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木内 鶴彦 が5次元で見た二つの未来とスサノヲの循環型社会

2015年9月19日、安保法案が成立しましたが、神道に詳しい方によると、9月19日は日本神話上きわめて重要な日付で、

スサノヲに関係する日だそうです。

9月19日安保成立

9月19日が何の日か憶えてますか?
そう、出雲大社素鵞社のスサノヲが火で焚かれるために釜社に入った日です。
ことしの海の日に素鵞社にもどり、火の禊のスサノヲの型は完了したわけですが、いよいよはじまるわけですね。
are You ready?

http://amanohitukukami.blog28.fc2.com/blog-entry-357.html#comments

スサノヲって、かつて日本を揺るがした神道系大物の、

Onisaburo_Deguchi_2出口王仁三郎(上田 喜三郎)1871年8月27日京都府亀岡市出身 
死没 1948年1月19日(満76歳没)

出口王仁三郎はチャーチワードが『失われたムー大陸』(1931年)を発表する9年前の1922年(大正11年)に、『霊界物語』第9巻で「太平洋の真中に 縦が二千と七百浬 横が三千一百浬 黄泉(よもつ)の島や」と書いて、太平洋に巨大な大陸があったことを発表している。

多芸多趣味の喜三郎は義侠心を持った賑やかな人物であり、侠客の親分から養子の申し込みがあるほど亀岡で人気を博した。だが父の死、喧嘩で負傷した事、祖母の訓戒が重なり、宗教家への道を歩み出す。
wikipedia

出口王仁三郎さんは、自らをスサノヲと称していたそうですが、

スサノヲのモデルになった人に、実際に会ってきたという木内鶴彦氏は、
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幼い頃から科学少年で、航空自衛隊の航空管制官をしていた22歳の時、世界で120例しかなく、しかも助かった人のいない重篤な腸閉塞を起こし、臨死体験し、その後55歳で再び臨死体験したという体験の持ち主ですが、

世界的な彗星観察者でもあります。

木内鶴彦

航空自衛隊を退官し、彗星捜索を再開する。コンピュータによる軌道計算と写真乾板による彗星探査が普通である中で、木内は電卓と大型双眼鏡での眼視によって、当時行方不明になっていたスウィフト・タットル彗星を再発見するほか彗星を3つ発見して、全世界から一躍注目をあびた。木内の当時の彗星捜索のスタイルは、毎日、大型双眼鏡を八ヶ岳の山中にかつぎ上げ、眼視で観測することが特徴であった。

wikipedia

猫には多次元世界がわかるそうですが、
DSC_3962

世界が認めた第一級の科学的観察者である木内鶴彦氏によれば、人間も「無」になると猫みたいになれるようです。

座禅がいう「無」はたいていの人の場合、脳の中で考えられた観念的な「無」に過ぎません。「無になろう、無になろう」と脳で命令して、脳の中で意識を「無」にしようとするのが座禅の「無」です。

座禅の「無」が、悟りや哲学、倫理などとつながっていることも、意識が脳から離れていない証明になります。自分が学んだ精一杯の知識を駆使して、脳の中で考え抜いたことが悟りや哲学になるわけです。

本当の「無」は意識が肉体を離れてしまうので、肉体がそこにあっても、あるという気配がありません。つまり自分が気配そのもになっているため、その人がいるという気配がしないのです。

木内鶴彦氏は、この「無」の状態になれば、素晴らしい能力が覚醒すると言ってますが、やはり、55歳で臨死体験したペルーの先生は、自在にその状態に入ることが出来ましたが、それは肉体的にかなりの負担がある時もあり、

「遊んじゃいけないなあ・・」と、めったにやりませんでした。

臨死体験とは、立花隆氏が主張する脳内体験だという説に、

木内鶴彦氏も一部同意してますが、それとは別に、脳機能が完全に止まってるのに、

はっきりした意識のまま、5次元の世界へ、

すなわち思ったことがスグに実現化し、

現在・過去・未来を、自由に行き来出来る多次元世界に入って、

命がけで持ち帰った情報によりますと、日本の古代はハイテクだったようです。

かつての人間は循環型の社会をつくっていた

人類が誕生したばかりの頃は、まだ皆が初々しい使命感を持っていました。古代の人間はその役割にそった進化を遂げてきました。そのうち集まって村をつくり、農業を中心とした循環型の世界をつくり出していきました。

日本の場合、最初に循環型の「ムラ」をつくったのは「スサ」という人物でした。おそらくこの人が「スサノオミコト」だったのではないかと思います。いまから3500年前の日本にいた人間です。

私は過去に戻ったとき、この人の頭の中に入り込み、循環型システムについてヒントをもらいました。「スサ」が生きた時代、日本には農耕型の村が生まれていました。・・

周囲には山があり、川があり、豊かな自然がありました。彼らはそこで田畑を耕し、山を育て、見事に循環する生活圏をつくっていたのです。

この時代、日本人はすでにいろいろな技術を持っていました。たとえば田畑に炭素棒である炭を打ち込むことによって、空気中の窒素を土中に呼び込むという、いま考えると驚くべき科学的な方法を導入していました。

いまは化学肥料の窒素をまいて作物を育てますが、そんな化学物質で土壌を汚染しなくても、炭を土中に打ち込むという簡単な方法で、容易に窒素が取り込めるわけです。

土地に炭を埋める「炭素埋没法」は、カタカムナのテクノロジーで、

清里の家の基礎工事でもやってます。
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「費用が少々かかってもやった方がいいよ〜」と、ペルーの先生にしては珍しく強く勧められ、ご自身の自宅にも施してました。
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さて、木内鶴彦氏は臨死体験で、未来の自分について、二つのパターンを見てきました。

「子どもたちの前で星について話している平和な未来」と、

「廃墟の中を茫然と歩く不吉な未来」です。

この二重の未来について、2014年の著書でこう言ってます。

なぜ対照的な未来が二重に重なって見えたかというと、私はこの未来にはまだ選択できる余地があるからではないかと考えています。人間が自分の使命を自覚し、地球の環境を守るために行動するようになれば、平和な世界はまだ続きます。

でも、人間の暴走が止まらず、損得だけを追求する強欲な暮らしを続けていくなら、四度目のゲームセットを迎える日も近いのかもしれません。未来には「最良の未来」と「最悪の未来」がある。それを選択できるのは私たち自身だと思うのです。であるなら、私たちは「最良の未来」がやってくるよう行動しなければなりません。・・

しかし未来を変えるのは私一人ではありません。みんなの総合的な力が合わさったベクトルの方向が未来を決めていきます。救世主のような人が現れて、その人に従っていればいいというのは単なる怠け者の発想です。試させているのは、皆さん一人ひとりの選択です。一人ひとりの生き方、行動が未来を変えていくのです。

とにかくいまの地球は大変なことになっています。地球の生態系のバランスに配慮する社会構造にまったくなっていません。利益だけを目的に山の木を根こそぎ切り倒し、原子力を使って発電しています。

結果的に生き物がどんどん住みにくい環境になっていくのに、そのことを誰も止めようとしないのです。

さて、人類のアカシック・レコードが読めるゲリー・ボーネルさんは、

これからは個人的なシフトになると言ってましたが、

これはつまり、個々が自己責任で、「最良の未来」「最悪の未来」のどちらかをを撰ぶ、という意味だと思います。

安保法案がどうなろうとも、

「損得だけを追求する強欲な暮らし」をせず、

「自分の使命を自覚し、地球の環境を守るために行動」する、

古代の「スサ」さん的な、循環型の社会を目指す人たちが増えてきそうな予感です。

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