酵素カフェ

認知症の第一人者、長谷川和夫医師が体験した「晩節期の認知症」

2023年クリスマスの清里は、

寒いけどお天気に恵まれ、

クリスマス・イブの夕方、

家の中から、オレンジ〜赤に染まる、南アルプスが拝めました!

今月11日、町田の母が緊急入院しちゃったので、今年はクリスマスどころではありませんが、

天の恵みのように、ベッカライ・ポンポン「シュトレーン」のプレゼントを頂き、

夕日を眺めながら、美味しいコーヒーと共に、幸せなイブを過ごせました〜

調布在住・お隣さんのバルコニー工事はやっと完了し、


今年の8月、両親が来た際「お隣さんのご主人は、施設に入っちゃったんだよ・・」と、玄関先で母に言ったら、

「それは大変ね・・」と他人事のように言ってましたので、3ヶ月後には、母自身が当事者になるとは・・夢夢思いもしませんでした。

その頃の母は、たまに「幻視」があるものの、一応「会話」が通じるレベルでしたが、

入院以来「認知症っぽい」から、完全に「認知症」状態となっている母の受け入れ先(介護付き老人ホーム)を探した方がいい・・と、

病院のソーシャルワーカーさんがリストアップしてくれた施設の中に、ナント、実家のスグ近く(徒歩5分)に「ベストライフ町田」があり、

12月22日に行った際、「見学したい」とねじ込みましたが、それは無理・・となり、

2025年「認知症700万人時代」に向けて「からっぽ」になる薦め

今朝、父親が近所に住む甥(私の従兄弟)を伴い訪問し、

従兄弟から「申し込みしておきました」と連絡があり、安心しました。

ただ、いろいろ手続き(調査)があるので、スグというわけにはいかず、日程は微調整です。

91歳の父としては、散歩がてら行けるので「最高」とのことで、「家に居るのと同じだ・・」とか言ってますが、

実は、一緒に行ってくれた従兄弟の母(鹿児島在住)も、この秋に倒れて、今「老健」に入っているけど、最初のうちは「帰りたい・・」と騒いでいたそうで・・スムーズに移行出来るか心配ではありますが、とりあえず「最高」のクリスマス・プレゼントです。

それにしても従兄弟には大感謝で、大学受験で東京に出て来た際、実家にしばらく逗留していたこともあり、結婚の際は両親が仲人をしましたが、その後はさほど付き合いがなかったのに、助けてくれて有難いです。

そういえば、いち早く母の異変に気づき、「介護申請」を勧めてくれた母の従兄弟夫婦も、

「要介護1と要支援2の違い」と「波動戦争の終焉」ために大切なこと

両親が仲人を務めたのですが、(前世からの)ご縁がある親戚って、あるのかもしれませんネ。

母の従兄弟夫婦の話では、母は「レビー」じゃないか? とのことですが、

近年増えている「レビー小体型認知症=DLB」と「腸」にも浸食するスパイクタンパク質

2021年に逝去された長谷川和夫氏が、

認知症医療とケアに多大な功績を残した「認知症界のレジェンド」、精神科医の長谷川和夫さんが11月13日に亡くなった。認知症に関する国の政策がまだなかった1960年代後半から研究と臨床に携わり、2017年には自らが認知症になったと公表。「診る側」「診られる側」双方の立場から社会に発信し、認知症と共に歩んだ92年の生涯だった。

https://www.yomiuri

自分が認知症になったのでは? と思い始めたのは2016年、母と同じく87歳の時で、88歳でカミングアウトしましたが、

長谷川氏は「嗜銀顆粒性認知症」だったそうで、

<嗜銀顆粒性認知症とは>

脳内の嗜銀顆粒状の構造物を特徴とする変性疾患です。 認知症を呈さない例もあることから、嗜銀顆粒病と称されることが一般的です。 嗜銀顆粒性認知症の臨床的な特徴は、高齢発症で緩徐な進行、記憶障害で発症するが頑固・易怒性・被害妄想・性格変化・暴力行動などの行動心理症状BPSDがみられる、などがあります。

https://kitatoda-matsumoto

「晩節期の認知症」というお言葉を遺してます。

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ボクは80歳を過ぎてからなる認知症を「晩節期の認知症」と呼んでいます。これからは、この晩節期の認知症になる人がどんどん増えます。だから絶対に人ごとではない。わがことだと思って認知症のことを知っておくのが大切だと思います。

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長谷川氏の息子さんも、認知症を診る精神科医で、

認知症になるほど「長生きができた」と言ってます。

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<「父は認知症になることができた」息子が語る医師・長谷川和夫の姿>

長谷川和夫さんといえば、認知症研究の第一人者であり、臨床医として何千人もの認知症の患者を診てきた医師です。以前は当たり前のように使われていた「痴呆症」という呼称の変更に尽力し、当事者を中心にした「パーソン・センタード・ケア」の普及にも尽くしてきた人。
そんな長谷川さんが「実は認知症なんです」と公表したのは88歳のときでした。「あの長谷川さんでも認知症になるのか!」と衝撃を受けた人も多かったのではないでしょうか。実際、当時は新聞などでも取り上げられるほどの話題になりました。
ご家族はその前から知っていたはずですが、認知症と知ったときのショックは大きかったのでは?……と思いきや、長男の長谷川洋さんは「いえ、実を言うと少しホッとしたんです」と言います。え? それはどうして?
「父も私も精神科医です。いろんな場所で『認知症を完全に予防することはできません。誰にでもなる可能性があるのです』と言い続けてきました。でも多くの人は『認知症にならない方法もあるのではないか』『専門家は何か知っているのではないか』と思っているみたいでした。父は50年以上も認知症の研究をしている人で、誰よりも認知症に詳しい日本人だと思うのですが、そんな父でも認知症になった。これが『認知症って誰でもなるんだ』という証明かもしれません。当時私がそう言ったら、父もうなずいて笑っていました」
ニコニコしながらそう話す洋さん、そして笑い合う和夫さん。さすが認知症とともに歩み続けた親子です。

