地を耕す人々は、自然への畏敬の念を持っていました。
チグリス川、ユーフラテス川流域のメソポタミア文明
ナイル川流域のエジプト文明
インダス川流域のインダス文明
のように、大河が毎年定期的に氾濫、上流から肥沃な土を運ぶことにより農業が発達した地域があることは歴史的な事実であり、本作がそうした自然の脅威と恵みを意識したものであることは想像に難くありません。
ラストシーンは、とうもろこしが収穫となった時に「嵐」が来て、
船に積めるだけのとうもろこしを積んで、孫娘を向こう岸に送り出し、
お爺さんは掘っ建て小屋に戻りますが、掘っ建て小屋は嵐で潰れ、洪水で中洲は沈んでいきます。
嵐の後、兵士が来て、わずかに残った中洲から孫娘の人形を見つけるところで終わりますが、
お爺さんにとって、孫娘が元気になり、命を繋いでくれるのが一番の願いだったのでしょうね。
さて、今日の午後は「焼き芋」をしまして、
火を起こして、
芋を入れ、
しばらくしたら、
ほくほくで、柔らかい「焼き芋」になり、
甘くて、美味しかったで〜す!
私も旦那さんも東京育ちですが、旦那さんは子どもの頃、夏休みは山形県で農業を営む祖父母の元で過ごしたそうで、見よう見まねで「体験」したことが役立ってるようです。
鹿児島県人のMY父親は、母と結婚した際に「芋とかぼちゃだけは出すな」と言ったそうで、
戦時中に散々「芋とかぼちゃ」を食べさせられたから・・とのことで、
戦中派にとって「白いご飯」はご馳走で、今の暮らしはパラダイスなんでしょうが、
しかしながらその分、食べ過ぎの成人病が増えたのも事実で、
健康を大きく損なうと、個人レベルでの戦争状態となります。
第二次世界大戦で原爆が使われて以来、核戦争を起こしたら「地球は終わり」という意識が高まりましたが、
その分、局地的なドンパチが多くなったのは「戦争屋」の介入があるからで、
戦争だろうが自然災害であろうが、犠牲になった方々のためにも、
「戦争屋の狙い」に多くの人々が気づき、不毛な構図が変化することを願います。
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