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ウクライナ情勢に学ぶハイテク時代の戦争と「とうもろこしの島」

日本人にとって「忘れられない」日、あの3.11から11年目の2022年3月11日、

山梨県の清里はとてもいいお天気で、

草原まで散歩したら、雪はなく、

2週間前の「かまくら」が、

ほんのちょとだけ、残ってました〜

春先にしてはクッキリな八ヶ岳を拝んで、

我が家に戻って、ベンガル・ピノちゃんの寝顔を拝み、

平和だな〜 と、しみじみですが、

平和な暮らしが一瞬で崩れてしまうのが「戦争」で、

現代のハイテク「戦争」は、ヒジョーに「見にくい」形となってることは、認識していた方が良さそうで、

「金儲け」目的という意味では、医療問題も一種の「戦争」です。

そして、いくらハイテク化された時代でも、自然の脅威の前には「かなわない」を思い知ったのが3.11で、ハイテクで地震を起こすのが可能にしても、あれはやはり「自然災害」だったと思われます。

さて、明らかに「自然」ではなく、「人工的」作為で起こるのが「戦争」で、

ブリーダー猫として、沢山の子猫を産んだピノちゃんは、
ペットショップで「他の猫と一緒のゲージは無理」状態でしたが、

子を守る「お母さん」として、用心深いのは当然で、知らない猫が来ると威嚇してました。

人間も、そういった用心深さから、国と国との境界線を作り「住み分け」してきた次第で、

「住み分け」自体は、ある種の知恵とも言えますが、

そこに「戦争で儲ける」人達の「人工的」作為が入り込んでしまったのが、人間社会の「戦争」で、

先日観た「みかんの丘」で、ロシア周辺の局地的戦争の実態を知りましたが、

実は孤立化している西側諸国と「みかんの丘」に学ぶロシア周辺の民族紛争

「とうもろこしの島」も、ジョージアとアブハジアの紛争が舞台で、

アブハジア人のお爺さんと孫娘が、中洲に家を建てるところから物語が始まりますが、セリフはほとんどありません。

紛争状態にある2つの地域の間で畑を耕す老人と若い孫娘の日常を最小限のセリフで描き、大自然の厳しさや戦争への批判を訴えた人間ドラマ。ジョージア最西端に位置するアブハジアが独立を主張してジョージアと戦争を開始した1990年代初頭。両者の間を流れるエングリ川の中州にできた島に老人が上陸し、コーン畑を耕しはじめる。やがて老人の孫娘も手伝いにやって来て、2人は黙々と作業を続けていく。両陣営の兵士たちは、そんな島の様子を横目にボートで通り過ぎて行くだけだったが……。チェコのカルロビ・バリ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞し、米アカデミー賞の外国語映画賞ジョージア代表作品にも選ばれた。2014年・第27回東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門では「コーン・アイランド」のタイトルで上映された。

2014年製作/100分/G/ジョージア・チェコ・フランス・ドイツ・カザフスタン・ハンガリー合作
原題:Simindis kundzuli

https://eiga.com/movie/81156/

ウチは3.11の直前から、清里でセルフビルドし始めましたが、

勝新太郎似のお爺ちゃんは、「建て方」からやる究極のセルフビルドで、

思春期の孫娘は両親が亡くなり、お人形を持ち歩いてることからPTSD的なトラウマがあることがわかります。

向こう岸には家があり、学校にも行ってますが、

お爺さんと黙々と「とうもろこし」を育て、

お爺さんが助けたジョージア兵とふざけ合ったりする中で、

孫娘は自然な感情を取り戻していきます。

本作では戦闘シーンが描かれておらず、アブハジア紛争はあくまでも背景に過ぎません。老人にとって残された人生の目標は孤児である孫娘をなんとか卒業させることです。彼にとってアブハジアとジョージアの争いは眼中になく、傷ついたジョージア兵がいれば匿って助けます。本作は、戦いに身を捧げるのではなく、日々の糧を得るために大自然相手に奮闘を続ける農民の姿を描くことにより、紛争下における人生のあり方を静かに問いかけています。

https://dayslikemosaic.hateblo.jp/entry/2017/07/01/190000

印象的だったのは、最初に中洲に渡った際、

孫娘が「ここは誰の土地?」と聞くと、

お爺さんは「耕すものの土地だ」と答えるシーンで、

古代から、大地を耕す人々は、自然への畏敬の念を持っていました。

アブハジアはエングリ川を南の境とするジョージアの北西部の地域です。エングリ川は、コーカサス山脈を水源に様々な谷間を流れ黒海に注ぐ、全長200キロメートルほどの川です。その上流にはイングリダムという、全高が300メートル近い世界最大級のコンクリート製アーチ式ダムが建設されています。エングリ川を航空写真で見てみると中洲が非常に多いことがわかりますが、治水も進んだ現在、映画で描かれているような氾濫農耕がどれだけ行われているかは不明です。ただ、

チグリス川、ユーフラテス川流域のメソポタミア文明
ナイル川流域のエジプト文明
インダス川流域のインダス文明

のように、大河が毎年定期的に氾濫、上流から肥沃な土を運ぶことにより農業が発達した地域があることは歴史的な事実であり、本作がそうした自然の脅威と恵みを意識したものであることは想像に難くありません。

https://dayslikemosaic.hateblo.jp/entry/2017/07/01/190000

ラストシーンは、とうもろこしが収穫となった時に「嵐」が来て、

船に積めるだけのとうもろこしを積んで、孫娘を向こう岸に送り出し、

お爺さんは掘っ建て小屋に戻りますが、掘っ建て小屋は嵐で潰れ、洪水で中洲は沈んでいきます。

嵐の後、兵士が来て、わずかに残った中洲から孫娘の人形を見つけるところで終わりますが、

お爺さんにとって、孫娘が元気になり、命を繋いでくれるのが一番の願いだったのでしょうね。

さて、今日の午後は「焼き芋」をしまして、

火を起こして、

芋を入れ、

しばらくしたら、

ほくほくで、柔らかい「焼き芋」になり、

甘くて、美味しかったで〜す!

私も旦那さんも東京育ちですが、旦那さんは子どもの頃、夏休みは山形県で農業を営む祖父母の元で過ごしたそうで、見よう見まねで「体験」したことが役立ってるようです。

鹿児島県人のMY父親は、母と結婚した際に「芋とかぼちゃだけは出すな」と言ったそうで、

戦時中に散々「芋とかぼちゃ」を食べさせられたから・・とのことで、

戦中派にとって「白いご飯」はご馳走で、今の暮らしはパラダイスなんでしょうが、

しかしながらその分、食べ過ぎの成人病が増えたのも事実で、

健康を大きく損なうと、個人レベルでの戦争状態となります。

第二次世界大戦で原爆が使われて以来、核戦争を起こしたら「地球は終わり」という意識が高まりましたが、

その分、局地的なドンパチが多くなったのは「戦争屋」の介入があるからで、

戦争だろうが自然災害であろうが、犠牲になった方々のためにも、

「戦争屋の狙い」に多くの人々が気づき、不毛な構図が変化することを願います。

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