そしてもうひとつ、「父が認知症になるまで長生きしてくれたという事実にも、私は感謝しているんです」と洋さんは言います。

「若くて認知症になる方もいますから一概には言えないのですが、一般的には高齢になってから認知症が始まる人が多いのです。父の物忘れが気になるようになったのは80代の半ばくらいからでしょうか。ある意味、とても普通のことです」
洋さんが高校生の頃、和夫さんが胸の激痛を訴えたことがあったそうです。少ししたら痛みは治まったのですが、「お父さんはこのまま死んでしまうのではないか」と感じた恐怖を、洋さんは今でも思い出すのだそうです。
「父はいま91歳ですが、この年齢になるまで心臓発作も脳梗塞(こうそく)もなく、交通事故にも自然災害にもあわずにいてくれました。おかしな言い方かもしれませんが、父は認知症になることができたのです。つまり、認知症になれるまで長生きができたということです。そのことにも私は感謝しています」
認知症に「なることができた」という表現、長く認知症の取材を重ねた「なかまぁる」編集部でもおそらく初めて聞く表現かもしれません。長谷川親子の認知症への理解の深さを実感しました。

実際、洋さんの目には、認知症になったことで和夫さん自身にも大きなプラスがあったように見えるのだそうです。
「高齢になると、認知症のあるなしにかかわらず、それまで好きだったことを諦めたりやめたりする人は多いものです。父にとってのライフワークは認知症の研究ですが、徐々にその現場から離れてきました。でも今、自分が認知症になったことで、認知症の研究に新たな視点を持つことができました。
しかも認知症になったことでメディアの取材が相次ぐようになり、認知症について自分が今感じていること、多くの人に伝えたいことを話す場をいただいています。これも認知症になってよかったことのひとつではないでしょうか」
確かにその通りかもしれません。「なかまぁる」編集部も、2020年1月に放送されたNHKスペシャル『認知症の第一人者が認知症になった』の和夫さんの姿、そして著書『ボクはやっと認知症のことがわかった』から学ぶことが多くありました。
そう話すと、洋さんも「実はぼくも勉強になったんです」と言います。

「特に父が言った『認知症が始まったことで、自分の中の“確かさ”が揺らぐ』という言葉には驚きました。
認知症の方は何度も同じことを話したり、質問したりしますが、それは短期記憶障害によるものだと思われています。でも父の言葉を聞いて、やはりそれだけではないのだな、と。自分の中にある『確かなこと』が失われていくことが不安だから、繰り返し尋ねたり、何度も確認したりする。根底にあるのは自分自身への不安感なのだと思うと、私たち周りの人間の対応の仕方も違ってくるのかもしれません。たとえば、聞かれなくても同じことを何度も話してあげることも必要かもしれませんし、それが認知症の方の不安感の解消にもなるのだということもよくわかりました」
認知症について深く知る医師が認知症になる……、それは決して「皮肉な運命」などではなく、医学界にとって価値ある臨床報告につながることなのではないでしょうか。

https://nakamaaru.asahi.com/article/13736317

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ああ、確かにそうだな〜 と目から鱗で、何事も体験しないと「わからない」もので、息子さんに認知症の家族を体験する、・・貴重なプレゼントをしたんですね。

長谷川氏は、10歳下の奥様共々クリスチャンとのことで、スピリチュアルな視点を持ち合わせている方でもあり、

オーストリアの政府高官だったクリスティーン ブライデンさんは46歳で認知症と診断され、認知症への「世界の認識を変えた」方ですが、

長谷川氏は、2008年に受けたインタビューで、ブライデンさんについてこう述べてます。

それはこういうことなのです。認知機能は脳表面にあって、親の躾や学校の教育、社会から受けた教育など長年にわたるインプットの集大生です。この「認知脳」の下には喜怒哀楽の「感情脳」があります。そして、さらにその下には人間の核になる、その人らしさが詰まった脳があります。アルツハイマー病ではいちばん上の「認知脳」の機能が失われ、次に「感情脳」が壊れていくのです。

ブライデンさんは、やがて感情さえ壊れ、自分はどこへ行くのだろうと不安でいっぱいだったのです。ところが2冊目を書くころにはこの不安は消え、自分らしさだけの脳になって「私は最も私らしい旅に出るのだ」と思い直した。「だから、私を支えてください」といっているのです。私は、心のいちばん深くにある、最もその人らしい、その人の存在そのものを支えることがスピリチュアル・ケアなのだと思いました。認知症と介護の分野に携わらなかったら、私はこの存在の重要さに気づかなかったと思います。

脳の機能障害とは別に、「その人らしさ」が出てくるって、母を見ていても実感しており、

喧嘩ばかりしていた母娘ですが、今が一番付き合いやすいかも? って、感じてます!

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